Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その7)

001BQ8V5316.JPG

 このように「介護現場の割れ窓理論」を説明し、介護現場における感覚麻痺が生じ、それがさらに虐待につながらないためにも丁寧な言葉遣いが重要である事を説いた菊地先生ですが、これに対して異を唱える人がいるとし、次のように話し始めました。

「しかしそういうと『堅苦しい』と言われます。『我々は生活支援。利用者はそんな堅苦しい言葉を望んでいませんよ』と言う職員もうちの施設にはいたわけです。それでどういう接し方をしているのかと聞きに行ったら、普段丁寧語を使い慣れていなくて、誰かの目を気にしてしゃべろうとするからぎこちなくなるわけです。そうすると利用者さんも気を使ってくれて『そんなぎこちなくて、会話になっていないようなら今まで通りでいいから普通に話して』と利用者さんが気を使ってくれているだけなのです。どこの世界が気を使う方が気を使われる方に金を払うのか?という話ですよ」

ここまで述べると菊地先生は一呼吸置き、会場を見渡しながらきっぱりと断じました。

 「事実として言いますが、僕はここ30年以上、利用者さんに丁寧語以外でお話ししたことはありません。見学に来られた方などに、『僕が利用者さんに丁寧語以外で会話をしていたら指摘をして下さい』と言っています。『その場合はすぐ辞めますから』と言っています。ここでも宣言しておきます。辞めます。丁寧語以外の言葉は使いませんから」。

 その気骨に圧倒されたかのように静まる受講者に菊地先生はさらに「だからと言って僕が施設の中で『堅苦しくてあの人とは話しづらい』と言われていることはありません。事実として言えば、80歳以上の女性の人気ナンバーワンは僕です。日本語はボキャブラリーが豊富ですから、丁寧語を使っても別に堅苦しくはなりません。使い慣れていないだけの話です。お客様に使える言葉を普段使えるように慣れて下さい」と、コミュニケーション技術の問題として丁寧語を自らの言葉とし、使い慣れていくことが大事であるとポイントを示しました。

 また特にアルツハイマー型認知症の方の場合、「感情は最期まで残りますが、情報がたまる海馬の血流障害が起こっていて、特にエピソード記憶が障害されます。皆さんとコミュニケーションを交わし良い関係を作って、その感情は残るのですが、皆さんの顔を毎朝忘れてしまいます。名前も覚えられません。そういう障害がありますから、普段どんなに良い関係を作っていても、朝最初に会った瞬間は『知らない人』なのです。皆さんが朝出勤しようと町を歩いていて、向こうから知らない人がスピード感を持って近づいて来て、ニコッと笑って『おはよう』などと親しげにされたら嬉しいですか。女性だったら知らない男性にそのようにされたら嬉しいどころか怖くて気持ち悪いのではないでしょうか。アルツハイマー型認知症で皆さんの顔を毎朝忘れる方と施設の中で会って元気に『〇〇さんおはよう』となれなれしく近づいていくと、みんなびくびくしています。『なんだこいつは。なんで俺の名前を知っているんだ。気持ち悪いな』とおびえさせているわけです。だから認知症の人には『ゆっくり、静かに近づいて、丁寧に』と言っています」と特に注意を喚起しました。

 また今後の傾向として「これからは団塊の世代の方々がたくさん入所して来ます。この方々はもっと長幼の序(ちょうようのじょ:年長者と年少者の間の秩序)とか上下関係に厳しい人です。ですからお客様意識をもってきちっと適切な言葉で接していかないと、その人達に不快な思いや悲しい思いをさせてしまいます」と、これまで以上に顧客満足度を意識した丁寧な言葉遣いが重要になってくることを示唆しました。

 このように言葉遣いの大切さについて説明してきた菊地先生は、会場を埋め尽くした400人の受講者を見渡しながら「皆さんに贈る言葉です」と前置きし、次のようなアメリカのことわざをスライドに示し、読み上げました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「言葉は運命になる」

◎言葉に気をつけなさい、それはいつか思考になるから

◎思考に気をつけなさい、それはいつか行動になるから

◎行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

◎習慣に気をつけなさい、それはいつか人格になるから

◎人格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「皆さんの汚い言葉遣いを直さないことによって、皆さん自身が将来傷つけられるのであれば、それは自己責任だからいいですよ。だけれども、皆さん方が今この時代に介護のスタンダードを変えないで、『無礼な馴れ馴れしい言葉が親しみやすい』という都市伝説をいつまでも残して介護を続けていくことによって、将来皆さんの愛する子供や孫が傷ついたらどうしますか。どうぞ皆さん100年後の介護のために、今この時代、我々の時代に介護のスタンダードを変えていって下さい」という菊地先生の強い呼びかけに、受講者は神妙な面持ちで聞き入っていました。

002IMG_9050.JPG

←「その6」に戻る)             (つづく

Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その6)

 最近報道などでその様子が映像付きで伝えられ、社会的な問題となっている高齢者施設での虐待に関し「皆が『あそこまでひどいのは見たことがない』と言いますが、そういう時僕は質問します『それではどこまで許されるのか』と」。

001BQ8V5317.JPG

 このように話しながら、特別養護老人ホーム緑風園の総合施設長、菊地雅洋先生は「介護サービスの現場で、一番欠けている教育とは何か?」というスライドを示しながら、次のように続けました。

 「(どこまで許されるのか)線引きはできません。唯一線引きできるとしたら、我々はお客様に対してプロとしてサービス提供しているのだから、『お客様に対して接客としてふさわしい態度であるのかどうか』というところです。それを『生活支援なのだから”接客”というのを意識しすぎると壁ができて敷居が高くなる』などと言うのは言い訳にしか過ぎません。我々は適切な接客態度をもって接していかないと、(報道されているような施設での虐待と)同じようなことになってしまいます。『利用者は単なるユーザーではなく、”お客様”であるということをきちんと意識しないと、『くだけた態度で親しみやすく接する』などという言い訳で、『無礼な馴れ馴れしい態度』が横行しているのが医療と介護の世界です。元々医療の側が悪いと思いますが、それを我々介護がいつまでも背負っていかないで、介護の現場からここを改革していかないと、『支援という名の支配』がいつまでも続いてしまうと思います。『無礼な馴れ馴れしい態度』などというのは必要としません」。

 このような態度をなくすために、菊地先生は20年以上前から提唱しているのが「介護現場の割れ窓理論」。

(※「割れ窓理論(Broken Windows
Theory
)」は、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。以上『ウィキペディア』より引用)

 「『割れ窓理論』では、建物全体が崩壊し、さらに地域が荒れてしまわないように、まず『割れ窓』のできたところからひとつひとつきちんと窓ガラスを替えていきましょう、という理論です。そして介護サービスで言えばそれは『言葉』だというのが『介護現場の割れ窓理論』です」と述べ、「割れ窓理論」の実証として、地下鉄の犯罪発生率の高かったニューヨークで、その対策としてプラットホームの電球を明るく綺麗にし、車輌いっぱいに描かれていた落書きを消し続けた結果、犯罪発生率が下がってきたことを紹介した上で、「それを考えると、我々の言葉遣いをきちんと正しいものにしていく事が大切だと思います」と述べた菊地先生は、

(1)割れた窓を放置しておくと、割られる窓が増え建物全体が荒廃していく

(2)介護現場の割れ窓は「言葉」である

(3)言葉の乱れが常識ではない感覚麻痺を促進させ虐待につながる

(4)言葉を正しくすることで心の乱れをある程度までは防ぐ効果もある

4つをスライドに示し、介護現場における「割れ窓」にあたり、その乱れが利用者への虐待、ひいては施設の荒廃、崩壊につながりかねない「言葉」に関し、利用者に対する丁寧な言葉遣いが極めて重要であることを強調しました。

←「その5」に戻る)             (つづく

Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その5)

001BQ8V5313.JPG

 このように施設における悲惨な「見捨て死」について説明した菊地雅洋先生ですが「ここで考えてほしい」と会場を見渡しながら次のように続けました。

 「それではこの施設の職員がみなひどい奴で、このような放置をしたのか?というと、必ずしもそうではないということです。この入居者は5月下旬に亡くなっていますが、みなさんがもし介護福祉士の資格を取って、『これから人の幸せに関わるのだ』と志を高く持って新卒でこの施設に就職したとします。その時に働いていてまだ2ヶ月も経っておらず、夜勤にも入っていない状態です。仕事を覚えている最中で初めて看取り介護の人がいて、『どうやって看取るのだろう』と思ったら、管理者から『いやいや、”看取り介護”というけれど、医者も家族も特に望んでいることなくて、”何もしなくていい”と言っているのだから、ただ死ぬのを待つだけで、特別なことをしなくてもいいよ。体位交換もしなくていいし、口からものを食べないのだから口腔ケアもしなくていいよ』と言われたら、『ああそうか』と思ってしまいませんか、という話なのです。だからこの施設の職員達は、この状態が悪い状態だとか異常だと思わず、『これが看取りなのだ』と悪気がないまま人の不幸を作っている可能性もなきにしもあらず、です。だからどうか皆さん、正しい知識、正しい常識を忘れないで下さい。これは考えたらわかります。介護の知識がない人が見たら『こういうことでいいの?』と思います。じゃあ介護の知識を持っている人が『こんなことでいいのか?』となぜ思わないのでしょうか。それは間違った教育をされていると同時に、その中にどっぷりと浸かって、感覚麻痺をしている恐れがあります」。

 このように、全ての虐待は一部の特殊な人間によって生み出されるものではなく、介護に携わる者全員にとって決して無縁なものではないと強調した菊地先生。世間から見れば信じられないような虐待が「介護の常識」になっていることについて、そのすべての原因は介護の現場における「感覚麻痺」と指摘。そしてそれは日常の何気ない「鈍感さ」によって生じ、エスカレートするものであると言及しました。

 これを踏まえ、別な高齢者施設で起こった不幸な事件、悲惨な虐待について紹介した菊地先生は「この施設にはたくさんの職員、専門家がいるのに『この状態はおかしいのではないか?』指摘している人が誰もいなかったのです。事件が起こってはじめて気付いたのです。もしかしたら『ちょっとこれはまずいのではないか』と気付いた人がいるかもしれませんが、声の大きい、力の強い職員に反論されて『ああそうかなあ』とだんだんやっているうちに『おかしい』と思った気持ちも薄れていって『これが当たり前の日常なのだ、施設の中ではこれは”あり”なのだ』と感覚麻痺していっているわけです。それを考えると我々も無縁じゃありません。我々もきちんとひとつひとつ、一日一日の仕事を検証しないと、我々自身が麻痺した感覚で不適切なケアを作る人にならないとは限りません。間違ってはいけないのは、『世間の常識と我々の常識がかけ離れているのは普通じゃないということです。世間一般に許されないことは介護施設の中でも許されないという感覚が必要です。だから『普通の生活とは何か?』と考えることが一番大事です」と、このような感覚麻痺に陥らないために、自らを振り返り、世間の常識と介護の常識がかけ離れていないか検証すること、「誰から見ても『普通』」と思える「普通の生活」を意識することの重要性を訴えました。

002IMG_9018.JPG

←「その4」に戻る)             (つづく

Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その4)

001BQ8V5311.JPG

 このように、自らが看取りケアにあたった経験を紹介した菊地雅洋先生。「皆さんの施設でも『看取り介護指針』を作っているかと思いますが、日本で最初に看取り介護指針を作った人はだれかわかりますか。実は僕が作りました。そのようなものが何もない時に看取り介護指針を僕が作りました。それが今、全国のグループホームや特養でたくさん参考にされ、使われています。その責任もありますから、うちの施設で看取り介護を行ったケースについては『こういう実践をした、こういう気づきがあり、こういう失敗があった』ということをインターネットで発信しています」と続けました(菊地先生が総合施設長を務める特別養護老人ホーム緑風園のホームページには看取り介護についてのコーナーが設けてあり、看取りケアに関する様々な情報が発信されています。ぜひご覧下さい)。

 「最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものにかわる」と、全国に先駆けて看取りケアに取り組んできた菊地先生、「しかし我々の業界全体を見渡せば、必ずしもそういう最期を送っている方ばかりではないということが言えると思います」と、近年問題となっている高齢者施設における虐待の問題に切り込みました。

 「祖母が入居しているとある施設の高齢の女性入居者が絶飲食となり、医師も家族も『何もしなくていい』とのこと。口からは鼻出血のあとがみられ、皮膚の汚れも目立ち、部屋の消臭もされていない。彼女はただ死を待つだけなのか?職員は何もできないのか?何もしないでいるのか?『何もしなくていい』とはどのような意味なのか?」という内容の投稿が一般の方からあったことを紹介。その上で「看取り介護になったからといって、『何もしなくていい』ということはありえません」と語気を強め、「看取り介護になってからも、緩和の治療、看護、ケアは絶対必要になります。何もしなくていいものがあるとすれば、『不必要な延命治療』だけです。それ以外は必ず安心・安楽の治療やケアは必要なわけです。口に鼻出血のあとがあるということは、何らかの理由で鼻血が出たのが放置されて、顔も拭いてくれていません。皮膚汚れも目立っているということは清拭すらされていないのではないかという疑いがあります。室内の消臭もされていないということは『臭い』ということです。なぜ臭くなるのでしょうか、看取り介護期に毎日きちんと清拭して排泄ケアをすることで清潔は保たれ、臭いなんかはないです。それなのにこの方はおそらくおむつ交換もきちんとされていない疑いが強いし、そうであれば体位交換もしていない可能性が高いです。しかも口腔ケアがされていないと言いましたね。看取り介護の対象者は最終的に口からものを食べられなくなりますが、だからといって口腔ケアをしないというのは一番だめな対応です。逆に口からものを食べているうちは唾液の分泌がありますから、ある程度口腔内の色々なトラブルが避けられるので、口腔内のトラブルが起きない可能性があります。逆に口からものを食べられなくなったら唾液の分泌が極端に少なくなるので、感染症予防のほかに口の中のひび割れやかびなどを考えると、食べているときよりもしっかり口腔ケアをしないと安楽な介護につながりません。とくに口の中ががびがびに乾いて舌に割れが出て来て出血するとものすごい痛みです。安楽の看取りになりませんから、うちの施設では特に口から食べられなくなったときの口腔ケアはとても大事にしています。だけどここではそれさえもせずに放置しています。こんな状態で放置されていて、この方はどんな人生を送ってきたかはわかりませんが、ここで亡くなる間際は辛かっただろうな、痛かっただろうな、苦しかっただろうな、と思います。この方の人生はこの施設の最期の看取り方によって不幸なものに変わってしまったのではないでしょうか」と述べ、さらに「そしてこの投稿があった後、そのままの状態で永眠されたそうです。これはまさに『看取り』と言いませんこれは『見捨て死』です。『施設内見捨て死』です」と厳しく指摘しました。

その3戻る)             (つづく

Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その3)

001BQ8V5292.JPG

 菊池先生は「つい最近まで『戦後70年』と言われていましたよね。だけど終戦記念日が終わってからその言葉が遠い昔のような感覚になっているようです。しかしやはり戦後70年という時期だからこそ考えなければならないことがあると思います。それは我々がケアしている人たちは何歳の方々が使っているのか、と見てみると、うちだと利用者の平均年齢が87歳です。そうするとだいたい75歳から100歳くらいまでの方々がサービスを使っているわけで、皆さんの事業所もだいたい同じだと思います。そうするとその方々は物心ついた以後に1945年から約4年間続いた太平洋戦争を経験なさっています。青春時代をその辛く厳しい時代を生き延びた方です。日常的に自分の愛する親類を奪われて、自分自身の命も危険にさらされて、食べる物も十分ではなくて、本当に辛くて耐える4年間だったと思います。その時代を生き抜いて、今高齢者になって人の手を借りて暮らさなければならなくなった時に『長生きして良かった』と思ってくれるのか、『こんな思いをするのだったらあの時死んでいれば良かった』と思ってしまうのか、それは我々の実践ひとつにかかっているのではないでしょうか」と切り出し、高齢者介護は人生の最晩年期に関わるものであり、それゆえに誰かの人生の幸福度に決定的な影響を及ぼしかねないという責任があることを、戦後70年の日本であるからこそ考えなければならないと強調しました。そして「人生の99%が不幸だとしても、最期の1%が幸せだとしたら、その人の人生は幸せなものに替わるでしょう」というマザーテレサの言葉をスライドに示し、菊地先生が総合施設長を務める緑風園ではこの言葉を理念に掲げ、介護実践を行っていることを紹介しました。

 その上で菊地先生は昭和50年代、生活指導員を務めていた27歳代の頃から7年間にわたりケアにあたったひとりの女性入園者(Aさん)の事例を紹介しました。20の時に北海道大空襲で爆風を受け、背中に背負った愛娘の命と引き替えに自らは奇跡的に助かったAさんは、心と体に深い傷を負い、生きる意味を見失い、ことあるごとに「生きていて何もいいことない」、「死ねば良かった」と悲嘆の言葉を繰り返していたそうです。そんなAさんに菊地先生は「不幸な人がいるのだな」と思うと同時に、「Aさんがあと何年生きるかわからないけど、せめてうちの施設にいる間だけでも笑ってくれる時間、幸せに感じてくれる時間がつくれないか」と考え、背中のひどい傷跡のため他者との入浴を拒むAさんに対し、個別の入浴支援(当時は入居者50人に対し、「寮母」11人という配置基準で、とても個別浴を行うなど困難だったとのこと)を行うなど、親身になったケアを続けました。

 戦災で天涯孤独となったAさんは介護保険施行前に逝去。看取りに際し職員が見守る中、Aさんが息を引き取る瞬間まで彼女の手を握っていた菊地先生に、Aさんは「あんがとさん」と言って旅立たれたそうです。この時のAさんへの取り組みは、その後の緑風園の介護実践のもととなり、今に引き継がれているとの説明に、受講者は最晩年期のケアにあたる者としての責務の重大さを痛感していました。

002BQ8V5307.JPG

その2戻る)             (つづく

Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その2)

001BQ8V5270.JPG

 14時になりいよいよ開会。司会は看護・介護研究部会の上村久美子委員長(↑)が務めました。

002BQ8V5272.JPG

 開会にあたり事務長会の川崎豊彦委員長(↑)は「本日は忙しいところ集まっていただきありがとうございます。今日は県内の老健、特養、グループホーム、小規模多機能型居宅介護、行政関係の方、そして鹿児島県の老健の方にもお越し下さって約400人もの方に、この席にお着きにいただいております。さて、私達はマンネリ化したマンパワー不足と厳しい経営に迫られている中、この4月にはさらに厳しい改定を受けて、皆様もそれぞれの部署でご苦労されていると思います。しかし、私達サービス事業提供者がご利用者の皆様と一旦契約を交わした以上は、絶対にはずしてはいけないものが根底にあると思っています。それを本日は菊地先生にお話しいただきたいと思います。そして先生が話されると思いますが、『宮崎の赤い花』となる人が今日のこの400人の方だけではなく、4千人、4万人、40万人に膨れあがって、宮崎が『赤い花になる人材』で埋め尽くされるような講演会になるといいと思います。最後までご傾聴をお願いします」と挨拶しました。

 講師には昨年1114日、「介護保険改定への対応セミナー2014」(事務長会主催)で講演をしていただき大好評だった、社会福祉法人登別千寿会理事で、特別養護老人ホーム緑風園の菊地雅洋総合施設長を北海道登別市よりお招きしました。菊地総合施設長はブログ「masaの介護福祉情報裏板)」、掲示板「介護・福祉情報掲示板」など、ネット上で介護や福祉に関する情報を全国に発信されています。また、菊地先生の毎晩の食事にクスリと笑える一言ギャグを添えて紹介するブログ「masaの血と骨と肉」は、グルメ人気ブログランキングで首位を独走中です。

好評を博した介護保険改定への対応セミナー講演内容こちらご参照下さい

 そして「人を語らずして介護を語るな masaの介護福祉情報裏板」、「人を語らずして介護を語るな2 傍らにいることが許される者」、「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」、「介護の詩(うた) 明日へつなぐ言葉」(いずれもヒューマン・ヘルス・システム社)などの著書も多数出されており、この日はそれらの書籍販売もあり、多くの受講者が買い求めていました。

 さらに登別市の介護認定審査委員、民生委員推薦会委員、老人ホーム入所判定会議委員や北海道地域密着型サービス外部評価委員や総合健康推進財団訪問指導員など、数多くの役職も務められている「Masaさん」こと菊地総合施設長ですが、「是非ともまた宮崎に!」という強い要望に応え、激務の合間を縫って2度目の来県、講演を果たして下さいました。

003BQ8V5282.JPG

 今回の講演テーマは「明日へつなぐ介護 誰かの赤い花になるための介護実践論」。「僕は全国で色々な話をしていますが、今日は一番聞いていただきたい話を持って来ました。それは我々の介護サービスというのが制度の中で報酬がどうあろうと制度の形がどう変わろうと、最終的には介護保険は社会福祉制度だと思います。『社会保険制度になったのだから、福祉じゃない』という人がいますが、それでは日本の福祉は存在しなくなります。我々が担っている福祉としての使命をきちんと守っていくこと、それはまさに利用者の暮らしと尊厳を守っていくサービスが我々に求められているものなのでしょうが、それを理想論や理念論で終わらせないできちんと実務の中でどういうふうに尊厳を守っていくのか、ということを考えていかないとおかしなことになってしまいます。それで現場で使える実践論を今日お話ししようと思います」と話し始めた菊地先生の講演に、会場は一気に引き込まれていきました。

その1戻る)             (つづく)

Masaさん(菊地雅洋氏)第2弾講演会開きました(事務長会&看護・介護部会:その1)

 (公社)宮崎県老人保健施設協会事務長会と看護・介護研究部会は合同で103日、宮崎市のシーガイアコンベンションセンターで「masa氏 第2弾講演会」を開きました。400人が受講し特別養護老人ホーム緑風園の菊地雅洋総合施設長の講演に聞き入りました。

001IMG_2880.JPG

(↑会場となったシーガイアコンベンションセンター)

002IMG_8977.JPG
003IMG_8979.JPG

(↑会場となったサミットホール「蘭玉」。両部会のスタッフが早くから準備、設営に当たりました)

004IMG_8988.JPG

 

005BQ8V5231.JPG

(↑受付開始と同時に、たくさんの受講者が来場。スタッフは対応に追われました)

 開演前には会場はほぼ満席となりました。県内の老健施設や特養、グループホームなど、そして県外からの来場者もあり、400人が菊地雅洋総合施設長こと「Masaさん」の講演開始を待ちました。

006IMG_8995.JPG

カラではない空

 10月になり、さすがに秋めいてきました。あの夏のうだるような暑さはどこに行ってしまったのか、と思うくらい朝晩には肌寒さすら感じるようになりました。

 それにともなって、星がきれいに見えるようになってきました。夜の時間も長くなり、またブルブル震えるほどの寒さではないので、星を眺めるにはちょうど良い季節と言えるのではないでしょうか。

IMG_2500-1.jpg

 掲載した写真は先月撮影したものですが、「満天の星空」というのはこういうことをいうのかな、と思うくらい星がひしめき合っています。星同士がぶつかってしまわないだろうか?などと余計な心配までしかねないこの状態を見ていると、「空」という字にちょっとした矛盾を抱いてしまいました。

 「空」と書いて「から」と読みます。「お菓子の箱を開けたら空っぽだった(T-T)」などと言いますが、「広辞苑」には「内部にものがないこと」と載っています。

たしかに昼間の空は太陽が一個だけで、あとは何もないのでほぼからっぽと言っていいのかもしれません。しかし夜なると空にはこれだけの星が出現しますから、こうなるともうからっぽとは言えませんね。

それはともかく、夜空が綺麗なこの時期。星に願いをかけながら眺めてみるのも良いのでは内でしょうか。

感染予防対策学びます(看護・介護部会)

kansenyoboukensyuu20151031.jpg

(公社)宮崎県老人保健施設協会看護・介護研究部会は1031日(土)1330分から、宮崎市のJAアズム別館202会議室で「高齢者の感染予防策」研修会を開きます(13時より受付開始、15時終了)。講師に宮崎県健康増進課感染症対策室の片平久美子室長を招き、高齢者の感染症に関する現状や特徴、そして予防策などについて学んでいきます。

 この研修会は、老健職員はもとより福祉施設の方などどなたでも受講することができます。参加費として老健職員は一人500円が必要ですが、それ以外の方は無料です。

ただし、会場の収容人数が120人までとなっておりますので、定員に達し次第締め切らせていただきますことをご容赦下さい。またこのような事情に鑑み、各施設から2名までの参加とさせていただきますようご協力方お願い申し上げます。

 詳しくはこちらをご覧下さい。またこの研修会へのお申し込みおよびお問い合わせは介護老人保健施設サンフローラみやざき(担当:上村久美子、TEL0985-75-2020)までお願いいたします。

Masaさん(菊地雅洋氏)講演会開きました(事務長会&看・介部会、速報)

001IMG_9021.JPG

(公社)宮崎県老人保健施設協会の事務長会と看護・介護研究部会が103日、宮崎市のシーガイアコンベンションセンターで合同講演会を行いました。講師には社会福祉法人登別千寿会理事で、特別養護老人ホーム緑風園の菊地雅洋総合施設長に、はるばる北海道登別市より起こしいただきました。

002BQ8V5311.JPG

 菊地総合施設長は「『明日へつなぐ介護』 誰かの赤い花になるため介護実践論」と題し熱弁を奮って下さいました。会場を埋め尽くした約400人の受講者は、そのひと言ひと言を、食い入るように聞き入っていました。

 この講演会の模様のレポートは、後日連載する予定ですのでお楽しみに。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ