アナログ放送終了。
平成23年7月24日(日)、ついにテレビのアナログ放送が終了しました。1953年の放送開始以来、60年近くに渡って私たちにいろいろな、本当にいろいろな情報を提供し続けたアナログ放送の電波が止まってしまいました。
最初は白黒テレビ。スイッチを入れてもすぐには映らずにやきもきしたものです。チャンネルはもちろんダイヤル式。ガシャガシャ回すので、チャンネル争いなどで、乱暴に扱うと壊れる事もありました。回すのを一方向に決めている家もあったそうです。
カラーテレビの出始めは、とても高価だったので、白黒のブラウン管(この響きも既に懐かしいですね)の前に掛けて、カラーテレビもどきに見える、赤、青、黄(?)の三色カバーがありました。もちろん、そんなことでカラーにはなりませんでしたが。
そのうち、スイッチを入れるとすぐに映る!という画期的なカラーテレビが誕生しました。ポンと入れてパッ!と映るから「ポンパ」という名前でした。
衝撃的だったのは、リモコン付きテレビ。懐中電灯のようなそれを操作すると、ダイヤルが”ガシャッ、ガシャッ”と回って、世間を驚かせました。
UMKテレビ宮崎が開局した当初は、テレビを買うと電気屋さんが「”U“は見ますか?」と聞いて、見るという場合にはUHFアンテナを設置していました。以来、宮崎の民放テレビ局は2つのままです。
その後、ダイヤルがボタンに変わり、リモコンも標準装備が常識になりました。さらに、ステレオ放送が始まり、左右にスピーカーを搭載したテレビが登場しました。大きいメインのブラウン管の右上に小さいブラウン管があって、裏番組も一緒に見られる変わりものテレビもありました。
さらに、ビデオデッキや、テレビゲーム、ついにはビデオカメラまで登場し、テレビライフというよりも、私たちのライフスタイルそのものが、テレビとともに大きく変わっていったように思います。
そんな時代を経て、テレビ放送開始以来、最大の変革と言っても良い、今回の地デジ完全移行(東北3県を除く)。影像や音が格段に良くなったのはもちろん、データ放送も生活に密着した情報をリアルタイムに流すようになりました。今後、より有効な電波利用が進むと期待されます。
しかし、思うのです。「果たして、テレビは進化の一途をたどっているのか?」と。老健を利用されている高齢者の方々がまだ若かった頃と比べて、今のテレビという機械の魅力はその図体同様に薄くなってはいないか?巨人対阪神に熱狂し、馬場や猪木の死闘にドキドキハラハラし、「8時だよ全員集合」に腹を抱え、「おしん」に涙したあの感動の箱は、今でも感動の箱たり得ているのだろうか?家族全員を一部屋に集める求心力はあるのか?と。「今のテレビはつまらん」とつぶやいた、とある利用者様の言葉が耳から離れません。
もちろん、よくなったところを上げようとすると、枚挙にいとまがありません。世界の情報も身近な情報も、タイムリーにわかるようになったし、実写かと見間違うほどのCG技術も劇的に進化してきました。どれもこれもデジタル技術のなせる技。今更後戻りはできません。
ただし、それを見るのは人間という有機体。デジタル放送による情報は、人の五感から入力され、限りなくアナログな処理行程を経て、喜怒哀楽という感情に変換され、記憶されます。人の心まではデジタルに移行することはできないのです。老健施設の利用者様は、このアナログテレビ放送と共に、人生の大半を歩んで来られた方々なのです。
時代劇の代名詞的存在として長年続いてきたあの「水戸黄門」が、ついに終わるのだと、先頃の報道で知りました。地デジ完全移行に次ぐと言ってもいいくらいの、一つの時代の終焉のように思えます。デジタル放送に切り替わることで、人間が、人間の心が、よりいっそう人間らしくなれるような、そんなテレビ改革であって欲しいと願います。