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漢字のふりがな

 歌手の欧陽菲菲(オウヤンフイフイ)さんは、歌詞にふりがなをつけていたのだそうです。といっても、ひらがなではありません。漢字・平仮名・カタカナ・アルファベットなどが入り交じったいわゆる「日本語」の歌詞に漢字をふって、それを読んで歌っていたとか。「こーぬかー、あめふるー、みーどーおーすーじー」(雨の御堂筋)と迫力満点の歌声で聴く者のハートをしびれさせていましたが、その裏側ではこのような苦労もされていたと知ると、頭が下がる思いです。

 広辞苑をひもとくと、「漢字の傍にその読み方を示すためにつける仮名。傍訓」とあるのがふりがな(振り仮名)です。そうです。ふり「仮名」ですから、ひらがな、もしくはカタカナでつけるのがふりがなであって、「漢字のふりがな」というと、その表現は正しくはありません。

 それはそうとしても、最近思うのです。今の社会で用いられている言葉が、高齢者にとって理解し辛いのではないのか?と。特にIT化が進んだ現代、その関連用語は難解なのではないでしょうか。また、”TPP“などのようにアルファベット3文字前後で表す言葉もあまりにも多すぎると感じます。

 実際、先日NHKラジオに耳を傾けていたところ、「現代の流行語の意味がわかるよう、漢字をふって欲しい」旨の高齢の方による投書が紹介されていました。ユニバーサルデザイン(この言葉自体も理解困難?)が提唱されて久しい今日この頃ですが、外来語を含めた現代の日本語にも、ふりがな・・・じゃなくて「ふり漢字」をつけて、みんなが使い勝手よく日本語を使えるようにすることも、考えるべき時に来ているのではないでしょうか。

断簡零墨

 「断簡零墨」と書いて「だんかんれいぼく」と読みます。タレントの名前ではありません。「断簡」は「切れ切れになった書きもの」、「零墨」は「書いたものの切れはし。墨跡の断片」という意味です(『広辞苑』より)。つまり、メモです。走り書きです。

 多くの職種が共に働く老健施設。それぞれの専門性が必要とされる職場だけに、勤務中にいろいろな事があります。確かめるべきこと、連絡するべきこと、記録するべきこと、準備するべきこと、相談するべきこと、そして忘れてはいけないこと・・・。それは自分の専門の事に限らず、他職種の分野の事が少なからずあるわけです。

そんな色々なことを一つ残らず、しかも正確に記憶できる人がいれば、それはそれで素晴らしい事です。『記憶力を伸ばす技術 LEARN TO REMEMBER』(産調出版)という本を著したドミニク・オブライエンという方は、世界記憶力コンテストに8回も優勝(2002910日時点)した、コンピュータ並みの記憶力の持ち主です。012つの数字だけが無作為に2385個も延々と並べられた列を30分以内に記憶するというとんでもない世界記録(上記と同時点)を持つ彼のような方ばかりであれば、断簡零墨なんて必要ありません。しかし、そんな記憶力とは無縁の方は私だけではないはず・・・。

 「びぼう」のために、断簡零墨をとりましょう!「びぼう」って「美貌」のことかって?失礼(_ _)。「備忘」です。備忘録があると、「あれ?なんだったけ?」という事態に陥ることを防ぐことができます。もちろん、紙切れ一枚の走り書きでも構いません。失念を回避できるだけでなく、後々に重要な資料、情報、証拠になることだってあります。

55日の宮崎日日新聞には、ソフトバンクグループが社内業務で紙を一切使わない「紙ゼロ」の取り組みを始めたと報じていました。全社員(2万人!)に支給しているiPadを用いることで紙を不要にするそうですから、これが断簡零墨の代わりになるのでありましょう。しかし、いずれにせよ何かに記しておくことが肝要と言えます。チラシの裏面を活用しても構いません。走り書きは大事です。

 なお、「走り書き」に関して注意点を2つ。1つめ。実際に走りながら書くのは非常に困難で、後から見直しても解読不能に陥る恐れがあるばかりでなく、前方不注意になって転倒や衝突の危険性が非常に高いのでおやめ下さい。2つめ。「走り書き」にぎょうにんべんがついて「徒書」となると、これは「いたずらがき」。すなわち落書きとなります。場合によっては犯罪になる恐れもありますので、絶対におやめ下さい。

研修会を開きます(看護介護研究部会)

 (社)宮崎県老人保健施設協会看護介護研究部会は68日(金)、宮崎市のニューウエルシティー宮崎で管理者研修会管理者研修会を開きます。時間は13時から1630分まで(12時半より受付)。

 講師に総合メディカル株式会社の小宮裕恵先生を招き、管理職に必要な「部下のやる気を引き出すコーチング」「管理職のリーダーシップとコミュニケーション」について学びます。

 なお、参加費として一人500円が必要です。参加申込み締め切りは521日。お申込みおよびお問い合わせは介護老人保健施設春草苑(担当:仮屋、TEL0985-39-8899)までお願いします。詳しくはこちらをご参照ください。

黄金週間に悲劇週間?

 世の中はゴールデンウィークも終盤となりましたが、老健施設に勤務されている皆様におかれましては、それとは関係なく日々業務に励んでおられるかと存じます。

 さて、私事でありますが、一昨年、すなわち平成22年の黄金週間の頃、「悲劇週間」という本を読んでおりました。別に休めないことへの当てつけでは決してありません。たまたまです。まったくの偶然です。ほんとですってば。

 著者は矢作俊彦(やはぎとしひこ)、文芸春秋から2005年の1215日に第1刷が出ていました。時代は明治から大正にかけて。メキシコに赴任したエリート外交官の息子が主人公でした。詩人を志す彼が、メキシコ革命後の内乱に巻き込まれていく様を描いたものでした。大統領の親戚にあたる美しい女性と恋に堕ちるのですが、果たしてその結末は・・・。  

著者がすごく力を入れているのが伝わる長編大作で、倒置的な表現が繰り返し用いられ、作品に一定のリズムを与えていました。また、夏草そよぐ中にたたずむ白い衣装の女性を描いた(?)表紙の絵にもひかれました(著名な画家が描いた作品だったのではないでしょうか)。

 タイトルとはうらはらに、黄金週間を「悲劇的」ではなく過ごすことができました。もしご興味がある方がおられましたら、ご一読を。

雑草とは何か?

 「雑草とは何か?その美点がまだ発見されていない植物である」と言ったのは、アメリカの思想家で、詩人でもあるR.W.エマーソン(「生きる勇気がわく言葉」、夏村波夫編、雄鶏社)。これは「人には必ずいい所がある。めげず、あきらめず、努力を続ければ、必ず能力は開花する」という事を言わんとしているようです。英語のことわざには、”Every dog has his day.“(誰にでも得意な時代があるものだ)というのもあります。自分の特技や、いいところがわかっている人もいれば、そうでない人もいるはず。お互いにいいとこを見つけ合っていくことで、雑草は名花へと変身していけるのではないでしょうか。

 所変わって日本には、「五月蕨(わらび)は嫁に食わせるな」ということわざがあります(「暮らしの中のことわざ辞典」、折井英治編、集英社)。これは、「5月のわらびはおいしいので、こんなうまいものは嫁に食わせるな」という意味だそうですが、それはないんじゃない<(^´)>。しかし、雑草にも見えなくもないワラビに美点を見いだし、最初に食べた人はすごいと思います。

 それはそうと、庭の雑草がどんどん生えてきている今日この頃です。草むしりをするべきか?はたまたそのまま伸ばして美点を見つけるべきか?悩める今日この頃です。えっ?「悩まずむしれ」って!?(-_-;)

天岩戸神社春季大祭

 52日と3日の両日、高千穂町の天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)の春期大祭が行われます。ご存知、天照大神(アマテラスオオミカミ)が暴れん坊の素戔嗚尊(スサノオノミコト)に立腹、隠れ込んだのがこの天岩戸。そして世界は闇に閉ざされたのでした。

 さあ、これは困った!!何とか光を取り戻さねば、と八百万(やおよろず)の神が相談し、日向神話最大のダンスイベント(?)を開催。天鈿女命(アマノウズメノミコト)が天岩戸の前で踊ったのでした。しかも上半身裸で(*^_^*)

あまりの賑やかさに「おやっ!なんだろう?」と思った天照大神、そっと岩戸を開けたところ、ここぞとばかり登場したのが日向神話最強のアスリート、手力男命(タヂカラオノミコト)。しっかと岩戸をつかむと、自慢の怪力でこじ開け、えいやっ!と投げ飛ばしたその岩戸、なんとなんと!長野県は戸隠まで飛んで行ったのでした。そして世界に光が蘇ったのでした。めでたしめでたし。・・・ん?待てよ!

古事記編さん1300年を迎えた今年、つまり2012年の521日の朝。何とこれと同じ現象が起きるじゃあありませんか。そうです。金環食です。太陽が岩戸、じゃなくて月に覆われ、世界が闇に包まれてしまうのです(金冠なので、真っ暗闇ではありませんけど)。しかも、我らが宮崎県は串間市が絶好の観測スポットとのこと。歴史は繰り返すと言いますが、さすがは日本最古の歴史書、古事記。日向神話はノンフィクションであったことが、今改めて証明されようとしているわけです。やったあヽ(^o^)丿!・・・ん?もう一度、待てよ?

するってえとなんですか。月の裏側には天照大神が潜んでおられるってわけですかい?でもって、表側からは天鈿女命が半裸で踊りを捧げるとなると・・・こりゃあ大変だ(_😉。今の日本でそれをやっちゃまずいっスよ。あと、手力男命が月をつかんで、どっちに放り投げるのか?それも心配。間違っても地球に投げちゃあヤバイっスよ?(o)/!

それはともかく、古事記編さん1300年で盛り上がる宮崎県で、めったに見られない天体ショーが拝めるのは意義深いものを感じます。安全面に十分配慮して、利用者様と一緒に金環食を楽しめるといいですね。今から当日の好天を祈りたいと思います。

五月になりました

 5月です。皐月(さつき)です。薫風の候です。詩人の立原道造は「五月の風をゼリーにして」と言い遺して、世を去ったそうですが、まさにそんな爽やかな季節となりました。

 その一方で、「新人社員や大学の新入生などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状」(ウィキペディアより)が現れてくるのもこの時期です。そうです。「五月病」です。県内の各老健施設でも4月から新入職員を迎え、その指導・育成に取り組まれてきたと思いますが、いかがでしょうか。

 第一生命が427日に発表した「第25回サラリーマン川柳コンクール」。その輝かしい第1位は、というと「『宝くじ 当たれば辞める』が合言葉」・・・。うーん、秀作なれど、なんだか笑えない、むしろ哀愁が漂ってきそうです。

 物理学的いう仕事とは「物体に加えた力と、力の方向への変位の積(「例解と演習
物理?」、数研出版)です。しかし、「いやあ、今日は俺、60,000ジュール仕事したぜ」などと言って満足する人はあまりいないはず。そしてまた、「宝くじが当たったから、私は一生遊んで暮らすのよ」というのも、いかがなものでしょうか(たしかに、当選金があまりにも高額だったら、仕事はおろか、おいそれと外へは出られなくなるでしょうけれど)。

 仕事を通じて得られるものは、金銭だけではないはず。特に私たちが働く老健施設は、人生の大先輩から多くの事を聞き、知ることのできる、学びの場でもあります。

 新人職員が夢と希望を持って仕事が続けられるよう、利用者にとってのみならず、私たち自身にとってもより魅力的な老健施設にしていきましょう。

連休まっただ中

 本日、430日は昭和の日(429日)の振替休日です。中には51日、2日も休みにして、なんと9連休!!にしている企業もあるとのことですが、老健施設に勤める者にとっては関係ありません。むしろ、平日以上に細心の注意を払って業務に当たりましょう。

 そして今日で4月も終わり!あっという間に今年も3分の1が終わってしまいました。今年の目標や計画を立てた方、進み具合はいかがでしょうか?また、立ててない方、今からでも遅くはありません。2012年の残り8か月を有意義に過ごすために、「これをやるぞ!」というものを決めて、取り組んでみてはいかがでしょうか。五月だけにレッツゴーゴー!です(;一_)

「カーネーション」は終わらない

 NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が大好評のうちに3月で完結しました。「カーネーション」効果で、ミシンの需要が高まったとの話も耳にします。毎週新聞に載る視聴率が常にトップクラスにあったのもうなずける、素晴らしい番組でした。44日の朝日新聞にはその脚本を書いた渡辺あやさんのインタビュー記事が掲載されていました。その中で「はっ!」と思わされる事を、渡辺さんは言っていたのです。

 記事は、「登場人物がたくさん死ぬ。悲惨な運命も容赦なく描かれる。それでも見ると励まされ、生きる力が湧いてくる。そんなドラマ」だった「カーネーション」を書いた渡辺さんと記者が、「人が不幸や不条理を乗り越える力はどこからくるのか?」を考える内容でした。

 その問いに対し、渡辺さんは「不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない」と答えていたのです。「あるところに大きな救いがあって、そこに自分も回収される、というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない」と。

 「すごく地味なこと」として、渡辺さんは、「人の役に立つこと」を上げていました。「大人だって本当は、誰かの役に立ちたいと強く願っている」と前置きした渡辺さんが、それをやってどうなるのか?ということについて「人の力になりたい、という気持ちが満たされた時、人は自分自身の価値を見いだせる」と結んでいたのです。これを読んだときです。「はっ!」としたのは。

 私たち老健施設に勤める者の仕事こそ、「人の役に立つこと」であり、「人の力になること」ではないでしょうか。もちろん、主役は利用者様であり、その生活の質、人生の質の向上を主体的に考えて仕事に従事するのは当然です。しかし、その事を通じて私たち自身が、自分自身の価値を見出すことができるという、非常に恵まれた環境の中で、私たちは日々業務に当たっていると言えるのではないでしょうか。

 そう考えて、胸の鼓動が高まるのを自覚しながら記事を読む私を見透かしたかのように、最後の段落で渡辺さんは、お年寄りと自分たちとの関わりについて「お年寄りにしか与えられないものがいっぱいある。私たちもお年寄りに与え、一緒に生きることで、自分の中で育てられるものがある」と言及していました。

 これはもう、やるしかありません!老健施設で働けることに感謝しながら、利用者に与え、一緒に生きましょう。そしてそのことによって、自分自身の価値を見出し、育てていこうではありませんか!!「カーネーション」の番組は終了しましたが、私たち一人一人の胸の内に、渡辺さんの言葉を刻み、日々の業務に邁進しようではありませんか。いつの日かそれぞれの心の中がいっぱいの「カーネーション」で満たされるように。

よっしゃー!!

 よっしゃー!ヨッシャー!よっしゃー!!ヽ(^^)ノ!!本日411日は、なんとガッツポーズの日なのだそうです。個人的には漫画「スラムダンク」の主人公、桜木花道が腰を落とし、両腕を激しく突き上げ、雄たけびを上げながらやるガッツポーズが頭に浮かぶのですが、そもそもの起こりはバスケットボールではなく、ボクシングに由来するようです。

 そうです。ボクシングでガッツポーズとくれば、この人、ガッツ石松さん。昭和49年(1974年)、ボクシングの世界ライト級タイトルマッチで挑戦者だったガッツさんが見事8KO勝ちを収めたとき、両手を上げてガッツポーズをとり、喜びを表現したことが、本日を「ガッツポーズの日」と定めた由来のようです。

 今ではお笑い芸人みたいになっているガッツ石松さんですが、れっきとした世界チャンピオンなんです。当時、格闘技はプロ野球と並ぶ大衆娯楽として昭和のゴールデンタイムをにぎわせていました。ボクシングだけでなく、プロレスリング、キックボクシング、さらにはローラーゲーム(なに、知らない?(_)!!)。今、老健を利用されている方々で、それらの熱狂的なファンだったという人も少なくないはずです。ネットを探せば、当時の動画も見つかります。医師の指示のもとで、過度な興奮を与えない範囲で観戦していただくのもよろしいのではないでしょうか。

 なお、「ガッツポーズ」は和製英語です。「ガッツポーズをとる」を英訳すると、”hold
one’s fists in triumph
“となります。また、”ガッツ”は”gut“の複数形”guts“で、「勇気、根性、ガッツ」の意。これが単数形”gut“だと、「腸、はらわた、内臓」等という、違った意味になってしまいます(「肝っ玉」((pluck))という意味合いだとわからなくもないですが)。 

余談ついでにさらに脱線すると、テニスのラケットに張る糸を”ガット(gut)“と言いますが、もともとは羊の腸等で作られていました。1970年代のテニス界のスーパースターと言えば、ビヨン・ボルグ。彼のラケットにには80ポンドとも言われる、ぎっちぎちに固く張られたガットが張られ、今では当たり前となったトップスピンを繰り出し、一時代を築き上げました。このボルグ選手がライバルの”悪童”ことジョン・マッケンロー(こちらのガットはゆるゆるでした)とウインブルドンでの熱戦を制したとき、寡黙で冷静な彼がコートに膝をつき、両手を突き上げてガッツポーズをとり、初めて感情を露わにした姿がとても印象的でした。ただし、その後のインタビューで、ボルグ選手が「超うれしい」ならぬ、「腸うれしい」と言ったかどうかは定かではありません。お後がよろしいようで<m(__)m>

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