山本周五郎誕生日(6/22)

2015年6月23日|

 622日は昭和を代表する小説家の一人、山本周五郎の誕生日でした(19031967)。『広辞苑』にも「山梨県生れ。とり残された人間の哀歓を汲む技法と作風で大衆文学の地位を高めた。作『樅ノ木は残った』『青べか物語』など」と載っています。今年で生誕112年を迎えます。

 このように紹介され、代表作の一つでもある「樅(もみ)ノ木は残った」は、文庫本(上・下)が昭和38年、新潮文庫から発行されて以降、平成になっても増刷が続いている超ロングベストセラーです。主人公は仙台藩の家老、原田甲斐。『広辞苑』には「寛文事件(伊達騒動)の一方の当事者。名は宗輔。一六六三年(寛文三)奉行職(家老)に就任。幕府大老酒井忠清の屋敷で被告として尋問された際に、原告の伊達安芸(宗重)を切り殺し、自らも切り死にした」と紹介されており、言ってみれば悪役として見られているようです。

 しかし山本周五郎はこの作品の中で原田甲斐を、「62万石仙台藩とりつぶしの危機を、命を賭して救った正義の味方」としてとらえています。幕府老中酒井雅楽頭(うたのかみ)と仙台藩一族の伊達兵部少輔(ひょうぶしょうゆう:一ノ関)との間で密かに交わした「伊達犯に内紛を引き起こし、藩内の乱れを理由に大藩を取りつぶす」という徳川幕府の策略を知った原田甲斐。一ノ関の与党になったふりをし、涌谷(伊達安芸)、茂庭周防の三人で極秘に誓い合った「原田は一ノ関を内側から、二人は外側から攻める」ということに徹します。周囲からの悪評にも耐え、仙台藩を救うため最愛の妻、律と離婚までしてしまいます。

 一方、「三十万石を分与する」という伊達兵部小輔との証文をさらされてはまずいと焦る酒井雅楽頭は、彼らの殺害を計画。そしてその結果・・・・・・。

 ・・・・6尺近い長身でありながら温和な人柄。しかし敢えてヒール役に徹し、命がけで仙台藩を守ろうとした原田甲斐の生き様、そして死に様が壮大なスケールで描き出されています。それまでの原田甲斐に対する評価を全面的に見直さざるを得ないような山本周五郎の筆力を、解説の尾崎秀樹は「『コペルニクス的転回』を加えて描いている」と評していますが、まさしくその通りだと感服せずにはいられませんでした。

 上巻だけでも実に200人以上が登場する「樅ノ木は残った」は、一気読みではなくじっくり(できればメモをとりながら(^_^;))読み込めば読み込むほど感動が深まる作品だと思います。622日の生誕を記念し、この素晴らしい長編歴史小説のページを開いてみてはいかがでしょうか。IMG_7334(s).JPG

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