不協和音も大事です。
餅は餅屋。音楽用語は音楽専門書に頼ろう、と『はじめての楽譜』(吉田眞由美、永岡書店)を開いてみました。すると、不協和音について、こう書いてありました。「不協和音はこのままでは何となく落ち着かず、協和音につなげてホッとしたくなります。通常、次に協和音をおき、響きを安定させます」・・・。つまり、いったん不安定な状態にするのが不協和音の役割ということのようです。
ギターを弾き始めた頃、C(ドミソ)とF(ドファラ)とG(シレソ)という3つの長三和音(コード)、いわゆる「主要三和音」を覚えただけで、何だか曲になりそうな気分になった経験はないでしょうか(もっとも、Fはギターを弾くにあたり、最初に訪れる難関ですね。左手人差し指で、1弦から6弦を同時に押さえるのですから大変!これで挫折する人も多いはず)。実際、この3つ(スリー・コード)で演奏可能な曲もありますが、一本調子になりがち。それでは、と、これに協和音であるAmとEmの短三和音を加えて、これらによる「循環コード」というのを覚えると、世界に一つだけのオリジナルソングができる、ような気がするのですが、曲になんだか深みがなく物足りない。何曲が作っていくうち、全部同じ歌に聞こえることに気付いて(゜◇゜)ガーン、ということも少なからず。そこで不協和音の登場です。
代表的なセブンス・コード(ドミナント・セブンス・コードとメジャー・セブンス・コード)やディミニッシュ・コード、アウギュメント・コード、サス・フォー・コード、シックス・コード・・・・・などなど、協和音と比べて、不協和音の方が圧倒的に多く、その響きも多種多様です(ちなみに、ギターよりピアノで覚えた方が、それぞれの和音の組み合わせの原理が理解しやすいです。あくまでも個人の感想ですが)。リズムとメロディーとハーモニーの3つを「音楽の3要素」と言い、このハーモニーを構成する和音は、メロディーを支える重要な役割を担っていますが、これら不協和音を効果的に用いることで、曲にメリハリがつき、より表現性豊かで感動的な曲に仕上げたり、同じ曲でも全く違う感動を覚えたりすることができたりするわけです。安定しっぱなしではだめ。いったんそのバランスを崩して、あらたな安定を得るために、不協和音は不可欠な存在なのです。
長々と音楽の話をしてしまいましたが、人間の様々な動作にもこの「不協和音」的な要素が必要となります。例えば、人間が椅子に安定して座り続けるためには、その人がお尻と両足で作る面(支持基底面)の中(内側)に、重心があることが必要です。もし重心がその面からはみ出したら、人はその方向によろよろっとふらついてしまいます。しかし、座っている状態から”ヨッコラショ”と立ち上がるためには、その安定した状態を一度崩さないといけないのです。つまり、前方にわざとバランスを崩してお尻を浮かせながら立ち上がり、今度は両足でつくる新しい支持基底面(座っている時よりも狭くなります)の中に重心をもってくることで、安定して立っていることができるというわけです。この「わざとバランスを崩す」という作業こそ、音楽でいうところの「不協和音」の役目と言えると思います。これは立ち上がり動作に限らず、寝返り、起き上がり、歩行などをはじめ、様々な日常生活における動作の中で必要になってくるわけで、そこで「いかに正しく、安全に、効率的にバランスを崩すか(そして新たな安定状態に移行するか)」が課題となります。
とりわけ老健施設においてはこのことが重要で、リハビリ専門職はもちろん、利用者様の生活をサポートし、その自立を支援する全てのスタッフが協業して取り組んでいくこととなります。それぞれの日常生活活動能力を評価、分析し、問題点を抽出、これに基づき動作訓練を行うことはもちろん、必要に応じて自助具を用いたり、環境を整備したり、社会資源を活用したり。つまりいろんな和音を駆使して自立を目指すことが求められるのではないでしょうか。
そしてこれは、単に動作の改善だけに限定するものではありません。あらゆる方策を講じて、一人一人のLIFE(生命・生活・人生)という楽曲をプロデュースしていくことが、老健施設の役割だと思います。何でもかんでも介助してやれば無難だろう、と「過介助」という名の安定した協和音だけでは、みんな同じ曲になってしまいます。協和音と不協和音を利用者様一人一人に応じて織り交ぜ、世界で一つだけの、その人のためだけの曲を、ケアプランという楽譜に書き上げ、そしてそれを各スタッフがそれぞれの楽器を用いて奏でていく。老健はそんな「楽聖集団」であるといいんじゃないか?と思います。