老健みやざきブログ

九州大会開きました(その13)

2013年12月5日 | 協会活動報告


 映画に続き、佐久総合病院映画部農村医療の映像記録保存会の若月健一代表が講演を行いました。

【講演の概要】

 映画に出てきた「農民とともに」、「予防は治療に勝る」などは私達職員全体がその方向に進もうという佐久総合病院のスローガンです。また私達の経営方針は「532方式」というものです。病院の力が10であれば、そのうち5を入院患者さん、3を外来医療、そして2を保健予防活動や公衆衛生活動や福祉活動、高齢者ケア活動にあてようというもので、これは昔から言われているものです。それが病院の職員全員の頭の中にしっかり入っており、絶えずそれに基づいた考えをしながら行動しています。

 こういう病院もあるということがわかっていただければいいと思います。ただし、大事なのは、老人保健施設は全国に3800ほどありますが、やはり地域に根ざしていないとだめだと思います。施設が地域と一体となっていないと本来の老健の活動はできないのではないでしょうか。地域のみなさんの理解と協力がなければ、いくら老健だけが頑張ってもできなません。「中間施設だから帰りましょう」と、どんどん家に帰していては老健施設は嫌われます。家族の立場や状況を考えずに、中間施設としての立場を必死に守ろうと、ただ「帰せ!」というだけでは非常に問題があります。その地域の実情、家庭の実情に合った形で老健施設は何ができるか?それを考えないといけないと思います。

 私も(老健を立ち上げた)最初のうちは何をやっていいかわかりませんでした。最初7つの施設の施設長が集まって、厚生省(現厚生労働省)の人も一緒になってああしよう、こうしよう、ああでもない、こうでもないと話し合っていました。やはり7つの施設それぞれに特徴があり、その特徴を大事にし、地域の中の実情を汲みながら「通過型の施設にしよう」とか、「在宅ケアを支援しよう」などと、それぞれの施設を作り上げてきた経過があります。

九州の老人保健施設の皆さんも、おそらくそういう視点で取り組まれているだろうと思います。どうしても施設の実情があって難しい事もあるでしょうが、病院も老健も全く同じです。福祉施設でも同じです。しっかりと地域に根付かないといけなません。それには時間がかかります。一年や二年では根付きません。やはり十年、二十年、三十年と時間を掛けてこつこつとやっていくことが大事だと思います。

私達も昭和20年代の当初からずっと地域の事に目を向けながら、また逆に地域から学びながら進めて参りました。そしてその中で行政機関やJA、民間組織なども応援してくれるようになりました。そのように色々なところから応援してもらって運営していくのが望ましいわけです。そしてそのためにも、一番大事なのはやはり地域の皆さんです。みなさんの理解と協力が得られるようになれば、かならず市町村などの自治体が支援してくれるようになります。「自分たちだけがやってるんだ」という感覚ではなく、「みんなでやっていくんだ」という認識を作っていくべきだと思います。

映画では若月俊一という医者を中心にしていますが、実際は若月俊一だけではありません。病院の職員が一生懸命やりました。努力もしました。けれどそれ以上に地域の皆さんが病院に対して温かい目を向けて下さるようになりました。これが一番強かったということを、このフィルム中では訴えています。

そして今、私達は「地域住民の皆さんに応えるにはどうすればいいのか?」ということを模索しています。映画にもあった通り病院を二つ分けて、その中でどう職員を一体化させていくかということを議論しています。二つの病院の人事交流をどんどんやって、みんなが切磋琢磨すればいいのではないかと考えています。

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(講演終わり)

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佐久総合病院の基幹医療センター(仮称)は、1225日に引き取りが始まり、そして来年の31日には開設する予定とのことで、その直前の大変忙しい中を縫って講演に駆けつけて下さった若月健一代表に、会場からは惜しみない拍手が贈られました。

映画、そして講演ともに私達老健施設に勤める者にとって、地域および地域住民の理解と協力を得ることがいかに重要かを再認識する、非常に貴重な機会となりました。

また、さきごろも紹介しましたが、映画「医す者として」の公式ホームページhttp://iyasu-mono.com/)も是非ご参照下さい。

(つづく)

九州大会開きました(その12)

2013年12月4日 | 協会活動報告

そして今、この「二足のわらじ」を履いて展開してきた佐久総合病院は、この言葉を見直す時期、つまり再構築の時代を迎えています。戦後農村は大きく変貌し、農民病も影をひそめ、生活も豊かになって来た中、同病院のベッドは増えず、医師は4倍以上に増え、急速に医療の専門化、高度化が進んできているのだそうです。医師も看護師も地域に出られなくなり、機能的に昔と同じことができなくなってきました。

そこで佐久総合病院では平成8年に「佐久病院将来構想に関するプロジェクト」を発足、地域の医療と暮らしを守るため、東信地域の医療機関と相互の連携に基づいた地域医療の再構築をめざしています。具体的には生活圏における市民病院としての役割を「地域医療センター」が、また広域医療圏における基幹病院としての役割を「基幹医療センター」がそれぞれ担うというもの。

ただしこれは単に病院を切り分ける分割ではなく、同病院ホームページ資料によれば、「たくさんの種類の草花がぎっしりと大きく育った鉢を、その草花の性質を考えて整理し、2つの新しい鉢に植えかえること」。つまりこの2つのセンターで総合的に「二足のわらじ」を履いていくのだそうです。

映画の終わりは、この基幹医療センター(仮称)が来年の完成に向けて工事が進められていることが紹介されるとともに、若月俊一医師の「医療の民主化とは、いつでもどこでもだれでもが自由に医者にかかれて、医者がそれに広く応えられること。この医療の民主化は医療だけではできない。地域社会が民主化されなくて、どうして医療が民主化されるのか」という力強い言葉で締めくくられました。同病院ホームページ資料にも「私たちは地域のみなさんと一緒にこの再構築を進めることによって、生きがいあり暮らしが実現できるような地域づくりをめざします」とあるように、農民の命と健康を守ることに生涯をささげ、たくさんの業績を残した若月医師、そして地域の医療とくらしをこれからも守り続けていく佐久総合病院の取り組みが余すことなく盛り込まれた、感慨深い映画でした。

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(つづく)

九州大会開きました(その11)

2013年12月3日 | 協会活動報告

 このように農民とともに歩んできた若月俊一医師、そして佐久総合病院ですが、1960年代から急速に進んだ高度経済成長は農山村を大きく変えていきます。兼業化が進み、農業の担い手が減り農業そのものが危うくなる一方で、農薬による健康被害や農業機械によるけがも深刻になっていきます。そのような情勢の下、1964年農村医学研究所が発足。農薬中毒や動力農機具による疲労と災害、人畜共通伝染病、農村病など、農民の健康障害の実態を科学的に明らにしていきました。

しかしさらに深刻な問題が加わってきます。それが過疎、高齢化の急速な進行。村に年寄りや老夫婦の世帯が増えていく中、1986年、国の指定を受けた佐久総合病院はついに老人保健施設のモデル事業を開始します。地域ぐるみの活動やボランティア活動を通じ、老人保健施設は高齢者ケアの拠点となっていきました。また、在宅ケア実行委員会もでき、24時間いつでも相談や緊急時の往診ができる体制ができます。この老人保健施設の開設と診療の拡大は時代の要請であり、地域のニーズ。つまり医療と福祉の垣根を越えていかに地域ケアを充実させるか?という課題を克服するためのインテグレーション(統合)だったのです。その試行錯誤を繰り返しながら現在、老人保健施設は病院と在宅を結ぶ拠点としての役割を果たし続けています。

今回の市民公開講座の講師としてお越しくださった佐久総合病院映画部農村医療の映像記録保存会の若月健一代表も、この老健施設の開設に尽力、貢献され、さらに施設長として高齢者ケアの第一線で活躍されました。

映画はさらに続き、在宅診療にあたる医師のインタビューが紹介されます。「若月(俊一)先生は来るべく高齢社会に向けてケア領域の重要性を言われるなど、先見性があった。農村部は高齢化が進んでおり、早くからこの課題に直面していた。ケア領域、福祉領域、生活を支援しなければ医療は成り立たない。農村医療こそが時代の最先端であり、医療と福祉、生活支援のバランスはどうあるべきかという日本の将来を考えるには、農村医療は色々な事を示唆してくれる」といコメントに続き「二足のわらじ」という言葉が登場しました。

それは「若月(俊一)さんは『二足のわらじを履く医者になれ』と言い続けました」というナレーションです。それは「医者として高い専門技術を持ちつつ、その一方で、地域に出て、どんな患者にも対応できる医者になってほしい」という若月医師の強い願いだったのだそうです。

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(つづく)

九州大会開きました(その10)

2013年12月2日 | 協会活動報告


 映画「『医(いや)すものとして』は
1950年代の白黒フィルムから始まりました。「一生に何回かしか医者に診てもらうことがない」という開拓地の農民の診療に、若月俊一医師を中心とする「出張診療班」が馬車で回ります。その目的の第一は早期発見。開拓民が入植した当時はとても耕作できるような土地ではなく、あるのは木の根ばかり。過酷な労働と限られた食生活で身体の変調を来しても、農民は我慢していたのです。

医者に診てもらう余裕はなく、「医者に診てもらったら次の日は葬式だ」というほどだった極寒の開拓地を回る中で、若月医師は「農夫症」、つまり健康を犠牲にしている農民の働き過ぎや不衛生をまとめた一つの指標を打ち出しました。そして「全村健康管理」を全国に先駆けて展開します。これは今で言う健康診断を軸にした健康管理予防活動で、15歳以上の住民が対象で、各人健康手帳を持ち年1回検診するもので、農閑期を利用してスタッフが各地域に出張し、身体検査に始まり尿や便の検査などを詳しく行い、最後は医師が念入りに診察していきました。また、この健診活動は村役場と住民が一体となって展開されました。毎月農村指導員と病院との話し合いがもたれ、粘り強い努力の結果、健康を守るための自覚が高まっていきます。

その一方で、若月医師はそれまで「手術をしてはいけない」と言われ、タブー視されていた脊椎カリエスの切開手術を初めて成功させ、その成果が学会で広く承認され、外科医としての評判も上がっていきます。また手術を公開し、観覧席の農民にマイクを使って詳しく説明しながら行うことで、手術や医療を民衆の直接のものとして受け取る形を作っていきました。

農民のための医療の実践を展開しながら、外科医としての評判も上がる若月医師。そんな中で、第1回日本農村医学会が長野市で開かれ、農村医学は飛躍的に発展していったのでした。同会の初代会長こそ、若月医師だったのです。

 若月医師は健康に対する啓もう活動の一環として、「演劇」や「病院まつり」にも取り組みました。なかなか医者にかからず命を落とすことも多かった農民に、回虫や結核、栄養失調などの病気の説明をはじめ、食生活や住宅環境、農業労働のやりかた等についてわかりやすく説明し、このような活動は地域づくりにつながっていきました。

 

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「農民とともに?若月俊一と佐久病院の60年」。チラシの裏面にはそう書いてありました

(つづく)

九州大会開きました(その9)

2013年11月29日 | 協会活動報告

14日の分科会に続き、市民公開講座がありました。演題は「『医(いや)すものとして』?映像と証言で綴る農村医療の戦後史?」。講師は佐久総合病院映画部農村医療の映像記録保存会の若月健一代表です。若月代表は昭和43年より佐久総合病院の医療ソーシャルワーカーとして活動するかたわら、同映画部の中心メンバーとして記録作業に注力。また昭和62年、モデル事業として始まった同病院老人保健施設の開設に貢献し、その後は施設長として高齢者ケアの第一線で活躍されてきました。また、同保存会代表として映画部が遺したフィルムの再生に尽力されました。

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(↑老健施設の施設長もされるなど、高齢者ケアのスペシャリストでもある若月代表)

 

公開講座は同タイトルの映画の上映と、若月代表の講演による構成で行われました。この映画は長野県佐久市(旧南佐久郡)佐久総合病院が舞台。若月代表の父である医師、若月俊一先生(1910626日―2006822日)が戦後間もなく信州、千曲川沿いにある小さな病院に赴任し、住民と一体となった運動としての医療実践に取り組み、農村医療、農村医学の礎(いしずえ)を築いていった歴史を追ったものです。

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↑配布されたチラシには何と馬車に乗った若月医師らの姿が・・・。また、「医者が出前したっていいじゃないか。」との記載もありました。

映画「て」公式ホームページhttp://iyasu-mono.com/)も是非ご参照下さい。

(つづく)

九州大会開きました(その8)

2013年11月28日 | 協会活動報告


 基調講演に続き、会場を
6つに分けての分科会がありました。分科会は2日間にわたり、合計24もの分科会で行われました。エントリーされた演題は150にものぼり、これは過去2番目の多さで、大会事務局としては「嬉しい誤算」。そのため、当初予定していた会場および分科会の数を増やして対応することとなりました。

「大会への関心が年々高まっていることに加え、九州各県のそれぞれの老健施設において、ケアの質を向上させようと取り組みが強化されていることが、数字となって現れたものではないか」と、大会関係者はみています。

 

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分科会は演題内容ごとに「在宅支援・地域支援」、「認知症ケア関連」、「入浴・排泄ケア関連」、「リハビリ関連(自立支援・アクティビティ)」、「管理・運営」、「全般的なケア」、「医療とケア」、「安全管理(身体拘束・事故関連)」、「食事・栄養・口腔ケア関連」、「その他」に分かれて行われました。いずれの演題発表も、それぞれの演者が各施設で業務にあたる中で生じた疑問や問題等を、様々な角度から考究し、改善や解決の糸口を見出していった素晴らしい内容でした。

 

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発表内容をそれぞれの職場に持ち帰ってさっそく取り入れてみよう!と、会場の参加者からは熱心な質問が相次ぎました。

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座長の皆さんは、限られた時間の中でより充実した分科会にしようと、演者と会場とを見事に取り仕切っていました。

 

なお、これらの分科会の模様を撮影したスナップ写真を、後日アップする予定ですので申し添えます。

(つづく)

九州大会開きました(その7)

2013年11月27日 | 協会活動報告

【他職種連携・胃瘻から脱却した症例】

 

 続いて多職種が連携し、胃瘻をやめて口から食べるようにした取り組みを通じて、高齢者が心も元気になった症例が紹介されました。これはNPO法人ホームホスピス宮崎が運営している、末期患者向けホームホスピス「かあさんの家」で宇都先生が関わった3人の入居者についての事例です。

 開口一番、「一人では無理」と強調した宇都先生、主治医や歯科医、歯科衛生士、訪問看護師、訪問リハビリ(PT)、ヘルパー、福祉用具会社関係者、そして家族が一堂に集まり、「口から食事をするためのカンファレンス」を開催。家族の思いや介護現場での葛藤、主治医の見解など、各人が意見を出し合い、「人間が食べられなくなる、老いていくプロセスをどう受け止めていくか」ということについて真剣に議論。そして実際に評価し、食事の工夫や口腔ケア、嚥下訓練等を実践。そして再評価と問題点の抽出、ゴールの設定等を繰り返した結果、それぞれが口から食べる喜びを取り戻しただけでなく、寝たきりだった状態から歩行が可能になるまで身体能力が回復、排泄もオムツからトイレでできるようになりました。その上、会話もできるようになったり、外出して花見を楽しむなど、生きる喜びを取り戻したことなどがビデオや写真を使って紹介されると、会場からは驚きの声が上がっていました。

 まとめとして、(1)経口摂取はADLの向上に寄与する、(2)多職種の顔の見える連携が必要である(成功体験で多職種に意識が向上し、「またやろう!」という気になる)、(3)マンパワーが必要、(4)在宅でのリスク管理は重要、(5)家族へのインフォームドコンセントが鍵となる、(6)安全にかつ楽しく食べるには口腔ケアは重要、(7)胃ろう造設の際は医療者側、患者側も深く考える事が必要ではないか、(8)造設後も経口摂取へと戻す可能性を模索する事が大切ではないか?・・・の8項目を提起し、講演を締めくくった宇都先生に、会場からは割れんばかりの拍手が送られました。

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(つづく)

九州大会開きました(その6)

2013年11月26日 | 協会活動報告

【がんの患者さんの事例】

 

 アンケート調査結果の報告と問題提起に続き、宇都先生が実際に関わった事例の紹介がありました。まずは「口の中がひりひりして食事ができない」との訴えがあった男性のがん患者が口から食べる喜びを取り戻した事例。

 「『”口の中が痛くてたまらない”という患者さんがいるから診て欲しい』という訪問看護からの依頼を受け、休み返上で往診に行った宇都先生。「どうしても食べたい!水でもいいから口の中に入れたい!」という悲痛な訴えを聞いたそうです。口腔内はむし歯が多発し、歯周病もひどく、舌や口唇は乾燥して潰瘍と痂皮(かさぶた)ができて、触っただけでも激しい痛みがあったとのこと。

 「抗がん剤による副作用の口腔粘膜炎」と診断した宇都先生は、「口腔内に副作用が出ることはあまり知られていません。また宮崎ではがんの患者さんを見る歯医者さんもあまりいません」と前置きした上で処置した内容を紹介しました。口腔ケアを行い、その方法を家族に指導。また薬局に電話し、キシロカイン入り含嗽剤(この処方もあまり知られていないのだそうです)を処方してもらったり、脱水を防ぐためゼリー茶の作り方を教え、口から摂取してもらうなどした結果、その日の夜から「おかゆとバナナが食べられた」という報告が入ったそうです。

 各所にがんが転移していたその患者さんは、それから1週間後に亡くなられたのですが、「亡くなる前夜まで口から食べることができて本当に良かったです。ありがとうございました」と男性の妻から感謝されたことが紹介されると、参加者は宇都先生が開口一番に発した「『食事』と『食餌』は違う。『食事』は色々な意味合いを持っている」という言葉を思い出しながら、身を乗り出して聞き入っていました。

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↑抗がん剤による副作用の口腔粘膜炎の患者さんに宇都先生が処方された内容。宮崎県内ではあまり知られていないとのことで、宇都先生は薬局に丁寧に説明をされたそうです。

(つづく)

九州大会開きました(その5)

2013年11月25日 | 協会活動報告

【施設・病院での食介護のアンケートから】

 ひとえ歯科クリニック院長の宇都仁惠先生は平成241月中旬から2月中旬にかけて宮崎県内の43老健施設や病院・診療所、デイケア、ケアホームなどに勤務する職員(ヘルパー、介護福祉士、ケアマネージャー、看護師、管理栄養士、言語聴覚士ほか)にアンケートを実施されました。その数はなんと926人。講演ではその結果に基づき、利用者や患者に食事介助に当たっているスタッフが現場で抱える悩みや問題について言及していきました。

 このアンケートによると、「食介護が必要な対象者はいるか?」の問いに対し、87%の人が「かなりいる」または「いる」と回答。その一方で、食事介助の困難点が「よくある」または「ある」と答えた人は63%もいたとのことでした。

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 食事場面の問題点を職種ごとに尋ねたところ、どの職種も「むせる」、「なかなか飲み込まない」「口に溜めてしまう」などの回答が半数以上あったそうです。とりわけ「むせる方の食事介助が不安」という回答は際立って多く、食事介助のむずかしさが浮き彫りなっていることが指摘されました。また現場で毎日、食介護・食支援の悩みを抱えながら業務を行っているヘルパーや介護福祉士の多くが、それを解決手段は「他の職種に相談する」と答えていることを踏まえ、「摂食・嚥下の診断ができる人材と相談機関が必要」と指摘。その解決の一助として、平成1211月に「宮崎摂食嚥下障害臨床研究会」を立ち上げているとのことです。この研究会は、歯科医師や脳外科医、看護師、歯科衛生士、管理栄養士、言語聴覚士、理学療法士、作業療法士などが会員登録しており、摂食嚥下に関する基礎知識の理解や臨床技術の習得、さらに科学的基礎研究の啓発などを通じて、宮崎県の摂食嚥下障害の臨床の向上を図るために活動中です。また、県内12の病院で摂食嚥下障害に関する相談窓口を設けていることが紹介されました(同協会推薦)。

 

〔宮崎県摂食・嚥下障害相談窓口〕

(宮崎摂食嚥下障害臨床研究会推薦)

上田脳神経外科

慈英病院

潤和会記念病院

市民の森病院

宮崎医療センター病院

宮崎江南病院

けいめい記念病院

日南市立中部病院

海老原総合病院

和田病院

園田病院

 

(つづく)

九州大会開きました(その4)

2013年11月22日 | 協会活動報告

【現在歯数と全身疾患・口腔内細菌との関連】

 宇都先生は平成229月から258月までの外来患者の中で細菌検査をした974人(うち16歳以上914人)について、高血圧や脳卒中、糖尿病などの全身疾患の既往歴、そして年齢、現在歯数、ポケットの深さ、汚染度、歯周病の進行度(CPI)、細菌のレベル、そして感染の有無などをデータベースに記録、統計処理し解析を行ったそうです。

 その結果、全身疾患のある人は、ない人に比較して、加齢と共に現在歯数が少ないことが明らかになったことや、細菌のレベルとCPIとポケットの深さには有意な差が出たことなどを説明すると、参加者はメモをとるなどして聞き入っていました。

 また、「40歳以上で歯を喪失する主原因は歯周病、歯槽骨の破壊です。それより前は虫歯で歯を失うのですが、40歳以上の歯の喪失で怖いのは自覚がないということです。『歯周病で歯がなくなるとは知らなかった』という人は多いです。40歳以上の人は近くの歯医者の門をたたいて欲しいと思います」と強調しました。

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【高齢者の低栄養】

 

高齢者の低栄養について「やせた患者さんが多いのです。運動不足なのに脂肪が少ないのです。そのことで弊害が出てくるのを私は目の当たりにしています」と話し始めた宇都先生は往診もされており、「往診するとまっ先に体重を聞きます。病院だと血液検査をしますが、在宅では体重を聞き、下肢の周囲の長さを測ります」と言い添えました。

高齢者の栄養障害に伴う病態として、免疫異常(感染症)や創傷治癒の遅延(手術後の回復遅延)に加え、薬剤代謝の変動・貧血や骨粗しょう症、そして筋萎縮などの老年症候群などを挙げ、また、低栄養(たんぱく質・エネルギー低栄養状態:PEM)では病気にかかりやすく合併症を起こしやすい上に、回復が遅れ、死亡率も高まることなどを、スライドを用いて示しました。

このことを踏まえ、宇都先生も参加した、国立長寿医療センターの「在宅療養患者の摂食状況・栄養状態の把握に関する調査研究」(20133月、調査責任者:木田秀樹)の結果が報告されました。それによると、65歳以上の在宅療養者の30パーセント以上が低栄養であるとのことでした。それだけでなく、低栄養者ほど(1)固い食品が噛めず、(2)誤嚥しやくすく、(3)誤嚥性肺炎を起こしやすく、(4)食事が楽しみでなくなる、などといった傾向があることが説明され、摂食嚥下障害が引き起こす問題がいかに多く、そして深刻であるかを参加者に訴えました。

(つづく)

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