協会活動報告

研究大会開きました(その9)

【本間達也先生特別講演(6)

さて、これから「自施設でおこなっておきたい災害対策について」という話に入っていきます。まず「自らの施設が被災する天災(地震・津波・洪水など)発生の可能性を把握していますか?」ということです。県や市町村が作成しているハザードマップなどをしっかり確認しておく必要があります。スライドに「福島市土砂災害ハザードマップ」を示していますが、現在福島市では吾妻山(あづまやま)が噴火しそうだと騒がれています。もしそうなると幹線道路は溶岩が流れ出てくるところにあることから、土砂災害のハザードマップもこのように用意されているわけです。

 次に被災後、多くの支援物資が届いた後に、食料品(非常食)などは期限切れになる前に計画的に食事の献立などに組み入れて使用していく工夫が必要です。実際支援物資で送られてきた食料品の中には、消費期限が迫っているものも少なくなく、色々考えさせられました。一方、毛布やタオル、衣料品などについては、他で被災した施設に送ることまで考えた上で管理しておくことも大事です。これらのことは「平常時からの備え」が大切だと言えます。この冬、2週間ほど大雪が続いた雪害がありました。そうなると物流が悪くなり、コンビニにも物が届かなくなりました。私たちの施設でもオムツと尿とりパッドが届かなくなり、交換回数を減らして対応しました。理想的に言えば、2週間分くらい備蓄できる倉庫があるといいと思います。

さらに、市町村と自施設との間で「災害協定」を締結し、「福祉避難所」として指定を受ける事も重要です。指定を受けることで、要援護者にかかわる日常生活用品や食料、医療材料など必要な物資の確保や、要援護者を適切に介護できるよう必要な職員、ボランティアなどの確保など、行政と連携した対応がスムーズになります。災害時に老健施設は地域の防災拠点として安心と安全を提供する役割を発揮することができるわけです。

ただし、福祉避難所として受け入れるのはいいけれど、その前に施設には入所利用者、そして通所リハビリの利用者もいますので、それらの虚弱高齢者がいるところに避難住民を受け入れていろいろやるというのは完璧にはやれない、ということを行政側に釘を刺した上で協定を締結しておかないと、後から色々と問題が起こることもありますので注意が必要です。

先ほども述べましたが、日頃からの防災訓練実施と施設および設備の点検も大切です。介護保険法の「介護老人保健施設の人員、施設及び設備並びに運営に関する基準省令第28条」には非常災害に際して必要な具体的計画を策定しておくことや、関係機関への通報および連携体制を整備しておくこと、さらに非難、救出訓練を実施すること等が明記してありますので、これはやらなければなりません。その中で特に「日頃から消防団や地域住民との連携を図り、・・・」と書いてありますが、これは実施指導やサービス指導の際の主眼項目にも入っており、県はここのところを詳しくチェックします。したがって、消防訓練を実施する際には必ず前もって地元消防団を一緒に呼んでやってもらうように調整しておいて下さい。

このようにして年間の訓練に火災や地震、土砂崩れ、そして津波や洪水などの自然災害を想定した防災訓練を抱き合わせて繰り返し実施し、分析と評価を行って有事に備えておくとよいと思います。

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(つづく)

研究大会開きました(その8)

【本間達也先生特別講演(5)

 

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半月経ったとき、蛇口から出る水の勢いが弱い事に気づきました。井戸水を使用している施設の給水圧が弱くなったわけです。おかしいと思って外周を点検したところ、なんとメインの水道管から分かれている副枝管が破損しており、温泉の水がわき出るようにぼこぼこ漏れ出ていたのです。本震後も度重なる余震が続き、気象庁の発表によれば、震度4以上のものが831日までに200回発生していたのですが、そのため配管がずれてひびが入り、破損して漏水して圧が下がったのでした。皆さんの施設でもこういう事態が起こったときは事務系の管理職だけじゃなく、みんなで考えられた方がいいです。

エアコンも全部取り替えました。しかし去年の暮れ頃、どうしても温かくならなないので、もしかしたら、と思ったらやはり配管に亀裂が入っていました。今でも余震が多いので亀裂が入り、暖房の爆発漏れがあったのです。日本は地震大国で、どこでもこういうことになると思うので、こういう視点も必要だと思います。

 スライドは私たちの施設の擁壁の写真です。8メートルあり、この擁壁の中にある水抜き穴を点検したところ、雑草が生えていました。通常の施設管理で草などが生えていないか点検し、水はけを良くしておかないと、水害の時に水の出口がなくなって中でどろどろの状態になってしまうそうです。そのため震災後からは必ず毎月のレセプト点検に併せて施設を巡回し、点検するようにしています。

 市内の高等学校に設けられた震災発生後1週間前後の避難所の様子を映していますが、原発の地区から高等学校に自衛隊のトラックで虚弱高齢者が移送されてきました。市の医師会から私たちに要請があり、「虚弱高齢者の人たちを老健協会でなんとかしてほしい。そのほかの避難所の人たちは我々が対応するが、虚弱高齢者の医療ケアはできかねるから」とのことでした。そこで協会のメンバーが集まって各避難所を見に行ったら悲惨な状況でした。ほとんどの人が肺炎や脱水をおこしつつあるという緊迫した状態でした。

  そこで各老健施設で割り当てして、1施設につき3人から5人くらいを毎日運び、各施設で緊急的に入所してもらうということをやりました。被災している地区のケアマネージャーはやりくりが大変だったと思います。

 家具などの転倒や落下防止のために突っ張り棒を活用し、高さのある家具などはなるべく壁に接する位置に設置しました。また、家具や棚が転倒して通路を塞いでしまわないよう、廊下や出入り口付近への設置は控えるようにしています。

そして、私たちの施設では正面玄関入り口に非常時持ち出し袋を設置し、職員のだれもがわかるようにしています。このことは家族や面会者に対しても、「施設として非常時の備えがとられている」と認識してもらうことにもつながっています。

(つづく)

研究大会開きました(その7)

【本間達也先生特別講演(4)

 

食事についてですが、大変苦労しました。放射能の影響を恐れ、トラックの運転手が運動を拒否するなどの事態が起こり、物流が途絶えて食材などが入ってきませんでした。まず考えたのは、内科医とも相談してカロリー制限を強制的にやりました。当時家族は自分の家がむちゃくちゃになっているので、利用者を見る余裕がありませんでした。家族に連絡すると「おまかせします」と文句を言う人は誰もいませんでした。また、それまで通所リハビリテーションで来ていた30数名の利用者が震災当日から即入所になりました。

断水によって食器が洗えないことや洗剤が入手困難なため、使用枚数を減らすためワンプレート式にしました。またエレベーターが止まったため、人海戦術で暗い中を階段で食事を運ばなければならなかったため、運びやすい利点もありました。

次に電話回線についてですが、震度6程度の地震の場合、携帯電話も固定電話も混線します。基地局がやられるとメールでのやりとりもできません。このように電話での連絡が困難になることは、全老健のリスクマネジャー養成講座で学んでいました。『資格指定テキスト自然災害リスク編』を参考に、内規を作成し、一定の条件の下でスタッフが参集するように取り決めをしたことで、混乱無く非常時の対応を統一することができました。

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各施設で消防訓練を必ずやると思いますが、その際に併せてこのような事態を想定した訓練を行っておくとよいと思います。消防訓練の実施は義務づけられており、消防署の人も来ますので、その時には地元の消防団の人も呼んで自分たちでも訓練をすると良いと思います。

 それから飲料水やオムツなどの衛生保清材料、医薬品、清拭用タオルなど、不足した物資が届いてきました。しかし、例えば点滴のボトルだけがきて、補液のセットがなくて使い物にならない、ということもありました。また、「福島県老人保健施設協会」宛てに当施設に物資が来るので、通所リハビリテーションのスペースが救援物資で一杯になりました。そこでどうしようもなくなり、通れる道路を確保して、県内各支部から取りに来てもらうという形にしました。

(つづく)

研究大会開きました(その6)

【本間達也先生特別講演(3)

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 次にガソリンですが、とにかくガソリンがありません。福島原子力発電所が水素爆発したので、福島県にはガソリンが来ないという話にもなりました。市内のスタンドでは1000円分のガソリンを入れるのに5時間並んで待つという状態が1週間続きました。裏ではリッター1万円という取引も出てきました。本当に車というものはガソリンがないと鉄のかたまりなんだと思いました。2週間後に東京に行き、マスコミとの懇談会でも、福島県の老健協会の会長として最初に訴えたのは「ガソリンを下さい」ということでした。宮崎もそうだと思いますが、福島は都会ではなく職員は軽自動車で通勤していたので、相乗りをするなどして対応しました。したがって「歩いてできること」をまず考えました。非常に苦労しました。

 そんな中、第一に利用者の安全確保に努めました。停電後は消防用自家発電機が機能していましたが、2時間後にはそれもストップしました。私どもの施設は2階と3階が療養室となっており、利用者を各階のナースステーション前に誘導しました。寝たきりの人はベッドごと誘導して一箇所に集まってケアを行いました。震災後、福島の気温は朝晩氷点下となり、降雪が続く中停電によってエアコンが使用できず、利用者の暖は衣服を厚着してもらいながら、毛布などで寒さ対策を行いました。ただ、これが8月だったら感染症が蔓延していたと思います。

 そんな中、外部の情報を得るために一番役に立ったのはラジオでした。手巻き式で発電でき、携帯電話などとつないで充電もでき、懐中電灯もついているもので、乾電池式不足の時に役立つ備品であり、貴重な情報源でした。

 そうこうしているうちに放射能の問題が出てきました。断水のためそれまで小学校や公民館の給水所に3時間から4時間並んで6リットルの飲料水の配給を受けていましたが、メルトダウンの問題が出てきてそれができなくなってしまいました。若いお母さん達などで隣県に逃げる人が続出しだしました。その時初めて原発の目の見えない恐ろしさを実感しました。

 飲料水以外の生活用水については、生愛会グループでは消防団にお願いし、ポンプで隣を流れる河の水をくんでもらいました。地元消防団や町内会とは消防訓練などを通じて普段から関わりを強化していました。それがこういうときに役立ち、非常に協力的になってくれました。風呂場に10トンの水をため、隣接の特養30床分11トンの使用を想定し、10日間分を確保しました。そういったこと等を通じて勉強になったことが数多くあります。

(つづく)

研究大会開きました(その5)

【本間達也先生特別講演(2)

 この大震災が発生したとき施設はどうだったかというと、ちょうど入所の職員はオムツ交換や離床介助、そして入浴介助をしていました。そして施設長は運良く回診中でした。また通所リハビリではレクレーションを行っている時間でした。

スライドに示しているのは女川町の写真です。私が住んでいるところからはちょっと時間がかかるのですが、ここでビデオを見て下さい。

 

(高い所から撮影したビデオで、津波が来る直前から始まり、海から津波が道路に押し寄せだしたかと思うと、瞬く間に町を飲み込んでいき、そして同じくらいすさまじいスピードで濁流が家屋や車、あらゆるものと共に海へと流れ去っていく内容でした。至る所で車のクラクションがショートし「ピーピー」と鳴り響き、これが大量のがれきがぶつかりながら流れて行く音と相まって、耳をつんざかんばかりの大音量となって町中に響き渡っていくという、大変ショッキングな内容の影像でした。)

 

 大津波が来るということで、女川町にある老健では全員3階に避難することを決定しました。避難住民の手を借りて、3階屋上に利用者を避難させました。雪が降りしきる非常に寒い中、屋上で頭から布団をかぶせながら待機していると、どんどん水が上がって来て、1階のデイサービスは浸水していきました。

 スライドは私どもの施設です(タイトル名:「東日本大震災によって発生した諸問題とリスクマネジャーとしての対応」)。うちの事務長は全国老人保健施設協会(全老健)の「リスクマネジャー養成講座」の一回生でした。当初はパニックに陥りましたが、養成講座の本をぱっと手に取り、マニュアルに従って災害対策本部を立ち上げてやっていきました。

震災直後のライフライン状況ですが、停電が3日間、断水が3日間、エレベーターの停止も3日間でしたが、余震が来ると自動的に止まってしまうので実際には一ヶ月くらい使えず非常に困りました。私どもの老健は2階と3階に入所のベッドがあるので配膳車が使えませんでした。固定電話の不通は4日間続き、当時は携帯もメールもだめでした。そこでリスクマネージャーが指示を出し、毎日各部署の幹部職員に朝8時半に集まってもらい、それから日が暮れるまで連絡の有無にかかわらず3時間ごとに集まって情報収集をしながら明日どうするか、ということを考えていきました。せいぜいラジオしか使えないという孤立無援の中で考えたのは「3時間ごとに集まってくれ。その間の情報をくれ」という原始的な方法です。そしてその中から状況を判断して「3時間後までにはこれをやってほしい」、「お昼までにはこれをやってくれ」、「どこで何が一番問題になっているか」「明日どうするか」、「3日後はどうするか」などと3時間ごとにやってホワイトボードに上げてトリアージしていきました。

これを日が暮れるまでやりました。その頃の福島県だと5時過ぎには暗くなります。暗くなると後はストップです。それは地震で信号が止まっていたこともあり、道路の一旦停止の所に軽自動車がすっぽり埋まってたということがあったからです。たぶん夜車を走らせていて、一旦停止しようと思ったら路面が陥没していたのがわからなかったのだと思います。車の中の人は出てこられたのですが、「夜は絶対活動してはだめだ」と瞬時に判断し、内規を作って取り組みました。パソコンがあってLANがあってメールでやりとりするなど対応するシステムがあるのはいいかもしれませんが、このときは携帯の基地も破壊されましたので、そういうことがほぼできない期間がありました。そこで何に戻るかというと、引き算して非常に原始的なやりかた、どちらかと言えばアウトドア的なやり方でやっていかないとだめだと思いました。

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(つづく)

研究大会開きました(その4)

【本間達也先生特別講演:概要(1)】

 まず、3年前の3.11の東日本大震災の際には、宮崎県、そして宮崎県老健協会から多くの支援を賜り、この場を借りて深く御礼申し上げます。

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 さて、「高齢者施設リスク、備えよ常に」というタイトルで話をさせていただくわけですが、宮崎も平成17年に台風16号による大きな災害を経験されていて、話を伺うと大変な状態だったのだと思います。今回の3.11は岩手県、宮城県、福島県のうち岩手県と宮城県はどちらかというと津波の被害で、福島県は津波に原発の事故ということで、原発の事故は未だに収拾がついていません。そこらへんを勘案して今日は津波の動画も持って来ました。目を伏せられるかもしれませんが、実際にこんな津波が来たのだということを忘れないためにも見て欲しいと思います。

生愛会(せいあいかい)グループ(http://www.seiaikai.jp/)は福島市の田園地帯にあるコンパクトなところです。17年前にできた医療法人生愛会と12年前にできた社会福祉法人生愛福祉事業団があり、介護老人保健施設生愛会ナーシングケアセンター100ベッドで、総合リハビリテーション医療ケアセンターが421日オープンします。特別養護老人ホーム生愛ガーデン(入居30名)、高齢者グループホーム生愛レジデンス(同9名)などがあります。

平成23311日午後246分に起こった東日本大震災は、太平洋三陸沖を震源とし、最大震度は7、マグニチュード8.8でした。私はその時福島県庁の隣の古いビルで介護予防に関する会議中でした。横揺れが終わらず、体感時間として5分は揺れているように感じました。いつ収まるのか予測もつかず、このまま全てが倒壊してしまののではないかという恐怖に見舞われました。「これで終わった、死んだ」と思いました。かなり厳しい揺れでした。人間というのはとっさになると「パニクる」と言いますが、会議は5階で行われていて、「逃げよう」と思って階段を下りていったら1階を通り越して地下まで行ってしまいました。地下で徘徊した後、やっと外に出たらまだ揺れていました。やっぱりマグニチュード8.8はひどいものです。地震の時間の長さと強さは壊滅的な影響を与えるものだと思いました。

(つづく)

研究大会開きました(その3)


 開会式に続き、特別講演がありました。講師には医療法人生愛会理事長で、一般社団法人福島県老人保健施設協会会長の本間達也先生をお招きしました。

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(激務の合間を縫ってはるばる来県下さった本間先生)

1960年、福島市生まれの本間先生は、東北歯科大学歯学部、金沢大学医学部大学院を卒業された医学博士。卒後は国立仙台病院口腔外科で勤務医として、特に「舌がん」の分野で数多くの臨床を経験されました。現在は生愛会グループの医療・保健福祉活動・運営の総指揮を執るかたわら、金沢大学医学部臨床教授、高知大学医学部臨床教授、奥羽大学歯学部客員教授を務められています。

また、全国各地の行政や各種団体より医療・介護のリスクマネジメントに関することや、災害医療・福祉活動、摂食・嚥下リハビリテーションや窒息・誤嚥性肺炎予防などのテーマでの講演依頼を受けて活動されています。

平成23年度厚生労働省国庫補助研究事業、摂食・嚥下障害関連の研究事業班の部会長、国の認定介護福祉士(仮称)の在り方に関する検討委員会委員、内閣府の介護人材ワーキンググループ委員などを歴任されている本間先生は、公益社団法人全国老人保健施設協会の常務理事も務められており、この日も大変お忙しい中を遠方よりお越し下さいました。

座長の介護老人保健施設ひむか苑の櫛橋弘喜施設長による講師紹介に続き、本間先生の特別講演「高齢者施設のリスク・備えよ常に」が始まりました。

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(座長の櫛橋先生)

東日本大震災を経験し、危機管理への重要性を再認識された本間先生による講演は、市民公開講座として行われ、一般からの受講も数多くありました。本ブログではその講演の概要を連載していきます。

(つづく)

研究大会開きました(その2)

 

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  午前10時。メイン会場の国際会議場(A)で開会式が始まりました。

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(総合司会は菜花園の事務長、小野美穂子さん)

 大会実行委員長の迫田耕一朗協会副会長が開会を宣言。「本日はみなさんで活発な討論をし、それぞれの施設に持ち帰り、参考にしてください」と呼びかけました。

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(迫田副会長)

 続いて大会会長の大野和男協会会長が挨拶。「2025年問題を見据えた地域包括ケアシステムの構築が進められている昨今、老人保健施設は多面的かつ複合的にその機能を発揮しながら、地域の核として来たるべく超高齢化社会を支えていく責務があるものと自負しています。老健施設をめぐっては、これから先も色々な問題があると思いますが、現場を預かる私たちは、質の高い介護を提供していかなければならないことは間違いありません。今日は各会員施設の皆さんの日頃の取り組みや、研究の成果が発表されることとなっていますが、闊達な質疑応答や情報交換をする中で、地域社会により一層貢献できる老健の姿を共に考えていきたいと切望しています。一方、南海トラフ巨大地震では、本県は甚大な被害が発生すると試算されています。万が一の事態に際し、災害弱者たり得る利用者、さらに地域住民のかけがいのない命を守ることも、老健施設に課された重責です。本日はわざわざ福島県から(福島県老人保健施設協会会長の)本間達也先生に来ていただき、特別講演をしていただきます。私たちの会を代表してお礼を申し上げます。朝から夕方までの長丁場の研修会ですが、しっかり勉強していきましょう」と言葉に力を込めました。

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(大野会長)

また来賓として、宮崎県福祉保健部の佐藤健司部長にご多忙の合間を縫ってご臨席下さいました。「皆様方には本県の高齢者の保健、福祉にご尽力いただいているのみならず、県政の発展全体にご協力をいただいており、御礼申し上げます。みなさん、900万人、1500万人、2000万人という数字を聞いて何を思われるでしょうか。まず900万人というのは、介護保険制度ができた平成12年における75歳以上の人口です。それが一昨年の平成24年には1500万人となり、さらにいわゆる団塊の世代が75歳になる2025年には2000万人になるだろうと言われています。医療と介護の両方を併せ持つ老健施設のみなさんが今後の医療・介護についていろいろ考えていただくのは大変ありがたいことです。簡単に医療と介護の連携と言っても難しいものがあります。2つの制度の間に隙間があり、その間でどちらにいけばいいのか、と悩む人も少なくないと思います。2つの制度を1つの制度として機能するようにみんなが考えていかないといけません。いろいろな職種や施設の連携も大事です。高鍋町が生んだ児童福祉の父石井十次は『天は父なり、人は同胞なれば、互いに相信じ、相愛すべきこと』という言葉を遺しています。今の世の中はこのような言葉を忘れがちですが、今こそこの言葉を心のどこかに置くことで、医療と介護の連携が進んでいくのではないでしょうか。今日の大会を通じてみなさんが1つでも2つでも気づきというものを自分のものにし、現場で活かしていただきたいと思います」と期待を寄せました。

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(佐野部長)

(続く)

研究大会開きました(その1)

 (公社)宮崎県老人保健施設協会は419日、宮崎市のサンホテルフェニックスで第11回の研究大会を開きました。約389人が参加し、講演や分科会などを通じ、研鑽と交流を深め合いました。

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(会場となったサンホテルフェニックス)

 今大会のテーマは「与えよう地域の未来に老健力! 社会資源としての存在価値をアピールしよう」。大会運営に当たるのは、県内の会員施設で日々高齢者ケアに勤しんでいる老健職員。早朝より集合したスタッフは、大会を盛り上げようと各々の受け持ちに分かれて準備に当たりました。

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003IMG_5385.JPG 県内各地から参加者が続々と来場。スタッフは受け付け開始時刻を繰り上げて対応しました。大会事務局は約350名の参加を見込んでいましたが、公開講座を受講しようと大会当日の申込も多数あり、メイン会場である国際会議場はほどなく満席となりました。004IMG_5358.JPG005IMG_5386.JPG006IMG_5391.JPG

(つづく)

研究大会レポート連載します

 428日付けブログより、去る419日(土)、宮崎市のサンホテルフェニックスで開催した「第11回宮崎県老人保健施設協会研究大会」の模様を連載します。

県内44の会員施設より350名を超すご参加をいただき、講演や分科会、さらにレクレーション研究発表等を通じ、研鑽を深めたばかりでなく、各会員施設に勤める様々な職種の皆様が交流の輪を広げた様子を、当日取材に当たった協会広報部会のメンバーがレポートしていきますのでお楽しみに。

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