エジソンと雑音

2014年8月27日|

 1910年の827日、アメリカのトーマス・アルバ・エジソンは世界初の音と映像の同時収録を実現したそうです。エジソンが蓄音機を発明したのが1877年、そしてセルロイドのフィルムを使う映画撮影機を完成させたのが1889年だそうですから、蓄音機から33年、映画撮影機から21年を要したことになります。 

 現在ならスマホで簡単に録音・録画し、即座にその動画をアップして、友だちはもちろん世界中の人に見せることができるわけですが、その原点ともなったエジソンのこの発明、当時はさぞかし世界を驚愕させたのではないかと思います。

 このエジソンが「わたしの蓄音機には雑音がある。しかし、その雑音の中から、真の音楽の魂が聞けます」と言ったそうです(『生きるヒントになる名語録728』、轡田隆史監修、橋本一郎著、三笠書房)。さすが発明王エジソン、含蓄のある言葉だと思います。

レコードで音楽を聴いていた頃は、今よりも音楽を大事にしていたように思います。レコード盤をジャケットから慎重に取り出し、クリーナーをスプレーしてホコリを取り除き、レコードプレーヤーにそおっとセット、そして最も慎重を要するのがレコード盤にレコード針を下ろす時。盤や針を傷つけないよう、ゆっくりと、そして正確に下ろさなければなりません。針飛びして曲が飛ぶから曲に合わせて飛び跳ねて踊るなんて御法度でした。そのようにしてレコードを大事にし、おとなしくレコードを聴いていたわけですが、それでも時折あの「プチプチ」という雑音が曲の合間に入り込んで聞こえてきました。アナログプレーヤーの宿命と言えばそれまでですが、できるだけでその雑音が出ないように注意を払いながら、一枚一枚のレコードを大事にして聴いていました。「レコードがすり減るまで聴いた」とはもう死語ですが、何度も繰り返して聴いているとやがてレコードの山がすり減って、雑音もひどくなっていきました。それでも雑音が増した分だけ、曲が心に刻んでいくものも深まっていったように思います。

ひるがえって現代は、音楽を簡単に楽しめるようになって、それはそれで大変ありがたいものです。小さいミュージックプレーヤーの中にはCDが何枚でも取り込めますし、ネットを経由すれば無限の曲が楽しめます。もちろん雑音がないどころか、好みの音質で何度でも再生できますから、「すり減る」心配とは無縁です。曲に合わせて飛んでも跳ねても曲飛びしません。

それでも時々ラジオで昔のレコードを音源にした曲が流れるのを聴くと、その「プチプチ」という音がとても懐かしく、曲自体の懐かしさ、さらに当時の思い出の懐かしさと相まって、とても心地良い雰囲気をかもし出してくれます。

蓄音機とレコードが売れるようになったころ、エジソンは意外にも「わたしは蓄音機とレコードを、たのしみのために使ってもらいたくない。これはおもちゃではないのだ。仕事のためにだけ、使ってもらいたい」と考えていたそうです(『20の世界最初ものがたり、ロナルド=セス著、三石巌訳、講談社』)。それはともかく、利用者の皆さんと一緒に、昔の名曲を、レコードで聴いて、歌って、楽しんで、そして懐かしんでみるのもいいなあ、あの「プチプチ」という雑音混じりで・・・。そのように思った次第です。

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