てきらい(摘蕾)

2013年5月16日|

  「てきらい」という言葉があるそうです。「ちゃんと洗ってないでしょ!私、あなたの手嫌いよ(`へ´)」というときの「手嫌い(てきらい)」ではありません。もちろん、老健施設に勤める者は、感染症予防の観点からも常に清潔であることを心掛けなければなりませんけど・・・。

「てきらい」とは、「蕾(つぼみ)を摘(つ)む」という意味で「摘蕾」と書くのだそうです。この言葉を見つけたのは『スワンソング』という小説(角川書店)。著者は大崎善生(おおさきよしお)さんです。

 出版社で編集の仕事に携わる主人公の篠原良は中学1年生の時、認知症の祖母の不可解な行動に大きなショックを受けます。彼女は大切にしているローズガーデンの薔薇の蕾を、「みんな切っちゃおう、今年はだめだ」と言って全部切り落としてしまったのです。これから咲くというのに、しかも一つ残らず切ってしまうとは・・・。良は祖母に対して恐れの念を抱くようになったのでした。「今年はだめだ」と言った彼女は、その年のうちに世を去ってしまいます。

 ところがどうでしょう!その翌年、薔薇は実に見事に咲き誇ったのです。去年のあのときの祖母の言葉は嘘じゃなかったということを、良はその時に知ったのでした。

 そして高校2年生になった時、良は再び愕然とします。たまたま開いた辞典の中に「摘蕾(てきらい)」の2文字を見つけたのです。それには次のように記されていました(小説に出てくる辞典の中の記載です)。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「剪定や植え替えと並ぶ薔薇の代表的な育成方法のひとつで、蕾のできが悪い年にはすべてそれを摘んでしまい、株内にエネルギーを備蓄させて来年に備えるという方法」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 そうです。彼女は「摘蕾」をしたのです。決して「不可解な行動」ではなかったのです。長年の経験と知恵、そして確かな育成技術に基づいて蕾を切り落としたのです。「意味のある行動」だったのです。彼女が長年手入れしてきた薔薇は、それを翌年にしっかと証明してみせたのでした。「認知症だから大切な蕾を切ってしまったんだ」と思い込んでいた中学1年の時の良、それが間違いだったと後に悟ったのでした。

 老健施設に勤めていると、人生の大先輩である利用者様からは日々色々な事を教わります。感謝、感謝の毎日です。認知症がある方でもその言動には何かしらの意味があり、私たちに伝えたいメッセージがあると思います。それを「問題行動だ」と切り捨てるのは、切り捨ててしまう側に問題があるのであり、その言動が伝えんとしている意味をくみ取ろうとする努力を怠ってはいけない、と再認識させられる「スワンソング」の一場面でした。

 なお、この作品は薔薇の栽培云々が主題ではありません。主人公の篠原良と、同僚で同い年の高島由香、そして4歳年下でアルバイトの柏木由布子の俗に言う”三角関係”を描いたものです。したがって「ドロドロ」したり「ギスギス」したりしながら、はかなく、切なく、悲しくストーリーが展開します。だけど全編を通じて、その根底を優しい旋律がゆっくり流れているような、そんな美しい雰囲気が漂い続け、じんわりとした感動に浸れる作品です。大崎善生さんは『別れの後の静かな午後』という名作も書かれていますが、これらには相通ずるメロディーが奏でられているような印象を受けます。両作品を読み比べながら鑑賞されてみてはいかがでしょうか。

« 前のページに戻る

TOPへ