「賞賛には能力を育てる力がある」

 「賞賛には能力を育てる力がある」とは、トーマス・ドライアーという人の言葉だそうです。老健に勤める者として、まったくその通りだと思います。と同時に、これが思いの外難しいと、痛感もします。

 誰しも誉められる事は嬉しいものです。でも、やることなすことに対し、何でもかんでも賞賛されたらどうでしょう。「世辞で丸めて浮気でこねる」的に、おべっかの言葉を連射されたら、かえってうんざりです。「あなたは1から10まで数えることができるし、1たす1は2だと答えられるし、すごいわ!天才だわ!」などと言われたら、「馬鹿にするな!」と怒る人だっているでしょう。人のいい所に触れた時、それが賞賛に値すると判断できたら、華美な言葉で装飾せず、大げさでない態度で褒め称える。それが賞賛の基本なのではないか、と思います。

 一方、できることに目を向けないで、できないことばかりをつつくのはいただけません。「〇〇さんはまた失敗したが、ダメじゃがそんげなこつじゃ!今度失敗したら承知せんよ!」なんて面と向かって言われたら、がっかりです。そしてまた失敗したらどうしよう?と不安ばかりが先立ってしまうことでしょう。ところがところが、この「ダメダメ発言」を、思わず知らず、やってしまいがちなのです。その根底には、「この人はなぜこの動作ができないのだろう?」という「なんでダメなのか?」という考え方の比重が大きいからなのではないでしょうか。たしかに「なぜできないか?」を考えるのは大事です。しかし、それ以上に「なぜできたか?」を考えることも重要だと考えます。

 歩く練習をしていて、どうしても足が出ない。ところがたまに、足がすっと出てくることがあります。その瞬間を見逃してはいけません。そして、「なぜ足が出たか?」を究明して、「〇〇さんはいつもはこうやってたから、足が出なかったんですね。でも今はいつもと違って、こうやった。そしたら足が出たんですね」と、具体的に説明して、賞賛すると、それは大きな喜びと、次なる前進への足がかりとなることでしょう。歩行に限らず、できないことがたまたまできたり、あるいはもう少しでできそうになったりする事は色々な生活場面で見られるはず。大事なのは、それに気付くかどうか?そして適切に賞賛ができるかどうか?です。これができれば、利用者様のADL向上、ひいてはQOL向上につながることでしょう。まさに、賞賛が能力を育てるわけです。もし、これができなければ、つまり、「この人はこの動作はできない人だ」と決めつけて、できる瞬間を見逃してしまったら、育つはずの能力は、「賞賛」じゃなくて、「消散」してしまうでしょう。

 そのようなことから、能力を育てるための「賞賛力」、これは私たち老健に勤める者にとって、身につけるべき技術と言ってもいいのではないでしょうか。賞賛が心を動かし、身体を動かす。それが喜びにつながり、ひいては私たちも喜びを分かち合うことができる。これこそ、老健職員冥利に尽きるのではないでしょうか。

 

ガスコンロと指パッチン

「ガスコンロだけ逆だよね。なんで?」と聞かれて初めて、よくよく見ると、なるほど。ガスコンロというものは、点火の時に左回転、消火の時に右に回すようにできているものが多いようです(プッシュ式を除く)。

 水道の蛇口でも、ドアノブでも、はたまたパチンコ台でも。昔だったら電話のダイヤルにテレビのボリューム。ビンやボトルのキャップだって、使うときには右(時計回り)に回しますよね。使う時に、右です。だから、使わない時は左に回すことになります。ところが、ガスコンロは逆なのです。使う時に左、使わない時は右に回すのです。

 考えますに、それは「とっさの時にすぐに消せるように」ということではないでしょうか。いざという時、すぐに止めなければならないのは、水道でも電気でもテレビでもなく、「火の元」なのは言うまでもありません。しかも、確実に消さなければなりません。他のものは、使う時の方が大事ですが、ガスコンロについて言えば、「使わない時の方が大事」なのです。実際にやってみると、立っているのを左に倒すより、左に倒れているのをまっすぐに立てる方がうんと楽で、確実です。この動作、「指パッチン」に似ていると思いませんか?右手で、火を消す方向に前腕を回すと「パッチン」と鳴りますが、反対に回すとうまく「パッチン」できません。つまり、ガスコンロのつまみは、”パッチン”と鳴らせる方向に回して”パッチン”と消せるようにできているではないでしょうか。特に緊急時、それが有効に作用するように、と。

 さて、ガスコンロの話が長くなりましたが、利用者様の急変や、自然災害その他に備えて、老健にも色々な「緊急マニュアル」があるかと思います。「緊急」ですから、急がなければならないことはもちろんの事、それに加えて、確実に行えないといけないのだ、とガスコンロのつまみから考えさせられました。緊急の場合は、得てして慌てがち。慌てていると、失敗しがち。「人間は失敗する生き物だ」などと言いますが、それを見越して、緊急時に、慌てていても、失敗しない工夫を、緊急じゃないときに、落ち着いて考えておく必要がある、と思いました。

ケアマネ試験

  ケアマネの試験の受付が、今日からいよいよ始まりました!今年の試験は1023(日)

会場は宮崎大学木花キャンパスの教育文化学部・農学部にて、午前10時より開始予定です。

今日、71日(金曜)から、各市町村、各市町村社会福祉協議会、各福祉こどもセンター、児湯福祉事務所、各保健所、西臼杵支庁などで、『受験の手引き』(受験申込書が入っています)の配布が始まります。

 くわしくは、宮崎県のホームページ、そして宮崎県社会福祉協議会のホームページをご覧下さい。申し込み締め切りは729。奮ってチャレンジしましょう。

 

 なお、老婆心ながら申し上げますが、「ケアマネ試験」とは、正式には「介護支援専門員実務研修受講試験」。つまり、この「介護支援専門員実務研修」を受ける権利を獲得するための試験、です。「試験に受かったから、今日からケアマネだぁー!」と思っておられる方は、よもやいないとは思いますけど・・・。

 「実務研修」は、2月から3月頃、前期3日間、後期3日間の計6日間。朝から夕方(夜?)までびっしりの内容です。そして前後期の間に、要介護認定を受けた在宅の方にご実習協力をいただき、居宅での面接、認定調査、社会資源調査、居宅サービス計画書の作成などに当たります。しかし、要介護度から逆算して、限度額一杯にサービスをぽぽぽぽーん、とはめ込むような、有り体のケアプランではいけないのです。実習協力者やご家族に貴重なお時間を割いていただき、現在の心身の状態はどうなのか?どんなことに困っているのか?今後どういう暮らしを送りたいか?などを丹念に伺い検討し、世界に一つしかない、その方だけのケアプランを作るのだ!という気持ちで臨むのです。大変ですが、とてもよい勉強、そして体験になります。

 また、「実務研修」では、その多くの時間を、1グループ6名程度の班に分かれての演習に当てられます。ほぼ全員、合格ホヤホヤですが、年齢も職種も勤務先も、あと、受験回数もバラバラ。互いに合格苦労談や日常業務での悩みを話し合ううちに、「みんなで研修を乗り切ろう!」という連帯感が生まれます。そして、晴れて研修が修了したときに共有する達成感は、試験に合格したときの喜びよりも数段大きいものです(個人の感想ですけど)。それだけでも、「ああ、ケアマネ試験に挑戦してよかったなあ」と思えます。

 ただし、昨年の全国平均合格率は、過去最低の20.51%。そして、宮崎県は15.54%で、これは全国で4番目に低い合格率。決して簡単ではありません。高校時代に先生から聞いた、大学合格必勝法(?)を紹介して、エールとさせていただきます。「合格するコツふたつある。それは、”コツコツ“やることだ」。健闘を祈ります。

定例総会を開催しました。

()宮崎県老人保健施設協会は、624日、宮崎市の潤和会記念病院で、第25回の定例総会を開きました。平成22年度事業報告および同決算報告にかかる各議案が上程、可決されました。

 

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 また、報告事項として、医療法人社団光学堂 あたご整形外科が設置主体となり、県内で44番目となる老健施設「のべおか老健あたご」が新規開設予定であり、これにともない、同法人の佐藤信博理事長が、当協会に新規加入予定であることが説明、了承されました。「のべおか老健あたご」は入所80床、通所80人で、平成241月開設予定です。

梅雨明け

 昨日(628日)、南九州の梅雨明けが宣言されました。観測史上2番目の早さ。たしかに6月のうちに梅雨明け、というのは早い。平年より16日、去年より実に22日も早いそうですから驚きであり、そして心配でもあります。

 思えば、梅雨入り前は雨がほとんど降らず、干上がったダムでは湖底が顔を出しました。早期水稲の作付けにも甚大な影響を及ぼしました。

 それが一転、梅雨に入ったと思ったら、今度は土砂降り。避難情報もたびたび出され、新燃岳周辺では、土石流の心配も高まりました。また、今年まだ5つしか発生していない台風の接近にも翻弄されています。

 そして今回の早い早い梅雨明け。まもなく前半が終わる平成23年。後半は一体どうなるのでしょうか。何事も無いことを願って止みません。今日も暑い一日となる見込み。どうか体調管理の徹底方お願いいたします。

おもておこし

「源氏物語」から千年の時を経て、古典文学が脚光を浴びている昨今です。高校では、「現代国語」(いわゆる”現国”ですね)に対して、「古文」の授業がありましたが、これが難しきこと”いはむかたなし(=「言わん方無し」。格別だ、言葉では表現できない、の意)”。同じ日本人で、これだけ使う言葉が違うものだろうか、と頭を抱えたものでした。

 その古文単語の一つに「おもておこし」というのがあります。「面目をほどこすこと、名誉を回復すること」という意味です。日本において、この「おもておこし」が使われていたであろう頃(確証はありません、時代が違っていたらゴメンナサイ)、西洋において、「名誉を回復する」という意味で用いられた言葉があります。それが「リハビリテーション」なのです。「それでも地球は動いている」と言った、ガリレオ・ガリレイ。地球のまわりを太陽が動いていると信じて疑わなかった時代に、コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判にかけられ有罪。もちろん動いているのは地球の方。後の時代になって、ガリレオの名誉は回復されたのだそうですが、これが近世ヨーロッパにおけるリハビリテーション、つまり「おもておこし」だったわけです。

 「リハビリ」というと、訓練室で筋トレしたり歩いたり、マッサージや物理療法を受けたり・・・というイメージが浮かびがちですが、そうではありません。1942年のアメリカリハビリテーション審議会では「リハビリテーションとは障害者をして、可能な限り、身体的、精神的、社会的、職業的、および経済的に最高度の有用性を獲得するよう回復することである」と定義づけられています。老健は「中間施設」。リハビリをしながら在宅復帰を目指すのですが、リハスタッフだけがそれにあたるのではありません。全ての職種が利用者様、ご家族と膝をつき合わせて、どうやったら利用者様が家に帰れるのか?社会復帰して、生き生きと生活できるか?などと様々な面から考え、取り組んで行く一連の過程が、リハビリテーションと言えるのではないかと思います。そう考えると、老健に勤める者の一人として、責任の重さを痛感します。

 ところで古文単語も色々ありますが、どうしても気になるのが「あたらし」と「よだけし」。「あたらし」とは、「惜しい、もったいない、残念だ」という意味。「よだけし」とは、「めんどうだ、おっくうだ」という意味です。つまり、「あったれー」、そして「よだきいー」ということ・・・。あれ?これって宮崎弁?と思った人も少なくないはず。平家の落人伝説が残る宮崎県。いにしえの都の影響を多分に受けているのかなあ、と思わずにはいられません。ひょっとして、今わたしたちが普通に話している宮崎弁、実は昔の標準語だったりして!?

オ・ソレ・ミオ!

イタリア歌曲、カンツォーネを代表する名曲と言えばオ・ソレ・ミオO SOLE MIO。とりわけ、生前「現代最高のテノール歌手」、と評された故ルチアーノ・パヴァロッティが壮大に歌い上げた”オ・ソレ・ミオ」は有名です。原曲はもちろんイタリア語ですが、日本語で言うと、「嵐が過ぎて、スカッと青い空にまぶしい太陽が輝く日は何と美しいことだろう。しかし、それよりももっともっと輝く麗しい光がある。それは、あなたのキラキラ輝く瞳だ。あなたこそ、私の太陽だ!」といった内容。まさにイタリアらしい、快活で、情熱的な、究極の直球ラブソングだと思います。大好きな一曲です。

 老健で働かせてもらっている中で、利用者様と接していると、その笑顔が実にまぶしく感じる時がよくあります。まさに太陽みたいに、キラキラ輝いて見えるのです。今まで辛いことや、悲しい事が一杯あったはず。そして、心や体に不安を抱えて今を過ごされているであろうにもかかわらず、その笑顔のハッとする美しさは、とても真似できるものではありません。もちろん、作り笑いなんかでできる笑顔ではありません。なぜなんだろう? 

 その答えは、この”オ・ソレ・ミオ”にあるのではないか?と最近思うのです。つまり、辛く苦しい思いをいっぱいしながらも、必死で生き抜いてきたからこそ、苦しみがないことの喜びがわかるのではないだろうか?嵐の時代を耐えてきたからこそ、空の青さを愛おしみ、太陽のように輝くことができるのではないか、と。そう思ったら、利用者様に、心から笑っていただけるよう、太陽のようにキラキラしてもらえるよう頑張るぞー!という気持ちが湧いてきます。

 またまた台風5号が接近し、激しい雨、そして強い風が吹き荒れました。予報では、まだまだどんよりした日が続くようで、心配です。早く嵐が去って、スカッとした青空と、いかにも宮崎らしいまぶしい太陽が顔を出して欲しいものです。そして、利用者様の太陽のような笑顔とキラキラ合戦をして、老健が燦々(さんさん)と輝くといいなあと思います。オ・ソレ・ミオ!!

:「生きるとは、死と直面して戦うこと・・・」

生きるとは、死と直面して戦うことである。そこに真の生き甲斐がある。」これは、芸術家、岡本太郎氏の言葉だそうです。今年生誕百年を迎え、今またその作品や功績、そして生き様に脚光が当てられていますが、この言葉は重い。ズシンと胸に響きます。

 生きとし生けるものであれば、この世に「生」を受けたものであれば、決して避けることはできない・・・それが「死」です。生と死は背中合わせ。だけど、世の中が平和で、そして心身が健康だと、ついそのことを忘れてしまいがち。しかし、「死」は消え去ったのではない。いつでも背中合わせ。だからといって、やみくもに死ぬことを恐れよ、というのではありません。そうではなく、死が必ず訪れるからこそ、生きている事の素晴らしさを、いつ何時も忘れてはならない、生きている今、この瞬間を、いかに生き生きと生きるか、それが大事なのだ、と思うのです。

 岡本太郎氏の代表作品と言える、「太陽の塔」は、1970年の万国博覧会の時に作られた作品です。それから40年余りが過ぎましたが、今なお多くの人々が訪れ、見る者に深い感動を与えています。その斬新なデザインは、単に奇をてらったものではなく、まさに死と直面し、そして戦った過程を経て生まれたのだと察し、改めて岡本太郎氏のすごさに心が震えました。

 老健で働く者として、私たち自身が生き甲斐をもって仕事に励むのはもちろん、なによりも、利用者様が日々生き甲斐を感じて過ごしていただけるよう努めなければならないと思います。未来は早足でやって来て「今」になり、「今」は一瞬で過ぎ去って「過去」になり、「過去」はいつまでも「過去」のままである・・・。それゆえになおさら、今生きている事の素晴らしさ、命の尊さを、決して軽んじてはいけないのだ、と思いました。

明けの明星

 昨日は暑い夏至となりました。読んで字のごとく、一気に夏に至ったような蒸し暑さでしたが、体調には十分気をつけましょう。

 さて、今日の未明から明け方にかけて、明けの明星、金星がひときわ美しく輝いていました。太陽と月の次に明るいのが金星。一等星の170倍の明るさと言いますから、なるほど!です。しかし、金星が自ら光っていない事はご周知の通り。月と同様に、太陽の光を反射して光っています。太陽系において、地球よりも内側を回っているため、つまり、地球を挟んで、太陽の反対側に金星が来ることは決してないため、真夜中に見えることはありません。 したがって、夕方か、明け方しか見えません。夕方見えれば「宵の明星」、そして明け方見えれば「明けの明星」となります。そして今、金星は「明けの明星」となって東の空(宵の明星だと西空です)に輝いているわけです。

 明けの明星は朝日を連れてきます。今から昇ろうとする太陽の光を受けて輝いているわけですから、「もうすぐ朝日が昇るぞー!」と言っているか、はたまた、金星自らが、「よっこらしょ、よっこらしょ」と、朝日を引っ張り上げているような、そんなふうに見えてしまいます。

 「明けない夜はない。朝は必ず来る」などと言いますが、この明けの明星を見る時、本当にそうだなあ、と感じずにはいられません。もうすぐ2011年も折り返し。今、日本は本当に大変な状況ですが、皆が力を合わせて、きっと乗り越えられる・・・。そう信じて、今日も頑張ろう、と思います。あと一ヶ月くらいは、明けの明星、金星を見ることができるはずです。いつもより早起きして、東の空を見上げてみてはいかがでしょうか。

今日は夏至。

 今日は夏至。一年で最も昼間が長い日となりましたが、気がつけば今年ももうすぐ半分。例年にもまして、時の流れが早く感じてしまいます。東北地方も梅雨入り。復興への歩みに遅れがでないように願って止みません。また、降り続いた雨に変わって、強い日差しが降り注いでいます。利用者様の健康管理にも、万全を期しましょう。

 「お知らせ」のページに、当協会の本年度事業計画をアップしました。ぜひご一読いただきますとともに、協会へのますますのご理解、ご協力方お願い申し上げます。

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