フライングX

  中年のロックファンなら「フライング・・・」と言えば「V(ヴィ)」!」と答えたはずです。そうです。エレキギターのフライングVです。特徴はなんといってもその見た目。ボディがVの字になっていて、いかにも攻撃的で斬新でした。ただし、演奏しやすいか、というと、必ずしもそうではなかったのですが。

 このかっこいいフライングVを、多くの日本人が初めて見たのは、たぶんアメリカの伝説的(?)人気ロックバンドKISSのヴォーカル、ポール・スタンレイのそれではないでしょうか。歌舞伎のようななメイクとゴジラのような出で立ち(特にジーン・シモンズ)20センチはあろうかと思われるブーツ。血を吐く、火を噴く、ギターを燃やす壊す、と日本人の度肝を抜いたステージに、当時のロックファンはとりこになったものですが、その時にポールが弾いていたのがフライングVだったのです。ストラップを伸ばし、ギターを下げてかき鳴らすそのスタイルも相まって、それまでのレスポール、ストラトキャスターというエレキギターの両横綱の間にどどーんと割って入ってきました。ただし、実際に買って、弾いていた人はそこまで多くなかったようですが・・・。

 一方、陸上競技では、「フライング」はダメなのです。一発失格をくらうわけです。以前は1回目は許され、2回目だと、アウト(1回目フライングじゃない人でも)だったのですが、1回目にわざとフライングして他選手を動揺させる人もいるからとのことで、一発勝負となったようです。

 日曜日の世界陸上。世界中が世界新を期待し、注目した100メートル男子決勝でのボルト選手。なんとなんと、そのフライングをしてしまいましたね。これこそ「千慮の一失」とでも言うのでしょうか。もちろん、失格。ユニフォームを脱いで悔しがるボルト選手の姿が、にわかに現実のものとして受け止めることができませんでした。

 そんなわけでかつては、「フライング」とくれば「V」。victoryにもつながらうVだったのですが、今や、フライングは「V」じゃなくて「X」。エックスですが、バツにもつながるX。つまり、「フライングX」になってしまいました。何とも残念です。一番がっかりしているのは当の本人だと思います。立ち直るのには時間がかかるかもしれませんが、失格からの復権は、リハビリテーションの哲学とも相通ずるものがあります。世界は待っています。ロンドンオリンピックでの復活を。あの超人的な走りで、そして記憶と記録に残る走りで、私たちを再び魅了してほしいと願います。

あれから一年(その2)

  昨年の827日は、宮崎県にとって、本当に待ち望んだ日でした。口蹄疫の終息がついに宣言されたのです。420日に発生が確認され、518日には非常事態宣言。それからは非常とも異常とも言えるような事態に陥りました。薫風がそよぎ、梅雨が軒をしたたり、まぶしい日ざしが肌を刺していたはずなのですが、季節がいくつか抜け落ちたかのような虚無感の中で、時間だけが過ぎていったような気がします。

 あれから一年。経営を再開した被害農家は57%にとどまっているのだそうです(8月末)。季節の足音が蘇った今も(しかし、東日本大震災以降、今年はそれがあまりにも早く感じてしまいます)、口蹄疫が残した傷跡の深さを改めて思い知らされます。

 感染症の恐ろしさは人間も家畜も変わりありません。口蹄疫もこれで未来永劫に発生しないという保証はありません。「過去の病気」と言われた結核でさえも、今なおその存在を誇示しているように。ましてや、口蹄疫の感染経路はいまだに解明されていないのだそうですから、油断できません。

 どこの老健施設でも、感染対策への取り組みは行われていると思いますが、宮崎県民の一人として、また感染症の怖さを知り、日々予防に勤しむ老健職員の一人として、あの惨劇を二度と繰り返さないよう、そして、いつまでも「太陽のメロディー」が降り注ぎ続けるよう、「がんばろう宮崎!」「がんばろう日本!」の気持ちを絶やさぬようにしたいと思います。

ハムエッグ(なんて言ってる場合じゃない!)

 その一昔、「ハムエッグ」というと憧れのおかずの一つでした。玉子を2、そう、2です!を使って目玉焼きを作り、その上にハムを添える。皮の赤いやつです。それをフォークとナイフ、そう、フォークとナイフです!で食べる・・・。それだけなのですが、子供心に優雅で、贅沢に思えた御馳走でした。今のように情報化が進んでおらず、世界をこの上なく広く感じたその当時、「西洋の人たちは毎日、こんな豪勢な食事をしているのかぁ」とうらやましく思ったものでした。今思えば何とも無邪気というか、恥ずかしいというか・・・。

 なぜ唐突にこんなことを思い出したのかというと、昨日の天気予報を見たからです。そこには左に台風11号、右に台風12号が南の海洋上に綺麗に並んでいるではありませんか!そのときです。「あっ!ハムエッグだ」と連想したのは。玉子を2個使って、そしてハムは・・・あーっ!!何と日本列島じゃないですか!しかもそれぞれ成長しながらゆっくり北上しているとのこと。

 ハムだのエッグだの言っている場合ではありません。思わず「一体何を考えているんだ?お前は!」と自分を叱りつけました。このままいくと、来週あたりが接近、あるいは上陸といった恐れが出てくるのではないでしょうか。

 気象庁の台風情報等で、情報を把握しながら、早めの対応を心がけましょう。

呵々大笑(かかたいしょう)

  今年でついに番組終了となる「水戸黄門」。あの揺るぎなき超ワンパターン痛快勧善懲悪時代劇が終演を迎えるのは、誠に残念なことです。これも時代の流れなのでしょうか。昭和は遠くなりにけり。いわんや江戸をや。

 さて、この「水戸黄門」と言ったら、初代黄門様の「かーっかっかっかっ」という高らかな笑い声が何と言っても印象的でした。広辞苑によれば、この「大きな声をあげて、からから大笑いすること」を「呵々大笑(かかたいしょう)」と言うのだそうです。「笑いがいちばん」というテレビ番組もありますが、医学的にも笑うことで得られる身体的、精神的な効用はいろいろと研究・証明されています。そんな中で、この「かーっかっかっかっ」という笑い方、何かをする時の発声に似ていないでしょうか。

 それは、お堅い言い方をすれば「喀痰(かくたん)」。汚い例えで誠に恐縮ですが、不心得者が道端にたんを吐き捨てるときに、「かーっ、ペッ」とやる、その最初の「かーっ」の発声です。なお、路上でたんを吐き捨てる行為はマナー違反ですし、法律でこれを禁じている国もありますのでくれぐれもご注意あれ。

 しかし、この喀痰がうまくできないと、痰が肺にたまったり、のどに詰まらせたりする危険があります。また、食べ物や飲み物が食道ではなく、誤って気道に入ってしまい(誤嚥:ごえん、誤飲:ごいん)、肺炎を引き起こす恐れもあります。NHKの「ためしてガッテン」では、歳をとるにつれて、そのリスクが高くなると説明していました。老健に勤める者として、これは看過できない問題です。

 利用者様の喀痰能力を維持、向上させるためにも、「かーっかっかっかっ」と笑う機会をより多く提供すること。これも老健に課せられた役割なのではないでしょうか。ましてや、「水戸黄門」が終わらんとしている今日において、その責務はますます重要になっているのではないでしょうか。

 ところで、「呵々大笑」の「呵」を広辞苑で調べると、「(1)しかること。(2)わらうこと。」とあるから少々驚きです。利用者様をしかる事はもちろん、利用者様にしかられる事があってもなりません。「かーっかっかっかっ」と笑っていただいて、「今日も一日楽しかった」とおっしゃっていただけるよう、日々研鑽を積みたいと思います。

てんてんはんそく(輾転反側)

  「輾転反側」と書いて「てんてんはんそく」と読みます。広辞苑によると、その意味は「思い悩み考え込んだり、心配事があったりして眠ることができず、何度も寝返りを打つこと。一晩中、あれこれ悩み、心配しているさま」とあります。この「輾転(てんてん)」、そして「反側(はんそく)」とも、寝返りすることを言います。厳しい残暑が日中のみならず、毎晩続いている今日この頃、悩みや心配がなくても、眠れずにゴロンゴロンとのたうち回っているうちに、朝が来てしまった、という方もおられるのではないでしょうか。

 しかし、ご周知の通り、この「寝返り動作」というのは大事です。寝返りができなければ、床ずれ(褥瘡:じょくそう)の原因となります。よって、定時の体位交換が必要になってきます。

 眠れない夜ならば、あえて輾転反側せず、ずっと寝返りを打たずに寝たら、どれだけ辛いか、そして、適切な体位交換がいかに必要か、自ら体験してみるのも良い機会かもしれません。

シルバーケア野崎をルポしました!

 ()宮崎県老人保健施設協会企画広報委員会はこのほど、「老健みやざき 24」の巻頭企画”老健ルポルター寿(じゅ)“の取材のため、会員施設の一つシルバーケア野崎(宮崎市)を訪問、取材しました。 

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 「通所リハビリを行う1階ホールが木目で明るく広い」との事前情報をキャッチしていた委員会メンバー。確かに明るい。でも、この明るさはそれだけじゃない!?と見回してみると、すぐに納得!利用者様と職員がとにかく明るい!あちこちで笑顔と笑い声がはじけていたのです。

 

DSC01327.JPG 「ご利用者様本意のケア」をめざしている同施設、利用者様が「これがやりたい!」とおっしゃれば、それを実現するのだそうです。たとえば囲碁大会。月に一度、定期的に開催しており、その日には腕に自信の利用者様が集い、熱戦を展開。優勝者にはトロフィーと賞状が授与される本格的なものです。白熱した対局が長引けば、決着がつくまで送迎を遅らせることもあるのだそうです。他にもカラオケ大会や書道教室など、楽しく、ためになる催しがいっぱい。そして、短歌教室は「社会的援助を必要とする高齢者のための短歌大会」として、全国にその輪が広がっています(歌集『老いて歌おう』第一集、第二集も出版されています)。

 

IMG_0113.JPG  他にもすばらしい取り組みや、すごい人たちがいっぱいで、委員一同、感動と驚きの連続でした。「老健みやざき 第24号」は今秋発刊予定です。この日に取材したシルバーケア野崎の魅力を満載してお伝えする予定ですのでお楽しみに。

スモーク・オン・ザ・ウォーター!?

  猛暑にうなされた日本列島ですが、19日のニュースでは、ゲリラ豪雨が東京を襲っている様子が報じられていました。それを見ながら、幼い頃に雨の強さをジャンケンのグー・チョキ・パー3段階で表現していたのを思い出しました。

 これは、道路に雨粒が落ちて跳ね返る時の形を見て子供心に勝手に連想していたものです。パラパラと弱い雨だと、跳ね返りは路面から少し盛り上がるだけなので、”グー”の形。やや強くなってピチャピチャと道路をたたき出すとはね返り返りは少しとんがってきて”チョキ”の形。ザーザーと激しくなると、路面を打った雨粒はバシャバシャと四方八方に飛び散るので”パー”の形・・・とまあ、このように言い表していたわけです。なんとなく、そう見えないでしょうか。

 ところが、最近のゲリラ豪雨なるものときたら、そういう言い方では表現できなくなってきました。最初パラパラ降り出して、次第に雨脚が強まる、などと段階を踏まず、何の前触れもないこともあります。バケツをひっくり返すくらいでは生やさしいもの。タライをひっくり返して、そのタライともども満杯の水が地上に襲ってくるように思える雨も珍しくはなくなってきました。痛いです。

 そうなるとたちまち道路は川となり、そこに容赦なく叩きつける雨で、水の上に白い煙が垂れ込めたような光景となってしまいます。もはやチョキだのパーだのと言っておられる状態ではありません。これを何と表現したらいいのでしょう。水の上に白い煙、水の上の煙、ウォーターの上のスモーク・・・・・”!!”そうです。かつてのギター小僧なら、「ザッ、ザッ、ザーッ、ザッ、ザッ、ザザー」と一度は弾いた事がある、ディープパープルの伝説的名曲、”スモーク・オン・ザ・ウォーター(SMOKE ON THE WATER)”。ゲリラ豪雨はまさにこの状態ではないでしょうか。この曲のサウンドもかなりハードでしたが、ゲリラ豪雨ときたら、それを上回る激しさです。

 

 余談が長くなりましたが、ゲリラ豪雨が都会に限った話じゃないことはご周知の通り。例えば、通所サービスで利用者を送迎する時や、仕事の行き帰り等々、出発する際には晴れていたのに、突然前が見えないくらいの雨、そして雷に襲われる事もあったりします。テレビやラジオだけでなく、今はインターネットや携帯でも、より詳細な気象情報がわかるようになりました。警報や注意報が出ていないか、など、日頃からチェックと備えを心がけるようにしたいものです。

人一度之を能くすれば己は之を百度す

 「人一度これをよくすれば おのれはこれを百度す」。これは中国の四書のうちの一つ、『中庸』という儒教の総合的解明書の言葉です。人が一回やるところを自分は百回やる。そうすればどんな人でも上手になれる、という意味です。

 夏の甲子園もいよいよクライマックス!どの高校も、どの選手たちも全力でプレーし、その結果、非情にも(?)勝者と敗者に分かれ、泣いたり笑ったりするのですが、その姿の清く、美しいこと!勝敗に関係なく、深い感動を皆に与えるのは、彼らがそれまで必死に練習してきたからではないでしょうか。それは百度なんてものではないでしょう。何千回、何万回も繰り返し、頭でなく身体にしみ込むまで練習をしてきたのだと思います。

 特にそれを感じたのが、16日に行われた能代商業と如水館との試合。能代商業絶体絶命の場面での見事な連携技で、サヨナラのランナーをホームでアウトにしました。それも2回も!17日付け朝日新聞にはそのファインプレーに対し、「好返球 まぐれなし」と見出しをつけていました。監督の指示のもと、この数日間中継プレーを練習していたとのことですが、それまでにも血のにじむような練習を重ねてきたことと思います。中継に入った能代商の遊撃手は、位置も距離感も確認する暇がない状況で、センターからのボールを捕るやいなや、振り向きざまに本塁へ遠投。「間一髪」とはこういう事をいうのか、というお手本のようなきわどさでランナーを刺したのです。その超ファインプレーについて、「必死で、感覚だけで投げた」とのコメントが紹介されていました。この「感覚」こそ、「人一度之を能くすれば己は之を百度す」的な努力の繰り返し&積み重ねによって培われたものではないでしょうか。残念ながら延長戦の末、同校は敗れましたが、努力することの尊さ、そしてそれが結実する素晴らしさを見る者全てに体現してみせてくれました。拍手喝采です。胸を張って郷土に帰ってもらいたいと思いました。

 「努力」や「根性」は、昔懐かし修学旅行のお土産キーホルダーだけの話ではありません。私たち老健職員も、常日頃から努力を重ねることが大事だと思いました。利用者様のために、職場のために、そして自分自身のために。

絆強めるこの一冊

 今ほど日本が「絆」の大切さを噛みしめている時はないと思います。実は、当協会が今年3月に研究大会を開催するにあたり、そのサブテーマを「人と人との絆を結ぶ」と決定しました。昨年11月のことです。それから4か月後の大災害など、予想だにできなかったその時の話し合いで、いくつかの案の中から選んだわけですが、東日本大震災の後、「絆」の大切さが世界レベルで認識されるようになってきました。広辞苑には、「(1)馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱。(2)断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛」とあります。今使われているのは(2)の意味合いですが、元の意味は(1)ですから、「絆を深める」ではなく、「絆を強める」という言い方が正しいのだそうです。

さて、この「絆」の大切さがひしひしと伝わる一冊を紹介します。『風が強く吹いている』(新潮社)です。著者は”三浦しをん”さん。2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞されています(これも名作です)。

ストーリーは、駅伝とは無縁の大学に通う学生達が、たった10名で箱根駅伝を目指すというもの。同じおんぼろアパートに住む彼らのほとんどが初心者。本戦に出場するためには厳しい予選会で上位に入らなくてはなりませんが、それだけでも絶対に無理!実際問題としてあり得ない!!と読みながら思うのですが、しかし、彼らは真剣に「走る」ということに取り組むのです。決して仲良し倶楽部ではない。関係がぎくしゃくしたり、激しい衝突もあったりもします。しかし、そのたびに彼らは絆を強めていくのです。たった一本のタスキに思いを込めて。

詳細は割愛しますが、これでもか!というくらいの直球ど真ん中の青春物語です。各登場人物が個性的で、その一人一人が生き生きと表現されています。ただ単に「走る」という行為なのに、完膚無きまでに感動させられてしまいます。胸にダイレクトにずずーんと響きます。スカーッと爽快な気持ちになります。そして、人と人との絆の大切さを改めて知らされるのです。

読んで損はしません。今年これまでに読んだ作品の中で最高の一冊としてお勧めします(あくまでの個人の感想ですが)。ぜひご一読されてみてはいかがでしょうか。

コンピテンシーという考え方

  コンピテンシーとは、「高い業績を上げている社員の行動特性」のことを言うそうです。これは、「仕事ができる人が具体的にどんな行動をとっているか」とか、「仕事の効果を上げるためにどんな行動をとったのか」というように「業績のよい人は何をしているか?」ということだそうです。つまり、営業マンで例えるならば「〇〇さんはこれだけ売り上げることができる」ではなく、「〇〇さんはこれだけ売り上げるために、具体的にこんな行動をした」というのがコンピテンシーであり、人事管理や人材育成における考え方の一つです。1970年代にハーバード大学のマクラレンド教授らの研究報告に端を発するそうです。

 「コンピテンシー・マネジメント」とは、この点に着目し、好成績を収めた人(ハイ・パフォーマー)を調べて、そのコンピテンシー(具体的にやったこと)を調査、体系化します。それを評価基準や人材育成に役立てるとともに、会社や組織全体の発展等々に活用していく手法です。その最大の特徴は、具体性があって説得力があるということではないでしょうか。「成功した私が実践したことだから間違いない!」と太鼓判を押されたようなもので、「ならばそれがしもやってみようか!」という気持ちにもなります。

 さて、この「コンピテンシー・マネジメント」の考え方を老健のケアにも取り入れられないものでしょうか。利用者様の心身の特性は様々。一つのADLについても、上手にできる人、やっとできる人、全くできない人と様々です。また、同じ程度の障害がある方でも、一方の人はAの動作ができてBの動作ができず、他方の人はAの動作はできないが、Bの動作はできる、ということも皆無ではないのではないでしょうか。できない人について「○○さんはなぜこの動作ができないのだろう?」と原因を考えることは当然あると思いますが、「この動作を上手にできる○○さんは、どんな行動をしているのだろう?」と、顕在能力を明確に評価する事は案外少ないのではないでしょうか。できる利用者様の実際の行動を多角的に観察・分析することで、できない人ができるようになるための手がかりが見いだされれば、すばらしいと思いますし、そのような視点を職員が持つようになれば、今後のケアの在り方も変わってくるのではないでしょうか。

また、当然ながら、コンピテンシー・マネジメントは、老健職員間、さらには老健施設全体にも導入できる考え方と言えます。各人が成長しながら、組織も発展する。しかも、具体的客観性のある行動特性をもってして行われるのですから、取り組みやすいポジティブな手法だし、互いに良い所を認め合うわけですから、組織の結束も高まり、結果として利用者様によりよいケアが提供できることにもつながっていくことが期待できます。十七世紀の初め頃活躍した、イギリスの政治家セシルは、「模範は訓言よりも力強い」と唱えたそうですが、「模範」を「コンピテンシー」と置き換えることもできるのではないでしょうか。コンピテンシーという考え方には老健の未来が見える、ような気がします。

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