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「カーネーション」は終わらない

 NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が大好評のうちに3月で完結しました。「カーネーション」効果で、ミシンの需要が高まったとの話も耳にします。毎週新聞に載る視聴率が常にトップクラスにあったのもうなずける、素晴らしい番組でした。44日の朝日新聞にはその脚本を書いた渡辺あやさんのインタビュー記事が掲載されていました。その中で「はっ!」と思わされる事を、渡辺さんは言っていたのです。

 記事は、「登場人物がたくさん死ぬ。悲惨な運命も容赦なく描かれる。それでも見ると励まされ、生きる力が湧いてくる。そんなドラマ」だった「カーネーション」を書いた渡辺さんと記者が、「人が不幸や不条理を乗り越える力はどこからくるのか?」を考える内容でした。

 その問いに対し、渡辺さんは「不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない」と答えていたのです。「あるところに大きな救いがあって、そこに自分も回収される、というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない」と。

 「すごく地味なこと」として、渡辺さんは、「人の役に立つこと」を上げていました。「大人だって本当は、誰かの役に立ちたいと強く願っている」と前置きした渡辺さんが、それをやってどうなるのか?ということについて「人の力になりたい、という気持ちが満たされた時、人は自分自身の価値を見いだせる」と結んでいたのです。これを読んだときです。「はっ!」としたのは。

 私たち老健施設に勤める者の仕事こそ、「人の役に立つこと」であり、「人の力になること」ではないでしょうか。もちろん、主役は利用者様であり、その生活の質、人生の質の向上を主体的に考えて仕事に従事するのは当然です。しかし、その事を通じて私たち自身が、自分自身の価値を見出すことができるという、非常に恵まれた環境の中で、私たちは日々業務に当たっていると言えるのではないでしょうか。

 そう考えて、胸の鼓動が高まるのを自覚しながら記事を読む私を見透かしたかのように、最後の段落で渡辺さんは、お年寄りと自分たちとの関わりについて「お年寄りにしか与えられないものがいっぱいある。私たちもお年寄りに与え、一緒に生きることで、自分の中で育てられるものがある」と言及していました。

 これはもう、やるしかありません!老健施設で働けることに感謝しながら、利用者に与え、一緒に生きましょう。そしてそのことによって、自分自身の価値を見出し、育てていこうではありませんか!!「カーネーション」の番組は終了しましたが、私たち一人一人の胸の内に、渡辺さんの言葉を刻み、日々の業務に邁進しようではありませんか。いつの日かそれぞれの心の中がいっぱいの「カーネーション」で満たされるように。

よっしゃー!!

 よっしゃー!ヨッシャー!よっしゃー!!ヽ(^^)ノ!!本日411日は、なんとガッツポーズの日なのだそうです。個人的には漫画「スラムダンク」の主人公、桜木花道が腰を落とし、両腕を激しく突き上げ、雄たけびを上げながらやるガッツポーズが頭に浮かぶのですが、そもそもの起こりはバスケットボールではなく、ボクシングに由来するようです。

 そうです。ボクシングでガッツポーズとくれば、この人、ガッツ石松さん。昭和49年(1974年)、ボクシングの世界ライト級タイトルマッチで挑戦者だったガッツさんが見事8KO勝ちを収めたとき、両手を上げてガッツポーズをとり、喜びを表現したことが、本日を「ガッツポーズの日」と定めた由来のようです。

 今ではお笑い芸人みたいになっているガッツ石松さんですが、れっきとした世界チャンピオンなんです。当時、格闘技はプロ野球と並ぶ大衆娯楽として昭和のゴールデンタイムをにぎわせていました。ボクシングだけでなく、プロレスリング、キックボクシング、さらにはローラーゲーム(なに、知らない?(_)!!)。今、老健を利用されている方々で、それらの熱狂的なファンだったという人も少なくないはずです。ネットを探せば、当時の動画も見つかります。医師の指示のもとで、過度な興奮を与えない範囲で観戦していただくのもよろしいのではないでしょうか。

 なお、「ガッツポーズ」は和製英語です。「ガッツポーズをとる」を英訳すると、”hold
one’s fists in triumph
“となります。また、”ガッツ”は”gut“の複数形”guts“で、「勇気、根性、ガッツ」の意。これが単数形”gut“だと、「腸、はらわた、内臓」等という、違った意味になってしまいます(「肝っ玉」((pluck))という意味合いだとわからなくもないですが)。 

余談ついでにさらに脱線すると、テニスのラケットに張る糸を”ガット(gut)“と言いますが、もともとは羊の腸等で作られていました。1970年代のテニス界のスーパースターと言えば、ビヨン・ボルグ。彼のラケットにには80ポンドとも言われる、ぎっちぎちに固く張られたガットが張られ、今では当たり前となったトップスピンを繰り出し、一時代を築き上げました。このボルグ選手がライバルの”悪童”ことジョン・マッケンロー(こちらのガットはゆるゆるでした)とウインブルドンでの熱戦を制したとき、寡黙で冷静な彼がコートに膝をつき、両手を突き上げてガッツポーズをとり、初めて感情を露わにした姿がとても印象的でした。ただし、その後のインタビューで、ボルグ選手が「超うれしい」ならぬ、「腸うれしい」と言ったかどうかは定かではありません。お後がよろしいようで<m(__)m>

春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)

 「春風駘蕩」と書いて「しゅんぷうたいとう」と読みます。広辞苑には「春風がのどかに吹くさま。転じて、性格・態度がのんびりしているさま」とあります。たしかに春の風は、本来ならば他のどの季節のそれと比べても心地良く肌をなでて行くように感じます。これは、冷たい冬の風にさらされた後だから、よけいにそう思えるのかもしれません。ついつい居眠りしてしまいそうですが、仕事中の方はダメですよ。なお、「本来ならば」と前置きしましたが、先日全国で猛威をふるった爆弾低気圧。あの台風並みの暴風については、「春風」と呼ぶにはあまりにも激しすぎました。


 さて、いただけないのは「春風駘蕩」の後の方の意味。”性格・態度がのんびりしている”というのは、宮崎の県民性を言い表すときに、必ずといっていいほど出てくるフレーズです。そしてそれを後押しするかのように、「よだきい」(=おっくうだ)、「のさん」(=いやだ、きつい)という方言が紹介され、さらには時間にルーズなことを言う「日向時間」なるものが、とどめとばかりに付け加えられて、一宮崎県民としては何とも複雑な心境になってしまいます。だけど、のんびりなのは、悪いことばかりじゃあありません!


 以前、国道ウン号線(片道一車線)を中古の軽自動車走っていた時のことです。7台の車列の先頭を走っていたのですが、上り坂にさしかかる頃、前方に登坂車線(とうはんしゃせん)が見えてきました。左側の車線に「遅い車」と書いてあるあれです。中古の軽自動車の私は、迷わずその「遅い車」の方を登り始めました。後ろの車の人達が先に行くだろう、と。ところがいつまでたっても一台も抜いて行かない。疑問に思ってルームミラーを見てびっくり!!


 なんとそこには、後ろの6台すべてが、「遅い車」のレーンを走っている光景が映っていたのです( ゜Д゜)!!。みんなが”ダチョウ倶楽部”よろしく、「どーぞ、どーぞ」とやっていたわけです。なんという徹底したのんびりぶり、そしてなんとすばらしいゆずり合いの精神でありましょう!「ああ、宮崎県民でよかったなあ」と感慨にふけりつつ、車順はそのまま。7台編成キャラバンの先頭を走り続けたのでした。


 春風駘蕩の頃に合わせて、春の交通安全週間が今日から始まります(15日まで)。通所サービスの送迎時はもとより、訪問や通勤の行き帰りの際にも安全運転を心掛けましょう。春風駘蕩だからといって、居眠り運転は御法度ですよ!

何でもないようなプロの技

 327日付けの日本経済新聞の文化欄には、あの有名なナレーター、の中村啓子さんの記事が載っていました。えっ、知らない(-_-;)。たしかに名前は知らない人がほとんどかもしれません。しかしその声は、だれもが必ず聞いたことのあるはずです。


 「午後○○時○○分○○秒をお知らせします」という、時報の案内ダイヤル(117番)、あのナレーションの声の主こそ、中村啓子さん。ナレーター歴40年超の大ベテランだそうです。ああ、あの声か!と納得されたのでは。


何気なく聞いてしまうあのナレーションですが、録音は大変なのだそうです。といっても、24時間のすべての10秒ごとの時刻を録音するのではなく、「時」と「分」と「秒」を分けて録音し、それを組み合わせているのだそうですが、それら全ての言葉(単音や数字)が、同じ音圧になるように、メーターで測定しながら発音していくとのこと。また、電話番号案内サービス(104番)も中村さんの声とのこと。奇数列の数字は語尾を上げ、偶数列の数字は語尾を下げるという2パターンのアクセントを使い分けているそうです。聞いている方にとっては、そんな苦労はまったく伺い知ることがありませんでした。というよりも、むしろそれを気付かせないのがプロの技なのだなあ、と頭が下がる思いでした。


ひるがえって、私たち老健施設における仕事を考えるとき、「ADLの介助」があります。「ADL」とは「日常生活活動動作」のことですが、その定義は「一人の人間が、独立して生活するために行う、基本的な、しかも各人ともに、共通に毎日繰り返される一連の身体動作群」を言います(1976年、日本リハビリテーション医学会による)。つまり、「普段の生活で誰しも必ず何気なくやっていること」といったところでしょうか。例えば排泄動作の場合、「さあ、今から排泄動作スタートだ。まずはトイレまで移動しよう。扉を開けて中に入り、閉めながらクルッと方向転換しながら鍵をかけて、便器に腰掛ける前にズボンと下着を下ろさなきゃ。それから腰掛けて・・・」などと、いちいち確認しながら行ってはいません。その他の日常生活活動動作についても、何気なく、しかし毎日何度も必ず行っているわけです。苦労や痛みを伴うこともない、「なんでもないようなこと」とも言えるでしょう。ただし、それをやらなければ、日常生活を送ることはできない。それがADLです。


ところが、心身機能が低下してくると、それが「なんでもないようなこと」じゃなくなってしまう。大変な努力を要したり、苦痛を伴ったり、失敗してしまったりする。そうすると、日常生活に重大な支障を来してしまうことになります。そこで介護力が必要となってくるわけです。だからといって、なんでもかんでも手助けしてやっては、その人の残存能力まで失ってしまうことになりかねません。過重な努力や苦痛を回避しながら、その人の能力を最大限に発揮して、目的動作を達成するにはどうするか?ここが老健スタッフの腕の見せ所です。


他職種が連携して利用者一人一人のADL能力を評価し、その人その人に最も適した介助を行い、日常生活活動動作を「なんでもないようなこと」として遂行できるようにすること。これがプロの技と言えるのではないか?と自らを振り返る契機になった記事でした。

「台風並み」という表現

  それを聞いて、「まさか!?」と耳を疑ったのですが、それはまさしくその通りでした。昨日(43日)は猛烈に発達した低気圧が全国に吹き荒れ、各地に甚大な被害を及ぼしました。その前日の天気情報で、「台風並みの暴風が吹く」と表現していたのです。しかし、外は桜がほぼ満開。各地でイベントも計画され、はたまた春の選抜高校野球勝戦も予定されている中で、それはにわかに信じがたいものがありました。それでも現在の天気予報の精度はかつてと比較にならない高まっていますので、心づもりはしておいたのです。

 しかして、予報の通り、朝、激しく雨が降り、そして雷も鳴り響き、それから急速に青空が広がってきたと思いきや、まさしく「台風並み」の強い風が吹き出したのでした。それに従い、テレビも通常の番組をやめ(当然甲子園決勝も延期です)、各地の荒天の様子やそれにともなう被害状況、交通機関の乱れなどを伝え始めました。桜が散ってしまうどころの話ではありません。やはり「台風並み」という表現に、首をかしげる余地はなかったのだと、その時に確信しました。

 テレビのバラエティー番組など、効果的な演出をするために、意図的に表現を大げさにして見る者を楽しませることがあります。しかし、それはそれ。今回の天気情報のように、私たちの暮らしと密接な関係があるものについては、情報を適切かつ冷静に受け止めないといけないのだと改めて思い知らされました。

 

ラッパ水仙

 本日、43日の誕生花(の1つ)はラッパ水仙。そしてその花言葉は「尊敬」だそうです。ふむふむ。淡い黄色の花の中に濃い黄色が引き立って、清廉で高貴で凛(りん)とした姿からは、「尊敬」という印象が連想されなくもないです。


 ところが、このラッパ水仙には、ほかの花言葉もあります。それは、「あなたを待つ」、「片想い」、そして「報われぬ恋」。うーん、なんだかこっちの方がしっくりします。見方を変えるとこの花は恋い慕う相手の姿を一目見ようとするかのように、背伸びして遠くを見つめ、今か今かと身を乗り出さんかのごとくたわむ細い茎、待ち焦がれ、そわそわするような葉。こんな綺麗な花を待たせるだけ待たせたあげく、ふってしまうなんて、なんとひどいお相手なのでしょう、と思ってしまいます。「さざんかの宿」ならぬ、「ラッパ水仙の宿」という演歌があってもおかしくないような(T_T)


 このような、美しくも悲しい花言葉を持つのがラッパ水仙の花。しかし、打って変わってラッパつながりで、「ラッパを吹く」となると、「力量以上に大きな事を言ったり誇張して言ったりする。ほらを吹く(広辞苑より)」という意味になってしまいます。これは水仙が悪いのではありません。ラッパに原因があるのです。


 つまり、ラッパは吹き口の方は小さいのに対し、音が出る側は大きく広がっています。ホラ貝も同様です。小さく口をすぼめて息を吹くのに、出てくる音はすごくでかい。そこから「ラッパを吹く」などと不名誉な言われ方をされてしまって、なんだかラッパに申し訳ない気持ちです。


くしくも今日、43日は、東京フィルハーモニーが第1回公演を行った日でもあります(明治43年!)真ちゅうのくだを巻いて作られた金楽器のラッパだけに、「俺たちの奏でる音はみんなに感動を与えるんだぜ!なんで俺たちそんなふうに悪者扱いされなきゃなんねぇんだよ、プンプン<(^´)>」って、くだをまかれるかもしれませんね(※)。


 


(※)「くだをまく」の「くだ」は「管」ではありません糸車の「くだ」のことですので念のため。

年度末です

 ついに三月三十日(みそか)です。平成23年度も明日を残すのみとなりました。そして41日からは平成24年度。会員施設の皆様におかれましては、介護報酬改定への対応はお済みでしょうか。今回の改定は、要介護高齢者の在宅での生活をより重視したものとなっており、そのために老健施設の果たすべき役割はますます重要となっています。

 このような情勢に鑑み、(社)宮崎県老人保健施設協会では、宮崎県内の介護老人保健施設の資質の向上、ならびに介護老人保健施設に関する調査研究および知識の普及をはかり、今後の少子高齢化社会における県民の保健、医療、福祉の増進に寄与するため、平成24年度も様々な事業を展開する方針です。

 今後とも協会への変わらぬご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

しゅんかんにご注意

  「春寒」と書いて「しゅんかん」と読みます。広辞苑によれば、「春になっても残る寒さ。はるさむ。残寒」とあります。

 まったく、この季節、思いもよらない寒さが再来することがあります。実際は12月の厳寒の頃に比べると、そこまでの寒さではないはず。でも、「暑さ寒さも彼岸まで」と油断しているからでしょうか、薄着で出歩こうとすると、季節が後戻りしたような寒さに出くわして身が縮む思いをしたりすることもあります。

 幸いなことに、今は天気予報がわりと当たるようになっただけでなく、テレビやネットで、住んでいる所の天気や気温が、細かい時間設定で瞬時にわかるようになりました。これを活用しない手はありません。

 ことさら高齢者においては、天気や気温の急激な変化で体調を崩しかねません。今の時期、前の日よりもうんと寒かったり暖かかったりすることも珍しくありません。情報を有効に活用して、利用者様の体調管理に努めましょう。

 わたくしごとですが、「しゅんかん」と聞くと、「俊寛」を連想してしまいます。またまた広辞苑をひもとくと、「(1)平安末期の僧、真言僧寛雅の子。源雅俊の孫。少僧都。法勝寺執行。1177年(治承1)鹿ヶ谷の山荘で、藤原成親・成経父子や平康頼らと平氏討伐を謀ったが、源行綱の密告により発覚し、鬼界島(きかいがしま)に流され、当地で没。生没年未詳。(2) 能。鬼界島の流人に赦免の使が来たが、俊寛一人だけは許されず島に残され、泣き叫ぶ。鬼界島」とあります。平安時代の僧の人名でもあり、またその名を冠した能楽でもあります。

 中学校の国語の教科書に、この能楽「俊寛」が載っていたのを、今でも凄烈な印象をもって覚えています。鬼界島の流人たちが赦免され、その迎えの船に、喜びをあらわにした人々が続々と乗り込むが、俊寛だけは乗船を許されない。「なぜじゃ?これは何かの間違いであろう!この俊寛のみが許されないはずなどあろうものか!!(といった意味のことを叫びます。さすがにセリフの一言一句までは覚えていません)」と使いの者に詰め寄りますが、悲しいかな、赦免される人の名簿に俊寛の名前はなかったのです。あわれ俊寛!遠く去りゆく船をいつまでも怨じ見ながら、彼は砂浜で泣き叫び、のた打ち回っていたのでした・・・といった内容だったと思います。

教科書にはその舞台の写真が掲載されていて、これがまた強烈な印象を与えるものでしたので、子供心に「俊寛という人は、なんてかわいそうなお方なんだろう。僕が同じ目にあったら、やっぱり悲しくて辛くて、絶望するだろうなあ」と思わず同情したものでした。

同音異義とはいえ、まったく違う話題になってしまいましたが、この時期に「春寒」があると、思わず「俊寛」を連想してしまいますゆえ、ついつい筆がすべってしまいました。おあとがよろしいようで<(_ _)>

多数の参加ありがとうございました。

 316日、宮崎観光ホテルで開催しました、第9回(社)宮崎県老人保健施設協会研究大会におきましては、県内40の会員施設より、310人もの役職員のご参加をいただきました。


 特別講演や研究発表、そしてレクレーション研究発表。6時間にわたる大会を通じ、忌憚の無い情報や意見の交換、交流が行われ、大盛会のうちに大会終わらせることができました。これもひとえに皆様のご理解、ご協力のたまものと、関係者一同厚く御礼申し上げます。


 今後とも、協会への変わらぬご高配方賜りますようお願い申し上げます。


 なお、この大会の模様は、追って掲載していく予定ですので申し添えます。

誰でもOK☆⌒d(´∀`)ノ! 特別講演

 9回社団法人宮崎県老人保健施設協会研究大会、いよいよ明日、316日の金曜日になりました。昨日はスタッフが集まり、最終打ち合わせを行いました。全員それぞれの老健で業務をこなしつつ、その合間を縫っての準備でしたので、何かと不手際もあるかと思いますが、どうかご容赦下さい。

 さて、大会の目玉でもある特別講演。講師は、ひとえ歯科クリニック院長の宇都宮仁惠先生です。演題は「『口から食べる楽しみ』を支える ?多職種との連携を通じて?」。講演にあたり、宇都宮先生は、各会員施設等へのアンケート調査を実施されました(ご協力いただいた各施設の皆様、ありがとうございました)。講演ではそれらの結果を踏まえつつ、口腔ケアの重要性と具体的な取り組み方法などについて、わかりやすくお話しいただく予定です。

 そして何とヽ(*´∀`)ノこの特別講演は一般公開講座となっています。老健役職員に限らず、口腔ケア、そして「口から食べること」に関心のある方なら、どなたでも受講することができます。

 温度、湿度、栄養と、口の中は細菌が住み着くには好条件が揃っており、その種類は300種類とも。それが全身の健康状態に影響を及ぼしかねないことから、口腔ケアの重要性が叫ばれている中、宇都宮先生の特別講演は必聴です!多数のご来場をお待ちしております。

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