協会活動報告

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その12)

 「死は特別のことではありません。人間にとって自然な経過です。だから『そろそろかな?』という時に、その人が本当に自然に亡くなっていくのであれば、家族もそんなに深刻な顔はせずに、みんな声を掛けながら笑っています」と「ホームホスピスかあさんの家」で看取りを実践している、認定特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎の市原美穂理事長は、在宅で看取りを行うことで、看取りの主人公である家族が「死」を生活の延長線上にある自然なものとして受け入れ、悲しみの中にも安堵感が生まれ、涙はやがて笑顔に変わるという、昔ながらのプロセスをたどることを説明しました。

 その一方、「看取りの経験がない家族が増えています」と指摘。「症状の変化にどうしてよいかわからず、医者や看護師をいつ呼べばいいか、タイミングがわからなかったり、寝ている人のそばで、どうやって座っていればいいかわからないなど、寄り添い方がわからない人もいます」と述べ、そのような家族へのアドバイスの必要性を強調しました。「かあさんの家」では、「最後まで聴く力はあると言われています。聞き慣れた声は最後まで届いていますよ」、「手を握ったり、身体をさすったり、語りかけたりして下さい。大切な時間です」、「聞いておきたいことや伝えておきたいことがあれば、伝えておいてくださいね」など、具体的なアドバイスを行っているとのことでした。

 そして「いよいよ今日か明日か?」という段階になると「かあさんの家」では家族に泊まってもらうそうです。「家族が横で寄り添えるように布団を準備したり、夜食を作ったりするなど、家族の支援にシフトしてきます。私達が看取るのではなく、その人にとって一番そばにいて欲しい人に看取ってもらいます。そしてそれを私達が支援していくわけです」と、実際に家族に適切なアドバイスをしながら、看取りを行った入居者の事例を紹介しました。

その中で市原理事長は看取りを迎えた入居者のひ孫が、ベッドの横に立ち入居者の手をさすっている写真を参加者に見せながら、「ぜひ皆さんのところでも、小さいお子さんを臨終の場に居合わせて欲しいと思います。子供達は『人が亡くなっていく』というのをみたことがないのでなかなか寄りつきません。だけどちゃんとアドバイスをするとそばに来てくれます。この子も足をていねいに拭いて、靴下を履かせてくれました」と、幼少の頃から看取りの機会に触れることが、施設でも大切だと呼びかけました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その11)

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 次に市原理事長は「誰に看取ってもらいたいか」という話を始めました。「看取りの主人公は家族だと思います。もちろん家族がいない人もいます。だったら例えば皆さんだったりするかもしれません。そういう意味では家族にかわる”疑似家族”です」と述べた上で、「私は”病院での死”と”在宅での死”とでは質が違うとこの頃思っています」と切り出し、次のように説明しました。

 「病院ではモニターがついています。モニターに血圧や心電図がデジタルで表示されていますよね。家族はそれをじーっと見ています。『看取った経験があります』と言っても、”デジタルで死ぬまでのプロセスがわかった”ということです。それに対し在宅だとモニターはありません。そうするとどうやって看取っているかというと、手を握ったり声を掛けたり、身体をさすったりしてアナログで看ています。アナログの看取りというのは”五感”です。自分の五感を働かせて、その人のそばにいるということです。そういう意味では私達は家族が悔いなく看取れるように支えていくことが必要なのではないかと思います。遠くにいる家族にも『今こういう状況ですよ』とメールで日々お知らせすればいいわけです。そうするとご家族が来られなくても状況が共有できます。そうしていくと家族が『どうしてこういうことになったんですか?何かあったんじゃないですか?』と言うことはありません」。

 このように在宅で看取りを行うことは、大切な人の死を通して、初めて人間関係が豊かになるとともに、「死」から「生きる」ことを学ぶことにもつながると説いた市原理事長は、家族が悔いのない看取りが出来るように支え、その時間と空間を提供する事が大切であるとして、「看取りの支援と補完」の重要性を参加者に力説しました。

 また「尊厳死は、日々の生活の延長線上にある」というスライドを示した市原理事長。「毎日毎日の延長線上の最後が『その人が亡くなった日』ということになります。従って『はい、ここからが看取りです』というのがはっきり始まるわけではありません。そこまでのプロセスだと思います」と述べたのに続き、日本医師会と産経新聞社が共催で地域の医療現場で長年にわたり、健康を中心に地域住民の生活を支えている医師にスポットを当てて顕彰する「第2回赤ひげ大賞」を平成26年に受賞した滋賀県の小鳥輝男医師の「幸せな最後」という言葉を紹介しました。

「幸せな最後とは」

〇自宅で家族に見守られ静かに逝く、に尽きるでしょう。

〇孫やひ孫が走り回り、家族は逝く人をダシに酒を飲みつつ、思い出話に花を咲かせる。

〇おい、もうそろそろだの声で皆が枕元へ。

〇かかりつけ医が往診してきて脈をとり「ご臨終です」

〇皆が悲しみの心の中に「ホッ」との安堵感が

〇涙はあるが笑顔になる。

〇昔はみんなこうだった

(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その10)

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 「介護職というのは専門性があって、すばらしい仕事だと思います。なぜかというと、24時間その人のことをずっとみているのは介護職です。訪問看護や医者は週に1回だったり、1日のうち30分だったりと、スポットでしかみていません。それをずっとみているのが介護職ですから、『ちょっといつもと様子がおかしいな』、『昨日より顔色が悪いよね』と気づくのは介護職ですよね。そして気づいたら医療職に上手につなげていかないと、看取りがうまくいきません」と、認定特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎の市原美穂理事長は、看取りケアを行う上で、介護職の役割が非常に重要であることを話し始めました。

 そして、「一人で判断するのではなく、”ほうれんそう”と言うとおり、”報告”、”連絡”、”相談”をして、的確な情報を医療につなぐという専門性が、これからますます介護職に必要になってくると私は思います」。と続けました。

 「かあさんの家」では緊急の事態のために電話の横に、「緊急時の報告シート(S/B/A/R)」を備え、用いているそうです。これは(1)Situation(状況):「今(    )さんが(   )です。」、気づいたことや気がかり、不安なことなど。(2)Background(背景):熱、血圧、脈、食事、水分、排泄、表情など。(3)Assessment(判断):「私は(安定・悪化・緊急)思います。今(    )しています。」、(4)Recommend(提案):訪問看護師さんへ、主任へ。「指示を下さい(内容:   )」などの内容について記載し、看護師に報告するもの。看護師はそれを受けて必要な判断、行動をするわけですが、「病院のように24時間ずっと医療職がいるわけではありません。介護職がきちんと状況を伝えなければいけませんし、それが今後介護職に求められる専門性だと思います。そういう意味では医療的センスを磨くことが必要になってきます。生活のリズムを整えながら『ちょっと気になるな』ということを『まあいいか』にしないことです。ちょっとでも気になることがあれば、すぐに伝えることが大事です。それを繰り返すことで医療的センスが磨かれていきます。そして医療的センスはは観察することでしか磨けません。本を読んだり、教室で話をきたりしても磨けません」と、「かあさんの家」での手法を交えながら、今後介護職に医療的センスがますます求められることを繰り返し強調しました。

 一方看護職については、「介護職がどこまでできるかを見極めていかないといけません。看護職が何でもやってしまうと、介護職は手を出さなくなってしまいます。すると介護職は育ちません。ですから”do“よりも”be“です。訪問看護師の皆さんは、介護職の人達をチェックして欲しいと思います」と述べ、「いずれみなさん亡くなります。ですから到達点(看取り)を見据えて、それから”今の時間をどう過ごすか?”というふうにみないと、ここが全然わかっていなければ不安です。『この人はいずれ亡くなる』という到達点を見据えての介護、看護が必要になるのではないかと思います」と、看護と介護の一体的な支援体制が「最後まで普通に暮らすこと」を支えることにつながるという市原理事長の話を聴きながら、参加者は自らの立場と、現在の利用者への関わり方を振り返っていました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その9)

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 「”病気や障害を持っていても、その人らしい尊厳性を保持しつつ、生活者として普通に暮らすことを支える医療と介護”の連携のあり方」について市原代表は「看取りケアをするのに介護だけでは無理で、医療が必要です。医者でなければ死亡診断はできませんよね。死亡診断をきちんとつけてもらうためにも医療は必要です」と参加者に語り始めました。   

さらに「doing being」というスライドを示し、次のように説明しました。

 「フォーマルサービスに医療保険、介護保険がありますが、生活を支えるのにはそれだけでは足りません。インフォーマルサポート、つまり家族に代わっての生活支援が必要です。”doing“というのは、ケアをすると介護報酬があり、医療を施すと報酬があるというように、やったことへの対価があります。それが”doing“です。今の日本の社会は全部”doing“になっています。『これだけお金を払ったら、これだけのことをしてくれますか?』という感覚が一般の人に強いわけです。でも本来、その人が家にいるときには”doing“じゃないですよね。お母さんが作ったご飯を食べたから『はい、いくら下さい』という家はないと思います。”一緒にそこに暮らす”ということがやはり”暮らしを支える”ということの中心にあると思います。これは”being“の世界です」。

 そして、かあさんの家を中心として、主治医(在宅療養支援診療所)、訪問歯科、がん専門病棟などの医療機関、ケアマネージャー、介護ヘルパfsー、デイサービス・デイケア、訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴、福祉用具などのフォーマルサービス(医療保険、介護保険)と、かあさんの家スタッフ(介護ヘルパー)、家族会、音楽療法、アロママッサージ、学生ボランティア、見守りボランティアなどのインフォーマルサポート(家族に代わるものとしての生活支援)がそれぞれ連携を取り合いながら入居者とその家族を支えていることが、図を用いて説明されました。

 「かあさんの家」で連携している事業所には(1)主治医(6医療機関)、(2)訪問歯科医(2医療機関)、(3)訪問看護(8カ所)、(4)ケアマネージャー(5事業所)、(5)訪問リハ事業所)、(6)訪問入浴(2事業所)、(7)福祉用具(5事業所)、(8)通所サービス(3事業所)、(9)訪問薬局(3機関)、(10)(訪問マッサージ(2事業所)・・・があるとのこと。「『かあさんの家』は1件あたり入居者5人、4箇所で20床です。それにこれだけ医者や看護師、事業所などがあります。こんな病院は日本にはありませんが、これが地域包括ケアです。『地域でみる』ということです」と強調し、「かあさんの家」に医師、歯科医、訪問看護師、福祉用具業者、ケアマネージャー、介護ヘルパーが集まり、入居者や家族と一緒に今後の支援の進め方などを話し合っている、とある夜のカンファレンスを撮影した写真がスライドで紹介しました。多職種で生活を支えている実際の様子を目の当たりにし、参加者は胸を打たれていました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その8)

 つづいて市原理事長は「死は敗北ではなく、物語られるいのちを充実できないことが敗北なのではないか」というスライドを示しました。2012225日、著書『超高齢社会の医療のかたち、国のかたち』(出版:グリーン・プレス)などで知られる国立長寿医療研究センター名誉総長の大島伸一先生を招いて開いた講演会の中での大島先生の言葉とのこと。市原理事長は次のように説明しました。

 「今までの医学モデル、病院は、治る病気に対応してやっています。特定の治療技術を持った専門医師が病院にはいます。だから原因を見つけて、そして治療して治るところなのですが、たぶん高齢者の施設の方は慢性疾患でもう治らないですよね。それ以上良くなって元気になり、家に帰って自由に生活ができるという方はいらっしゃらないと思います。だったら病気や障害を持っていても、その人らしい尊厳を保ちながら生活者として普通に暮らすことを支える医療と介護がこれからは必要ですよ、と大島先生はおっしゃっています。大島先生は生体肝移植大家で、最先端の医療をやってきた方が、『高齢者にはそれはいらない』とおっしゃっています。そういう意味で”暮らしの中で支える医療”ですよね」。

 さらに、全国に先駆けて24時間365日対応で「人生の終焉までを支える」在宅医療をスタートさせた医師の太田秀樹先生が『かあさんの家10周年記念誌』に寄せたメッセージを引用し、「自然科学としての医学は病気を治す技術を高めて長寿社会に貢献してきました。でも加齢に基づく不都合を抱え、だれかのお世話にならないと生活がままならない人たちが増えています。その人達の健康課題は、病院を中心とした従来の地域ケアシステムのなかでの解決がむずかしく、むしろ病院に頼りすぎた結果、病気の治療には成功しても、生活者として社会的機能を失うことになりかねないのが現状です。人生の仕上げともいえる最期のステージを、医療に支配されたまま暮らすことが幸せでしょうか。もちろん療養生活に医療の力は必要です。しかし、あくまでもその人らしい生活を優先して、そこに適切な医療を過不足なく提供し、日々の生活を支える医療と介護が一体となった支援が必要です」と続け、医療と介護が連携してその人の尊厳ある暮らしを支えていくことが重要だと訴えました。

 このことを踏まえ、講演は「それではどのように医療と介護を連携していくか?」という話に入りました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その7)

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 「それでは『どうやって普通に暮らすのか?』というのを見ていただきたいと思います」と、認定特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎(HHM)の市原美穂理事長は、一旦話しを区切り、スクリーンにビデオを流しました。

 これはNHKの福祉情報番組「ハートネットTV」で201366日に放送された「最期の日まで宮崎・ホームホスピスの日々」。「かあさんの家」で暮らす入居者とその家族、そして穏やかな最期を過ごしてもらおうと昼夜を問わず奮闘する市原理事長やスタッフに密着した番組。「人はどんな最期を迎えることが幸せなのか?」という視点から看取りのあり方やその意味を見つめ直した内容で、市原理事長や「かあさんの家」の実際の取り組みの様子がよくわかる、大変素晴らしい番組です。

 この番組の概要はNHK福祉ポータルネットhttp://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2013-06/06.html)に取り上げられており、さらに詳しい内容は「番組まるごとテキスト」(http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2013-06/06.html)で紹介されていますので、是非ご覧下さい。

 また、ホームホスピス宮崎のブログ「ぱりおん」http://blog.canpan.info/hhmiyazaki/)では、ホームホスピス宮崎の日々の取り組みの様子が逐次紹介されていますので、併せてご参照下さい。

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 続いて市原理事長は「尊厳とは」というスライドを用い、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする」とうたった日本国憲法第十三条を示して、「尊厳死の問題、子供の貧困の問題などの問題が世界中で起きていて、『個人を尊重される』ということは努力していかないとむずかしい時代になっていると思います。私は『その人がその人らしくあること』が尊厳だと思います。それは普通の生活を送る中で、平凡だけど、共に暮らす人がお互いに喜びや辛さもみんなで分かち合って、気遣い合って暮らすことだと思います」と言い添えました。

 このような考えに基づき、「かあさんの家」で普通の、そして尊厳を保たれた暮らしをしながら、最後を看取った入居者3人の事例が紹介されました。最初は脳死と判定され、「死んでいるのと同じです」と言われたものの、「母はわかっています。月の砂漠を聴かせると涙が出ます」という娘の気持ちをくんで「何も分からないのではない。一人の人としてかかわること」という共通認識のもとでケアに当たった事例。次に、「人工透析をしなければ、あと数ヶ月だろう」と説明を受けたものの、本人も家族も透析を受けず、延命治療も希望しないことを確認し、「病気(腎不全)は治らず、障害はあるけど、普通に暮らしたい、自分でトイレに行きたい」という要望に応じ、排泄の援助や食事の工夫、感染症予防の徹底を行いながら、22ヶ月の間普通の暮らしを送り、穏やかに息を引き取った方の事例。そして最後は県南から入居された末期の肝臓がんの方。強い帰宅願望を訴えられた際に、「一期一会、この時を逃してはいけない。『計画をしましょうね』などとやっていては、この人は間に合わない」とすぐに家族に連絡をし、看護師同伴で帰宅を実行、最後は家族に見守られながら息を引き取った事例でした。

 これらの事例の中で市原理事長は、介護の力、介護の工夫が重要であることを強調。それぞれの人の人生に物語があり、どんな事があって、どんなふうに輝いていたのかを聞き、それを踏まえた介護をしていくことが大事であるという市原理事長の話すひとことひとことを、参加者は真剣な表情で聞いていました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その6)

 このように、看取りを取り巻く現状や将来的な課題を説明した後、市原理事長は宮崎市内に4箇所あり、自ら管理者を務める「かあさんの」の事例を紹介しました。

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 「かあさんの家」は介護保険制度には該当しない「在宅」。「自宅で一人で暮らせなくなった」、「家で介護する人がいない」、「医療の依存度が高くて、病院でも施設でも看られない」など、どんな状況や条件の人でも、どんな病気の人でも断らず、短期でも泊まりだけでも、また食事だけでも利用できるよう、制度の枠を超えて対応できるようにするとともに、住み慣れた地域や家にできるだけ近い環境ですごしてもらいたいというもので、言わば「自宅ではないもう一つの家」。

 「一人で自立して暮らせなくなったら、できるだけ環境の変化がない所に住み替える」という「リロケーション(RELOCATION):住み替えること」によって住居環境の連続性を重視する「かあさんの家」。具体的な仕組みとしては、「ケア付きの下宿屋さん、ルームシェアして暮らす」、「『家』・・・在宅医療と在宅介護サービスを使う(外付けで他事業所とチームケア)」、「『気配で感じる空間』:ナースコールは無く、音や気配がするとスタッフが対応する」・・・などがあることがスライドに示されました。「”一人暮らし”から”とも暮らし”へ」という考えに基づき10年前に空いている民家を借りてスタート。共同利用者5人が「ちょうどいい気配を感じて」暮らしているそうです。

 入居者がその家の主人なので、市原理事長も玄関に入る際「ごめんください」と言って靴を脱ぎ、入居者は「いらっしゃい」と迎え、「気をつけてお帰り」と見送るとのこと。入居者やスタッフが疑似家族になり、「ちょっとした庭があり、日当たりがよく、人が住んでいた住宅」という「普通の家の環境」で「普通に暮らす」ことで、それまで問題行動があった方も入居して2週間もすると落ち着かれるとのことでした。

 そして、「どこで」、「どのように」、「誰に看取ってもらいたい」という3つのキーワードのもと、「かあさんの家」は「最後まで普通に暮らすこと」を支える「かあさんの家」で、「朝起きて顔を洗い、食事をする」、「気持ち良く排泄をして、ゆっくりお風呂に入り、安心して眠る」など、入居者(病気はあっても”病人”ではなく”生活する人”)が、普通の生活を送っている様子がスライドで紹介されました。

 「かあさんの家」の入居者の平均要介護度は4.6。「食べることは生きる意欲を引き出す」として「高齢者ソフト食」を導入。みんなで楽しく食卓を囲んでいる様子に、参加者は釘付けになりました。このほか「日常の生活を整えることが大事」として、口腔ケアを継続することで誤嚥性肺炎による熱発が減少し、居室のにおいがしなくなったり、それぞれの入居者に応じた排泄ケアを実施することでオムツの使用量が半分になった事が紹介されたほか、生活の中でリハビリに取り組むために寝たきりにせずに普通の椅子に座ってもらったり、なるべく眠剤を使わない睡眠のケアを行っている、などといった説明を、参加者はメモを取るなどして聞き入っていました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その5)

  

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 開口一番、「『人生の幕を閉じるとき、どこで、どのように、誰に看取ってもらいたいか?』皆さんも自分のこととして考えてみて下さい」と市原理事長は参加者に問いかけました。そして「『住み慣れた自宅で過ごしたい』、『最後まで口から食べたい』、『延命治療はせず、自然に生を全うしたい』、『家族に看取ってもらいたい』と皆さんだいたいおっしゃいます。だけど今の社会はそれがなかなかそうはいかない現状です」として次の点を指摘しました。

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【最後まで家で暮らしたい・・・、家で看取ってやりたいけど・・・】

〇急性期病院は→治療の対象でなければ入院できない。高齢の場合、がんの治療はできても、環境の変化でADLが低下してしまい、家に帰れない。

〇緩和ケア病棟は→がんとエイズに限られ、高齢でがんになり、認知症があると入院の優先順位が下がる。

〇介護施設は→年齢や障害の程度に限度(介護度)。医療的な依存度が高いと入居条件に合わないと敬遠される。

〇自宅は→老老介護や一人暮らしが増えていて、介護力が弱くなっている。

〇家族は→看取ってやりたいが、遠方に暮らしている。別世帯で、昼間は仕事で介護できない。看取りの経験がなく、何かあった時不安。

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 日本の人口構造の変化をスライドに示しながら、1人の高齢者を2.6人で支えている現在社会構造は、少子高齢化が一層進行すると2060年には1人の高齢者を1.2人で支えるようになると想定されていると説明。その上で今はほぼ9割の人が病院などで亡くなっている現状に触れるとともに、超高齢社会で今後亡くなる人が増えることなどをスライドに示しながら、「『私たちはどこで亡くなるのか?』という時代に入っています」と述べ、介護施設などの充実が必要だとしました。

 このようなことから、「『病院でなければ死んじゃいけないのか?病院でなければ死ねないのか?』と思っている人も増えています」と説明した市原理事長は、そのもう一つの背景として、「老化に伴って自然に亡くなる方のモデルが身近になくなった」ことをあげました。「『病院じゃないと心配だ』という人がいます。『栄養がない状態になったら心配だ』とおっしゃ方がいます。だけど亡くなるとき、栄養は無くなります。死ぬときは栄養を吸収できない身体になっていきます。そういうモデルが身近にないために、病院で亡くなることが一般化してしまっています。『家で看取ってやりたい』と思っていても、いざ急変すると救急車を呼びます。それは『ともかく命を助けて下さい』とお願いすることです。そうすると本人が『最後まで家で暮らしたい、延命治療はしたくない』と思っていても、病院で最後を迎える可能性が高くなります」と、”どういうプロセスをたどって死に至るか?”がわからないことから来る不安が、「最後まで家で暮らしたい」、「家で看取ってやりたい」という希望があるにもかかわらず、病院で最後を迎えることにつながっていると指摘した市原理事長は、さらに「これは家族だけでなく、施設の若い職員にも言えます」と述べ、人が亡くなるプロセスを前もって理解しておくとともに、本人に「最後をどうしたいのか?」と意思を確認しておくことが、本人や家族の想いに沿った看取りケアにつながることを強調しました。

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(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その4)

 看護・介護研究部会主催の「高齢者施設での看取り」研修会。症例報告に続いて、認定特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎(HHMの市原美穂理事長による講演「高齢者の看取り・尊厳死とは …ホームホスピスかあさんの家の実践から…」がありました。

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 市原理事長は昭和62年、ご主人が宮崎市中村東に開業された「いちはら医院」で、医療現場の裏方として携わっておられます。平成10年にホームホスピス宮崎設立に参画。同14年に特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎の理事長に就任、同16年に「ホームホスピスかあさんの家」を開設、現在宮崎市内に4箇所ある「かあさんの家」の管理者を務めておられます。

 著書にはその体験などをつづった共著「病院から家に帰るとき読む本」(図書出版木星舎・編著)、そして「ホームホスピスかあさんの家のつくり方」(図書出版木星舎)などがあります。

 これらの功績が認められ、平成18年には「毎日介護アフラック賞(主催:毎日新聞社)」、同20年に「社会貢献賞(同:社会貢献支援財団)」、同21年に「新しい医療のかたち賞(同:医療の質・安全学会)」をそれぞれ受賞されました。

 また「宮崎をホスピスにプロジェクト」の代表や宮崎大学医学部非常勤講師なども務められている市原理事長。この日はそんな大変忙しい中を縫って講演に駆けつけて下さいました。

「患者とその家族が安心して、望む場所で望むように生の終わりを全うできるために、地域のかかりつけ医と協力して支え援助する”人と人”との関係作り(同法人旧HpHHMの目指すもの』より)」に尽力されている市原理事長の取り組みや、看取りに対する考え方が聞けるとあって、満席となった会場は熱気に包まれました。

「私が今日みなさんにお話しするのは『看取りや尊厳死をどうやったらいいか?』といった方法論やマニュアルではなく、心構えです。皆さんも自分自身のこととして考えていただけたらいいと思ってお話しします」と優しい口調で語り始めた市原理事長の講演に、参加者は引き込まれていきました。

(つづく)

「高齢者施設での看取り」学びました(看・介部会:その3)

 次の症例報告は介護老人保健施設ひむか苑の渡邉愛子さんによる「ひむか苑における『看取り』の実際」。施設の紹介、そして20124月から看取りの対応を強化する観点から算定要件と評価が見直されたターミナルケア加算の概要について触れた後、同苑でこれまでに行ってきた看取りの取り組みが報告されました。

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 同苑では平成236月に「看取り」プロジェクトチームが発足、翌244月に「看取りケアマニュアル」を作成、同5月に全職員を対象にした看取りの研修会が行われ、同10月に1例目の看取りが行われたそうです。今回の症例報告は、一人の女性入所利用者(Aさん)が永眠されるまでに実施された看取りの様子が紹介されました。

主治医から家族への「回復の見込みはないと思われる」という説明が行われ、家族の理解、納得、承諾を得た上で、同苑の看取り指針に従い本人や家族に配慮したケアが進められました。「環境」、「栄養食事」、「排泄」、「清潔」、「精神的支援」、「医療・疼痛緩和」などを盛り込んだ「看取り看護・介護計画書」を作成。徐々に状態が落ちてくる様子を克明に観察、記録し、医師がその状況を丁寧に説明。看護師も家族の不安や意向に耳を傾け、「看取りを希望される利用者、家族の支援を最後の時点まで継続することが基本であり、それを完遂する責任が施設およびその職員にはある」という考えのもと、(1)観察しやすいホールに近い個室で対応、(2)看取り期のケアプランを職員全体で共有、(3)医師、栄養士、リハスタッフ、相談員など多職種と機会あるごとに情報共有し連携をはかる、(4)家族への密な情報提供、(5)家族に正しい情報を伝えられるように記録をしっかりすること・・・などといった関わりが続けられていきました。

そして家族に見守られながらAさんは永眠。正面玄関で大勢の職員が見送る中、家族からは「本当に大満足いい人生でした」と笑顔でお礼の言葉があり、さらに後日「今度は私がここでお世話になりたいくらいです」とも言われた渡邉さん。「亡くなれば裏口からひっそりと見送られる病院と、表玄関から多くの職員に見送られる施設と、あなたはどちらがいいですか?」と会場を見渡し問いかけました。

 「看取りケアは特別なことではなく日常的なケアの延長線上にある」として、住み慣れた場所で、馴染みの職員に囲まれて尊厳と安楽を保ちながらやすらかな終末を迎えられることを目指し、職員が連携して取り組んでいるひむか苑の看取りケアの症例報告を、参加者は興味深く聞き入っていました。

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(つづく)

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