おもておこし

2011年6月28日|

「源氏物語」から千年の時を経て、古典文学が脚光を浴びている昨今です。高校では、「現代国語」(いわゆる”現国”ですね)に対して、「古文」の授業がありましたが、これが難しきこと”いはむかたなし(=「言わん方無し」。格別だ、言葉では表現できない、の意)”。同じ日本人で、これだけ使う言葉が違うものだろうか、と頭を抱えたものでした。

 その古文単語の一つに「おもておこし」というのがあります。「面目をほどこすこと、名誉を回復すること」という意味です。日本において、この「おもておこし」が使われていたであろう頃(確証はありません、時代が違っていたらゴメンナサイ)、西洋において、「名誉を回復する」という意味で用いられた言葉があります。それが「リハビリテーション」なのです。「それでも地球は動いている」と言った、ガリレオ・ガリレイ。地球のまわりを太陽が動いていると信じて疑わなかった時代に、コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判にかけられ有罪。もちろん動いているのは地球の方。後の時代になって、ガリレオの名誉は回復されたのだそうですが、これが近世ヨーロッパにおけるリハビリテーション、つまり「おもておこし」だったわけです。

 「リハビリ」というと、訓練室で筋トレしたり歩いたり、マッサージや物理療法を受けたり・・・というイメージが浮かびがちですが、そうではありません。1942年のアメリカリハビリテーション審議会では「リハビリテーションとは障害者をして、可能な限り、身体的、精神的、社会的、職業的、および経済的に最高度の有用性を獲得するよう回復することである」と定義づけられています。老健は「中間施設」。リハビリをしながら在宅復帰を目指すのですが、リハスタッフだけがそれにあたるのではありません。全ての職種が利用者様、ご家族と膝をつき合わせて、どうやったら利用者様が家に帰れるのか?社会復帰して、生き生きと生活できるか?などと様々な面から考え、取り組んで行く一連の過程が、リハビリテーションと言えるのではないかと思います。そう考えると、老健に勤める者の一人として、責任の重さを痛感します。

 ところで古文単語も色々ありますが、どうしても気になるのが「あたらし」と「よだけし」。「あたらし」とは、「惜しい、もったいない、残念だ」という意味。「よだけし」とは、「めんどうだ、おっくうだ」という意味です。つまり、「あったれー」、そして「よだきいー」ということ・・・。あれ?これって宮崎弁?と思った人も少なくないはず。平家の落人伝説が残る宮崎県。いにしえの都の影響を多分に受けているのかなあ、と思わずにはいられません。ひょっとして、今わたしたちが普通に話している宮崎弁、実は昔の標準語だったりして!?

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