ピザが辛くてカレーがピンチ?

 1028日の朝日新聞の見出しを見て、

「はあぁーっ?(_😉?」と首をかしげてしまいました。そこには“英のカレー ピンチ ?辛すぎるピザ 「本場」シェフ不足?”とあったのです。

 「ピザがからいと、どうしてカレーがピンチになるというのだろう(?_?)。そりゃあ、たしかに甘口もあるにせよ、『カレーがかれー』という古典的なダジャレがある通り、カレーは辛いものと相場が決まっていて、その辛い食べ物チャンピオンの座をピザにとって代わられようとしている、とでもいうニュースなのか?」と不思議に思いながら読んでいくと、どうやらそうではないことがわかりました。

 イギリスがとる移民規制のあおりで、本場インドから調理人を呼びにくくなり、同国の国民食となったインド料理に危機が忍び寄っている、とのことでした。さらに読み進めると、イギリス政府は「2008年、欧州連合(EU)加盟国外からの労働ビザ申請に対し、学歴や収入、職種を点数化。一定の点数以上について発給を認める制度を導入」し、ビザの発給条件が厳しくなったことから、飲食店が本場の調理人の確保に苦労している、という内容でした。それで見出しを見直してみると、“英のカレー ピンチ ?辛すぎるビザ 「本場」シェフ不足?”となっていたのです。

ナンテコッタイ?(o)/!「ピザ」じゃなくて「ビザ」だったんですよ、「ビザ」!いわゆる入国査証です。ビザの発給条件が辛口(からくち)になり、インドからシェフが来辛く(きづらく)なった、というのが事の真相でした。とんだ勘違いに、一人赤面してしまいました。しかし、「ビ」と「ピ」を間違えたおかげで、懐かしい事も思い出しました。

今から四半世紀くらい前、ファミリーコンピュータ、いわゆるファミコンのロールプレイングゲームなどでは、ゲームを途中でやめるとき、「あぎのねほ るいもやて ぽぐさへぶ をわぴろじ んでよえご・・・・・」などという、何の脈絡もないひらがなが続くパスワード、というか呪文をメモしておかなければ、中断した所からゲームを再開することができなかった時代があったのです。

ゲームを再開しようと、メモを頼りにそのパスワードを入力していくと、「呪文が違うぞよ!」などといって受け付けてくれないことがしばしばあったのです。原因はというと、ゲームソフトではなく、メモが違っていたのです。どう違うかというと、

(1)」を「」と間違えた

(2)」を「」と間違えた

(3)」を「」と間違えた

(3)」「」「」「」「」を、それぞれ

   「」「」「」「」「」と間違えた

などです。

 当時のテレビはブラウン管。くっきりしませんでした。だから、このような読み間違いは容易に起こり得たわけです。最初のうちは「超ショック!!これじゃあ最初からやりなおしじゃん、サイアク!」などと途方にくれることもありましたが、だんだん「これはたぶん”ぬ”が”め”になってるんだろうな」と修正したりして、ゲームを再開できるようになりました。また、パスワードの画面をビデオで録画しておいて、困ったときには”ビデオ判定”をすることもありました。懐かしい!なんとも懐かしく、そしてくだらない思い出です。

今のゲームはそんなことしなくても勝手にセーブしてくれます。ゲーム機だけではありません。現代は色々なものが便利で、しかも高性能になりました。だけどその反面、味気ないと感じることもあります。テレビやラジカセや洗濯機・・・多くの電化製品は、それが故障した時、叩いたり、時には蹴ったりすれば動くことがしばしばありました。それでも動かなければ、分解していじれば直ることもありました。それでもだめなら、「町の電気屋さん」に持っていくと、そこで修理してくれました。裏ぶたをぱかっと開けて、部品を交換したり、はんだ付けしたりする様子を眺めるのはワクワクして楽しかったです。今だと「これはもう、買い替えですね」となってしまう事が多くなりました。ちょっと寂しく感じます。

何かと面倒だったけど、長所・短所があって、味わいがあった昔のもろもろの品々たち・・・。その思い出をカレーと一緒に煮込んで食べてみたい気がした出来事でした。

祝!大山選手

 やった!やった!やりました!!宮崎出身のプロゴルファー、大山志保選手が復活V!先ごろ行われた兵庫県マスターズGCレディースで、3年ぶりの優勝を果たしました。通算12勝目。万歳です!

 2006年に賞金女王に輝き、今後ますますの活躍が期待されていたのですが、左肘の痛みに悩まされ、思うような結果が出せずにいた大山選手。その苦しみはいかばかりだったでしょうか。

 2009年末に肘を手術し、その後懸命のリハビリに取り組まれてきたとの事。あきらめずに努力を続けてきた事が、今回の結果に結びついたことと思います。「」とのコメント今まで生きてきた人生で一番幸せなくらいうれしいが、1024日の宮崎日日新聞にありました。一緒に掲載されていた写真、右の握り拳を高く突き上げているものでした。大山選手のガッツポーズと言えば、体を前、そして右にすこしかがめ、拳は上に上げず、右肘を曲げて少し控えめに”グッ”とやるものでした。それが、某有名演歌歌手の歌っているポーズに似ていることから、”五木ガッツ”と言われていましたが、今回の写真はその控えめな”五木ガッツ”ではなく、喜びを全身で表すポーズでした。

 大山選手はリハビリを通じて、身体面だけでなく、精神面もぐっとたくましくなったように思えます。あのポーラ・クリーマー選手とのプレーオフを制したのですから、本当にすごいです。老健もリハビリを行う施設。その内容や方法に違いがあるとしても、リハビリを通じて幸せになるという目的は同じだと思います。大山選手を見習って、大いにリハビリに励もうではありませんか。

 

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        おっと、この帽子・・・!?

 

 

 

 

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2006 LPGA TOUR MONEY QUEEN Shihoとの刺しゅうがありますよ。新たな年が縫い込まれた帽子、見たいと願うのは私だけではないはず。

秋寒(あきさむ)

  「秋寒(あきさむ)」を広辞苑をひもとくと「秋も半ばを過ぎる頃、特に朝夕に感ずる寒さ」とあります。また、「秋冷(しゅうれい)」とも。それがぴったりくるような昨日(26日)、そして今日の朝の肌寒さでした。天気予報では先週のうちからこの冷え込みを伝えていましたが、実際にこの寒さを感じてみるまではあまりピンときませんでした。だけど、朝起きてみて、そのひんやりした空気に触れると、「ああ、もう冬が近いのだなあ」と実感してしまいます。立冬は118日。その足音が聞こえたような朝でした。

 なお、「宮崎県のことわざ・格言」(鉱脈社)によれば、「十月はじめはそら豆作り、十月末にはエンドウ作れ」という言い伝えがあるそうですが、皆様のお近くの畑の風景はいかがでしょうか。

 とにもかくにも、利用者様はもとより、職員の皆様にかれましても、体調を崩されませぬよう、お気を付けください。

未来はやってこない!?

  アインシュタインは言ったのだそうです。「私は未来のことは考えない。未来は必ずやってくるから」と。しかし、「未来は必ずしもやってこないかも?」という研究結果が、世界の物理学者を仰天させています。

 これは、「素粒子のニュートリノが光より速い」というものです。名古屋大学などの国際実験チームがヨーロッパで実験し、測定した結果、「ニュートリノは光の速さ(秒速30万キロメートル)よりも10万分の2速い」と923日発表したものです。アインシュタインが唱えた相対性理論。「光の速度を超える物質はない」と言われて100余年、その前提で物理学がずーっと語られてきたわけですが、今になって、「それがありました」となったものですから、さあ大変。事実であれば、現代物理学を支えてきた理論を、その根底から見直さなくてはならなくなりそうです。

 そして、そして!この相対性理論によると、物体の速度が光速に近づくほど、物体にとっての時間は遅くなり、光速で動く物体は時間が止まってしまう、と言われてきたのです。それはあくまでも「光より速いものはない!!」という前提でのことです。それがこの期に及んで「光より速いものがありました」となれば、その物体は、時間をさかのぼっている、ということになってしまうのです。つまりタイムマシーンです。夢のような話ですが、この研究結果、これから世界中の学者らによって検証されていくことでしょうが、果たしてその真偽のほど、いかに出ますことやら。

 この報道を知って、筒井康隆さんの「宇宙衛生博覽會」(新潮文庫)に収められている、「急流」という短篇小説を読み直してみました。昭和54年、今から30年も前の作品です。これは、「時間の流れが早くなる」という現象が世界中で起こる、という内容です。最初は会社に5分、10分遅れる程度だったのが、加速度的に早さが増し、朝家を出たら夜会社に着いたなどはまだ序の口。厚着して冬家を出たら夏に着いて汗びっしょり。しまいには二十世紀の最後の数年があれよあれよとわずか数秒で過ぎてしまい、迎えた二十一世紀。2001年から先に時間はなかった、という、まさに筒井ワールド全開のはちゃめちゃストーリーです。

 そういうわけではありますが、とりあえず現在の私たちの日常生活において、時間というものは万人に等しく与えられているものと言えます。それなのに、「一日があっという間に過ぎた」という日と、「一日がとても長く感じた」という日があったりします。大事なのは、一日一日を、極言すれば一瞬一瞬を、いかに有意義に過ごすか、ということではないでしょうか。遠い将来はさておき、現在の科学力では、過去に戻ってやり直すということはできません。その日、その時を大切にしなければならない、と思った、びっくりニュースでした。

停電とコスモス

  1021日の未明の事でした。雷鳴が轟いていました。雨も降って、風も強く吹いていました。その光景を眺めるともなく眺めていた、とその時です。

 遠くの空が一瞬ピカッと光ったと思ったら、大淀川の左岸側の明かりという明かりが一斉に消えたのです。ぷっつりです。橋の灯りも消えてしまい、街は真っ暗闇に包まれてしまいました。

 一方、川の右岸はというと、何の異常もなく、家の灯り、街灯の明かりとも点いていて、いつもの同じ街の表情を見せていました。

 川を挟んで、日常と非日常が向かい合っているその光景は異様でした。と同時に、普段は水や空気のように、あるのが当然と思っている電気の存在の有り難さを再認識させられました。特に今年は、節電への取り組みが叫ばれている最中。電気を大事に使わなければならないと思いました。

 それから何時間かが過ぎて、明るくなってからの事です。花壇のコスモスが、一本残らずも横倒しになっているのを見ました。激しい雨と風にやられたのです。実はその前日、やっと一輪だけ開花していたのです。「これからどんどん咲いていくね。写真を撮ろうか」などと話していたばかりだったのに、明けてみたら全滅です。ショックでした。しかし、その後のニュースで五ヶ瀬川のアユやなが濁流に流されてしまったり、落雷による火災が発生した事などが報じられ、事態は菜の花云々どころでは無いことを知りました。

 自然災害の恐ろしさを思い知らされる昨今です。それに加えて、人工衛星が落ちてくるかもしれない、なんてことまで心配しなければならない時代になってしまいました。文字にすればたった二文字の「安全」。しかし、絶対の安全というものは、なかなか保障されるものではないのだ、と思わずにはいられない出来事でした。

熊!?

  「老猿」(徳間書店)は、宮崎県出身の作家、谷克二さんの作品です。

 県北の山村で子供が猿に殺された。それを片目の猿の仕業とするその父親五平と村人達。しかし、長年の経験で猿が人を殺さないと知っている老猟師の伊助。「山ン人(=猿)は撃てない」と退治の依頼を断る。子供を襲ったとされる片目の老猿は、かつて山火事の際、伊助にしがみついて命を救われた子猿。子供のいない伊助夫婦は実の子のような愛着を覚える。駐留軍も駆り出して山狩りが行われる事を知り、猿を自らの手で「山に返す」事を決意する伊助・・・。  

 山に生きる人と動物の厳しさ、そして愛情を織り込んだ名作です。

 

 その谷さんも、さぞかし驚かれているのではないでしょうか?九州には生息していないと思われていたクマ。そう、「熊」です。それが宮崎にいるやもしれぬ!?というのです。1020日の宮崎日々新聞によると、高千穂町と大分県との境の祖母山で、クマらしき動物が目撃されたというのです。同紙は22日にも専門家のコメントが載せられており、立ち上がる動作や、うなり声などから、クマ類であると推定されるとのことでした。これは穏やかではありません。豊かな山の経験と知識を持つ老猟師伊助でも、「九州にクマがいるはずはない!」と憤っていることでしょう。

 いずれにせよ、今後の確認作業はもちろん、何よりも注意が必要です。

 

 ところで、この「老猿」という本には、書き下ろしの「黒潮」という作品も収められています。

 舞台は日向灘に面した県北の漁師村。腕の良い漁師だった父を戦争で亡くした勉が、幼なじみの綾子に恋心をいだきながら漁に励む。網元の息子、健太郎に綾子との仲を邪魔されそうになりながらもくじけない。嵐の晩、鎖が切れて流された浮き灯台。その明かりが「港はこっちよ」と誘い示すその先は、そびえ立つ馬ケ背の岩壁。そうとも知らずに進む、浜の村人を乗せた船。危ない!あの明かりを消せ!みんなを救え!命がけで荒れ狂う海に出る勉と、帰還兵で鉄砲の名手、岩佐。あーっ、この結末やいかに・・・!?

 これまた素晴らしい作品!もうたまらんです。この本はまず「老猿」があって、そして「黒潮」が続くのですが、この組み合わせ、そしてこの順番が、二つの作品の魅力をそれぞれに高め合い、一冊の本として見事に完成していると言えます。宮崎県はこんな素晴らしい作家を世に送り、こんな素晴らしい作品がある。一県民として、一読者として、嬉しく、そして誇らしくなるような一冊です。

 

 だからと言って、間違っても「宮崎熊物語」などといったノンフィクションが書かれるような事があっては困ります。心配です。今後、より正確な情報収集と、対策が急がれます。

人生はマラソン

 さすがに10月18日の宮崎日々新聞には驚きました。インド系英国人のファウジャ・シンさんという男性が、フルマラソンを8時間25分16秒で完走したというのです。何と百歳!!文句なしの最高齢世界記録です。
 1キロのペースは11分58秒ちょっとという計算になり、これはほとんど歩くようなスピードですが、年齢が100歳となると、そんなことは問題ではありません。若い人でも完走できるとは限らない42.195キロという道のりを、三桁の年齢の人が自分の脚力で移動したというのですから、これはすごい!の一言です。拍手です。
 市民ランナーを対象にしたほとんどのマラソン大会では、各年代ごとで順位が決まり、表彰されるようになっています。そしてその区分は20歳未満、20代、30代、40代、50代と続いたあとは、「60歳以上」とひとくくりにされることがほとんどです。高齢社会におけるマラソン大会を考えるとき、これではいけないと思うのは、私だけでしょうか?70代、80代、でもって90代、そして100歳以上、という区分を設けるべきではないでしょうか。
 今や未曾有のマラソンブーム。若い人達もたくさん走っています。このブームが続けば、マラソン大会も60歳以上のランナーが過半数となるような現象が、近い将来訪れないとも限りません。それだけ健康な高齢者が増えるのは喜ばしいことですが、60代と90代、ましてや100歳が同じカテゴリーで走るのは少々厳しいのではないかと思います。
 むろん、速く走るだけがマラソンではありません。色々な大会や集まりで長年健脚を競い合っているマラソン仲間と、楽しく、健康的にゴールを目指すような大会が増えると、それが生き甲斐になることでしょう。「人生はマラソン」と例えられることもよくありますが、たくさんの人が「マラソンが人生」と胸を張って言えるような時代の到来を待ち焦がれたくなるようなニュースでした。

「朝活」流行っている、らしい。

  1017日付の日経新聞によると、「朝活」が急増しているらしいです。これは、出勤前の早朝に勉強会などに参加して、業種や世代の違う人と交流し、人脈を広げたり、スキルアップにつなげたりする活動とのこと。みんなで朝食を食べながら、政治や経済、スポーツなど、色々なテーマについて発表、議論するらしいです。

 それだけに限らず、学習系、健康系、趣味系、仕事系、情報収集系、奉仕系、など、いろいろな集まりや、活動内容があるようです。なんだか健康的で楽しそうですね。

 バブル全盛期だと、そういうわけにはいかなかったでしょう。特に都市部では、アフターファイブになると食べたり、飲んだり、踊ったり。まさに「酒池肉林」のお祭り騒ぎが連夜繰り返され、帰りはいつもタクシーで午前様。早起きとは無縁の生活という人も少なくなかったのではないでしょうか。

 この「朝活」、若手ビジネスーパーソンの間で広がっているとのことですが、宮崎でも流行っているかどうかは定かではありません。いずれにせよ、早起きはいいことです。もっとも、老健の業務は24時間態勢。早出、遅出、夜勤など、様々な勤務態勢で成り立っていますが、業務に取りかかる前の時間を有効に使う、という事が重要なのではないでしょうか。業務の後だと、予定外の用事が入ったり、疲労困憊になって、せっかくやろうとしていた事ができなくなりかねません。これに対して仕事の前だと、仕事後に比べて、習慣化しやすいように思えます。

 ちょっと前の本ですが、野村正樹さんの書かれた「朝・出勤前90分の奇跡」という著書があります(PHP文庫)。余裕を持って起床することで、数々のメリットがあることが紹介されていました。90分というと、大学の講義一コマ分。けっこうたっぷりあります。秋は色々なことを取り組むのによい季節。出勤前の時間を有効活用してみてはいかがでしょうか。

老齢は山登り

  「老齢は山登りに似ている。登れば登るほど息切れするが、視野はますます広くなる」と言ったのは、映画監督のイングマール・ベイルマンだそうです(出典:斎藤茂太「いい言葉はいい人生をつくりる」、成美文庫)。うべうべしきことです。

 百歳の詩人、柴田トヨさんの詩集がベストセラーになっています。百歳という高い頂から眺めた今の世の中はどう映っているのでしょう。表題作にもなった「くじけないで」という作品の中で詠んでいる、「私 辛いことがあったけど 生きていてよかった」という言葉、ずしーんと来ます。

 老健の利用者様から教わることの中にも、時としてものすごい重量を感じることがあります。いつも早食いをされる方がおられたので、それはなぜか?と調べてみたところ、「兵隊にいた時の食べ方が身に染みついているから。いつ死ぬかわからないので、早く食べなければならなかった。いつも命がけで食べていた」という事がわかりました。食べるという行為は、第一義的に生きるためである、という食の本質をどすーんと再認識させられた出来事でした。

 生きとし生けるものは全て、人生というそれぞれの山を登り続ける宿命です。生きている限り、決して下ることはできない。だからこそ、自分より上を登っている人に、上の天候を聞いたり、危険な場所とその乗り越え方を教えてもらったり、必要な道具や心構えを問うたり、そして何よりも、上から眺めた景色がどれだけ素晴らしいか?たとえ辛いことがあるにせよ、人生という山を登ることが、どれだけ楽しく、魅力に溢れているか?それをお聞かせ願いたいと思いました。

モッタイナイ

  925日、ワンガリ・マータイさんが亡くなられました。2004年のノーベル平和賞受賞者。アフリカ全土で植林活動を行った、ケニア出身の環境保護活動家。特に、「世界に『モッタイナイ(もったいない)』を広めた人」として、日本人には馴染みが深い方だったのではないでしょうか。享年71歳、まだ早いのでは・・・このこと自体、「モッタイナイ」と、残念な気持ちになりました。

 この報道を聞いている時、部屋にあったこんなものが、目に入りました。

 

DSCN1238.jpg(一定の年齢以上の方だと、「あっ!あれだ!!」とわかるのでは?)

 

 

 「オリンパスペンD2」というカメラです。「オリンパスペン」シリーズの中で、Dシリーズは最上位に位置づけられています。発売は1964年、今から47年も前ですが、今でもちゃんと撮ることができる、現役バリバリのカメラです。

 この「ペン」シリーズが世に出たのは1959年。レンズは高性能のものを用いながら、他の部分についてはコストダウンをはかり、安くて小さいのに高性能!と、それはそれは大評判だったそうです。

 

 それはそうと、この「ペン」のどこが「モッタイナイ」と関係あるのか?というと、このカメラの最大の特徴ともいえる、「ハーフサイズ」という構造にあります。これは、フィルム1枚分で写真2枚が撮影できる、というお得な仕組みです。したがって、24枚撮りフィルムなら48枚、36枚だと何と72枚もの写真が撮影できるわけです。このカメラが出た当時、写真は白黒からカラーに変わろうとしていた頃でした。カラーフィルムは高価でしたので、この「ペン」シリーズ、「モッタイナイ」の精神に基づき、フィルムを大事にするカメラだったと言えます。それでも「2倍撮れるから!」と、デジカメみたいに枚数を気にせずじゃんじゃん撮りまくるということはせず、残りの枚数を気にしながら、「ここぞ」というシャッターチャンスに集中していました。ですから、ちょこっと撮ってすぐ現像、ということはもってのほか。最後の一枚まで大事に大事に撮り終えて、それからようやく写真屋に持って行ってたものです。

  

 

DSCN1239.jpg

     (↑フィルムカウンターの目盛りが80枚分まであります!!)

 

 その一方で、「ペン」は電池が不要!今のデジカメみたいに、バッテリーが切れを心配することもありません。特に写真のペンD2は、電池無しで露出を測ることもできた優れもの。自然に優しいカメラでもあったわけです。

 このカメラで、色々な想い出を撮って来られたであろう方々が、老健を利用される時代にさしかかってきました。写真だけでなく、生活の色々な場面で「モッタイナイ」の精神を発揮して来られた人生の先輩方に、その教えを請いたいと思った次第です。マータイさんの訃報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。

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