情報番組の制作現場は、ハードスケジュール。見た目ほど楽で、格好良いものではありません。情報収集に始まり、取材先へのアポイント、取材日の調整。そして取材に先立ち、ロケハンを行うなどして、取材当日にあたふたしなくて済むように、台本を作ります。台本には台詞だけでなく、カット割りも決めておくことで、カメラマンが必要なカットを漏れなく、そして無駄なく撮っていくことができるわけです。
ところが、多忙を極める番組制作。夜討ち朝駆けは日常茶飯事ですから、台本が間に合わない、ということもあるわけです。そんなときに「とりぜん」の登場です。「すまない!とりあえず全部撮っといて!」とカメラマンに頼むディレクター。ベテランのカメラマンなら、そこのところはわきまえていて、ディレクターが必要だろうと思うカットを自分で判断して、的確におさえて行くのでしょうが、そうじゃなければ、万が一撮りそこねでもしたら大変!後から「あのカットが無い!」と騒いでも後の祭り。というわけで、あれやこれやと細大漏らさず撮ることになり、時間はかかるし影像量は不必要に増えて、編集も大変になりかねません。極力「とりぜん」を避けるため、番組スタッフは寝る間を惜しんで頑張っているのです。
さて、私たち、老健で働く者も、この「とりぜん」には要注意です。つまり、「この利用者のADLはよくわかんないから、とりあえず全部介助しとこう」というやりかたは、厳に慎まなくてはなりません。「できるADL」と「できないADL」、そして、「しているADL」を正しく評価し、自分でできることは自力でやってもらうことで、その能力を維持してもらう。できない事は介助を行いつつも、介助方法や自助具・福祉用具の活用などを考えて、自立への可能性を検討することが大事なのではないでしょうか。「とりぜん」で何でもかんでも介助していると、その人ができるADLさえも、できなくさせてしまう危険性をはらんでいるのです。
テレビ番組は、作るよりも見ている方がうんと楽です。一方、介護は見ているよりも、手助けした方がうんと楽なことも少なくありません。だからといって、利用者様が一生懸命、時間をかけてでも遂行しようと努力している行為を、よこからサッサと介助してしまったら、その行為はだんだんできなくなってしまうかもしれませんし、それだけでなく、そのことがその方の精神面へ悪影響を及ぼしかねません。「自分の仕事ぶりは”とりぜん”になっていないか?」と自問自答しながら日々の業務に当たっていく必要性を感じる今日この頃です。
“テレビ番組の仕事”と聞くと、格好良く響きますが、実際は大変。
たとえば、グルメ番組で、レポーターが御馳走を前にして、見つめるお店のご主人を横に「いただきます」。そして「うわー、おいしい!」といったたぐいの内容はしょっちゅう放送されています。それらを見ていると、その影像は、同じようなカット割りで構成されています。店の外観、店内の様子、料理の様子、できあがりのアップ。「いただきます」という時の箸で持ち上げた料理のアップ。