介護職痰吸引研修事前調査結果をアップしています。

 当協会がさきごろ実施した「介護職員等による痰の吸引等の実施のための研修事業における事前調査」の結果を「お知らせ」のページにアップしていますので、当該研修への介護職員等の派遣の検討材料の一助としていただきますようお願いいたします。

 今回の調査に対し、37の会員施設からご回答をいただきました。その中で、20の施設が「痰の吸引が必要な入所利用者が5名以上いる」との回答がありました。そのうち、「20名以上いる」と回答は2施設ありました。

 このような現状を踏まえ、「介護職員等による痰の吸引等の実施のための研修事業」に、「施設側として参加させたいと思う」と答えたのは28施設で、受講させたい職員数も220名となりました。さらに、今回調査した全介護職員1,138名のうち、受講を希望する職員は全体の40.9%にあたる465名にものぼるなど、介護職員等による痰の吸引の必要性および、本研修事業への関心が高いことが示唆されました。

 詳しい調査結果はPDFファイルにてアップしておりますので、是非ご参照くださいますよう、重ねてお願い申し上げます。

ケアマネ更新お済みでしょうか?

  拝啓、「宮崎県介護支援専門員名簿に登録されている平成23年度更新対象の介護支援専門員」の皆様。介護支援専門員証有効期間の更新手続きはお済みでしょうか?

 対象となっている方々に対しては、宮崎県福祉保健部長寿介護課長名で、1130日付文書(文書番号243-2338)にて通知が届いているかと存じ上げます。それにも明記してあります通り、有効期間の更新を行わない場合は、「介護支援専門員の業務に就くことはできません(´・ω・`)

 さらに通知文書は「再度、業務に就くためには、『介護支援専門員再研修(44時間)』を受講終了し、介護支援専門員証の交付を受ける必要があることを申し添えます」と続きます。これは大変(0)!あの研修をまた受けなくてはならなくなるとは!!!

 「あの研修」と申しましても、鬼軍曹が竹刀を持ってビシンバシンとしごかれるような地獄の特訓ではございません。宮崎県や宮崎県介護支援専門員協会の皆様が、懇切ていねいに、一生懸命指導して下さるとともに、受講者同士でも、教えたり教えられたり、情報交換や悩みを相談し合うことのできる大変有意義な研修です。したがって、「また来年も、是非受講したい!」という方はお引き止めいたしません。

だけど、ウン万円の受講料と、44時間という長丁場を考えると、「介護支援専門員証有効期間更新交付申請書」に必要事項を記載の上、交付手数料として宮崎県収入証紙(2000円分)を貼り、宮崎県福祉保健部長寿介護課まで『ケアマネ証更新申請書在中』と明記し、簡易書留にてお送りなさる方が、いろいろな面において断然お得であると進言せざるを得ません。

 申請書を送付される際には、介護支援専門員証の原本写真21枚は申請書に貼付)、そして、研修修了証明書の写しを同封することを決してお忘れになりませんようご確認を。

寒さが一段と厳しさを増している今日この頃です。「冬来たりなば春遠からじ」とは申しますが、「期間来たりなば専門員証勝手に届きし」などということは決してございません。提出の期限は平成24210の金曜日までとなっております。油断をしておられますと、あっという間に期限が過ぎてしまいますゆえ、お急ぎお手続き下さりますよう、一筆啓上つかまつった次第でございます。           

敬具

いのふしだけのびる

 冬至から藺(い)の節だけ伸びる」ということわざがあります(『暮らしの中のことわざ辞典』集英社)。「藺」とはい草のことで、畳やござの材料となる多年草です。今日は冬至。これからい草の節の分だけ、昼間が長くなるということだそうです。

 ところが!!い草がはえている所をご覧になった方はよくわかると思うのですが、い草に節はありません。そうすると、「藺の節」とは何のこっちゃ???(´Д`)

 同辞典を読んでみると、どうやら「藺の節」とはい草で作られた日本家屋の伝統的敷物、そう「畳の目」のことのようです。

すなわち、

(1)当時の日、影と日なたが両方ある畳を選び、

()冬至(すなわち本日)の正午、影と日なたの境界となるポイントに印をつけておくと、

(3)1日ごとにそのポイントが畳の目1つ分だけに移動していく

と、このことわざは言っているようです。

 興味のある方は本日から実証実験に取り組まれてみてはいかがでしょうか。ただし、畳がボロボロになってしまっても責任は負いかねますのであしからず。

ケアプラン研修会案内をアップしています。

  「お知らせ」のページに、当協会高齢者ケアプラン部会主催による、包括的自立支援プログラムケアプラン策定研修会の開催案内をアップしています。内容をご覧の上、奮って参加下さいますようお願いいたします(こちらをご参照ください)。

 ちょうど今(1210日から)、宮崎日日新聞では「生ある限り」と題し、宮崎の高齢者介護を巡る諸問題についての特集記事が連載されています。老老介護や介護うつなど、介護に関する課題はあまりにも多いことを痛感させられる内容です。高齢者が生きがいをもって生活できるよう、なおかつその介護に当たる家族等が心身共に負担や疲労なく過ごせるよう、介護保険制度の果たす役割が重要であることは言うまでもありません。そしてその中においてケアプランは、介護を受ける本人や介護者の生活や人生、生命を支える中核をなすもの。紋切り型の書類ではその使命は果たせません。一人一人に応じた、その人だけのケアプランを策定し、実践することが不可欠です。

 このような現状を踏まえ、今回の研修会はグループワーク形式で行われ、事例を用いてケアプランの立案を学んでいきます。同研究部会では、特に今まで参加されたことのない方への参加を呼びかけています。スタッフがわかりやすく、ていねいに指導します。多数の参加をお待ちしています。

災害対策調査結果をアップしています。

 「お知らせ」のコーナーに、当協会で先頃実施した「災害対策に関する実態調査」の結果をアップしましたのでご覧下さい。

 調査実施に当たっては、33の会員施設から回答を頂きました。「危惧している災害にはどのようなものがありますか(複数回答可)」の設問に対し、「地震」と答えた施設が25件と最も多く、次いで「台風(22件)」、「火災(17件)」、「津波(12件)」の順となりました。さらに、地震に関する危機管理マニュアルについて「ある」もしくは「整備中」と回答した施設が22あり、地震への関心が高まり、備えを進めようとしている施設が多い事がうかがえました。

 また、「いつ噴火してもおかしくない状況」と言われている新燃岳のある本県。「火山噴火」を危惧していると回答した施設も7件ありました。

 各会員施設とも、それぞれに立地条件などが異なり、心配される災害の対象も違っているとは思いますが、利用者様の大切な命を預かっているという、その責任の重さに違いはありません。また、施設が地域住民の避難の場となっていたり、大規模災害時に高齢者や障害者、病気療養中の人などの災害弱者を受け入れる「福祉避難所」の指定を受けている会員施設もあり、「起こって欲しくはない『まさか』の時」に老健の果たすべき役割は極めて重要だと言えます。

 今回の調査結果を参考に、各会員施設におかれましても更なる災害対策への取り組み強化をお願いいたします。

丸紅チリで銅鉱山

  1215日の日本経済新聞に丸紅がチリで銅鉱山の新規開発に参画するという記事が載っていました。高収益が見込める鉱山権益を増やし、日本への安定調達にもつなげる方針とのこと。さすが日経らしい記事だと感心しながら読むうちに、はっと思い出して本棚に向かいました。

 引っ張り出してきた作品は『革命商人(上・下)』(新潮文庫)。著者は直木賞作家の深田祐介さん。昭和535月から昭和543月まで、「週刊朝日」に連載された小説ですから、今から30年以上も前の執筆です。

 舞台は1970年代の南米チリ。普通選挙で成立した史上初の社会主義政権、アジェンデ人民連合の誕生から、軍部のクーデターによる崩壊に至るまでの動乱の中、し烈な商戦を展開した2つの日本の商社、そして、情熱と愛情にあふれる”ジャパニーズ・ビジネスマン”の奮闘の様子を、徹底した取材に基づき緻密に、しかも人間味豊かに描いています。登場人物の一人、平川貞夫は、スペイン語が堪能な銅の専門家としてチリ・宮井物産四代目社長として現地に赴き、銅や自動車などの取引に尽力し、同社の経営立て直しにらつ腕を振るいます。勝った負けた、売った買った、という単純な話ではなく、モノをやりとりする商社マンや、取り巻く人物のそれぞれに魅力があり、ついつい時代を超越して読み込んでしまうビジネス・ロマンです。

 

 えーと、それはそれとしまして、冒頭に申した「はっとした」のは、銅がいかなる金属で、どんな特徴があるのか、とか、そんなことではありません。先述の平川貞夫社長が癌であることを告げられた、妻の平川芙佐子が「これからカンセル(癌)という魔王、いや私の運命と対決せねばならぬ(本文より抜粋)」と思った時に、一つの言葉を思い浮かべるのです。

 「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」・・・というのがその言葉。フランスの哲学者、アラン(1968-1951)が『幸福論』という著書の中で述べている言葉だそうです。女学生時代の芙佐子が戦争末期、海軍水路部の若い士官から借りたこの本の一文を思い出し、チリ四年間の苦労の果てに、突然待ち受けていた過酷な宿命に立ち向かって行こうと決意するのです。

 「あーっ、あった、あった。これだぁ!」と思わず叫びました。「あれはいい言葉だったな」と芙佐子も回想するのですが、「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」。これは本当にいい言葉だと思います。

広辞苑によれば、「気分」は「(1)きもち。心もち。恒常的ではないが比較的弱く或る期間持続する感情の状態。爽快・憂鬱など。心理学では、恒常的でない点で気質と区別する。『―がすぐれない』『―が盛り上がる』(2)あたり全体から醸しだされる感じ。『お祭り―』」とあります。これに対し、「意思」は「考え。おもい。『―表示』」です。また、この場合「楽観」と言っても、「まあ、どうにかなるだろう」というものではなく、「くじけてなるものか!希望を捨てずに頑張るぞ!」という前向きな思考と捉えるべきかと思います。芙佐子が悲観的な気持ちから楽観的な考えに転ずるこの場面が実に印象的です。「革命商人」というタイトルからして、商社マンがこの作品のメインなのでしょうが、彼らの悲喜こもごもの全てを象徴的に代弁しているシーンだと思います。

それから30余年の時を経た昨年のチリ。鉱山の落盤事故があり、そして世界中が注目する中、はるか地底の暗闇に閉じ込められた坑夫達が、救出用カプセル「フェニックス号」に乗って次々に地上に助け上げられました。まさに奇跡的で、感動的な出来事でした。彼らが『幸福論』を読んでいたかどうかはわかりませんが、世界中からの励ましと支援の中で、悲観的な気分は楽観的な意思へとなっていったのではないか、と考えます。

老健を利用されているご高齢の方々から、悲観的な訴えを耳にすることが少なからずあります。アランの「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」という説に基づくならば、悲観の要因となる気分をいかに減らしていくか、そして楽観へと導くための意思をいかに増やしていくか、ということが大事だと言えます。そしてそのためのアプローチは、のべつまくなしに「頑張れ!頑張れ!」と言うのではなく、その人その人によって違うと思います。それを考えて、実践して、利用者様が楽観的な考えを持っていただけるように導くこと。これは老健の果たすべき大切な役割だと思います。

 

なお、世界地図でチリを見るとわかるのですが、その国土は南北4270キロメートルに対して東西の幅は平均175キロメートル。南北に細長い不思議な形をしており、「タツノオトシゴ」にそっくりだと言われています。平成24年は辰年。「チ・チ・チ、レ・レ・レ」と沸き立った昨年のようなチリフィーバーが来年もあるのかな?と何となく期待してしまいました。

おもいやり駐車場

  「これはいい!」と指をパッチンしました。1210日の宮崎日日新聞。来年21日から「思いやり駐車場制度」を開始するという、宮崎県障害福祉課からのお知らせを読んでのことです。

 それによると、この制度は「商業施設、病院、銀行、官公庁など公共施設に設置された身体障害者用駐車場等を適正にご利用いただくため、障がいのある方や高齢の方、妊産婦など歩行が困難と認められる方に対して、県内共通の利用証を交付し、当該駐車場を設置する事業所等の協力を得ながら、本当に必要な方のための駐車スペースの確保をはかる」ものだそうです。

 この制度により、(1)駐車場を利用できる人が明確になる、(2)不適正利用を防止できる、(3)身体障害者用駐車場の適正利用への理解が深まる、(4)一時的に歩行が困難な人の駐車場利用の確保がはかれる・・・などの効果が期待できるとあり、利用に当たっては同課や県福祉こどもセンター、県児湯福祉事務所、県西臼杵支庁、県各保健所、そして協力市町村での申請手続きが必要とのことです。

 このお知らせが載るちょうど1ヶ月前。1110日の日本経済新聞に「障害者優先駐車できず」という記事がありました。国土交通省の調査で、同駐車場に車を止められなかった障害者の6割が、健常者による「不適正駐車」を原因と考えていることがわかったという、ちょっとショッキングな内容でした。そんな折りに今回の新しい制度が導入されるという朗報。寒さが厳しくなってきた今日この頃ですが、心がポッと温まる思いがしました。

21日から始まるこの制度、すでに1212日から申し込み手続きが始まっているそうです。先述の日経新聞の記事では163市が同様の制度をすでに導入しているとのことですが(昨年12月時点)、「有効だが完全に不適正利用を防げるわけではない」との国交省安心生活政策課の分析も紹介されていました。「おもてなし日本一」を掲げて取り組んできた宮崎県民の思いやりの輪を広げて、この制度の導入により、車で出かける利便性や楽しみを、みんなで公平に共有できればいいと思います。

竜吐水で火の用心

  「りゅうどすい」と読む「竜吐水」。一体何かというと、昔の消火ポンプです。水がたっぷり入った大きな木の箱の上に横木があって、これを人力でギッコンバッタンやると水が勢いよく噴き出す仕組みで、時代劇などでは時々登場していたと思います。「火事と喧嘩は江戸の華」などと言うらしいですが、火事はいけません。年末の火の用心を呼びかけるため、毎晩各地の消防団員が巡回しています。頭が下がる思いです。「火事あとの火の用心」とは、その時機におくれて間に合わないことを言いますが、本当に、後から用心してもどうしようもありません(参考:『暮らしの中のことわざ辞典』、集英社)。

 さきごろ、当協会が会員施設を対象に、災害対策に関する調査を実施したところ、43施設中、33施設から回答がありました。これによると、当然ではありますが、全ての施設が防災訓練を定期的に実施しているとのことでした。もちろん、火災を起こさないことが重要ですが、今年ほど災害への備えの大切さを思い知らされたことはありません。起こりうるであろう、様々な事態を想定して、日頃からの心掛けを徹底したいと思います。

 来年はたつ年ですが、竜吐水が活躍するような年になっては困ります。くれぐれも、火の用心に努めましょう。

でんちゅうでござる

 本日1214日は四十七士討ち入りの日です。元禄15年(1702年)の今日、大石良雄をはじめとする赤穂浪士47人(実際には寺坂吉右衛門が脱落したため46人)が、吉良義央邸に攻め入って、赤穂藩主浅野長の敵を討ったその日の天気は雪。三波春夫さんが「さぁく、さぁく、さく、さく、さく、さく、せんせーい」とやっていましたが、一説によれば、雪が足音を消したおかげで、討ち入りに気づかれずにすんだとか。

 そして、師走になるとかつては必ずと言っていいくらいやっていたテレビ時代劇が「忠臣蔵」。豪華キャストを揃え、2時間、いや以上かけてやっていました。しかし、今ではもう昔懐かしい思い出となってしまい、少し寂しい気がします。

この「忠臣蔵」で必ず登場する見せ場の一つが「刃傷松の廊下」のシーン。勅使下向の接待役となった赤穂藩主浅野長矩が、儀礼担当職の吉良義央による屈辱的な振る舞いに耐えかねて、江戸城中は松の廊下(本当はそこではなく、もっと狭い廊下だ、という説もあるようですが)で刃傷に及ぶ場面。「五万三千石所領も捨て家来も捨てての刃傷でござる。討たせてくだされー!」と訴える浅野長矩を、羽交い絞めにして止める梶川与惣兵衛が、「浅野殿!でんちゅうでござる!!」と叫びます。

 子供心にこれを聞いたとき「はぁ?“電柱でござる???”」と不思議でしょうがなかったものでした。なぜゆえに江戸時代に電柱があったのか?と。もちろん「電柱」ではなく、「殿中」の誤り。そもそも「刃傷(にんじょう)松の廊下」にしても「人情松の廊下」と思っていたので、「人を切りつけることが何ゆえに人情なんだろう?」と首をかしげていたことを、毎年この時期になるとおかしく、そして懐かしく思い出します。

 時代劇(とプロレス)がテレビから消えてしまったことを嘆く高齢者の声を時折耳にします。景気も良くない今、大掛かりなセット、豪華絢爛な衣装、ビッグな役者を使って制作しても、視聴率が期待できない時代劇は、舞台から去らないといけないのかなあ、と少し寂しくなります。もっとも、「レンタルビデオがあるじゃないか」と言われればそれまでなのですが・・・。

 「でんちゅう」ついでに言いますと、「でんちゅうしきちりょう」というのがあるのをご存じでしょうか。最初にこれを耳にしたとき「電柱式治療」と思ってしまいました。電柱を使って何をどう治療するんだろうと不思議だったのですが、「電柱敷地料」と知って納得するとともに、恥ずかしくなりました。九州電力のホームページにも「電柱敷地料とは、当社がお客さま敷地内に電柱等を設置させていただく際に、お客さまにお支払いする敷地借用料金で、電柱等の設置に際しては、お客さまから『承諾書』という形でご承諾をいただいています」とあり、ここまで読むと治療法の類とは全く無縁であることがはっきりします。うーん、日本語って難しい。

悲噴慷慨(ひふんこうがい)

 『意味から引く四字熟語』(池田書店)に「自らの運命の転変や世間、社会の状況に対して、嘆き悲しんだり、憤りを感じること」と記されているのは「慷慨(ひふんこうがい)」。しかし、これは慷慨と言うべきでしょう。桜島の今年の年間爆発回数が、観測史上最多だった昨年を上回ったとのこと。

 128日の朝日新聞によれば、今回の噴火は1946年(昭和21年)、爆発が日に100回以上に増え、溶岩流出したという昭和噴火の前に酷似しているそうです。そして、差し迫ってはいないものの、97年前、死者58人を数えた大正噴火級の大噴火が確実に近づいていると、火山学者の見方は一致しているとも。海底噴火などに伴う津波の危険も指摘されており、不安が募ります。

 それとは正反対に、ずーっとだんまりを決め込んでいるのが新燃岳。しかし、活動を止めたわけではなく、不気味に膨張を続けており、いつ噴火してもおかしくないとのこと。その姿は「思黙考」ならぬ「止黙考」。不気味です。

 さきごろ、宮崎空港で不発弾の処理が行われ、無事作業が終了しました。桜島も新燃岳も、同じようになんとかならないものだろうか、と懣、ならぬ懣やるかたない思いの今日この頃です。

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