丸紅チリで銅鉱山

2011年12月19日|

  1215日の日本経済新聞に丸紅がチリで銅鉱山の新規開発に参画するという記事が載っていました。高収益が見込める鉱山権益を増やし、日本への安定調達にもつなげる方針とのこと。さすが日経らしい記事だと感心しながら読むうちに、はっと思い出して本棚に向かいました。

 引っ張り出してきた作品は『革命商人(上・下)』(新潮文庫)。著者は直木賞作家の深田祐介さん。昭和535月から昭和543月まで、「週刊朝日」に連載された小説ですから、今から30年以上も前の執筆です。

 舞台は1970年代の南米チリ。普通選挙で成立した史上初の社会主義政権、アジェンデ人民連合の誕生から、軍部のクーデターによる崩壊に至るまでの動乱の中、し烈な商戦を展開した2つの日本の商社、そして、情熱と愛情にあふれる”ジャパニーズ・ビジネスマン”の奮闘の様子を、徹底した取材に基づき緻密に、しかも人間味豊かに描いています。登場人物の一人、平川貞夫は、スペイン語が堪能な銅の専門家としてチリ・宮井物産四代目社長として現地に赴き、銅や自動車などの取引に尽力し、同社の経営立て直しにらつ腕を振るいます。勝った負けた、売った買った、という単純な話ではなく、モノをやりとりする商社マンや、取り巻く人物のそれぞれに魅力があり、ついつい時代を超越して読み込んでしまうビジネス・ロマンです。

 

 えーと、それはそれとしまして、冒頭に申した「はっとした」のは、銅がいかなる金属で、どんな特徴があるのか、とか、そんなことではありません。先述の平川貞夫社長が癌であることを告げられた、妻の平川芙佐子が「これからカンセル(癌)という魔王、いや私の運命と対決せねばならぬ(本文より抜粋)」と思った時に、一つの言葉を思い浮かべるのです。

 「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」・・・というのがその言葉。フランスの哲学者、アラン(1968-1951)が『幸福論』という著書の中で述べている言葉だそうです。女学生時代の芙佐子が戦争末期、海軍水路部の若い士官から借りたこの本の一文を思い出し、チリ四年間の苦労の果てに、突然待ち受けていた過酷な宿命に立ち向かって行こうと決意するのです。

 「あーっ、あった、あった。これだぁ!」と思わず叫びました。「あれはいい言葉だったな」と芙佐子も回想するのですが、「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」。これは本当にいい言葉だと思います。

広辞苑によれば、「気分」は「(1)きもち。心もち。恒常的ではないが比較的弱く或る期間持続する感情の状態。爽快・憂鬱など。心理学では、恒常的でない点で気質と区別する。『―がすぐれない』『―が盛り上がる』(2)あたり全体から醸しだされる感じ。『お祭り―』」とあります。これに対し、「意思」は「考え。おもい。『―表示』」です。また、この場合「楽観」と言っても、「まあ、どうにかなるだろう」というものではなく、「くじけてなるものか!希望を捨てずに頑張るぞ!」という前向きな思考と捉えるべきかと思います。芙佐子が悲観的な気持ちから楽観的な考えに転ずるこの場面が実に印象的です。「革命商人」というタイトルからして、商社マンがこの作品のメインなのでしょうが、彼らの悲喜こもごもの全てを象徴的に代弁しているシーンだと思います。

それから30余年の時を経た昨年のチリ。鉱山の落盤事故があり、そして世界中が注目する中、はるか地底の暗闇に閉じ込められた坑夫達が、救出用カプセル「フェニックス号」に乗って次々に地上に助け上げられました。まさに奇跡的で、感動的な出来事でした。彼らが『幸福論』を読んでいたかどうかはわかりませんが、世界中からの励ましと支援の中で、悲観的な気分は楽観的な意思へとなっていったのではないか、と考えます。

老健を利用されているご高齢の方々から、悲観的な訴えを耳にすることが少なからずあります。アランの「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」という説に基づくならば、悲観の要因となる気分をいかに減らしていくか、そして楽観へと導くための意思をいかに増やしていくか、ということが大事だと言えます。そしてそのためのアプローチは、のべつまくなしに「頑張れ!頑張れ!」と言うのではなく、その人その人によって違うと思います。それを考えて、実践して、利用者様が楽観的な考えを持っていただけるように導くこと。これは老健の果たすべき大切な役割だと思います。

 

なお、世界地図でチリを見るとわかるのですが、その国土は南北4270キロメートルに対して東西の幅は平均175キロメートル。南北に細長い不思議な形をしており、「タツノオトシゴ」にそっくりだと言われています。平成24年は辰年。「チ・チ・チ、レ・レ・レ」と沸き立った昨年のようなチリフィーバーが来年もあるのかな?と何となく期待してしまいました。

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