さのぼり

2016年4月25日|

 「さのぼり」とは田植え後の慰労会をさす宮崎弁で、田植えのあとの意味である「早苗餐(さなぶり)」から転じたのではないかと言われています(諸説あり)。

 弥生時代よりも古い縄文時代から始まったという見方が強くなっている日本の稲作。八十八もの手がかかることから「米」という文字ができたそうですが、田植機が普及する前の田植えは大変な労力を要し、家族や地域住民が協力し、子供も学校を休んで手伝ったものでした。それゆえに田植えが終わったら「さのぼり」をやって、労をねぎらいつつ、その年の豊作を祈ったわけです。

 様々な農業機械の中で、開発に最も手こずったものの一つが田植機で、宮崎県の農民発明家、河野平五郎が明治31年に田植機の特許第1号を取得した記録があるそうですが、実用に至るには長い年月がかかり、日本で初めて人力田植機が市販されたのは昭和40年のことでした。田植機の登場でその効率は飛躍的に向上。現在の田植機は一度に10条を植えられるものもあり、学校を休む必要もなくなりました。これにともない、「さのぼり」の風習も無くなったり、規模が縮小されてきているようです。

 田植機をはじめ、様々な農業機械の開発・普及により、農作業の効率化と作業負担の軽減がはかられてきたことは大変素晴らしいことですが、稲作を通じて培われてきた地域の連携、人と人との絆が弱くなっているのではないかと懸念されます。代々受け継がれてきた地域の伝統や文化が、継承者不足のため途絶えたというニュースも時折耳にする昨今、都市部への人口集中と地方の過疎化および高齢化という流れの中で、地域住民の拠り所として、地方の老健施設が担う役割は、それらも含めたところの多岐多様にわたるものとなっているのではないか?と思う今日この頃です。

IMG_6887(s).jpg

« 前のページに戻る

TOPへ