夢は枯れ野を

2013年9月10日|


「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」。これは松尾芭蕉の有名な一句です。辞世の句と思われがちですが、そうではないようです。

 さて、九月になったもののまだまだ「枯れ野」の風景になるには早いようではありますが、『夢は枯れ野をかけめぐる』という小説を紹介いたします。著者は西澤保彦さん。中央文庫から2010年の1220日に初版が発行されています。

 主人公の羽村裕太は一見優秀な百貨店社員だったが、本人は失敗が怖くて何事も無難にやりこなそうとしていただけ。失う事を恐れて結婚もせず独身を通し、無駄遣いせず菜食&自炊で経費節約し貯蓄に励みます。早期退職により無職となります。そんな裕太の同級生で主婦の膳場理津子は、認知症の両親が買い込んでは腐らせてしまう総菜の後始末をしてほしいと裕太に依頼します。理津子の娘、詩織は母親にばれないように裕太を手伝ううちに、母親と同じ年の裕太を好きになってしまいます。そんな裕太には色々な相談や謎解きが転がり込んできますが、裕太は実直に解決していきます。

裕太の隣に住む老人、弓削宗則の長女佐智子は自然食レストランのカリスマ経営者で、裕太より4つくらい年上の独身。宗則が総菜を買い込む事を厳しくとがめます。そんな宗則が心筋梗塞で急逝した後、佐智子は宗則宅跡にレストランを建てようとしますが、もうすぐそれが実現しようかという矢先、交通事故に遭い、記憶障害になってしまいます。読む者を「えーっ!!」と驚かせているうちに、物語は最終章へと突入するのでした。

認知症、そして記憶障害という、老健施設に勤める者にとって避けては通れない問題が作品の中で重要なポイントとなっています。そしてそして、記憶を失い、大やけどを負った佐智子が裕太に求婚をするのですが、それに対して裕太は「うん、結婚しましょう」などとは言いません。そのかわりに、とても感動的な一言を佐智子に向かってささやき、物語は素晴らしいエンディングを迎えます。はたして何と言ったのか・・・?残念ながらそれは明かすことはできません。しかしその一言で、それまでの辛い事、苦しい事が全て報われるような、そんなジーンとする言葉です。

ここでは触れていませんが、物語の終盤になって、とてもびっくりするような事態になっていることに気付かされ、思わず前のページをパラパラと読み返して、「うわぁー、こういうことなのかぁ!!」と、そこでこの作品のタイトルの意とするところを知り、著者の力量のすごさに平伏してしまう作品です。

 もしも松尾芭蕉がこの作品を読んでも、絶賛すること請け合いではないか?と思える名作です。枯れ野に思いを馳せながら、読んでみてはいかがでしょうか。

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