千両役者

2012年12月20日|

 『花闇』は皆川博子さんの作品です。集英社文庫より20021220日に第1刷が出ていますから、ちょうど10年前です。

 これは、実在の歌舞伎俳優、三代目澤村田之助(『広辞苑』にも載っています)の栄華、そして廃退の様を、その付き人、「影」の存在である市川三すじからの目線で捉えて描いた作品です。越後の北の片田舎を旅する三すじが、偽の田之助一座、そして偽者の自分と遭遇するところから話が始まります。

天賦の芸才を持つ田之助は、千両役者になるまでに人気を博するのですが、脱疽のため両手足を切断してしまいます。それでもなお舞台を務める並々ならぬ情熱は、人に感動を与える一方で、奇異の目でも見られるようになります。やがてお払い箱となり、精神を病み、座敷牢に幽閉されてしまい、生涯を閉じるという悲惨な運命をたどります。

最後はまた越後に舞台が戻り、死んだはずの田之助と、自分の偽物を舞台で見る三すじ。田之助と名乗るのは、凍傷のため、両足の指を無くした若い役者。それを知る人も知らぬ人も芝居を楽しんでいたのでした。

江戸が東京(とうけい)へと変わっていく頃の物語で、当時の役者は(たとえ千両役者でも)身分が低い賤しい者とされ、奉行所から外出の際には笠をかぶるよう命ぜられるシーンがあって驚きました。しかし、ハンディキャッパーである田之助が、その障害に負けずに奮起する様子はあっぱれであり、リハビリ施設である老健に勤務するものとして深い感銘を受けました。障害を持つ人が、障害を持つ普通の市民として社会参加し、活動していくという、ノーマライゼーションの真髄を江戸時代の歌舞伎役者の生涯を通じて思い知らされました。読み終えて本を閉じたその後から、「いい作品だなあ」という気持ちがじわじわと湧いてくる作品でした。

 そして時代は2012年。現代の歌舞伎界の至宝、名実ともにまさしく「千両役者」であった十八代目中村勘三郎さんが125日、亡くなられました。あまりにも早すぎるご逝去を伝えるテレビの画面にくぎ付けになりながらも、それを事実としてすぐに受け止めることができませんでした。

 その後、「ああ、役者中村勘三郎はもうこの世にはいないんだなあ」と実感が湧いてくるにしたがって、大病を患いながらも舞台に心血を注ぐ、執念とも言うべきその生き様が、澤村田之助のそれとオーバーラップして、もう一度この『花闇』を手にしてみたのでした。

 中村勘三郎と澤村田之助。今頃二人の千両役者は「初対面」し、田之助が「あいや勘三郎殿、待ちわびたぞよ?」と言えば、勘三郎が「これはこれは田之助殿、待たせてあい失礼つかまつりましたー」と掛け合っているのかもしれません。この世では決して実現できなかった千両役者揃い踏みによるウルトラミラクルスペクタクルファンタジックダイナミックな芝居が、天国という舞台でこけら落とし間近になっているのかも・・・。そんな思いを抱きながら中村勘三郎さんのご冥福をお祈りする次第です。

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