さぎりきゆるみなとえの

2011年11月18日|

 “さぁぎりきぃーゆる、みなとえのぉー”で始まる「冬景色」という歌をご存じの方も多いかと思います。上野発の夜行列車を降りるやつではありません。作詞・作曲者は「不詳」だそうですが、大正25月の「尋常唱歌(五)」に掲載されているそうですから、今からなんと98年も前から歌われている名曲です。ある程度の年齢に達した人ならば、小学校の音楽の授業や朝礼で、白い息を吐きながら歌ったことがあるのではないでしょうか。

 しかし、子供のときに覚えた歌というのは、えてして歌詞の意味を理解することなく、耳で聞こえたまんまで覚えることが多いです。この「冬景色」にしても、冒頭の、「さぎりきゆるみなとえの」とは一体なんぞや?などと首をかしげることもなく、「ふねにしろしあさのしも」と続けていました。

 それが今頃になって、「“さぎり”とはなんぞや?“みなとえ”ってなんじゃ?」と気になって、歌の本を開いてみました。

 書いてありました!「さ霧消ゆる湊江の 舟に白し朝の霜」と。広辞苑を開くと、「さ‐ぎり【狭霧】:(サは接頭語)霧。〈季〉秋」。そして、「みなと‐え【港江】:港のある入江」だそうです。つまり、「霧が消えた港のある入り江において、船に白い朝の霜が降りている」ということになるのだとわかりました。小学校では難しい漢字は使いませんから、そこまでの理解には至らなかったというのも一因かもしれません。

 ここで重要なことに気づきました。「さ霧(狭霧)」が秋の季語だということです。つまり、この歌は、冬まっただ中ではなく、初冬の時期に、「秋には霧がかかっていた港のある入り江で、その霧が消えて、かわりに霜が降るようになった。もう季節は冬なんだなあ」という風景と心情を描写しているのだとわかりました。だから「冬景色」というわけなんだ、とひとりごちてしまいました。先述の通り、だれが作ったかわからないこの歌ですが、なんと詩心、歌心のある人なのだろう、と感服せずにはおれませんでした。だから、ほぼ一世紀の時を経ても歌い継がれているのでしょう。

 ここ数日、めっきりと朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。まさにこの「冬景色」の歌のごとしです。そして、今度の月曜日(21日)は気温がぐーんと下がるとの予報。老健に勤める皆様におかれましては、利用者様はもとより、ご自身の体調管理にも十分ご留意ください。

 ところで、再び「冬景色」の歌に戻りますが、3番になると、「もしともしびのもれこずばぁー、それとわかじぃのべのさと」と締めくくります。これはまたひらがなでは難解。「もし燈火の漏れ来ずば、それと分かじ野辺の里」とありました。「もしも、灯した明かりが漏れて来なかったら、それが野辺の里とはわからなかったことだよ」ということでしょうか。

日本には素晴らしい歌がたくさんあります。それらの歌詞を今一度、じっくりと読み込んで、理解を深めたり、魅力を再発見したりして、新たな気持ちで歌い直してみようと思いました。

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