九州大会開きました(その11)

2013年12月3日|

 このように農民とともに歩んできた若月俊一医師、そして佐久総合病院ですが、1960年代から急速に進んだ高度経済成長は農山村を大きく変えていきます。兼業化が進み、農業の担い手が減り農業そのものが危うくなる一方で、農薬による健康被害や農業機械によるけがも深刻になっていきます。そのような情勢の下、1964年農村医学研究所が発足。農薬中毒や動力農機具による疲労と災害、人畜共通伝染病、農村病など、農民の健康障害の実態を科学的に明らにしていきました。

しかしさらに深刻な問題が加わってきます。それが過疎、高齢化の急速な進行。村に年寄りや老夫婦の世帯が増えていく中、1986年、国の指定を受けた佐久総合病院はついに老人保健施設のモデル事業を開始します。地域ぐるみの活動やボランティア活動を通じ、老人保健施設は高齢者ケアの拠点となっていきました。また、在宅ケア実行委員会もでき、24時間いつでも相談や緊急時の往診ができる体制ができます。この老人保健施設の開設と診療の拡大は時代の要請であり、地域のニーズ。つまり医療と福祉の垣根を越えていかに地域ケアを充実させるか?という課題を克服するためのインテグレーション(統合)だったのです。その試行錯誤を繰り返しながら現在、老人保健施設は病院と在宅を結ぶ拠点としての役割を果たし続けています。

今回の市民公開講座の講師としてお越しくださった佐久総合病院映画部農村医療の映像記録保存会の若月健一代表も、この老健施設の開設に尽力、貢献され、さらに施設長として高齢者ケアの第一線で活躍されました。

映画はさらに続き、在宅診療にあたる医師のインタビューが紹介されます。「若月(俊一)先生は来るべく高齢社会に向けてケア領域の重要性を言われるなど、先見性があった。農村部は高齢化が進んでおり、早くからこの課題に直面していた。ケア領域、福祉領域、生活を支援しなければ医療は成り立たない。農村医療こそが時代の最先端であり、医療と福祉、生活支援のバランスはどうあるべきかという日本の将来を考えるには、農村医療は色々な事を示唆してくれる」といコメントに続き「二足のわらじ」という言葉が登場しました。

それは「若月(俊一)さんは『二足のわらじを履く医者になれ』と言い続けました」というナレーションです。それは「医者として高い専門技術を持ちつつ、その一方で、地域に出て、どんな患者にも対応できる医者になってほしい」という若月医師の強い願いだったのだそうです。

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(つづく)

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