無骨
NHK大河ドラマ「平清盛」が始まりました。その影像の「美しさ」、あるいは「美しくなさ」についてはすったもんだがあったのは周知の通りですが、松山ケンイチ扮する主人公、清盛を見ていて思わず「”無骨“だなあ」と思ったのでした。不作法、無風流、そして骨太・・・・・ん!?
「骨が無い」と書く「無骨(ぶこつ)」が、なんで「骨が太い」と書く「骨太(ほねぶと)」に結びつくんだろう?骨が無かったらクニャクニャじゃん!?普段何気なく使っている言葉なのに、妙な違和感が湧いてきました。「こいつ、なかなか骨があるわい」とは言うけれど、「こいつ、なかなか骨がないわい」とは言いませんよね。
そこで、『知ってるようで知らない日本語』(柴田武、ごま書房)を調べてみると、ありました。「無骨」には同義の和語である「こちなし」に漢字を当てて、それを音読みして生まれた言葉なのだそうです。
この「こちなし」を更に『詳解古語辞典』(佐藤定義編、明治書院)で調べると「こちなし【骨こちなし】:美的に洗練されていない、無風流だ。無骨だ」とありました。だから、”骨のある無骨な男“というと一見矛盾しているが、意味の上では矛盾しないとのこと。うーん、納得。
これとは少し違いますが、ちょっと失敗をやらかしたりした時など、思わず「あいた、しまった!」と口にすることがあります。これなんかも「こらこら!!それは開いたのか?それとも閉まったのか?どっちなんだ??」と突っ込まれそうですね。日本語って、奥が深いなあ。
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