赤城の山も

2015年12月21日|

 「赤城の山もこよい限り・・・」の名ゼリフで知られる国定忠治が死刑に処されたのは1850年の1221日、今から165年前だそうです。広辞苑には「江戸後期の侠客。上州国定村生れ。本名、長岡忠次郎。博奕渡世で罪を重ね、磔刑。上州長脇差の典型的人物として浪曲・大衆演劇に脚色される。国定忠治とも書く(1810-1850)」とある国定忠治。股旅演歌を語る上でも外すことはできない一人と言えます。

 「男心に 男が惚れて 意気が融け合う 赤城山・・・」で始まるのはご存知名曲「名月赤城山」。

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(↑「澄んだ夜空の まんまる月に 浮世横笛 誰が吹く」と続きます)

この曲は国定忠治を歌った、昭和14年の作品で、作詞矢島寵児、作曲菊地博、そして歌うはもちろん東海林太郎。「足のまわり1尺四方が私の命の道場です」という名言の通り、燕尾服をピシャッと身にまとい、直立不動で歌う姿には胸を打たれたものでした。

 そしてこの東海林太郎の代表曲と言えば間違いなく「泣くなよしよし ねんねしな 山の鴉(からす)が 啼いたとて・・・」で始まる「赤城の子守唄」です。作詞佐藤惣之助、作曲は竹岡信幸。歌手としても名を馳せた名優高田浩吉主演の松竹映画「浅太郎赤城の唄」の主題歌で、上山敬三の解説(19726月)によると、「親分国定忠治への義理立てから叔父を切り、その首を抱え遺児の勘太郎を背に赤城山を越える板割の浅太郎が歌う子守唄」と紹介されています。昭和9年発表の曲で、先述の「名月赤城山」はこの姉妹編になります。

 かつては忘年会などの宴会芸で座布団を浅太郎代わりに背負い、「なくぅーなぁーよぉーしぃーよぉーしぃー」とやっていましたが、はたしてこの曲で眠りにつく子供などいるだろうか?と疑問だったのですが、なるほど上記解説には「題名は子守唄だが股旅流行歌であることに間違いはない」と続いていました。

 国定忠治没後165年。各会員老健施設ではクリスマス会や新年会が企画されているかと思いますが、その中の余興として、忠治よろしく「赤城の山もこよいかぎり・・・」と寸劇をやって、「名月赤城山」や、「赤城の子守唄」をみんなで歌ってみてはいかがでしょうか。IMG_3738-1(ss).jpg

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