Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その5)

2015年10月14日|

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 このように施設における悲惨な「見捨て死」について説明した菊地雅洋先生ですが「ここで考えてほしい」と会場を見渡しながら次のように続けました。

 「それではこの施設の職員がみなひどい奴で、このような放置をしたのか?というと、必ずしもそうではないということです。この入居者は5月下旬に亡くなっていますが、みなさんがもし介護福祉士の資格を取って、『これから人の幸せに関わるのだ』と志を高く持って新卒でこの施設に就職したとします。その時に働いていてまだ2ヶ月も経っておらず、夜勤にも入っていない状態です。仕事を覚えている最中で初めて看取り介護の人がいて、『どうやって看取るのだろう』と思ったら、管理者から『いやいや、”看取り介護”というけれど、医者も家族も特に望んでいることなくて、”何もしなくていい”と言っているのだから、ただ死ぬのを待つだけで、特別なことをしなくてもいいよ。体位交換もしなくていいし、口からものを食べないのだから口腔ケアもしなくていいよ』と言われたら、『ああそうか』と思ってしまいませんか、という話なのです。だからこの施設の職員達は、この状態が悪い状態だとか異常だと思わず、『これが看取りなのだ』と悪気がないまま人の不幸を作っている可能性もなきにしもあらず、です。だからどうか皆さん、正しい知識、正しい常識を忘れないで下さい。これは考えたらわかります。介護の知識がない人が見たら『こういうことでいいの?』と思います。じゃあ介護の知識を持っている人が『こんなことでいいのか?』となぜ思わないのでしょうか。それは間違った教育をされていると同時に、その中にどっぷりと浸かって、感覚麻痺をしている恐れがあります」。

 このように、全ての虐待は一部の特殊な人間によって生み出されるものではなく、介護に携わる者全員にとって決して無縁なものではないと強調した菊地先生。世間から見れば信じられないような虐待が「介護の常識」になっていることについて、そのすべての原因は介護の現場における「感覚麻痺」と指摘。そしてそれは日常の何気ない「鈍感さ」によって生じ、エスカレートするものであると言及しました。

 これを踏まえ、別な高齢者施設で起こった不幸な事件、悲惨な虐待について紹介した菊地先生は「この施設にはたくさんの職員、専門家がいるのに『この状態はおかしいのではないか?』指摘している人が誰もいなかったのです。事件が起こってはじめて気付いたのです。もしかしたら『ちょっとこれはまずいのではないか』と気付いた人がいるかもしれませんが、声の大きい、力の強い職員に反論されて『ああそうかなあ』とだんだんやっているうちに『おかしい』と思った気持ちも薄れていって『これが当たり前の日常なのだ、施設の中ではこれは”あり”なのだ』と感覚麻痺していっているわけです。それを考えると我々も無縁じゃありません。我々もきちんとひとつひとつ、一日一日の仕事を検証しないと、我々自身が麻痺した感覚で不適切なケアを作る人にならないとは限りません。間違ってはいけないのは、『世間の常識と我々の常識がかけ離れているのは普通じゃないということです。世間一般に許されないことは介護施設の中でも許されないという感覚が必要です。だから『普通の生活とは何か?』と考えることが一番大事です」と、このような感覚麻痺に陥らないために、自らを振り返り、世間の常識と介護の常識がかけ離れていないか検証すること、「誰から見ても『普通』」と思える「普通の生活」を意識することの重要性を訴えました。

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←「その4」に戻る)             (つづく

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