2024年 8月

開催しました!「九州大会inみやざき」(その26)

その様子を確かめて、金城先生は「正しく生きるとはどういうことでしょうか」と問いかけました。「それは正しいことをするということでしょうか。あるいは正しい人になるということでしょうか。もちろんそれも大事です。しかしそれ以上に大事だと思うのは『あなたは何者か』と自分に向き合う事だと思います。倫理というのは『今何をなすべきか』という行為に焦点を当てがちです。しかし『その行為をするあなたは何者なのか。何を大切にし、何を目指しているのか。あなたはどう生きたいのか、どう生きるべきなのか。あなたは何を残して逝きたいのか』、そういうことを今のうちから話をしておく、これがACPの心です。みなさん是非このことを覚えておいて下さい。今私たちに求められているのは自分に向き合う倫理、自分に向き合うACPだと思います。いつか私たちは必ず今やっている仕事を辞める時が来ます。いつか私たちは必ずこの世にさよならを言わなければならない時が来ます。その時に『自分の仕事は本当にこれで良かった、自分の人生は本当にこれでよかった』と心の底から、周りの人と共に物語ることができるよう、みなさん是非今日から日々の小さな選択、大きな選択を意識して、そして私が家族、愛する人、友人に何を伝えるのか、何をするのかをしっかりと考えて、そして選んで、そういうことを積み重ねていけば、私たちはより良い人生を歩んだと、後から物語ることができるのではないかと思います。私は皆さんに是非、良い人生を歩んでいただきたいと思います。そのために皆さん是非今日聞いていただいたACPを理解していただいて、そして今日から実践してただきたいと願わずにはいられません」と頭を下げた金城先生に、会場には割れんばかりの拍手が鳴り響きました。

(つづく)

台風10号接近中

 台風10号(サンサン)はこれから宮崎県に接近するものと予測されています。情報を迅速・正確に入手し、諸災害への備えをお願いします。

気象庁台風情報

国土交通省川の防災情報

宮崎河川国道事務所

MRT宮崎放送警報・注意報

宮崎県防災・危機管理情報

宮崎県の雨量・河川水位観測情報

Windy.com

開催しました!「九州大会inみやざき」(その25)

琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生の市民公開講座「自分のものがたりとして考えるACP」もいよいよ終わりを迎えました。

「残された人の人生を支えるために話し合いを今からしておくこと、日々の選択の中でそれを積み重ねていかないとその影響力は残りません」と日々の選択の重要性をおさらいした金城先生。スライドに沖縄の澄み渡る青い海と青い空が映し出すと、その美しい光景に参加者は目を奪われました。「私は沖縄から来ていますので、最後に沖縄の風を届けたいと思います」と言い、次の世代に伝えていきたい沖縄の道徳である「平和と文化をこよなく愛するこころ」、「共に生き共に死する思想・命どう宝(ぬちどぅたから)」、「他人の心を思いやる肝ごころの文化」などを紹介しつつ、「今日、皆さんに考えていただきたいのは、『ナンクルナイサ~』という言葉です。実は少々誤解されている言葉です」と切り出すと、参加者の表情には疑問符が浮かびました。そんな会場を見渡しながら金城先生は「『なんとかなるさ』という諦念文化、適当文化を表す言葉として理解されています。実際沖縄の人はそのように使っているところもあります。しかしこれは正しい使い方ではありません。正しくは『ナンクルナイサ』の前に『マクトゥソーケー』という接頭語がついて、これでワンセットの言葉です。これは『人として正しい事をしていれば、あとはなんとかなるさ。真面目でひたむき、真摯であれば、あとはなんとかなるさ』という意味です。ですから結果ではありません。『なんとかなるさ』のためには、日々の選択、それを正しく選んでいくこと、正しく生きる事が大事です。それをちゃんとやっていれば、あとはなんとかなるという意味です。つまり『日々の選択が大事』ということを言いたかったわけです。苦しいこと、悲しいことを受け入れ、くじけずに人として誠実に正しく生きる道を選ぶならば、その後はきっとうまくいくと信じて生きる。沖縄の人の倫理的な姿勢、生き方が『ナンクルナイサ』の本当の意味です」という説明を参加者は目から鱗が落ちる思いで聞き入りました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その24)

「私が提唱する『第3の終活』は、自分の最期をどう迎え、自分の人生の最期までどう生きるかのみならず、残される人が生き続けることを支える準備をするための活動で、これを私は『真のACP』として皆さんに紹介したいと思います。ここは大事です」と会場を見渡した金城先生、残された人が生き続けることを支えるための方法として「故人が良い影響力を持ち続けること。故人が遺族の背中をそっと押す力を持ち続けることです」と説明。具体的には父親を亡くした青年が、人生の岐路に立ったとき、「こういうとき、親父だったら何と言うだろうか」と考えたり、小さな娘を亡くした母親が「あの子の親としてはずかしくない生き方をしたい」と思ったりするとのことで、「こういう形で私たちは自分亡き後も、残される人と共に生き続けることができます。残された、愛する人たちの側で彼らを慰め、励まし、前に進めるように、そっと彼らの背中を押すことができます」と具体例を交えながら伝えると、参加者は新たな気づきを得た表情を見せていました。

そして「影響力を残すためには、残された人たちがその影響力を感じ取れないといけません。どうやって影響力は準備すればいいでしょうか。これは最初の話に戻りますが、日々の選択の積み重ねです。小さな選択、大きな選択の積み重ねが影響力として残るわけです」と講義の最初のテーマ「選択を意識する」をおさらいし、影響力を残すためのポイントとして、「1.自分はあなたのことを気にかけており、あなたの幸せを心から願っており、いつでも相談してほしいと今日から伝える」、「2.自分が何を大切にし、なにを嫌い、何を願っているかを今日から相手に伝える」、「3.人生を生きていく上で、忘れてほしくない大切なこと、心に留めておいて欲しいこと、人生で最も大切なことを今日から伝える」の3つをスライドに示し「これらを『今日から』伝えて下さい。これこそ真のACPだと思います」と、「今日から」という言葉に力を込め参加者に呼びかけました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その23)

金城隆展先生による市民公開講座、いよいよ最後の章「第3の終活(真のACP)を意識する」を迎えました。

「第3の」と銘が打たれている事に関心を寄せる参加者を見渡しながら、「『第3の終活』を意識しましょうと言っていますが、『第1の終活』や『第2の終活』があるのか?というとその通りです」と述べ、「第1の終活は最初の頃の終活です。人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うことで、『事前指示』はこの中の1つに含まれます。今から自分の人生の最期をどう迎えるかを準備することです。これに対し、新たな『第2の終活』というものが登場してきました。これは『今から最期を迎えるか』のみならず、今のうちから『自分の人生の最期までどう生きるか』を察するための活動で、これが最近はやっている終活です」と言葉を続けました。

その上で「私は倫理学者ですから」前置きし「第1の終活と第2の終活はバランスが良くありません。これらはかなり自分中心です。自分の最期をどう迎え、自分の人生の最期までどう生きるか、というふうに自分が中心になっていて、残される人たちが取り残されているような感じがして、バランスが悪いと思います」と解釈を加え、いよいよこの章のテーマである「第3の終活」に話題を切り込んでいきました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その22)

市民公開講座の二人目の講師、琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生による「自分のものがたりとして考えるACP」。講演は「2.物語を共に紡ぐ」、に移りました。

まず、ノートルダム大学教授で哲学者、アラスデア・マッキンタイアが説いた「私たちは『物語る動物』である」をタイトルにしたスライドを提示し、「①誰でも物語れる」、「②物語ることで人生や経験を意味づけている」、「③自己アイデンティティを形成している」、「④他者の物語も一緒に紡いでいる(共同著作)」の4つを列挙しました。このうち「②(私たちは)物語ることで人生や経験を意味づけている」そして「④他者の物語も一緒に紡いでいる(共同著作)」の2点を念頭に置くよう参加者に言いながら、動画による症例紹介がありました。

病気のため一度は下肢切断が決まった高齢女性の患者。家族は同意したものの、話し合いを重ねる中で、本人の気持ちを尊重し、保存療法を選択した結果、患者は切断しなくても良い状態まで回復。医師が「私は病気をみていた。本当なら病気をわずらった患者をみなければならなかったのに」と省みた後、「ACPは患者さんの意思を尊重することが大切です。患者さんの尊厳有る生き方を実現することに力を尽くしていきましょう」というナレーションで動画が結ばれたのを受け、金城先生は「患者さんらしさを表す選択の背後に物語があります。その物語を介して患者さんらしさは何なのか、患者さんの思いは何なのかを理解し、治療に反映することができます。ACPで大切なのは、『何を決めたのか』の結果ではありません。何度も話し合う機会を持ちながら、患者さんの物語を介してその人をよく知っていくこと。これが本当に、本当に大事なのだということをお伝えしたいです」強調。さらに「ACPで大事なのは『何をする、しない』という事前指示ではありません。『この人はどう生きたいのか、何を希望しているのか、何が好きで何がきらいか、この人はどういう人なのか』を繰り返し話し合っておくことが、必ず役に立ちます。本人が話せなくなったとき、周りの人が推定することに役に立ちます。そのために私たちは準備をします。ACPとは準備をするということです。重要なのは結果、結論ではありません。周りの人たちが本人のことを代弁できること、一緒に患者さんの物語を共同著作できるかどうか、ここが問われているということなんです」と言葉に力を込めると、その熱気は会場中に伝わりました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その21)

一方、「生きること」に対しては、「ありがとう(有り難う)」の反意語が「当たり前」であると前置きし、「人間はどんなことにもすぐ慣れてしまいます。医療従事者も含め、私たち人間が慣れてしまうと感謝の気持ちがなくなってしまいます。知らず知らずんのうちに相手をぞんざいに扱ってしまいます。全ての人間が生きることにも慣れる動物です。すると生に対する感謝の気持ちがなくなってしまいます。今日という大切な一日に感謝する気持ちがなくなって、ただ漠然と生きてしまう、ということが私たちの人生によく起こります。じゃあ漠然と生きてしまわないためにはどうすればよいでしょうか。私たちが日々の選択を大切にし、よりよく選ぶことができるようにするにはどうすればいいか、そのために必要なのは、自分の最期に向き合うということになるわけです」と述べた金城先生、ご自身の趣味である映画鑑賞を引き合いに出し、「私があと20年生きるとして、残りの人生であと700本から900本しか映画を観る事ができません。これに対し、日本でたった一年間に封切りされる邦画と洋画の合計数は約1000本です。これがわかると、最期を意識すると『今日、この映画を本当に観るべきだろうか』と自分の選択を吟味し始めます。こういうことが『より良く豊かに選ぶ』ということになります」と具体的に説明すると、参加者はそれぞれの人生における一日一日、一瞬一瞬の重みを肌で感じとっていました。

そして会場を見渡しながら「人生はシミュレーションできません。たった一度きりの、取り返すことのきかない、唯一無二の大切なこの人生をどう生きるか?これを私たちは立ち止まって考えて行かなければなりません。これが倫理ということになります」と語りかけ、金城先生は「選択を意識する」というテーマをまとめました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その20)

このことを踏まえ、金城先生は「私たちが歳を取ったり、病気になったりすると、できることが減ります。すなわち選択肢が減っていきます。それだけでなく自分らしさを表現する機会がどんどん減っていきます。であるならば私たち医療、介護は何をすることができるでしょうか」と金城先生は会場に問いかけました。

そして「リハビリやケア、治療を通じてできなくなっていたことができるようになること、これはもちろん素晴らしいことですし、皆さんもそのために頑張っていただきたいと思います。しかし歳を取ったり病気になったりして、どうしても生物医学的な選択肢の枠は狭まらざるを得なくなってしまいます。しかしそうなっても、個人の選択肢の中に自分たちが生きるために治療や介護を選んでいく、つまり私たち医療の専門家の治療の選択肢の中にいかにして患者さんらしさ、患者さんの思いを反映できるか、そういう医療、介護こそが、尊厳ある医療であり介護であると言えます。そしてそこから自分が選ぶ、生きるということを考えるということが人生会議、ACPです」と続け、「倫理」「選択」「ACP、人生会議」という言葉を有機的に意味づけ、その中で医療と介護のあり方を更に解いていきました。

選択の連続からなる人生、しかし「私たちは、死なないことを選ぶことはできません。いつかはかならず死にます。ここに倫理は生じません。ではどこに倫理が生じるのでしょう。日々のひとつひとつの選択の積み重ねによって、『後悔の最期』を持つか、それとも『腑に落ちる最期』を持つか、どちらの最期を持つかを選ぶことはできます。そして『腑に落ちる最期』のために、ACPが必要なのだということを、私たち倫理学者は皆さんにお伝えしたいと思っています」と金城先生は言葉を重ね、ACPの大切さを強調しました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その19)

市民公開講座、続いて演台に立ったのは琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生。「自分のものがたりとして考えるACP」という演台でご講話を拝聴しました。

金城先生は生命倫理・臨床心理という応用哲学を専門とされ、その中でもナラティブエシックス(物語の倫理)を研究されています。また琉球大学病院では医療倫理教育、倫理コンサルテーション(倫理相談・支援サービス)を担当されています。臨床の現場で倫理的な問題が生じた時に助言をしたり相談を受けたりするなどご活躍中です。この日はそんなご多忙の中、本大会のために駆けつけて下さいました。

「三浦靖彦先生がACPのど真ん中をお話していただきましたので、私はACPの周辺をゆるやかに考えていきたいと思います」と、柔らかい口調で語り始めました。

この日の公開講座では「1.選択を意識する」、「2.物語を共に紡ぐ」、「3.第3の終活(金城先生は『真のACP』と呼ばれています)を意識する」という内容で進められました。

「1.選択を意識する」では「倫理とは、詰まるところ、『選択』です。みなさんが何かを選ぶことに関する言葉です。私たちは選ぶという意識があってはじめて倫理的になることができます。選んでいるという意識がなければ、そこに選択肢がなければ、選べる自由がなければ、私たちは倫理的にすらなれない、ということを考えていきたいと思います」と切り出し、勉強をする理由として「人生の選択肢が増える」と述べた有名人のエピソードを紹介しつつ、「選ぶこと、選べる自由こそ、その人らしさ、私たちらしさ、私たちの尊厳が現れます。みなさんが今日何を食べるか、何を着るか、そのひとつひとつの積み重ねが皆さん自身を作っていく、皆さんらしさをつくっていく、そしてその選択の積み重ねの先に、先ほど三浦靖彦先生がおっしゃったACPがあるということになります」と続けた金城先生。この「倫理とは選択である」という言葉に、参加者はうなずきながら聞き入り、集中度を高めていきました。

(つづく)

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