きろくたけはちかずらじゅう

2011年9月29日|

 「今は何月ね?六月ね?」と聞かれたのです。トイレの場所がわからず、そのたびに教えて差し上げていた方から聞かれたのです。窓の外は彼岸花。「違いますよ。九月ですよ」と誤りを正してあげようか、と思ったその矢先、「家の庭にある木を切らんといかん。“きろくたけはちかずらじゅう”と言うじゃろが!」と。はぁー(?_?)???

 記録ががどうしたのよぉ??と首を傾げていると、「あんたは”きろくたけはちかずらじゅう”を知らんとね?木を切るなら六月、竹を切るなら八月、蔓を切るなら十月が一番いいということよ。昔から“木六竹八蔓十”と言うとを知らんとはどういうこつね?」とおっしゃるじゃありませんか(@_@);これは全くの初耳!!

 そんな事があるのだろうか?とネットで調べてみると、なんとあるじゃあありませんか!「木六竹八」と、「木六竹八塀十郎(きろくたけはちへいじゅうろう)」というのが出てきました(”蔓十”は見つけることができませんでしたけど)。木や竹にはそれぞれに適した伐採の期間があり、木は六月、竹は八月に切ると品質が良く、また土塀は十月に塗ると長持ちするのだそうです(ただし、これには諸説あり、”その時期には切るな”と戒めているものもあるようです)。

 立った鳥肌がおさまらぬまま、「今は9月ですよ」と教えてさしあげたのですが、お互いが教え合った情報の重さ、そして深さに雲泥の差があることを痛感しました。一万円札を一円で買ったような、そんな不等価交換で、申し訳ない気持ちでした。この方はおそらく、これまでの長く豊富な人生経験の中で、”木六竹八蔓十”を先人から教わり、そして自ら体験し、確認し、納得して、「知恵」として心身に深く焼き付けておられたのだろう、と思いました。

 今が何月か?というのは、カレンダーを見ればわかるけれど、”木六竹八蔓十”を経験として学び、自らの知恵として身につけるのは容易なことではありません。広辞苑によれば「知識」とは、「ある事項について知っていること」。これに対して「知恵」とは、「物事の理を悟り、適切に処理する能力」とあります。たとえトイレの場所がわからなくても、そして今が何月かわからなくても、私などには到底及びもしない、たくさんの知恵を持っておられるであろう素晴らしい人生の大先輩から、もっともっと多くの事を教わりたいと思った出来事でした。

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