開催しました!「九州大会inみやざき」(その23)

金城隆展先生による市民公開講座、いよいよ最後の章「第3の終活(真のACP)を意識する」を迎えました。

「第3の」と銘が打たれている事に関心を寄せる参加者を見渡しながら、「『第3の終活』を意識しましょうと言っていますが、『第1の終活』や『第2の終活』があるのか?というとその通りです」と述べ、「第1の終活は最初の頃の終活です。人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うことで、『事前指示』はこの中の1つに含まれます。今から自分の人生の最期をどう迎えるかを準備することです。これに対し、新たな『第2の終活』というものが登場してきました。これは『今から最期を迎えるか』のみならず、今のうちから『自分の人生の最期までどう生きるか』を察するための活動で、これが最近はやっている終活です」と言葉を続けました。

その上で「私は倫理学者ですから」前置きし「第1の終活と第2の終活はバランスが良くありません。これらはかなり自分中心です。自分の最期をどう迎え、自分の人生の最期までどう生きるか、というふうに自分が中心になっていて、残される人たちが取り残されているような感じがして、バランスが悪いと思います」と解釈を加え、いよいよこの章のテーマである「第3の終活」に話題を切り込んでいきました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その22)

市民公開講座の二人目の講師、琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生による「自分のものがたりとして考えるACP」。講演は「2.物語を共に紡ぐ」、に移りました。

まず、ノートルダム大学教授で哲学者、アラスデア・マッキンタイアが説いた「私たちは『物語る動物』である」をタイトルにしたスライドを提示し、「①誰でも物語れる」、「②物語ることで人生や経験を意味づけている」、「③自己アイデンティティを形成している」、「④他者の物語も一緒に紡いでいる(共同著作)」の4つを列挙しました。このうち「②(私たちは)物語ることで人生や経験を意味づけている」そして「④他者の物語も一緒に紡いでいる(共同著作)」の2点を念頭に置くよう参加者に言いながら、動画による症例紹介がありました。

病気のため一度は下肢切断が決まった高齢女性の患者。家族は同意したものの、話し合いを重ねる中で、本人の気持ちを尊重し、保存療法を選択した結果、患者は切断しなくても良い状態まで回復。医師が「私は病気をみていた。本当なら病気をわずらった患者をみなければならなかったのに」と省みた後、「ACPは患者さんの意思を尊重することが大切です。患者さんの尊厳有る生き方を実現することに力を尽くしていきましょう」というナレーションで動画が結ばれたのを受け、金城先生は「患者さんらしさを表す選択の背後に物語があります。その物語を介して患者さんらしさは何なのか、患者さんの思いは何なのかを理解し、治療に反映することができます。ACPで大切なのは、『何を決めたのか』の結果ではありません。何度も話し合う機会を持ちながら、患者さんの物語を介してその人をよく知っていくこと。これが本当に、本当に大事なのだということをお伝えしたいです」強調。さらに「ACPで大事なのは『何をする、しない』という事前指示ではありません。『この人はどう生きたいのか、何を希望しているのか、何が好きで何がきらいか、この人はどういう人なのか』を繰り返し話し合っておくことが、必ず役に立ちます。本人が話せなくなったとき、周りの人が推定することに役に立ちます。そのために私たちは準備をします。ACPとは準備をするということです。重要なのは結果、結論ではありません。周りの人たちが本人のことを代弁できること、一緒に患者さんの物語を共同著作できるかどうか、ここが問われているということなんです」と言葉に力を込めると、その熱気は会場中に伝わりました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その21)

一方、「生きること」に対しては、「ありがとう(有り難う)」の反意語が「当たり前」であると前置きし、「人間はどんなことにもすぐ慣れてしまいます。医療従事者も含め、私たち人間が慣れてしまうと感謝の気持ちがなくなってしまいます。知らず知らずんのうちに相手をぞんざいに扱ってしまいます。全ての人間が生きることにも慣れる動物です。すると生に対する感謝の気持ちがなくなってしまいます。今日という大切な一日に感謝する気持ちがなくなって、ただ漠然と生きてしまう、ということが私たちの人生によく起こります。じゃあ漠然と生きてしまわないためにはどうすればよいでしょうか。私たちが日々の選択を大切にし、よりよく選ぶことができるようにするにはどうすればいいか、そのために必要なのは、自分の最期に向き合うということになるわけです」と述べた金城先生、ご自身の趣味である映画鑑賞を引き合いに出し、「私があと20年生きるとして、残りの人生であと700本から900本しか映画を観る事ができません。これに対し、日本でたった一年間に封切りされる邦画と洋画の合計数は約1000本です。これがわかると、最期を意識すると『今日、この映画を本当に観るべきだろうか』と自分の選択を吟味し始めます。こういうことが『より良く豊かに選ぶ』ということになります」と具体的に説明すると、参加者はそれぞれの人生における一日一日、一瞬一瞬の重みを肌で感じとっていました。

そして会場を見渡しながら「人生はシミュレーションできません。たった一度きりの、取り返すことのきかない、唯一無二の大切なこの人生をどう生きるか?これを私たちは立ち止まって考えて行かなければなりません。これが倫理ということになります」と語りかけ、金城先生は「選択を意識する」というテーマをまとめました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その20)

このことを踏まえ、金城先生は「私たちが歳を取ったり、病気になったりすると、できることが減ります。すなわち選択肢が減っていきます。それだけでなく自分らしさを表現する機会がどんどん減っていきます。であるならば私たち医療、介護は何をすることができるでしょうか」と金城先生は会場に問いかけました。

そして「リハビリやケア、治療を通じてできなくなっていたことができるようになること、これはもちろん素晴らしいことですし、皆さんもそのために頑張っていただきたいと思います。しかし歳を取ったり病気になったりして、どうしても生物医学的な選択肢の枠は狭まらざるを得なくなってしまいます。しかしそうなっても、個人の選択肢の中に自分たちが生きるために治療や介護を選んでいく、つまり私たち医療の専門家の治療の選択肢の中にいかにして患者さんらしさ、患者さんの思いを反映できるか、そういう医療、介護こそが、尊厳ある医療であり介護であると言えます。そしてそこから自分が選ぶ、生きるということを考えるということが人生会議、ACPです」と続け、「倫理」「選択」「ACP、人生会議」という言葉を有機的に意味づけ、その中で医療と介護のあり方を更に解いていきました。

選択の連続からなる人生、しかし「私たちは、死なないことを選ぶことはできません。いつかはかならず死にます。ここに倫理は生じません。ではどこに倫理が生じるのでしょう。日々のひとつひとつの選択の積み重ねによって、『後悔の最期』を持つか、それとも『腑に落ちる最期』を持つか、どちらの最期を持つかを選ぶことはできます。そして『腑に落ちる最期』のために、ACPが必要なのだということを、私たち倫理学者は皆さんにお伝えしたいと思っています」と金城先生は言葉を重ね、ACPの大切さを強調しました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その19)

市民公開講座、続いて演台に立ったのは琉球大学病院地域・国際医療部の臨床倫理士、金城隆展先生。「自分のものがたりとして考えるACP」という演台でご講話を拝聴しました。

金城先生は生命倫理・臨床心理という応用哲学を専門とされ、その中でもナラティブエシックス(物語の倫理)を研究されています。また琉球大学病院では医療倫理教育、倫理コンサルテーション(倫理相談・支援サービス)を担当されています。臨床の現場で倫理的な問題が生じた時に助言をしたり相談を受けたりするなどご活躍中です。この日はそんなご多忙の中、本大会のために駆けつけて下さいました。

「三浦靖彦先生がACPのど真ん中をお話していただきましたので、私はACPの周辺をゆるやかに考えていきたいと思います」と、柔らかい口調で語り始めました。

この日の公開講座では「1.選択を意識する」、「2.物語を共に紡ぐ」、「3.第3の終活(金城先生は『真のACP』と呼ばれています)を意識する」という内容で進められました。

「1.選択を意識する」では「倫理とは、詰まるところ、『選択』です。みなさんが何かを選ぶことに関する言葉です。私たちは選ぶという意識があってはじめて倫理的になることができます。選んでいるという意識がなければ、そこに選択肢がなければ、選べる自由がなければ、私たちは倫理的にすらなれない、ということを考えていきたいと思います」と切り出し、勉強をする理由として「人生の選択肢が増える」と述べた有名人のエピソードを紹介しつつ、「選ぶこと、選べる自由こそ、その人らしさ、私たちらしさ、私たちの尊厳が現れます。みなさんが今日何を食べるか、何を着るか、そのひとつひとつの積み重ねが皆さん自身を作っていく、皆さんらしさをつくっていく、そしてその選択の積み重ねの先に、先ほど三浦靖彦先生がおっしゃったACPがあるということになります」と続けた金城先生。この「倫理とは選択である」という言葉に、参加者はうなずきながら聞き入り、集中度を高めていきました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その18)

このように「『入院時に人工呼吸器をつけるかつけないかを聞いておけばACPになる』というのは間違いである」ということを重ねて説明してきた三浦靖彦先生、「『医療行為についての希望などは状況によって変化します。だから本人のものがたり、ナラティブが大事です。人生観、死生観が大事です』という話をしてきましたが、そう考えると、『みなさん今からアドバンス・ケア・プランニングを考えましょう』、というよりも『アドバンス・ライフ・プランニング(ALP)』をいまからやっておくと、それがアドバンス・ケア・プランニングにつながります」とスライドを進めました。

アドバンス・ケア・プランニングにより本人の意思が尊重されることはもとより、「本人の意思を尊重できたという満足感は、家族と関係者の心の負担を軽くできる可能性があり、グリーフケアにもつながる、ということが言われています。自分にあてはめてみるとわかるのではないかと思います」とし、そのためにも医療やケアのことだけでなく、人生観や死生観についても折に触れて関係者と話し合っておくことが大切だと言い添えました。そして元気なときにアドバンス・ライフ・プランニングがあると、病気になったときに、アドバンス・ケア・プランニングに書き換えて、つながっていくことができることにも言及し、その有用性を説きました。

そのうえで「誰がACPのお手伝いをしますか」ということに関し、アドバンス・ケア・プランニングの土台、基本骨格となるべき「自分は何を大切に思い、人生を過ごしていきたいのか」という部分に「ここにまだ医療やケアがアプローチできていません。医者の場合、病気になったときようやく関わりますし、ケアスタッフもケアが必要になるころから登場するようになります。基礎の部分は自分や家族や地域社会で作っていくのですが、そこに私たち医療やケアスタッフがお手伝いをするのが大事ではないかと思います」とし、三浦先生は自らも「もしバナマイスター」として取り組まれている「もしバナゲーム」を通じたアドバンス・ライフ・プランニングへの関わりを作っていった事例を紹介。

さらに三浦先生が副代表をされている「自分らしい生き死にを考える会」で作った「私の生き方連絡ノート」が紹介されました。チェックボックスではなく「自筆で書く」ことを主眼に作られたこのノートは、自分の人生を振り返りながら、「今の自分が望む、これからの生き方」について、自分が健康でなくなったときも含めて考え、書き込むもの。わかりやすい説明も添えてあり、初めての人にも書きやすいものとなっています。

そして三浦先生が発案した「患者自己紹介シート」も紹介し、その普及活用へ思いを寄せました。

(「私の生き方連絡ノート」は大手通販サイトでも販売しています)

講演の最後になり、千葉県印西市にある「吉高の大桜」をスライドに映し出した三浦先生、、樹齢400年を超える見事な一本桜を見せながら、「しっかりした幹はありますが、枝は色々な所に伸びているので、倒れないよう色々な所に杭が打ってあります。(アドバンス・ケア・プランニングについても)幹がしっかりしていれば、枝葉の部分はその時の状況に合わせて家族や医療、介護スタッフが最善の策を考えて支えてくれるはずです。幹をしっかりとしておくことが必要だと思います。皆さんも是非自分のアドバンス・ライフ・プランニングをしっかり持っていただくのが一番いいと思います。したがって、『どのように死ぬか?』ではなく、『これからの人生をどのように過ごしたいのか?』を中心に考えましょう。あなたの『人生ものがたり』が、ご家族、医療、介護従事者に伝わっていれば、その時の医学的状況に合わせて、あなたにとって最善の策を考えてくれるはずです。医療行為だけを決めておけば良いというものではないということを、今日は胸に刻んで帰って下さい」と呼びかけると、会場には感謝の拍手が鳴り響きました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その17)

このように考えていた三浦靖彦先生に、福島県立医科大学の宮下淳先生から「一緒に作りましょう」と声がかかり、できあがった日本版ACPの定義と行動指針が次のようにスライドに示されました。

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1.日本版アドバンス・ケア・プランニングの定義

アドバンス・ケア・プランニングとは、必要に応じて信頼関係のある医療・ケアチーム等(※1)の支援を受けながら、本人が現在の健康状態や今後の生き方、さらには今後受けたい医療・ケアについて考え(将来の心づもりをして)、家族等(※2)と話し合うことです。

特に将来の心づもりについて言葉にすることが困難になりつつある人、言葉にすることを躊躇する人、話し合う家族等がいない人に対して、医療・ケアチーム等はその人に適した支援を行い、本人の価値観を最大限くみ取るための対話を重ねていく必要があります。

本人が自分で意思決定することが困難になったときに、将来の心づもりについてこれまで本人が表明してきた内容にもとづいて、家族等と医療・ケアチーム等とが話し合いを行い、本人の価値観を尊重し、本人の意思を反映させた医療・ケアを実現することを目的とします。

(※1:本人の医療やケアを担当している医療、介護、福祉関係者)

(※2:家族や家族に相当する近しい人)

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話を聞き入っている参加者は繰り返し登場する「将来の心づもり」という言葉に引き寄せられている様子。それを感じ取ったかのように、三浦先生は将来の心づもりをするとは、(1)これまでの人生を振り返りながら、今後どのような自分でありたいか、どのような生活をしていきたいかを思い描く、(2)現在の健康状態、これから予想される健康状態とその見通しについて理解する、(3)人生の最終段階をどこで、誰と、どのように過ごしたいかを思い描く、(4)本人が自分で意思決定することが困難になったときに、本人の意思を反映させた医療・ケアの実現のために医療ケアチームと話をしてくれる支援者を選ぶことを考慮する・・・とスライドを進めながら深掘りすると、参加者はアドバンス・ケア・プランニングの主語は病院や施設ではなく、あくまでも本人であること、そして病院や施設は各自の専門性を活かし、互いに連携しながら将来の心づもりをサポートする存在である事を理解し、そのために自らの専門性を高めるとともに、より一層連携を強化する必要があることを再確認していました。

アドバンス・ケア・プランニングのホームページには、「ACPの定義」、「具体的な内容・対象者」、「行動指針」などがわかりやすく説明されていますのでご参照下さい。

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日本版ACPの定義と行動指針の出典元】

Culturally Adapted Consensus Definition

and Action Guideline: Japan’s Advance Care Planning

J. Miyashita, S. Shimizu, R. Shiraishi, M. Mori, K. Okawa, K. Aita, S. Mitsuoka, M. Nishikawa, Y. Kizawa, T. Morita, S. Fukuhara, Y. Ishibashi, C. Shimada, Y. Norisue, M. Ogino, N. Higuchi, A. Yamagishi, Y. Miura and Y. Yamamoto

J Pain Symptom Manage. 2022 Dec;64(6):602-613

Accepted: September 8, 2022

Published: September 14, 2022

DOI: https://doi.org/10.1016/j.jpainsymman.2022.09.005

─────────────────────────────

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その16)

一方、「事前指示をどの程度正確に守ってほしいか」ということに関する研究で、アメリカの透析患者の場合、39%が「完璧に守って欲しい」と答えたのに対し、日本では12%にとどまっているという違いを踏まえ、「自分の気持ちも少しは取り入れて、主治医や家族である程度決めて欲しいという」傾向がある日本人は、「終末期において、自分のためよりも家族の事をおもんぱかる、『Relational Autonomy、関係性の中の自分』が大事なのではないかということがわかってきました。それでアドバンス・ケア・プランニングも日本文化に合わせ、自立尊重を取り入れたものにしなくては効力を発揮しないのではないかと思ったわけです」と、日本版のアドバンス・ケア・プランニングの定義と行動指針作りへ取り組むようになった経緯を語ると、参加者は話の続きを聞き漏らすまいと身を乗り出していました。

つづいて、人生のものがたりには、書き換えがつきものであることに触れ、実際の現場で役立つのは尊厳死宣言書でも具体的な医療行為に対する指示でもなく、その人がもしパッタリと倒れたとき、「今の、この状況を、本人が理解して、希望を述べることができるなら、何を希望するだろうか」を周囲理解できると、本人の意向が尊重されるとともに、医療者や決めなくてはいけない家族のプレッシャーも減るということが、厚労省のガイドラインが唱える「推定意思」につながってくることが重要であるとし、「人生観や価値観、死生観、人生のものがたり、ナラティブといったものがしっかりと塗り込められていることが大切になってきます。こういったものが根底にあるアドバンス・ケア・プランニングを作って欲しいと思います」と要点を押さえながら日本医師会のパンフレットをスライドに提示。「アドバンス・ケア・プランニングは将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、患者さんを主体に、そのご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセスのことです。患者さんの人生観や価値観、希望に沿った、将来の医療及びケアを具体化することを目標にしています」、さらに「将来の変化にそなえ、患者さんの意思を尊重した医療及びケアを提供し、その人生の締めくくりの時期に寄り添うために必要と考えられる内容について話し合うことが必要です」と、「人工呼吸器をつけるかどうか」といった医療行為を決めておくことよりも、患者が大切にしたい人生観や価値観、希望などを決めておくことが重要だと訴えました。

日本医師会「終末期医療 アドバンス・ケア・プランニング(ACP)から考える」はこちらから閲覧、ダウンロードできます

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その15)

「ACPは免罪符ではない」ということを理解してもらいたいとマイクを握った三浦先生。1990年頃登場した事前指示(Advance Directive)およびこれを文書にしたリビング・ウィルの経緯を踏まえつつ、事前指示に関する研究から「残念ながら、家族の主治医も、患者の希望を聞いていませんでした」という結論に至ったことを説明。「ただし、ここでくじけるだけではしょうがないので、『自分の望む形の終末期を過ごしたければ、事前に指示しておくしかない』と思ったので、『死生観を共有するための話し合いを大切にしましょう』と当時から言い始めました。これが後のアドバンス・ケア・プランニングにつながっていくわけです」と発表活動等を重ねるうち、まず透析分野で普及してきたそうです。その理由として「透析は週3回、4時間から5時間、長年同じクリニックに通院しているため、患者と医療従事者との関係性が構築されます。透析中の時間に色々と話をする中でその人となりがわかってきます。もうひとつ大事なことは、透析に通っている患者さんは、一般の人よりも終末期に対する実感がありますので、そのようなことから一般の患者より透析患者で普及したのかなと思います」とスライドを用いながら言葉を加えていきました。

そこで手応えを得た三浦先生は、一般人向けの事前指示書も作成。「フルコース」と表現しつつ、全部の項目について、様々な選択肢を設けた事前指示書ですが、「これを全部書き上げることができた患者さんをお目にかかったことはありませんでした。事前指示書は患者さん自身が作り上げるものと言われています。そんなに細かい事を自分だけで作り上げるのは難しく、細かく作れば作るほど、実際の場面で実情に合わず、医療行為に対する希望はその時々の状況に変わってくるので、あまり前の段階から最終段階の医療行為を決めるのは意味がないということです」とアメリカの研究でも同様の結果だったことを例示し、事前指示書が有効でなかった理由として推定されている要因として「将来の状況を予想すること事態が困難」という「患者の要因」、そして「家族等が事前指示書の作成に関与していなかったり、患者がなぜその選択をしたか、その理由や背景や価値がわからなかったりするから役に立たない」などといった「その他の要因」を挙げました。

(つづく)

開催しました!「九州大会inみやざき」(その14)

教育講演に続いては「ACP(:アドバンス・ケア・プランニング、『人生会議』)」をテーマに掲げ、市民公開講座を開きました。

この公開講座にはお二人の先生を講師にお招きしました。最初に演台に立ったのは日本ACP研究会会長で岩手保健医療大学看護学部成人看護学領域教授、そして臨床倫理研究センター長、さらに東京慈恵会医科大学客員教授の医師、三浦靖彦先生。

「私の講演のテーマは『よりよく生きるための人生会議を始めよう』ですけれども、2018年にアドバンス・ケア・プランニングという言葉が突然降って湧いたように日本にも入ってきたわけです。そしてその11月30日には『いい看取り・看取られ』というニックネームを付けて『もしものときのための人生会議』というふうに言われていました。日本医師会のガイドブックを見ても『終末期医療』と書いてあったり『もしものときのために』と書いてあったりするので、『これは要するに意識がなくなった後のこととか、人生の最終段階のことを、考えるの?』というふうに思われがちです。例えば病院に入院するとき、『何かあった歳には“人工呼吸器はつけなくていいです”、“心臓マッサージは受けなくてよいです”という念書を病院側がとっています』ということはよくあって、『うちの病院はACPちゃんとやっています』と言っていたりするんですが、医療行為を事前に指示しておく『事前指示』は、アドバンス・ケア・プランニングのごく一部です。しかも、これに『はい』と言わないと入院させてもらえない雰囲気をぷんぷん漂わせているということが結構あります。これは事前指示というよりも無理矢理念書を書かせるという感じもします。高齢者施設においても、入居のときに『いざという時に救急車を呼ばなくてよいです』、『延命治療を受けさせなくてよいです』と家族からサインをもらい『うちの施設はちゃんとACPやっています』と言っても、これは『家族の希望』であって、『本人の希望』はどこにも書いていない、ということが多いです。今日はそのあたりのことをお話ししたいと思います」と切り出した三浦先生の話を聞こうと、会場は一般の来場者も席を埋め、熱気を帯びてきました。

(つづく)

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