分科会レポート、(写真コラージュ)、本日は《第9分科会~第12分科会》です。
【第9分科会:「生産性向上・ICT関連」、7月11日16時20分~17時20分、第1会場「天蘭」】
【第10分科会:「通所関連」、7月11日16時20分~17時20分、第2会場「天玉」】
【第11 分科会:「COVID-19対策関連」、7月11日16時20分~17時30分、第3会場「瑞洋」】
【第12分科会:「認知症ケア」、7月11日16時20~17時20分、第4会場「海峰」 】
(つづく)
分科会レポート、(写真コラージュ)、本日は《第9分科会~第12分科会》です。
【第9分科会:「生産性向上・ICT関連」、7月11日16時20分~17時20分、第1会場「天蘭」】
【第10分科会:「通所関連」、7月11日16時20分~17時20分、第2会場「天玉」】
【第11 分科会:「COVID-19対策関連」、7月11日16時20分~17時30分、第3会場「瑞洋」】
【第12分科会:「認知症ケア」、7月11日16時20~17時20分、第4会場「海峰」 】
(つづく)
分科会レポート、(写真コラージュ)、本日は《第5分科会~第8分科会》です。
【第5分科会:「在宅・地域支援関連」、7月11日15時10分~16時10分、第1会場「天蘭」】
【第6分科会:「通所関連」、7月11日15時10分~16時10分、第2会場「天玉」】
【第7 分科会:「全般的なケア/入浴排泄ケア」、7月11日15時10分~16時10分、第3会場「瑞洋」】
【第8分科会:「その他(外国人材等)」、7月11日15時10分~16時10分、第4会場「海峰」 】
(つづく)
「老健今!!明日に繋げる『チーム力』~一人ひとりがかけがえのないひなた~」をテーマに掲げて開いた「第23回 九州ブロック介護老人保健施設大会inみやざき」。発表には103もの演題をエントリーしていただきました。
2日間にわたり、20の分科会であった演題発表では、各会場でそれぞれの施設での取り組みの成果や研究の結果などが報告され、質疑応答では熱心な情報のやりとり、問題意識の共有が行われました。
それぞれの分科会の様子を写真(コラージュ)でお伝えします。
本日は《第1分科会~第4分科会》です。
【第1分科会:「在宅・地域支援関連」、7月11日14時~15時、第1会場「天蘭」】
【第2分科会:「食事・栄養・口腔ケア関連」、7月11日14時~15時、第2会場「天玉」】
【第3 分科会:「全般的なケア関連」、7月11日14時~15時、第3会場「瑞洋」】
【第4分科会:「リハビリ関連」、7月11日14時~15時、第4会場「海峰」 】
(つづく)
金城先生への拍手が鳴り止まぬうち、市民公開講座のはじめにご講演いただいた三浦靖彦先生も再登壇。大会の総合司会でフリーアナウンサーの田代剛さんが進行役となり、会場も参加しての意見交換会となりました。
それぞれACPの分野で大活躍されている三浦先生と金城先生。それぞれのご講演等で互いの名を挙げ合うことはあったそうですが、一緒にステージに上がるのは、なんと本大会が初めて。両先生のやりとりを聞きながらACPへの学びを深める非常に貴重な機会となりました。両先生がACPにかかわるようになったいきさつや、その中でお互いに受け合った影響などについて話を拝聴する中で、ACPについて考え、実践して行く上で、三浦先生が専門とされている医学、そして金城先生のご専門である倫理には密接な関係がある事を深く理解することができました。
参加者からはACPを行うタイミングややり方、ACPに取り組んでいく上で抱えている切実な悩みなど、現場に即した質問がありました。
それぞれの質問に対し、三浦先生、金城先生とも、ご自身が実際にやっている取り組みも具体的に交えながら、わかりやすく丁寧に答えて下さいました。
宮崎県ではACPを特別なことではなく、身近なものとして感じてもらうことを目的に、「アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)のホームページ」を作成、公開し、その理解と実践を呼びかけているところです。そのような中、今回の市民公開講座は時宜にかなった大変有意義なものとなりました。
(つづく)
その様子を確かめて、金城先生は「正しく生きるとはどういうことでしょうか」と問いかけました。「それは正しいことをするということでしょうか。あるいは正しい人になるということでしょうか。もちろんそれも大事です。しかしそれ以上に大事だと思うのは『あなたは何者か』と自分に向き合う事だと思います。倫理というのは『今何をなすべきか』という行為に焦点を当てがちです。しかし『その行為をするあなたは何者なのか。何を大切にし、何を目指しているのか。あなたはどう生きたいのか、どう生きるべきなのか。あなたは何を残して逝きたいのか』、そういうことを今のうちから話をしておく、これがACPの心です。みなさん是非このことを覚えておいて下さい。今私たちに求められているのは自分に向き合う倫理、自分に向き合うACPだと思います。いつか私たちは必ず今やっている仕事を辞める時が来ます。いつか私たちは必ずこの世にさよならを言わなければならない時が来ます。その時に『自分の仕事は本当にこれで良かった、自分の人生は本当にこれでよかった』と心の底から、周りの人と共に物語ることができるよう、みなさん是非今日から日々の小さな選択、大きな選択を意識して、そして私が家族、愛する人、友人に何を伝えるのか、何をするのかをしっかりと考えて、そして選んで、そういうことを積み重ねていけば、私たちはより良い人生を歩んだと、後から物語ることができるのではないかと思います。私は皆さんに是非、良い人生を歩んでいただきたいと思います。そのために皆さん是非今日聞いていただいたACPを理解していただいて、そして今日から実践してただきたいと願わずにはいられません」と頭を下げた金城先生に、会場には割れんばかりの拍手が鳴り響きました。
(つづく)
琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生の市民公開講座「自分のものがたりとして考えるACP」もいよいよ終わりを迎えました。
「残された人の人生を支えるために話し合いを今からしておくこと、日々の選択の中でそれを積み重ねていかないとその影響力は残りません」と日々の選択の重要性をおさらいした金城先生。スライドに沖縄の澄み渡る青い海と青い空が映し出すと、その美しい光景に参加者は目を奪われました。「私は沖縄から来ていますので、最後に沖縄の風を届けたいと思います」と言い、次の世代に伝えていきたい沖縄の道徳である「平和と文化をこよなく愛するこころ」、「共に生き共に死する思想・命どう宝(ぬちどぅたから)」、「他人の心を思いやる肝ごころの文化」などを紹介しつつ、「今日、皆さんに考えていただきたいのは、『ナンクルナイサ~』という言葉です。実は少々誤解されている言葉です」と切り出すと、参加者の表情には疑問符が浮かびました。そんな会場を見渡しながら金城先生は「『なんとかなるさ』という諦念文化、適当文化を表す言葉として理解されています。実際沖縄の人はそのように使っているところもあります。しかしこれは正しい使い方ではありません。正しくは『ナンクルナイサ』の前に『マクトゥソーケー』という接頭語がついて、これでワンセットの言葉です。これは『人として正しい事をしていれば、あとはなんとかなるさ。真面目でひたむき、真摯であれば、あとはなんとかなるさ』という意味です。ですから結果ではありません。『なんとかなるさ』のためには、日々の選択、それを正しく選んでいくこと、正しく生きる事が大事です。それをちゃんとやっていれば、あとはなんとかなるという意味です。つまり『日々の選択が大事』ということを言いたかったわけです。苦しいこと、悲しいことを受け入れ、くじけずに人として誠実に正しく生きる道を選ぶならば、その後はきっとうまくいくと信じて生きる。沖縄の人の倫理的な姿勢、生き方が『ナンクルナイサ』の本当の意味です」という説明を参加者は目から鱗が落ちる思いで聞き入りました。
(つづく)
「私が提唱する『第3の終活』は、自分の最期をどう迎え、自分の人生の最期までどう生きるかのみならず、残される人が生き続けることを支える準備をするための活動で、これを私は『真のACP』として皆さんに紹介したいと思います。ここは大事です」と会場を見渡した金城先生、残された人が生き続けることを支えるための方法として「故人が良い影響力を持ち続けること。故人が遺族の背中をそっと押す力を持ち続けることです」と説明。具体的には父親を亡くした青年が、人生の岐路に立ったとき、「こういうとき、親父だったら何と言うだろうか」と考えたり、小さな娘を亡くした母親が「あの子の親としてはずかしくない生き方をしたい」と思ったりするとのことで、「こういう形で私たちは自分亡き後も、残される人と共に生き続けることができます。残された、愛する人たちの側で彼らを慰め、励まし、前に進めるように、そっと彼らの背中を押すことができます」と具体例を交えながら伝えると、参加者は新たな気づきを得た表情を見せていました。
そして「影響力を残すためには、残された人たちがその影響力を感じ取れないといけません。どうやって影響力は準備すればいいでしょうか。これは最初の話に戻りますが、日々の選択の積み重ねです。小さな選択、大きな選択の積み重ねが影響力として残るわけです」と講義の最初のテーマ「選択を意識する」をおさらいし、影響力を残すためのポイントとして、「1.自分はあなたのことを気にかけており、あなたの幸せを心から願っており、いつでも相談してほしいと今日から伝える」、「2.自分が何を大切にし、なにを嫌い、何を願っているかを今日から相手に伝える」、「3.人生を生きていく上で、忘れてほしくない大切なこと、心に留めておいて欲しいこと、人生で最も大切なことを今日から伝える」の3つをスライドに示し「これらを『今日から』伝えて下さい。これこそ真のACPだと思います」と、「今日から」という言葉に力を込め参加者に呼びかけました。
(つづく)
金城隆展先生による市民公開講座、いよいよ最後の章「第3の終活(真のACP)を意識する」を迎えました。
「第3の」と銘が打たれている事に関心を寄せる参加者を見渡しながら、「『第3の終活』を意識しましょうと言っていますが、『第1の終活』や『第2の終活』があるのか?というとその通りです」と述べ、「第1の終活は最初の頃の終活です。人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うことで、『事前指示』はこの中の1つに含まれます。今から自分の人生の最期をどう迎えるかを準備することです。これに対し、新たな『第2の終活』というものが登場してきました。これは『今から最期を迎えるか』のみならず、今のうちから『自分の人生の最期までどう生きるか』を察するための活動で、これが最近はやっている終活です」と言葉を続けました。
その上で「私は倫理学者ですから」前置きし「第1の終活と第2の終活はバランスが良くありません。これらはかなり自分中心です。自分の最期をどう迎え、自分の人生の最期までどう生きるか、というふうに自分が中心になっていて、残される人たちが取り残されているような感じがして、バランスが悪いと思います」と解釈を加え、いよいよこの章のテーマである「第3の終活」に話題を切り込んでいきました。
(つづく)
市民公開講座の二人目の講師、琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生による「自分のものがたりとして考えるACP」。講演は「2.物語を共に紡ぐ」、に移りました。
まず、ノートルダム大学教授で哲学者、アラスデア・マッキンタイアが説いた「私たちは『物語る動物』である」をタイトルにしたスライドを提示し、「①誰でも物語れる」、「②物語ることで人生や経験を意味づけている」、「③自己アイデンティティを形成している」、「④他者の物語も一緒に紡いでいる(共同著作)」の4つを列挙しました。このうち「②(私たちは)物語ることで人生や経験を意味づけている」そして「④他者の物語も一緒に紡いでいる(共同著作)」の2点を念頭に置くよう参加者に言いながら、動画による症例紹介がありました。
病気のため一度は下肢切断が決まった高齢女性の患者。家族は同意したものの、話し合いを重ねる中で、本人の気持ちを尊重し、保存療法を選択した結果、患者は切断しなくても良い状態まで回復。医師が「私は病気をみていた。本当なら病気をわずらった患者をみなければならなかったのに」と省みた後、「ACPは患者さんの意思を尊重することが大切です。患者さんの尊厳有る生き方を実現することに力を尽くしていきましょう」というナレーションで動画が結ばれたのを受け、金城先生は「患者さんらしさを表す選択の背後に物語があります。その物語を介して患者さんらしさは何なのか、患者さんの思いは何なのかを理解し、治療に反映することができます。ACPで大切なのは、『何を決めたのか』の結果ではありません。何度も話し合う機会を持ちながら、患者さんの物語を介してその人をよく知っていくこと。これが本当に、本当に大事なのだということをお伝えしたいです」強調。さらに「ACPで大事なのは『何をする、しない』という事前指示ではありません。『この人はどう生きたいのか、何を希望しているのか、何が好きで何がきらいか、この人はどういう人なのか』を繰り返し話し合っておくことが、必ず役に立ちます。本人が話せなくなったとき、周りの人が推定することに役に立ちます。そのために私たちは準備をします。ACPとは準備をするということです。重要なのは結果、結論ではありません。周りの人たちが本人のことを代弁できること、一緒に患者さんの物語を共同著作できるかどうか、ここが問われているということなんです」と言葉に力を込めると、その熱気は会場中に伝わりました。
(つづく)
一方、「生きること」に対しては、「ありがとう(有り難う)」の反意語が「当たり前」であると前置きし、「人間はどんなことにもすぐ慣れてしまいます。医療従事者も含め、私たち人間が慣れてしまうと感謝の気持ちがなくなってしまいます。知らず知らずんのうちに相手をぞんざいに扱ってしまいます。全ての人間が生きることにも慣れる動物です。すると生に対する感謝の気持ちがなくなってしまいます。今日という大切な一日に感謝する気持ちがなくなって、ただ漠然と生きてしまう、ということが私たちの人生によく起こります。じゃあ漠然と生きてしまわないためにはどうすればよいでしょうか。私たちが日々の選択を大切にし、よりよく選ぶことができるようにするにはどうすればいいか、そのために必要なのは、自分の最期に向き合うということになるわけです」と述べた金城先生、ご自身の趣味である映画鑑賞を引き合いに出し、「私があと20年生きるとして、残りの人生であと700本から900本しか映画を観る事ができません。これに対し、日本でたった一年間に封切りされる邦画と洋画の合計数は約1000本です。これがわかると、最期を意識すると『今日、この映画を本当に観るべきだろうか』と自分の選択を吟味し始めます。こういうことが『より良く豊かに選ぶ』ということになります」と具体的に説明すると、参加者はそれぞれの人生における一日一日、一瞬一瞬の重みを肌で感じとっていました。
そして会場を見渡しながら「人生はシミュレーションできません。たった一度きりの、取り返すことのきかない、唯一無二の大切なこの人生をどう生きるか?これを私たちは立ち止まって考えて行かなければなりません。これが倫理ということになります」と語りかけ、金城先生は「選択を意識する」というテーマをまとめました。
(つづく)