治にいて乱を忘れず

  「平和な世の中を迎えたからといって、いつ戦争が起きるかわからないので、油断してはいけない。いつでも万一のときの用意を怠らないこと」という意味のことわざです。

 新潟県、富山県に甚大な被害をもたらした今回の豪雨は、7年前の大雨を上回り、観測記録を塗り替えるものとなりました。崩落した橋梁、寸断された道路、冠水した田畑、そして浸水した家屋・・・。影像で見てもそのすさまじさはひしひしと伝わりました。被害の全容が明らかになるには、まだ時間がかかりそうですが、復興にはさらに長い時間を要するものと思われます。

 これを見て思い出すのが、6年前、宮崎県に未曾有の被害をもたらし、各地に大きな傷跡を残した台風14号による記録的な大雨です。そのときは、台風が来る何日も前から激しい雨が降り続きました。北上の速度も遅く、河川の水位はどんどん上昇。濁流は瞬く間に堤防を乗り越えて町を襲いました。避難住民でごった返す高台の体育館から見下ろすと、住宅街は2階部分を残し完全に水没。「我が家だけは大丈夫かも?」などという淡い希望は完全に打ち砕かれ、床上2メートルを優に超す浸水に見舞われたのです。家財道具のほぼ全てを失い、途方に暮れましたが、避難所暮らしを経た後、沢山の人に助けていただきながら、何とか年末までには復旧し、元の生活を取り戻すことができました。

 その後、河川敷や堤防の整備、揚水ポンプの設置などが県内各地で進みましたが、はたしてこれで大丈夫か!?というと、決してそうとは言えない。と思うのです。そして頭に浮かぶのが、この「治にいて乱を忘れず」の戒め。いくら文明が進んだにせよ、人間が自然の猛威に対し、常にこれを防ぐ事ができると過信するべからず。日頃から物心両面の備えを怠ってはいけないと痛感しました。

 そして今、台風9号がちょっと速い市民ランナー並みの速度で北上中です。今週末にはその影響が県内にも出てくるかもしれません。今回被災された方々には心よりお見舞い申し上げますとともに、決して油断すること無く、情報の収集と災害への備えを整えたいと思います。

今日から葉月

 今日から八月、「葉月」です。暑い日が続く一方で、節電もしなくてはいけない今年の夏。葉っぱの緑が例年以上に有り難く感じる今日この頃です。そんな葉月の一日、「葉桜の季節に君を想うということ」という本を紹介します。著者は歌野晶午(うたのしょうご)さん。文庫本第1刷が2007510日に文春文庫から出され、20081215日に出た第16刷を読みました。ですから、読んだ方も結構おられるのではないかと思います。

 主人公は成瀬将虎(なるせまさとら)。探偵事務所に2年間だけ勤めた経験があり、現在は「何でもやってやろう屋」というのをやっています。スポーツジムで鍛え上げた身体で事件を解決していきます。相棒の芹沢清は、都立青山高校に通う現役高校生。成瀬とはつうかあの仲です。ヒロインは麻宮さくらという可憐な、しかしなんだかわけありな女性が登場します。そのほか色々な人達が登場しますが、各々の関係は終盤まで理解困難な仕掛けになっています。

 ストーリーはというと、探偵事務所にいたころの主人公が、ある男性が浴室で腹を割かれて死んでいた事件の真相をあばいていく場面と、その後の主人公が、高額商品売買を巡るトラブルにまつわる事件究明に奔走する場面とが並行して展開されていきます。偽装自殺、偽装結婚、保険金詐欺といろいろ出てきますが、それだけではさほど目新しいものではありません。しかし、どんどんページを読み進めていくうち、「あれっ?」と思わざるを得ない気持ちになってしまいます。それはどういうことなのか?というのは、残念ながら言えません。なぜならば、それこそがこの作品に仕掛けられた最大のトリックだからです。敢えて言うとするならば、この作品をドラマ化や映画化しようとするならば、極めて困難だろう、ということです。そして、「あれっ?」はやがて「まさか、ひょっとして!?」に変わり、最後は「あーっ!!やっぱりそういうことだったのか!!」と、たいていの人が作者の術中に陥ってしまっていたことを悟ります。そして、この作品がなぜ「葉桜の季節に・・・」となっているのかわかり、感動することと思います。

 老健に勤める者として、この作品を読んだ意義は実に大なるものがあります。他の職員にも勧めて、「よかったー」と言われました。第57回日本推理作家協会賞、そして第4回本格ミステリー大賞受賞の作品です。歌野晶午さんは、マルチメディアが当たり前な現代において、活字の持つ魅力をよくよく知っていて、そして活字を自由自在に使いこなす作家だと思います。葉桜盛んなこの月に、読んでみられてはいかがでしょうか。

さんにっぱ

 フィルムカメラ(35ミリ)のレンズで「サンニッパ」と言えば、焦点距離300ミリ、明るさ(f)2.8。とても明るい超望遠レンズ、でした。その引き寄せ効果や、ぼかし効果は絶大!シャッターも高速で切れて、ネイチャーフォトやスポーツ写真をはじめ、色々な撮影シーンで、ものすごい描写力を発揮していました。アマチュアカメラマンなら一度は憧れる交換レンズの横綱、でした。もちろん値段も超横綱級。何十万円もするので、とてもじゃないが手が出ない高嶺の花。出るのはため息ばかり。それが「サンニッパ」でした。

 先日、リサイクルショップをのぞいたら、その「サンニッパ」が、なんと3万円ちょっとで売っているじゃあありませんか!びっくりです。程度も悪くなさそう。20年前なら信じられない値段!後先考えずに購入していたことでしょう。そう、フィルムカメラが幅を利かせていた頃だったら・・・。

 しかし、悲しいかな、今はもうデジカメの時代。登場した当時、あまりの画質の悪さに「こんなのはカメラじゃないよ」と嘲笑していたのもつかの間。その後、画質は飛躍的に向上。パソコンやプリンタ、さらに記録メディアの性能もびっくりするくらい良くなって、その場で撮って即確認&印刷が簡単にできるようになりました。画像の編集もすごく簡単です。

 かつては暗室に閉じこもり、現像とプリントに悪戦苦闘した頃もありました。特にフィルムの現像時間は、温度によって左右されるので大変。せっかく苦労して撮影したのに、現像ムラができて台無しになったこともありますが、今となっては笑いぐさです。プリントの際には、焼きを多くしたい所以外を手や紙で隠し、現像機のペダルを踏んで加減していました。納得の一枚が焼けるまで、何枚も失敗しましたが、それで培われた経験と勘は、今では何の役にも立ちません。

 また、今は残り枚数を心配する必要は皆無と言ってよいでしょう。フィルムの時代、「何が起こるかわからないから、1枚は必ず残しておいて、いざという時に撮れるようにしておけ」と、報道カメラマンから習ったのも、懐かしい想い出です。「ハーフサイズ」と言って、36枚撮りフィルムで72枚も撮影できるカメラがあって、旅行の時など重宝したものですが、もちろん今は無用の長物です。超高画質のISO25のポジフィルム(いわゆるスライド用フィルム)や、超高感度のISO3200のフィルムなどは値段も高く、袋に入れて、冷蔵庫で大事に保管していました。それが今や、カメラ(コンパクトカメラでも)のボタンを押すだけで(自動でできるのもあります)、感度が自由に上げ下げできてしまいます。脱帽です。フィルムを入れたのに巻けていなかったため、現像したら何も映っていなかったとか、巻き戻す前に裏蓋を開け、光が入ってダメになったとか、はたまた最初からフィルムを入れ忘れていて、帰ってみたらカラだったとか、感度設定を間違えて全部露出オーバーになったとか、フィルムに関する笑えない失敗は結構あったものです。

 一方、デジカメの場合、レンズの焦点距離は、「35mmフィルム換算で〇〇mm相当」などと表現するように、カメラによって(撮像素子のサイズによって)焦点距離と画角はまちまちになってしまいました。「このサンニッパが目に入らぬかぁー!」みたいに言えなくなってしまったわけで、なんだか釈然としませんが、それでも性能の向上は目を見張るばかり。小さく、軽く、ピントはすばやく、手ブレも防ぐ。そもそも、「ピントが自動的に合う」なんて、「夢のカメラ」と言われていた時代もあったのです。

 とまあ、このようにカメラは、いやデジカメは、加速度的な進化を遂げてきました。おかげで、難しい知識や技術が無くても、簡単に綺麗な写真が撮れるようになりました。フィルムの残りも気にせず、じゃんじゃんシャッターが押せるようになりました。ただ、便利さの陰で、失ってしまったものはないだろうか?と一抹の不安もあります。残り枚数を気にしつつ、絞りとシャッタースピードを考えて、向かって来る被写体には前方にピントを合わせて一瞬のシャッターチャンスを待つ。そんなワクワク、ドキドキ感は希薄になってはいないだろうか?そして何よりも、限られた枚数で「こんなシーンを、こういう構図で撮ろう。そしてこの一枚で、こういうことを伝えるのだ!こういう想い出を残すのだ!」という目的意識は曖昧になっていないだろうか?と思うのです。目的を果たすために手段が簡便化されたのに、「操作は簡単だし、何枚でも撮れるから」と、肝心の目的が曖昧になってしまっていたとすれば、本末転倒です。

 さて、このことは、私たちが老健で使う道具についても、同じような事が言えるかもしれません。介護用品は日進月歩の勢いで新商品の開発が進められています。介護する人、される人双方に恩恵をもたらすものもたくさんあります。しかしそれは、その人にとって必要な用具を適切に、安全に使用するとともに、その使用状況を定期的に評価・検討することが前提で、それによって介護負担の軽減と、心身両面の自立につながっていかなければならないと思います。便利だからといって、何でも見境無く導入し、使いっぱなしにしていた結果、それまでできていたことができなくなったり、やらなくなったり、リスクにさらされたりしていたら、やはり本末転倒ということになるのではないでしょうか。

 まず、使う目的を明確にする。その前提として使おうとする人(介護する人、される人)の心身の状態や諸環境を正しく評価し、使用の妥当を検討する。使用に当たってはその正しい使い方を指導するとともに、定期的に使用状況を評価し、使用することが本来の目的達成につながっているか。続けて使用するべきか否か、別の用具もしくは代替手段に変更するか?等々の取り組みを継続していく事が大切だと、「サンニッパ」を眺めながら考えた次第です。

あれから1年。

  昨日は7月27日。昨年のこの日、口蹄疫のため県内全域に出されていた「非常事態宣言」が全面解除されてからちょうど一年を迎えました。518日から実に98日間。県内各所に消毒ポイントが設けられ、雨の日も風の日も、炎天下も真夜中も、通る車一台一台に両手を下に振る「スピードを落として!」のポーズをされていた風景が、今なお鮮明に脳裏に焼き付いています。不要不急の外出を自粛し、イベントは軒並み中止や延期。甲子園予選も無観客試合。何とも寂しく、そして辛い期間でした(もっとも、一番辛かったのは、生産者の方々であり、今も復興に向けて大変なご苦労をされています)。

  宮崎の夏の夜を盛り上げる各地でのお祭りはもちろん、県内各地の老健施設でも、夏祭りの中止や延期が相次ぎ、利用者様も不安と残念な思いが入り交じる中で過ごされていたかと思います。

あれから1年。今年の宮崎は元気です。あちこちで夏のお祭りやイベントが目白押しです。各老健施設のおいても、アイデア盛りだくさんの夏祭りが催されているかと思います。それまで当たり前に行われていたことを、当たり前に行えるということのありがたさを、今、ひしひしと感じています。

口蹄疫は終息しましたが、日本全体が復興への取り組みを続けている現状です。夏祭りを開けることに感謝しながらも、復興に向けて何ができるか、何をすべきか、考えながら、アクションを起こしたいと思います。

朝の雷は向こう岸に行くな

  昨日は雷雨。高校野球の決勝戦も順延となりました。特にお昼過ぎの雷雨は激しく、利用者様の方々と窓の外を眺めていたところ、目の前が、かつて見たことがないくらい・・・敢えて例えるなら、日本中のカメラのストロボが全部集まって、一斉に光ったようなまぶしさ・・・でピカーッと白く光りました。その瞬間です。どどーん!という地響きとともに、ガラスがガタガタガタと震えたのは。職員も利用者様もただただびっくり仰天!その間もずずずずーーーーん、という重低音は響き続けていました。

 音の速さは331.45×0.61tメートル毎秒(tは温度)。すごく速いのですが、光の速さに比べたらウサギとカメ。だから、普通はピカッと光ったら、数秒経ってから雷鳴が聞こえるもので、その間隔で「まだ遠いな」とか、「今のは近いな」とか感じ取っていたのですが、この時は、光の速さで音が届いたような錯覚に陥りました。そして、「轟く(とどろく)」とは、こういうことなのだろうなあ、と実感しました。

 「朝の雷は向こう岸に行くな」ということわざが、宮崎県にはあるのだそうです。朝、雷が鳴ると、その日は大雨になって、川が増水するから、向こう岸に渡ると戻れなくなるから行ってはいけない、ということらしいです。あくまでもことわざですから、真意のほどは不明ですが、気象予報技術が発達していない時代に、先人達が培った経験と知恵から生まれた教訓。無下にはできません。雷、そして雷雨には気をつけなければならないと、つくづく思いました。  

 それにしても、この雷のすさまじい電気エネルギー、(およそ1億ボルト、家庭用省エネエアコンを10日間使える、という説もあります)何かに有効利用できないものでしょうか?石油や原子力に代わる、新しいエネルギーを模索してる中にあって、ただ光って鳴るだけではもったいないのではないか!?と、少し惜しい気もします。

アナログ放送終了。

 平成23724日(日)、ついにテレビのアナログ放送が終了しました。1953年の放送開始以来、60年近くに渡って私たちにいろいろな、本当にいろいろな情報を提供し続けたアナログ放送の電波が止まってしまいました。

 最初は白黒テレビ。スイッチを入れてもすぐには映らずにやきもきしたものです。チャンネルはもちろんダイヤル式。ガシャガシャ回すので、チャンネル争いなどで、乱暴に扱うと壊れる事もありました。回すのを一方向に決めている家もあったそうです。

 カラーテレビの出始めは、とても高価だったので、白黒のブラウン管(この響きも既に懐かしいですね)の前に掛けて、カラーテレビもどきに見える、赤、青、黄(?)の三色カバーがありました。もちろん、そんなことでカラーにはなりませんでしたが。

 そのうち、スイッチを入れるとすぐに映る!という画期的なカラーテレビが誕生しました。ポンと入れてパッ!と映るから「ポンパ」という名前でした。

 衝撃的だったのは、リモコン付きテレビ。懐中電灯のようなそれを操作すると、ダイヤルが”ガシャッ、ガシャッ”と回って、世間を驚かせました。

 UMKテレビ宮崎が開局した当初は、テレビを買うと電気屋さんが「”U“は見ますか?」と聞いて、見るという場合にはUHFアンテナを設置していました。以来、宮崎の民放テレビ局は2つのままです。

 その後、ダイヤルがボタンに変わり、リモコンも標準装備が常識になりました。さらに、ステレオ放送が始まり、左右にスピーカーを搭載したテレビが登場しました。大きいメインのブラウン管の右上に小さいブラウン管があって、裏番組も一緒に見られる変わりものテレビもありました。

 さらに、ビデオデッキや、テレビゲーム、ついにはビデオカメラまで登場し、テレビライフというよりも、私たちのライフスタイルそのものが、テレビとともに大きく変わっていったように思います。

 そんな時代を経て、テレビ放送開始以来、最大の変革と言っても良い、今回の地デジ完全移行(東北3県を除く)。影像や音が格段に良くなったのはもちろん、データ放送も生活に密着した情報をリアルタイムに流すようになりました。今後、より有効な電波利用が進むと期待されます。

 しかし、思うのです。「果たして、テレビは進化の一途をたどっているのか?」と。老健を利用されている高齢者の方々がまだ若かった頃と比べて、今のテレビという機械の魅力はその図体同様に薄くなってはいないか?巨人対阪神に熱狂し、馬場や猪木の死闘にドキドキハラハラし、「8時だよ全員集合」に腹を抱え、「おしん」に涙したあの感動の箱は、今でも感動の箱たり得ているのだろうか?家族全員を一部屋に集める求心力はあるのか?と。「今のテレビはつまらん」とつぶやいた、とある利用者様の言葉が耳から離れません。

 もちろん、よくなったところを上げようとすると、枚挙にいとまがありません。世界の情報も身近な情報も、タイムリーにわかるようになったし、実写かと見間違うほどのCG技術も劇的に進化してきました。どれもこれもデジタル技術のなせる技。今更後戻りはできません。

 ただし、それを見るのは人間という有機体。デジタル放送による情報は、人の五感から入力され、限りなくアナログな処理行程を経て、喜怒哀楽という感情に変換され、記憶されます。人の心まではデジタルに移行することはできないのです。老健施設の利用者様は、このアナログテレビ放送と共に、人生の大半を歩んで来られた方々なのです。

 時代劇の代名詞的存在として長年続いてきたあの「水戸黄門」が、ついに終わるのだと、先頃の報道で知りました。地デジ完全移行に次ぐと言ってもいいくらいの、一つの時代の終焉のように思えます。デジタル放送に切り替わることで、人間が、人間の心が、よりいっそう人間らしくなれるような、そんなテレビ改革であって欲しいと願います。

避難誘導訓練を実施しました(ひむか苑)

 宮崎市の介護老人保健施設ひむか苑でこのほど、津波を想定した避難誘導訓練を実施しました。

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 これは、今年3月に起きた東日本大震災の教訓を活かすため、マグニチュード7.2、震度6強の地震が発生し、これに伴う大津波注意報が発令されたという想定に基づき、利用者を1階から2階に避難させるというものでした。

IMG_3217_400.jpg 宮崎市南消防署の全面協力をいただき、避難器具を使う方法や、器具を使わずに人力だけで行なう方法などを学びました。

IMG_3226_400.jpg  実施にあたった、同苑災害対策委員会関係者は、本当に、一人を避難させることに、これほど苦労するとは思いもよらなかったです。日頃からの訓練と、役割分担について明確にしておく事が大切であることを痛感しましたと、継続的な訓練の実施と、意識付けの必要性を再認識していました。

塩鶏の梅マヨソースかけ 

  昨日の宮崎は暑い一日でした。「夏バテじゃ」という老健職員もおられるのでは?さきごろ、”塩鶏(しおどり)の梅マヨソースかけ“というのを食べました。塩鶏のあっさりとした食感に、鮮烈な梅マヨの絡み具合が実においしくで、食がすすみました。

 塩鶏の梅マヨソースかけで、明日の元気をチャージしてみてはいかがでしょうか。

 

DSCN1182_400.jpg〔作り方〕

【塩鶏】

(材料)

・鶏胸肉:2

・塩:小さじ1

・酒:50cc

(1)肉を開いて厚さをそろえ、平らにし、両面をフォークで刺す。

(2)鍋に肉を入れ、その中で塩、砂糖をもみこむ。

(3)皮目を下に重ならないように並べ、酒をふり、アルミホイルで落としぶたをして(ぴったりかぶせる)中火にかける。

(4)アルミホイルの隙間から、湯気がしっかり出たら(2?3分くらい)火を止めて裏返し、落としぶたをしてそのまま5分蒸らす。

(5)火が通ってなければ、ほんの少し加熱する。なるべく余熱で火を通すのが秘訣。

 

【梅マヨソース】

(材料)

・梅干し(種を抜いて)

・マヨネーズ

・砂糖

〇すべて味をみながら、好みの量を混ぜ、ほんの少し水でのばす。

まだ早いが遅くなる

  油断をしてはいけないという意味のことわざです。つまり「油断大敵」です。子どもの頃、無限の長さに思えた夏休み。遊んで暮らしていると、いつのまにかもう終わり。宿題が全然終わってない!と泣いて絵日記を描きなぐった事はないでしょうか。

 英語のことわざでも、

 Don’t put off till tomorrow what you can do today.

(今日できることを明日まで延ばすな)

というのがあります。洋の東西を問わず、油断したり、やるべき事を先延ばししてはいけない、ということですね。

 利用者様に「何か歌って下さい」と頼んで、口ずさまれる曲のベスト10に確実に(?)チャートインするのが「もしもしカメよ、カメさんよぉー・・・」。この「うさぎとカメ」の話も、「まだ早いが遅くなる」という教訓を諭したもののようです。これまで、短くて簡単で、誰でも知ってる曲だから歌われるのだろう、と考えていたのですが、ひょっとすると、「”少年老い易く学成り難し”だよ。若い内にしっかり勉強、しっかり仕事しなさいよ」と私たち老健職員に示唆してくれているのかもしれませんね。やり残している事はないか?先延ばししている事はないか?常に自問しながら仕事にあたろうと思います。

とこなつジャパン

 「常夏」と書く「とこなつ」。実は「なでしこ」の古名なのだそうです。したがって、世が世であれば、私たちは彼女たちのことを、「なでしこジャパン」ではなく、「とこなつジャパン」と呼んでいたのかもしれないなあ、と思います。もちろん、世界一の栄誉に輝いた、日本女子サッカーチームのことです。

 対戦前、あるサッカー解説者は、「日本がアメリカに勝てる確率は35%だ」と言っていました。事実、アメリカは非常に強いチームで、すんなり勝てるとはとても思えませんでした。だけど、「なでしこジャパンならきっとやってくれる!」と確信していました。そう、「願望」ではなく、「確信」です。それはなにゆえか?それは、ほかのどこのチームより強い「絶対にあきらめない姿勢」が、なでしこジャパンからは感じられたからです。

 「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」・・・。これは、某超有名バスケットボール漫画で、監督が主人公に言ったセリフですが、あれだけ体格差のあるチームを相手に、先行されて、追いついて、延長戦でまたもや突き放されて・・・。だけど、彼女たちは誰一人としてあきらめなかった。一人でもあきらめていたら、そこで終わりだったことでしょう。その思いが、最後の最後まで途切れなかった。男子も顔負けのスーパープレイも飛び出して、世界中が驚いた、なでしこジャパンの優勝劇。もしその舞台に台本があったとすれば、たった一行、「あきらめないこと」と書いてあったのかもしれません。

 節電が国民的課題となっている今年の夏ですが、仮に「なでしこジャパン」が「とこなつジャパン」であったとしても、こんな感動的な常夏フィーバーなら大歓迎です。ひとりひとりがあきらめない気持ちを持つことの大切さを教えてくれた、嬉しいニュースでした。 

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