”幸せって何だっけ?何だっけ?“というCMソングが以前ありました。明石家さんまさんが歌って踊って、調味料を宣伝していたやつです。そのCMにおいて、幸せとは、「その調味料が家庭にあること」と帰結していました。そりゃそうだ。CMですから。それにしてもこのCMとCMソング、流行りましたね。子供も大人も”しあわせぇーってなんだあっけなんだあっけ・・・”とツイスト(?)を踊りながらやってました。
しかし、改めて「“幸せ”って何だろう?」と考えさせられてしまう記事がありました。1月20日の日本経済新聞の「経済教室」のコーナーです。「急がれる幸福度の指標整備:生活の質・持続可能性重視」と題したその記事の中で、経済協力開発機構(OECD)事務次長の玉木林太郎さんが、日本における幸福度について「客観的な指標は良いにもかかわらず、主観的な満足度が低い」と指摘していたのです。
これによると、経済システムの機能にとどまらず、人々の生活水準に関心を寄せてきたOECDは、人々の幸福度やその向上を測定することを最優先課題に位置づけているのだそうです。それは、国内総生産(GDP)を代表とするマクロ経済統計だけでは、人々の社会経済状況の理解が困難だからであり、これを補完するためには、統計を整備し、人々の生活と直接関係を持つ指標が必要であるとのこと。そのためにOECDは(1)生活の物資的な状況、(2)生活の質、(3)持続可能性といった相互の関連する3つの領域を検討対象とした分析の枠組みを作成した、とありました。
このようにして幸福度の指標を整備する上での留意点の一つとして、玉木さんは「幸福度の客観的および主観的側面の双方を対象として考察する」ということをあげていました。それは、客観的構成要素は、人々の生活状況や生活の質を評価する場合に、そして主観的構成要素は、人々の心理的側面をとらえるためにそれぞれ重要だからだそうです。
ところが、このような視点から日本における幸福度を見ると、所得、雇用、教育、健康など、客観的な指標においては、OECD平均を満たすか、これを超えるのに対し、主観的な満足度として、「全体として生活に満足しているか」と問われ、「満足している」と答える日本人は40%しかおらず、59%であるOECD平均を大きく下回る結果が出ているのだそうです。
この原因として玉木さんは、「ゆとりの欠如や格差の拡大、人々の孤立や将来不安などが、主観的な満足度を引き下げている可能性がある」として、こうした点の解明や、問題点の改善が重要な政策課題になるであろう、と提起していました。
それで、冒頭の”幸せって何だっけ?何だっけ?”というCMソングが頭の中で流れ始めたわけです。私たち老健に勤める者は、日常の仕事の中で、「生活の質」という言葉を少なからず用いますが、果たして「生活の質」とは、そして「幸せ」とは一体何でしょうか???つまり、私たち側が「利用者の〇〇さんにはこういうケアを行ったら、生きがいのある、幸せな生活が送れるだろう」と思って、それを実際に行ったとしても、肝心の〇〇さんが、「ああ、こういうケアをしてもらって、私は生きがいのある、幸せな生活を送ることができているなあ」と思われるかどうか?ということです。その客観的幸福度と、主観的幸福度の間に隔たりがあるとすれば、その原因を解明し、問題点を改善して、ケアのありかたを見直さなければならない、ということになります。
調味料を買ってくれば済む問題ではありません。今後、幸福度の指標がどのように整備されていくか、関心を持って見守るとともに、私たち自身も「生活の質とは?」「幸せとは?」ということを常に問い続けながら、主客が高いレベルで一致するようなケアを目指していきたいと、この記事を読んで思いました。