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春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)

 「春風駘蕩」と書いて「しゅんぷうたいとう」と読みます。広辞苑には「春風がのどかに吹くさま。転じて、性格・態度がのんびりしているさま」とあります。たしかに春の風は、本来ならば他のどの季節のそれと比べても心地良く肌をなでて行くように感じます。これは、冷たい冬の風にさらされた後だから、よけいにそう思えるのかもしれません。ついつい居眠りしてしまいそうですが、仕事中の方はダメですよ。なお、「本来ならば」と前置きしましたが、先日全国で猛威をふるった爆弾低気圧。あの台風並みの暴風については、「春風」と呼ぶにはあまりにも激しすぎました。


 さて、いただけないのは「春風駘蕩」の後の方の意味。”性格・態度がのんびりしている”というのは、宮崎の県民性を言い表すときに、必ずといっていいほど出てくるフレーズです。そしてそれを後押しするかのように、「よだきい」(=おっくうだ)、「のさん」(=いやだ、きつい)という方言が紹介され、さらには時間にルーズなことを言う「日向時間」なるものが、とどめとばかりに付け加えられて、一宮崎県民としては何とも複雑な心境になってしまいます。だけど、のんびりなのは、悪いことばかりじゃあありません!


 以前、国道ウン号線(片道一車線)を中古の軽自動車走っていた時のことです。7台の車列の先頭を走っていたのですが、上り坂にさしかかる頃、前方に登坂車線(とうはんしゃせん)が見えてきました。左側の車線に「遅い車」と書いてあるあれです。中古の軽自動車の私は、迷わずその「遅い車」の方を登り始めました。後ろの車の人達が先に行くだろう、と。ところがいつまでたっても一台も抜いて行かない。疑問に思ってルームミラーを見てびっくり!!


 なんとそこには、後ろの6台すべてが、「遅い車」のレーンを走っている光景が映っていたのです( ゜Д゜)!!。みんなが”ダチョウ倶楽部”よろしく、「どーぞ、どーぞ」とやっていたわけです。なんという徹底したのんびりぶり、そしてなんとすばらしいゆずり合いの精神でありましょう!「ああ、宮崎県民でよかったなあ」と感慨にふけりつつ、車順はそのまま。7台編成キャラバンの先頭を走り続けたのでした。


 春風駘蕩の頃に合わせて、春の交通安全週間が今日から始まります(15日まで)。通所サービスの送迎時はもとより、訪問や通勤の行き帰りの際にも安全運転を心掛けましょう。春風駘蕩だからといって、居眠り運転は御法度ですよ!

何でもないようなプロの技

 327日付けの日本経済新聞の文化欄には、あの有名なナレーター、の中村啓子さんの記事が載っていました。えっ、知らない(-_-;)。たしかに名前は知らない人がほとんどかもしれません。しかしその声は、だれもが必ず聞いたことのあるはずです。


 「午後○○時○○分○○秒をお知らせします」という、時報の案内ダイヤル(117番)、あのナレーションの声の主こそ、中村啓子さん。ナレーター歴40年超の大ベテランだそうです。ああ、あの声か!と納得されたのでは。


何気なく聞いてしまうあのナレーションですが、録音は大変なのだそうです。といっても、24時間のすべての10秒ごとの時刻を録音するのではなく、「時」と「分」と「秒」を分けて録音し、それを組み合わせているのだそうですが、それら全ての言葉(単音や数字)が、同じ音圧になるように、メーターで測定しながら発音していくとのこと。また、電話番号案内サービス(104番)も中村さんの声とのこと。奇数列の数字は語尾を上げ、偶数列の数字は語尾を下げるという2パターンのアクセントを使い分けているそうです。聞いている方にとっては、そんな苦労はまったく伺い知ることがありませんでした。というよりも、むしろそれを気付かせないのがプロの技なのだなあ、と頭が下がる思いでした。


ひるがえって、私たち老健施設における仕事を考えるとき、「ADLの介助」があります。「ADL」とは「日常生活活動動作」のことですが、その定義は「一人の人間が、独立して生活するために行う、基本的な、しかも各人ともに、共通に毎日繰り返される一連の身体動作群」を言います(1976年、日本リハビリテーション医学会による)。つまり、「普段の生活で誰しも必ず何気なくやっていること」といったところでしょうか。例えば排泄動作の場合、「さあ、今から排泄動作スタートだ。まずはトイレまで移動しよう。扉を開けて中に入り、閉めながらクルッと方向転換しながら鍵をかけて、便器に腰掛ける前にズボンと下着を下ろさなきゃ。それから腰掛けて・・・」などと、いちいち確認しながら行ってはいません。その他の日常生活活動動作についても、何気なく、しかし毎日何度も必ず行っているわけです。苦労や痛みを伴うこともない、「なんでもないようなこと」とも言えるでしょう。ただし、それをやらなければ、日常生活を送ることはできない。それがADLです。


ところが、心身機能が低下してくると、それが「なんでもないようなこと」じゃなくなってしまう。大変な努力を要したり、苦痛を伴ったり、失敗してしまったりする。そうすると、日常生活に重大な支障を来してしまうことになります。そこで介護力が必要となってくるわけです。だからといって、なんでもかんでも手助けしてやっては、その人の残存能力まで失ってしまうことになりかねません。過重な努力や苦痛を回避しながら、その人の能力を最大限に発揮して、目的動作を達成するにはどうするか?ここが老健スタッフの腕の見せ所です。


他職種が連携して利用者一人一人のADL能力を評価し、その人その人に最も適した介助を行い、日常生活活動動作を「なんでもないようなこと」として遂行できるようにすること。これがプロの技と言えるのではないか?と自らを振り返る契機になった記事でした。

「台風並み」という表現

  それを聞いて、「まさか!?」と耳を疑ったのですが、それはまさしくその通りでした。昨日(43日)は猛烈に発達した低気圧が全国に吹き荒れ、各地に甚大な被害を及ぼしました。その前日の天気情報で、「台風並みの暴風が吹く」と表現していたのです。しかし、外は桜がほぼ満開。各地でイベントも計画され、はたまた春の選抜高校野球勝戦も予定されている中で、それはにわかに信じがたいものがありました。それでも現在の天気予報の精度はかつてと比較にならない高まっていますので、心づもりはしておいたのです。

 しかして、予報の通り、朝、激しく雨が降り、そして雷も鳴り響き、それから急速に青空が広がってきたと思いきや、まさしく「台風並み」の強い風が吹き出したのでした。それに従い、テレビも通常の番組をやめ(当然甲子園決勝も延期です)、各地の荒天の様子やそれにともなう被害状況、交通機関の乱れなどを伝え始めました。桜が散ってしまうどころの話ではありません。やはり「台風並み」という表現に、首をかしげる余地はなかったのだと、その時に確信しました。

 テレビのバラエティー番組など、効果的な演出をするために、意図的に表現を大げさにして見る者を楽しませることがあります。しかし、それはそれ。今回の天気情報のように、私たちの暮らしと密接な関係があるものについては、情報を適切かつ冷静に受け止めないといけないのだと改めて思い知らされました。

 

ラッパ水仙

 本日、43日の誕生花(の1つ)はラッパ水仙。そしてその花言葉は「尊敬」だそうです。ふむふむ。淡い黄色の花の中に濃い黄色が引き立って、清廉で高貴で凛(りん)とした姿からは、「尊敬」という印象が連想されなくもないです。


 ところが、このラッパ水仙には、ほかの花言葉もあります。それは、「あなたを待つ」、「片想い」、そして「報われぬ恋」。うーん、なんだかこっちの方がしっくりします。見方を変えるとこの花は恋い慕う相手の姿を一目見ようとするかのように、背伸びして遠くを見つめ、今か今かと身を乗り出さんかのごとくたわむ細い茎、待ち焦がれ、そわそわするような葉。こんな綺麗な花を待たせるだけ待たせたあげく、ふってしまうなんて、なんとひどいお相手なのでしょう、と思ってしまいます。「さざんかの宿」ならぬ、「ラッパ水仙の宿」という演歌があってもおかしくないような(T_T)


 このような、美しくも悲しい花言葉を持つのがラッパ水仙の花。しかし、打って変わってラッパつながりで、「ラッパを吹く」となると、「力量以上に大きな事を言ったり誇張して言ったりする。ほらを吹く(広辞苑より)」という意味になってしまいます。これは水仙が悪いのではありません。ラッパに原因があるのです。


 つまり、ラッパは吹き口の方は小さいのに対し、音が出る側は大きく広がっています。ホラ貝も同様です。小さく口をすぼめて息を吹くのに、出てくる音はすごくでかい。そこから「ラッパを吹く」などと不名誉な言われ方をされてしまって、なんだかラッパに申し訳ない気持ちです。


くしくも今日、43日は、東京フィルハーモニーが第1回公演を行った日でもあります(明治43年!)真ちゅうのくだを巻いて作られた金楽器のラッパだけに、「俺たちの奏でる音はみんなに感動を与えるんだぜ!なんで俺たちそんなふうに悪者扱いされなきゃなんねぇんだよ、プンプン<(^´)>」って、くだをまかれるかもしれませんね(※)。


 


(※)「くだをまく」の「くだ」は「管」ではありません糸車の「くだ」のことですので念のため。

年度末です

 ついに三月三十日(みそか)です。平成23年度も明日を残すのみとなりました。そして41日からは平成24年度。会員施設の皆様におかれましては、介護報酬改定への対応はお済みでしょうか。今回の改定は、要介護高齢者の在宅での生活をより重視したものとなっており、そのために老健施設の果たすべき役割はますます重要となっています。

 このような情勢に鑑み、(社)宮崎県老人保健施設協会では、宮崎県内の介護老人保健施設の資質の向上、ならびに介護老人保健施設に関する調査研究および知識の普及をはかり、今後の少子高齢化社会における県民の保健、医療、福祉の増進に寄与するため、平成24年度も様々な事業を展開する方針です。

 今後とも協会への変わらぬご理解、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

しゅんかんにご注意

  「春寒」と書いて「しゅんかん」と読みます。広辞苑によれば、「春になっても残る寒さ。はるさむ。残寒」とあります。

 まったく、この季節、思いもよらない寒さが再来することがあります。実際は12月の厳寒の頃に比べると、そこまでの寒さではないはず。でも、「暑さ寒さも彼岸まで」と油断しているからでしょうか、薄着で出歩こうとすると、季節が後戻りしたような寒さに出くわして身が縮む思いをしたりすることもあります。

 幸いなことに、今は天気予報がわりと当たるようになっただけでなく、テレビやネットで、住んでいる所の天気や気温が、細かい時間設定で瞬時にわかるようになりました。これを活用しない手はありません。

 ことさら高齢者においては、天気や気温の急激な変化で体調を崩しかねません。今の時期、前の日よりもうんと寒かったり暖かかったりすることも珍しくありません。情報を有効に活用して、利用者様の体調管理に努めましょう。

 わたくしごとですが、「しゅんかん」と聞くと、「俊寛」を連想してしまいます。またまた広辞苑をひもとくと、「(1)平安末期の僧、真言僧寛雅の子。源雅俊の孫。少僧都。法勝寺執行。1177年(治承1)鹿ヶ谷の山荘で、藤原成親・成経父子や平康頼らと平氏討伐を謀ったが、源行綱の密告により発覚し、鬼界島(きかいがしま)に流され、当地で没。生没年未詳。(2) 能。鬼界島の流人に赦免の使が来たが、俊寛一人だけは許されず島に残され、泣き叫ぶ。鬼界島」とあります。平安時代の僧の人名でもあり、またその名を冠した能楽でもあります。

 中学校の国語の教科書に、この能楽「俊寛」が載っていたのを、今でも凄烈な印象をもって覚えています。鬼界島の流人たちが赦免され、その迎えの船に、喜びをあらわにした人々が続々と乗り込むが、俊寛だけは乗船を許されない。「なぜじゃ?これは何かの間違いであろう!この俊寛のみが許されないはずなどあろうものか!!(といった意味のことを叫びます。さすがにセリフの一言一句までは覚えていません)」と使いの者に詰め寄りますが、悲しいかな、赦免される人の名簿に俊寛の名前はなかったのです。あわれ俊寛!遠く去りゆく船をいつまでも怨じ見ながら、彼は砂浜で泣き叫び、のた打ち回っていたのでした・・・といった内容だったと思います。

教科書にはその舞台の写真が掲載されていて、これがまた強烈な印象を与えるものでしたので、子供心に「俊寛という人は、なんてかわいそうなお方なんだろう。僕が同じ目にあったら、やっぱり悲しくて辛くて、絶望するだろうなあ」と思わず同情したものでした。

同音異義とはいえ、まったく違う話題になってしまいましたが、この時期に「春寒」があると、思わず「俊寛」を連想してしまいますゆえ、ついつい筆がすべってしまいました。おあとがよろしいようで<(_ _)>

多数の参加ありがとうございました。

 316日、宮崎観光ホテルで開催しました、第9回(社)宮崎県老人保健施設協会研究大会におきましては、県内40の会員施設より、310人もの役職員のご参加をいただきました。


 特別講演や研究発表、そしてレクレーション研究発表。6時間にわたる大会を通じ、忌憚の無い情報や意見の交換、交流が行われ、大盛会のうちに大会終わらせることができました。これもひとえに皆様のご理解、ご協力のたまものと、関係者一同厚く御礼申し上げます。


 今後とも、協会への変わらぬご高配方賜りますようお願い申し上げます。


 なお、この大会の模様は、追って掲載していく予定ですので申し添えます。

誰でもOK☆⌒d(´∀`)ノ! 特別講演

 9回社団法人宮崎県老人保健施設協会研究大会、いよいよ明日、316日の金曜日になりました。昨日はスタッフが集まり、最終打ち合わせを行いました。全員それぞれの老健で業務をこなしつつ、その合間を縫っての準備でしたので、何かと不手際もあるかと思いますが、どうかご容赦下さい。

 さて、大会の目玉でもある特別講演。講師は、ひとえ歯科クリニック院長の宇都宮仁惠先生です。演題は「『口から食べる楽しみ』を支える ?多職種との連携を通じて?」。講演にあたり、宇都宮先生は、各会員施設等へのアンケート調査を実施されました(ご協力いただいた各施設の皆様、ありがとうございました)。講演ではそれらの結果を踏まえつつ、口腔ケアの重要性と具体的な取り組み方法などについて、わかりやすくお話しいただく予定です。

 そして何とヽ(*´∀`)ノこの特別講演は一般公開講座となっています。老健役職員に限らず、口腔ケア、そして「口から食べること」に関心のある方なら、どなたでも受講することができます。

 温度、湿度、栄養と、口の中は細菌が住み着くには好条件が揃っており、その種類は300種類とも。それが全身の健康状態に影響を及ぼしかねないことから、口腔ケアの重要性が叫ばれている中、宇都宮先生の特別講演は必聴です!多数のご来場をお待ちしております。

回春

 回春と書いて「かいしゅん」と読みます。広辞苑によれば「(1)春が再びめぐってくること。新年になること。(2)病気がなおること。(3)老人が若返ること」とあります。3月になり、季節は確実に春になろうとしている宮崎県です。まさに「回春」です。

「めぐる めぐる季節の中であなたは何を見つけるだろう」という松山千春さんの「季節の中で」が、先日ラジオから流れていました。1978年に大ヒットした名曲。実に34年前であり、その年月と同じだけ季節はめぐってきたわけです。

しかし今年の春は、いつもの春とは違う、と季節の巡り方に違和感を覚えている人は少なくないのではないでしょうか。

31日付の朝日新聞の川柳欄には、大船渡市の方の作品が掲載されていました。

「三月のまま三月が来る」。書いて10文字、読んで14字という、ほんの短い言葉の中に、言い尽くそうとしても尽くすことができない気持ち数々が込められていると思いました。 

東日本大震災以来、色々なことがあまりにも目まぐるしく動き、しかし一方では止まったままの時間と空間があり、その矛盾と混沌との中で、また311日は訪れようとしてます。季節と暦の歩調が合わないまま1年が経過したのでしょうか?それとも私たちの方がそれを正しく受け止められなかったのか。

「季節のなかで」の3番で松山千春さんは「のぼる朝日のまぶしさのなか はるかな空を

めざし はばたけ高く はばたけ強く あなたの旅がはじまる」と歌われています。去年の311日と、今年の311日の間に、確実に1年という月日が存在したことは事実です。

「回春」。それは「(1)春が再びめぐってくること。新年になること。(2)病気がなおること。(3)老人が若返ること」に続き、「(4)人々が再びはばたき、旅への一歩を踏み出すこと」・・・。そう付け加えてはどうか、と考える今日この頃です。

キャンディーでデート(*^。^*)

 この時期、お店はホワイトデー商戦まっただ中です。その始まりは1980年と言われており、一方、バレンタインデーが日本で始まったのは1958年頃と言われています。つまり、20余年の間、男性側はもらいっぱなし、女性側は贈りっぱなしだったということになるのか?<`>もしそうなら、どうにも間尺に合わぬのではないでしょうか<(^´)>

 さて、本日は「キャンディーでデート」という、なんとも甘さ漂う話題です。

「あ、キャンディーデート、ほぉーっ、行ぐざ見ねいしょん」という言葉があるのをご存じでしょうか。え?知らない?

 ホワイトデー当日、男性がチョコレートのお返しにキャンディーを贈ったら、相手の女性に「ほぉーっ」と大変喜ばれて「あ!キャンディーデートしよう!行ぐざ!見ねい!」と誘われた(って、どこの言葉なんでしょう)、という意味・・・などでは決してありません。あるはずは、ありません。

 「あ、キャンディーデート、ほぉーっ、行ぐざ見ねいしょん」、実は英語です。正しくはa candidate
for examination
です。読みも「ア、キャンディデイト、フォー、イグザミネイション」です(もっとも、正しい発音とは言えませんが)。そしてその意味とは・・・、その意味とは・・・ドロドロドロドロ(ドラムロールの音です)・・・。

 ずばり「受験生」です!”candidate“は「候補者、志願者」、そして”examination“は「試験」という意味の単語です。ホワイトデーとか、デートとか、そんな甘いものとはまったくありません。もちろん、”candy date“じゃありません。ゴメンナサーイ<(_ _)>

 今日と明日は県立高校の入学試験(”an entrance examination“)が行われます。受験生の皆さんにおかれましては、さすがにデートはお預け。そのかわりキャンディーなどなめて、頭の回転を良くして試験に臨んでいただきたいと思います。ファイト!

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