「老健みやざき」発行しました

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 当協会が年2回発行している広報誌、「老健みやざき 第25号」がこのほど出来上がりました。近日中に会員施設を始め、関係機関の皆様のもとにお届けする予定です。ご笑覧いただければ幸いです。

 今回の「老健みやざき」のトップ記事は、316日に当協会が開いた、第9回研究大会の特集。これに続き、協会各研究部会等による研修会報告、そして会員施設の各職種の皆様による「リレーコーナー」さらに、シルバーケア新富の栄養士、織田政子さんによる「人気のおすすめメニュー」と続きます。

 なお、「老健みやざき第25号」は、当ホームページからも閲覧・ダウンロードできるようにする予定です。どうぞお楽しみに。

ついてみマッセ!?

  ビリヤードが大流行したのは、四半世紀以上の前のことでした。各地にビリヤード場ができて、大勢の若者達で順番待ちの状態でした。各地で大会もありました。あのNHK教育テレビでも「ビリヤード教室」が毎週放送され、若者の間でも「昨日の”ビリヤード教室”みたね?」「うん、見た!あの技をさっそく今日ためしに行ってみようや!」などと好評でした。しかしその後、人気は下火となり、ビリヤード場も無くなっていきました。球を上から突いて強い回転を与える「マッセ」という大変高度なテクニックがあったのですが、素人がやると高価なビリヤード台を痛めるためどの店にも「マッセ禁止!!」という張り紙が貼ってあったのも懐かしい思い出です。

 ところが、です。今、高齢者の間でビリヤード人気が再燃してきているらしいのです。330日の宮崎日日新聞に「高齢者に人気 ビリヤード 快感味わおう」という記事が載っていました。認知症予防にも効果がある、というのです。

 記事では、東京の有料老人ホームで開かれているビリヤード教室で、熱心に玉を突く高齢者の様子が紹介されていました。車椅子に乗ったまま、肩の高さで突く人もいるとのこと。

 高齢者がビリヤードをすることの効果として、専門家のコメントが紹介されていました、それによると、

(1)介護予防の基本である「足腰」と「身体のバランス機能」を鍛えるのに最適・・・

これは、太ももやふくらはぎなどの「抗重力筋」が鍛えられるだけでなく、球を突くときのダイナミックな動きで、身体のバランス機能の強化にもつながる

(2)球の全体の配置に気を配りながら、どのように落としていくかを考える過程が、認知症の予防になる

ということでした。うーん、なるほどφ(..)メモメモ。

 ビリヤードの魅力といったら、やはり球をカコーンと突いて、それが別の球にカキーンと当たって転がって、そして穴(ポケット)にスポッと入る時の快感でしょう。それが意図したコース通りだったら、最高ですし、そうでなくてもあたかも狙って突いたかのように決めのポーズをとったりしたものです。

球を突くことで、杖を突かなくてもよいくらい身体機能が向上したら、キュー(球を突く棒)を背中にしょって、さっそうと歩く高齢者の姿を見かけるようになるかもしれません。おまけに認知症の予防になって、生き甲斐にもつながれば、その一石二鳥、いや三鳥になるかもしれませんね。老健のリハの一環としてビリヤード、略して老健リハビリ、いかがなものでしょうか(^o^)

 

「カーネーション」は終わらない

 NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が大好評のうちに3月で完結しました。「カーネーション」効果で、ミシンの需要が高まったとの話も耳にします。毎週新聞に載る視聴率が常にトップクラスにあったのもうなずける、素晴らしい番組でした。44日の朝日新聞にはその脚本を書いた渡辺あやさんのインタビュー記事が掲載されていました。その中で「はっ!」と思わされる事を、渡辺さんは言っていたのです。

 記事は、「登場人物がたくさん死ぬ。悲惨な運命も容赦なく描かれる。それでも見ると励まされ、生きる力が湧いてくる。そんなドラマ」だった「カーネーション」を書いた渡辺さんと記者が、「人が不幸や不条理を乗り越える力はどこからくるのか?」を考える内容でした。

 その問いに対し、渡辺さんは「不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない」と答えていたのです。「あるところに大きな救いがあって、そこに自分も回収される、というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない」と。

 「すごく地味なこと」として、渡辺さんは、「人の役に立つこと」を上げていました。「大人だって本当は、誰かの役に立ちたいと強く願っている」と前置きした渡辺さんが、それをやってどうなるのか?ということについて「人の力になりたい、という気持ちが満たされた時、人は自分自身の価値を見いだせる」と結んでいたのです。これを読んだときです。「はっ!」としたのは。

 私たち老健施設に勤める者の仕事こそ、「人の役に立つこと」であり、「人の力になること」ではないでしょうか。もちろん、主役は利用者様であり、その生活の質、人生の質の向上を主体的に考えて仕事に従事するのは当然です。しかし、その事を通じて私たち自身が、自分自身の価値を見出すことができるという、非常に恵まれた環境の中で、私たちは日々業務に当たっていると言えるのではないでしょうか。

 そう考えて、胸の鼓動が高まるのを自覚しながら記事を読む私を見透かしたかのように、最後の段落で渡辺さんは、お年寄りと自分たちとの関わりについて「お年寄りにしか与えられないものがいっぱいある。私たちもお年寄りに与え、一緒に生きることで、自分の中で育てられるものがある」と言及していました。

 これはもう、やるしかありません!老健施設で働けることに感謝しながら、利用者に与え、一緒に生きましょう。そしてそのことによって、自分自身の価値を見出し、育てていこうではありませんか!!「カーネーション」の番組は終了しましたが、私たち一人一人の胸の内に、渡辺さんの言葉を刻み、日々の業務に邁進しようではありませんか。いつの日かそれぞれの心の中がいっぱいの「カーネーション」で満たされるように。

おぼろ月夜

 

 

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 「菜の花畠に入日薄れ 見わたす山の端霞ふかし 春風そよふく空を見れば 夕月かかりてにおい淡し」。老健の利用者様がご存知の春の歌ベスト3に入る(かもしれない)名曲がこの「朧月夜」です。

 「朧(おぼろ)」を広辞苑で引くと、最初に「はっきりしないさま。ほのかなさま。薄く曇るさま。ぼんやり。ほんのり。朦朧(モウロウ)」とあります。いずれもクリアーなイメージとは対極にあります。しかし、日本人にとっては、これがいいんです。「日本人はハッキリしないネ。あいまいはダメよ。はっきりしなさい!おぼろはNo!!ね(`ヘ´) 」と他国の人から言われたとしても、朧昆布、朧豆腐、朧饅頭、そしてこの朧月夜、いとおかし、です。

 それにしてもこの「朧月夜」の歌詞はなんとも素晴らしい叙景詩だと思います。特に2番がしびれます。と言っても、5つの風景(うち2つはがそれ発する音)を並べただけなのです。つまり、

(1)里わの火影(ほかげ)

(2)森の色

(3)田中の小路(こみち)をたどる人

(4)蛙(かわず)のなくね

(5)かねの音

これらを列挙し「それがどうした?」と疑問を抱かせておいて、最後に・・・

「さながら霞める(かすめる)朧月夜」

と締めくくっているわけです。ちなみに、この場合の「さながら」は「のこらず、すべて」という意味で用いられていると思います。こいつはやられた!です。結句に至るまでに、それぞれの様子を想像させておいて、これらをいっきに霞めてしまうのですから。そして改めてこれら5つの姿を思い浮かべ直す作業をするうちに、この曲の素晴らしさを再認識し、春のこの時期の「朧」な美しさに心を打たれてしまいます。単に視覚的要素だけでなく、「蛙のなくね」、「かねの音」という聴覚を刺激する要素も入れ込んだところがまたいいです。作詞された岡野貞一氏の思う壺にまんまとはまって、心打たれてしまいます。

 44日の朝日新聞に、「Jポップ歌詞 瞳閉じすぎ? 目立つ紋切り型に批判も」という記事がありました。最近のヒット曲には、「あれ、このフレーズ、どこかで聞いたような」というのが増えているのではないか?と問題を提起する内容でした。

 

 

DSCN2010.JPG せっかくの春のこの時期、みんなで「朧月夜」を歌いつつ、その歌詞の素晴らしさを堪能しながら、これから日本の音楽はいかにあるべきか、考えてみてはいかがでしょうか。

よっしゃー!!

 よっしゃー!ヨッシャー!よっしゃー!!ヽ(^^)ノ!!本日411日は、なんとガッツポーズの日なのだそうです。個人的には漫画「スラムダンク」の主人公、桜木花道が腰を落とし、両腕を激しく突き上げ、雄たけびを上げながらやるガッツポーズが頭に浮かぶのですが、そもそもの起こりはバスケットボールではなく、ボクシングに由来するようです。

 そうです。ボクシングでガッツポーズとくれば、この人、ガッツ石松さん。昭和49年(1974年)、ボクシングの世界ライト級タイトルマッチで挑戦者だったガッツさんが見事8KO勝ちを収めたとき、両手を上げてガッツポーズをとり、喜びを表現したことが、本日を「ガッツポーズの日」と定めた由来のようです。

 今ではお笑い芸人みたいになっているガッツ石松さんですが、れっきとした世界チャンピオンなんです。当時、格闘技はプロ野球と並ぶ大衆娯楽として昭和のゴールデンタイムをにぎわせていました。ボクシングだけでなく、プロレスリング、キックボクシング、さらにはローラーゲーム(なに、知らない?(_)!!)。今、老健を利用されている方々で、それらの熱狂的なファンだったという人も少なくないはずです。ネットを探せば、当時の動画も見つかります。医師の指示のもとで、過度な興奮を与えない範囲で観戦していただくのもよろしいのではないでしょうか。

 なお、「ガッツポーズ」は和製英語です。「ガッツポーズをとる」を英訳すると、”hold
one’s fists in triumph
“となります。また、”ガッツ”は”gut“の複数形”guts“で、「勇気、根性、ガッツ」の意。これが単数形”gut“だと、「腸、はらわた、内臓」等という、違った意味になってしまいます(「肝っ玉」((pluck))という意味合いだとわからなくもないですが)。 

余談ついでにさらに脱線すると、テニスのラケットに張る糸を”ガット(gut)“と言いますが、もともとは羊の腸等で作られていました。1970年代のテニス界のスーパースターと言えば、ビヨン・ボルグ。彼のラケットにには80ポンドとも言われる、ぎっちぎちに固く張られたガットが張られ、今では当たり前となったトップスピンを繰り出し、一時代を築き上げました。このボルグ選手がライバルの”悪童”ことジョン・マッケンロー(こちらのガットはゆるゆるでした)とウインブルドンでの熱戦を制したとき、寡黙で冷静な彼がコートに膝をつき、両手を突き上げてガッツポーズをとり、初めて感情を露わにした姿がとても印象的でした。ただし、その後のインタビューで、ボルグ選手が「超うれしい」ならぬ、「腸うれしい」と言ったかどうかは定かではありません。お後がよろしいようで<m(__)m>

「なんだろう?」が大事

  46日の朝日新聞に「神経性激痛原因分子に”親分”」という記事が載っていました。けがや病気が治った後にも激しい痛みが残る「神経障害性疼痛(とうつう)」を引き起こすたんぱく質を、九州大学大学院の研究グループが明らかにした、という内容でした。世界で2千万人が苦しんでいるとされるこの痛みのメカニズムが解明されたことで、早くその治療法が確立されるといいと思いながら読みました。

 さて、その記事から目を下に移した次の瞬間、「なんじゃこりゃ?」としばしあっけにとられてしまいました。その記事には「ゴッホの”モコモコひまわり”謎解明」という見出しが立っていたのです。

 あのゴッホの名画「ひまわり」に登場するモコモコした花を咲かせる遺伝子を、米国の研究チームが特定したという内容でした。通常は褐色の中心を黄色の花びらが囲むのに対し、ゴッホの「ひまわり」には、黄色の花びらが全体に密集した「八重咲き型」も登場しており、その現象が起きる理由がこれまで謎だったのだそうです。

 研究チームでは掛け合わせや遺伝子解析を行い、その謎を解明したとのこと。その事自体、称讃に値するのですが、ゴッホの名画を単に「ああ、美しい絵だなあ」と鑑賞するのではなく、植物学的観点からとらえて、「このひまわり、普通のものとどこか違うんじゃないか?」と疑問を持つところがすごいと思いました。その一方で自らを省みたとき、ネット社会のまっただ中にいて、あまりにも多くの情報が溢れ、かつ簡単に入手できるため、それら一つ一つをじっくり吟味せず、鵜呑みにしているのではないか?と、考えてしまいました。

 「なんだろう?」、「なんでだろう?」と疑問を持つこと。これは研究の第一歩だと思います。私たち老健施設に勤める者にとってもこれは同じ事が言えるのではないでしょうか。日々何気なくこなしている業務や、目の前で起こっている様々なことに疑問を持つことが、ケアの向上や、利用者の生きがいの創出、そして私たち自身にとって、働くことの喜びにつながる第一歩になるのではないか?と思わされた”モコモコひまわり”の記事でした。

その差50度(゜_゜>)

 普段はすごく慌ただしく新聞を斜め読みすることが多いのですが、せっかくの休日にはじっくり読み込んでみよう!ということで、ちょっと前のことですが、331日の宮崎日日新聞、その活字を一字一字、ていねいに拾ってみたのでした。そうすると、びっくりするような小さな記事もあることに気付きました。

 それは「世界の天気 WORLD WEATHER」(328から29日、AP通信)の欄。ここなんぞは平日に目を通すことなど、まずあり得ません<`ヘ´>。なぜならば、関係ないからです。ソウルに北京に香港など、世界12都市について、晴れか、雨か、はたまた曇りか、などと書いてあるのですが、行かないもん(_)!!っていうか、行けないもん(ToT)。それを知ってどうしろというのか?と思っていたのです。

 ところが、この日、そこをまじまじと読んでみると、驚愕の事実に気づきました。バンコクの最高予想気温は37度!わぁお、すんごく暑いじゃん!!一方、モスクワの最低予想気温はというと、なななんとマイナス13度!!ひゃあ、とっても寒いじゃん!!そしてその差は実に50?(o)/!世界にはたくさんの人々が住んでいるとはいえ、よくもまあ、こんなに寒暖の差がある中で、みんな暮らしているのだなあ、と驚かざるをえませんでした。ちなみにモスクワの最高予想気温は1度。これはソウルの最低と同じでした。うーん、人間って、すごい。

 世界の天気はさておき、今週の宮崎はいまだに朝晩の冷え込みが厳しい時があります(今日はそうでもなかったですけど)。4月になったのに、です。これぞ、「春寒」ということでしょう。老健に勤務されている皆様におかれましては、利用者の体調管理に十分留意するとともに、自身の健康にもお気をつけて業務に当たりましょう。

春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)

 「春風駘蕩」と書いて「しゅんぷうたいとう」と読みます。広辞苑には「春風がのどかに吹くさま。転じて、性格・態度がのんびりしているさま」とあります。たしかに春の風は、本来ならば他のどの季節のそれと比べても心地良く肌をなでて行くように感じます。これは、冷たい冬の風にさらされた後だから、よけいにそう思えるのかもしれません。ついつい居眠りしてしまいそうですが、仕事中の方はダメですよ。なお、「本来ならば」と前置きしましたが、先日全国で猛威をふるった爆弾低気圧。あの台風並みの暴風については、「春風」と呼ぶにはあまりにも激しすぎました。


 さて、いただけないのは「春風駘蕩」の後の方の意味。”性格・態度がのんびりしている”というのは、宮崎の県民性を言い表すときに、必ずといっていいほど出てくるフレーズです。そしてそれを後押しするかのように、「よだきい」(=おっくうだ)、「のさん」(=いやだ、きつい)という方言が紹介され、さらには時間にルーズなことを言う「日向時間」なるものが、とどめとばかりに付け加えられて、一宮崎県民としては何とも複雑な心境になってしまいます。だけど、のんびりなのは、悪いことばかりじゃあありません!


 以前、国道ウン号線(片道一車線)を中古の軽自動車走っていた時のことです。7台の車列の先頭を走っていたのですが、上り坂にさしかかる頃、前方に登坂車線(とうはんしゃせん)が見えてきました。左側の車線に「遅い車」と書いてあるあれです。中古の軽自動車の私は、迷わずその「遅い車」の方を登り始めました。後ろの車の人達が先に行くだろう、と。ところがいつまでたっても一台も抜いて行かない。疑問に思ってルームミラーを見てびっくり!!


 なんとそこには、後ろの6台すべてが、「遅い車」のレーンを走っている光景が映っていたのです( ゜Д゜)!!。みんなが”ダチョウ倶楽部”よろしく、「どーぞ、どーぞ」とやっていたわけです。なんという徹底したのんびりぶり、そしてなんとすばらしいゆずり合いの精神でありましょう!「ああ、宮崎県民でよかったなあ」と感慨にふけりつつ、車順はそのまま。7台編成キャラバンの先頭を走り続けたのでした。


 春風駘蕩の頃に合わせて、春の交通安全週間が今日から始まります(15日まで)。通所サービスの送迎時はもとより、訪問や通勤の行き帰りの際にも安全運転を心掛けましょう。春風駘蕩だからといって、居眠り運転は御法度ですよ!

何でもないようなプロの技

 327日付けの日本経済新聞の文化欄には、あの有名なナレーター、の中村啓子さんの記事が載っていました。えっ、知らない(-_-;)。たしかに名前は知らない人がほとんどかもしれません。しかしその声は、だれもが必ず聞いたことのあるはずです。


 「午後○○時○○分○○秒をお知らせします」という、時報の案内ダイヤル(117番)、あのナレーションの声の主こそ、中村啓子さん。ナレーター歴40年超の大ベテランだそうです。ああ、あの声か!と納得されたのでは。


何気なく聞いてしまうあのナレーションですが、録音は大変なのだそうです。といっても、24時間のすべての10秒ごとの時刻を録音するのではなく、「時」と「分」と「秒」を分けて録音し、それを組み合わせているのだそうですが、それら全ての言葉(単音や数字)が、同じ音圧になるように、メーターで測定しながら発音していくとのこと。また、電話番号案内サービス(104番)も中村さんの声とのこと。奇数列の数字は語尾を上げ、偶数列の数字は語尾を下げるという2パターンのアクセントを使い分けているそうです。聞いている方にとっては、そんな苦労はまったく伺い知ることがありませんでした。というよりも、むしろそれを気付かせないのがプロの技なのだなあ、と頭が下がる思いでした。


ひるがえって、私たち老健施設における仕事を考えるとき、「ADLの介助」があります。「ADL」とは「日常生活活動動作」のことですが、その定義は「一人の人間が、独立して生活するために行う、基本的な、しかも各人ともに、共通に毎日繰り返される一連の身体動作群」を言います(1976年、日本リハビリテーション医学会による)。つまり、「普段の生活で誰しも必ず何気なくやっていること」といったところでしょうか。例えば排泄動作の場合、「さあ、今から排泄動作スタートだ。まずはトイレまで移動しよう。扉を開けて中に入り、閉めながらクルッと方向転換しながら鍵をかけて、便器に腰掛ける前にズボンと下着を下ろさなきゃ。それから腰掛けて・・・」などと、いちいち確認しながら行ってはいません。その他の日常生活活動動作についても、何気なく、しかし毎日何度も必ず行っているわけです。苦労や痛みを伴うこともない、「なんでもないようなこと」とも言えるでしょう。ただし、それをやらなければ、日常生活を送ることはできない。それがADLです。


ところが、心身機能が低下してくると、それが「なんでもないようなこと」じゃなくなってしまう。大変な努力を要したり、苦痛を伴ったり、失敗してしまったりする。そうすると、日常生活に重大な支障を来してしまうことになります。そこで介護力が必要となってくるわけです。だからといって、なんでもかんでも手助けしてやっては、その人の残存能力まで失ってしまうことになりかねません。過重な努力や苦痛を回避しながら、その人の能力を最大限に発揮して、目的動作を達成するにはどうするか?ここが老健スタッフの腕の見せ所です。


他職種が連携して利用者一人一人のADL能力を評価し、その人その人に最も適した介助を行い、日常生活活動動作を「なんでもないようなこと」として遂行できるようにすること。これがプロの技と言えるのではないか?と自らを振り返る契機になった記事でした。

「台風並み」という表現

  それを聞いて、「まさか!?」と耳を疑ったのですが、それはまさしくその通りでした。昨日(43日)は猛烈に発達した低気圧が全国に吹き荒れ、各地に甚大な被害を及ぼしました。その前日の天気情報で、「台風並みの暴風が吹く」と表現していたのです。しかし、外は桜がほぼ満開。各地でイベントも計画され、はたまた春の選抜高校野球勝戦も予定されている中で、それはにわかに信じがたいものがありました。それでも現在の天気予報の精度はかつてと比較にならない高まっていますので、心づもりはしておいたのです。

 しかして、予報の通り、朝、激しく雨が降り、そして雷も鳴り響き、それから急速に青空が広がってきたと思いきや、まさしく「台風並み」の強い風が吹き出したのでした。それに従い、テレビも通常の番組をやめ(当然甲子園決勝も延期です)、各地の荒天の様子やそれにともなう被害状況、交通機関の乱れなどを伝え始めました。桜が散ってしまうどころの話ではありません。やはり「台風並み」という表現に、首をかしげる余地はなかったのだと、その時に確信しました。

 テレビのバラエティー番組など、効果的な演出をするために、意図的に表現を大げさにして見る者を楽しませることがあります。しかし、それはそれ。今回の天気情報のように、私たちの暮らしと密接な関係があるものについては、情報を適切かつ冷静に受け止めないといけないのだと改めて思い知らされました。

 

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