認めること・見留めること

2013年5月20日|

 「人間の持つ性情のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」と言ったのは、哲学者・心理学者のウィリアム・ジェームスだそうです(『生きる力がわいてくる明言・座右の銘1500』、インパクト編)。

 一方、1980年第14回リハインターナショナルによる80年代憲章によると、リハビリテーションとは、「障害をもった個人を援助し、可能な限りその機能を発揮させるように、そして社会の中にインテグレート(統合)させるように、医学的・社会的・教育的・職業的な各手段を組み合わせて実行する過程である。リハビリは、障害を持った個人がなし得ないことよりも、残された能力によって何をなし得るかが重要であるという哲学に基づいている。各人が有する全ての能力を最大限に活用した生活へのアプローチである」とあります。

 日々利用者様と接している際、ついつい「何ができないか?」ということばかりに目が向きがちになってしまいます。しかし、それはその人を「認めない」ことになるのではないか?と反省してしまいます。

 「認める」とは「見留める」ということにもつながります。人が他人に認められることを渇望する存在であるならば、リハビリテーション施設である老健に勤める者として、「何ができないか?」ではなく「何ができるか?」を「見留める」、そして「認める」ことが、利用者様の「認められたい」という渇望に応えるとともに、全人的復権に寄与するのではないでしょうか。

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