努力って難しい!?

2013年2月25日|

 むかしむかしの話です。時代はバブル絶頂期。車はハイソカー(つまり高級乗用車ですね)全盛期。ウン百万円もする車が飛ぶように・・・あ、車は飛ばないんですが・・・売れていた頃です。

 道端に停められた某メーカーの代表的ハイソカー。その運転席側に若い男女が立って何やら悪戦苦闘中。窓とドアの隙間に針金らしきものを差し込んでガサガサ。どうやらキーを閉じ込めてしまっていたようでした。季節は真夏。炎天下で汗ビッショリの二人を通り過ぎながら「うーん、大変だけと、頑張ってるなあ」と感心しました。しかし、その一方で私は疑問に思ってしまったのです。「助手席側の窓が全開になっているのに、なんでそっちを開けないんだろう???」と。

 キーを閉じ込めたという焦りから、状況を冷静に判断することができなかったのでしょうか?汗をいっぱいかいて、頑張っている様子には感心しながらも、「『無駄な努力』とはこういうことをいうのかなあ」と思ったものでした。

 213日の日本経済新聞にヤンキースのイチロー選手のインタビューが掲載されていました。その中でこんなコメントがありました。

 「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」。

 これはイチロー選手が、レギュラーが保証されているわけではないヤンキースの中で、厳しい生存競争に臨む武器としてプロフェッショナル意識の高さであることを紹介している箇所で紹介されたコメントです。さすがイチロー!と思いながら、先に述べた「炎天下に”無駄な努力”をしていた若い男女」のことを思い出してしまいました。

 しかし、これは他人事ではありません。私たち老健施設に勤める者にとっても同様の事が言えると思います。チームケアを宗(むね)とする老健施設においては、一人の思い込みの「努力」では利用者様の真のケアは実現しないのではないかと思います。利用者様やご家族の意向を十分聞き、それぞれの職種、スタッフが意見を出し合って利用者本位のケアプランを作成。それに基づいて各々が共通認識のもとで正しい「努力」をしていくことが大切なのではないでしょうか。

 イチロー選手の大リーグ13年目のシーズンは開幕間近。今年もきっと大活躍してくれるものと期待し、応援したいと思います。そして世界は違うけれど、私たちもイチロー選手を見習って「努力」をしたい、と思った記事でした。

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