何でもないようなプロの技
3月27日付けの日本経済新聞の文化欄には、あの有名なナレーター、の中村啓子さんの記事が載っていました。えっ、知らない(-_-;)。たしかに名前は知らない人がほとんどかもしれません。しかしその声は、だれもが必ず聞いたことのあるはずです。
「午後○○時○○分○○秒をお知らせします」という、時報の案内ダイヤル(117番)、あのナレーションの声の主こそ、中村啓子さん。ナレーター歴40年超の大ベテランだそうです。ああ、あの声か!と納得されたのでは。
何気なく聞いてしまうあのナレーションですが、録音は大変なのだそうです。といっても、24時間のすべての10秒ごとの時刻を録音するのではなく、「時」と「分」と「秒」を分けて録音し、それを組み合わせているのだそうですが、それら全ての言葉(単音や数字)が、同じ音圧になるように、メーターで測定しながら発音していくとのこと。また、電話番号案内サービス(104番)も中村さんの声とのこと。奇数列の数字は語尾を上げ、偶数列の数字は語尾を下げるという2パターンのアクセントを使い分けているそうです。聞いている方にとっては、そんな苦労はまったく伺い知ることがありませんでした。というよりも、むしろそれを気付かせないのがプロの技なのだなあ、と頭が下がる思いでした。
ひるがえって、私たち老健施設における仕事を考えるとき、「ADLの介助」があります。「ADL」とは「日常生活活動動作」のことですが、その定義は「一人の人間が、独立して生活するために行う、基本的な、しかも各人ともに、共通に毎日繰り返される一連の身体動作群」を言います(1976年、日本リハビリテーション医学会による)。つまり、「普段の生活で誰しも必ず何気なくやっていること」といったところでしょうか。例えば排泄動作の場合、「さあ、今から排泄動作スタートだ。まずはトイレまで移動しよう。扉を開けて中に入り、閉めながらクルッと方向転換しながら鍵をかけて、便器に腰掛ける前にズボンと下着を下ろさなきゃ。それから腰掛けて・・・」などと、いちいち確認しながら行ってはいません。その他の日常生活活動動作についても、何気なく、しかし毎日何度も必ず行っているわけです。苦労や痛みを伴うこともない、「なんでもないようなこと」とも言えるでしょう。ただし、それをやらなければ、日常生活を送ることはできない。それがADLです。
ところが、心身機能が低下してくると、それが「なんでもないようなこと」じゃなくなってしまう。大変な努力を要したり、苦痛を伴ったり、失敗してしまったりする。そうすると、日常生活に重大な支障を来してしまうことになります。そこで介護力が必要となってくるわけです。だからといって、なんでもかんでも手助けしてやっては、その人の残存能力まで失ってしまうことになりかねません。過重な努力や苦痛を回避しながら、その人の能力を最大限に発揮して、目的動作を達成するにはどうするか?ここが老健スタッフの腕の見せ所です。
他職種が連携して利用者一人一人のADL能力を評価し、その人その人に最も適した介助を行い、日常生活活動動作を「なんでもないようなこと」として遂行できるようにすること。これがプロの技と言えるのではないか?と自らを振り返る契機になった記事でした。