悲噴慷慨(ひふんこうがい)
『意味から引く四字熟語』(池田書店)に「自らの運命の転変や世間、社会の状況に対して、嘆き悲しんだり、憤りを感じること」と記されているのは「悲憤慷慨(ひふんこうがい)」。しかし、これは悲噴慷慨と言うべきでしょう。桜島の今年の年間爆発回数が、観測史上最多だった昨年を上回ったとのこと。
12月8日の朝日新聞によれば、今回の噴火は1946年(昭和21年)、爆発が日に100回以上に増え、溶岩流出したという昭和噴火の前に酷似しているそうです。そして、差し迫ってはいないものの、97年前、死者58人を数えた大正噴火級の大噴火が確実に近づいていると、火山学者の見方は一致しているとも。海底噴火などに伴う津波の危険も指摘されており、不安が募ります。
それとは正反対に、ずーっとだんまりを決め込んでいるのが新燃岳。しかし、活動を止めたわけではなく、不気味に膨張を続けており、いつ噴火してもおかしくないとのこと。その姿は「沈思黙考」ならぬ「噴止黙考」。不気味です。
さきごろ、宮崎空港で不発弾の処理が行われ、無事作業が終了しました。桜島も新燃岳も、同じようになんとかならないものだろうか、と憤懣、ならぬ噴懣やるかたない思いの今日この頃です。
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