雑談

パラグライダーの日(7月31日)

7月31日は「パラグライダーの日」。1988年のこの日、北九州市の皿倉山で日本初のパラグライダー選手権が開催されたことを記念し、定められたそうです。

写真は青島パラグライダー場から飛び立ったモーターパラグライダー(2018年撮影)。宮崎のブルースカイに溶け込みそうな鮮やかな青色で、ゆったりと飛び回っていました。きっと青島や鬼の洗濯岩、そして青く美しい日南海岸を見下ろしながら、最高の気分だろうと思いながらシャッターを切りました。

例年ならば県内外から多くの観光客で賑わう宮崎県内各地の景勝地ですが、今年は事情が違うまま7月も最終日を迎えました。それでも宮崎の美しい自然は変わることなく、人々が訪れるのを待ってくれています。みんなでそれを愛でる日を待ちわびながら、心と体の健康維持をはかって行きたいと思います。

「困難は人の真価を証明する機会なり」

「困難は人の真価を証明する機会なり」と言ったのはギリシャの哲学者、エピクテトス。奴隷階級に生まれ、また片足の自由もきかなかったなど、彼の人生には様々な困難がつきまとっていたそうです。しかしそれを乗り越えたエピクテトス。その『語録』と『提要』はすべてのストア哲学のテキストの中でもっとも広く読まれ、影響力の大きなものとなったのだそうですが、その背景には並々ならぬ努力の積み重ねがあったのだろうと思いますし、そのような自身の経験から「困難は人の真価を証明する機会なり」との格言も生まれたのではないでしょうか。

たしかに困難に遭遇し、それを乗り越えることで人は強くなり、新たな一歩を踏み出すことができると思います。とは言うものの、現在世界規模で人類が遭遇している新型コロナウイルス感染症、そしてかつてないほどの豪雨災害など、これは今までの様々な困難と比べても、極めて深刻なもののように思います。さすがに「真価を証明する機会だ」と前向きに捉えるにはあまりにも甚大過ぎるのではないか、と。

とはいえこれを乗り越えないわけにはいきません。そして一人で越えられるものでもありません。皆で力を合わせるとともに、そしてひとりひとりが出来ることをやりながら、この困難を乗り切って行く事が未来につながる真価として証明されるのではないかと思う今日この頃です。

初めての金メダル

7月28日は「日本人が初めて金メダルを獲得した日」。第9回オリンピックがオランダで開かれ、日本からは43人の選手が出場。三段跳びで織田幹雄選手、200メートル平泳ぎで鶴田義行選手がそれぞれ金メダルの栄誉に輝きました。1928年、今から92年前ののことでした。

東京2020オリンピックでは多くの種目で日本人のメダルが期待されています。開催が一年延びたことで、選手の皆さんはこれをチャンスととらえ、より一層練習に励んでいることと思います。メダルの数も気にはなりますが、それ以上に選手達が繰り広げる様々な感動のドラマを観戦できるよう、私達も健康な心身作りに励みたいと思う今日この頃です。

スポーツの日(7月24日)

7月24日は「スポーツの日」。本来なら東京オリンピック開会式が盛大に開かれるはずでした、世界中からたくさんの選手、関係者、応援者、そして観光客で沸きに沸いていたことと思います。

しかしながら新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大を受け、来年に延期という未曾有の事態になりました。話し合いを重ねた上での決断でしたが、現在の状況を考えると、とても予定通り開くことはできそうにありません。

オリンピックをテレビで応援しようと楽しみにしていた老健の利用者もたくさんおられた事と思います。来年に向けて仕切り直し。感染症対策の徹底を継続しながら、みんなで心身の健康づくりをがんばって参りたいと思います。

「スカイ・ハイ」よ永遠に(ミル・マスカラス誕生日7月15日)

7月15日はミル・マスカラスの誕生日。若い人はご存知無いかもしれませんが、我が国のプロレス全盛期に、全国のファン、特に少年達から圧倒的な人気を誇った「千の顔を持つ男」や「仮面貴族」などのニックネームを持つメキシコの覆面プロレスラーです。今日で78歳を迎えました。

1964年の東京オリンピックのレスリングメキシコ代表候補にもなったミル・マスカラスがプロレスラーとして我が国で脚光を浴びだしたのは1970年代。それまでの日本のプロレスは、「正義の日本レスラーVS悪役外人レスラー」という構図でした。しかし60年末、端正な顔立ちと必殺技“ダブルアームスープレックス”により「人間風車」の異名で人気を博したビル・ロビンソン(イギリス出身)と共に、人気外国人レスラーとして日本のプロレス史に名を刻んだのがミル・マスカラスでした。

彼の魅力を上げればきりがないほどですが、ボディビルでミスターメキシコに輝いた実績もあるほどの鍛え上げられた美しい肉体から華麗に繰り出す空中殺法「フライング・クロス・チョップ」や「ダイビング・ボディ・アタック」はそれまでのプロレス技にはみられないかっこよさ、特に少年の羨望の的で、当時の男子たちはこぞってその真似をしたものです。「外国人レスラー=悪役」という概念を見事にぶち壊してくれました。

それから「じゃーん、じゃかじゃかじゃん、じゃーん、じゃじゃっじゃっじゃじゃ」で始まる入場時のテーマソング、「スカイ・ハイ」。当時のプロレスでは入場時のテーマソングを流すという演出はほとんどなかったのですが、ミル・マスカラスがこの曲を引っさげて、しかも毎回違う色とデザインのマスクをかぶって華麗に登場すると、「あれは何という曲か?」という問い合わせがテレビ局に殺到したとのこと。この「スカイ・ハイ」はイギリスのバンド「ジクソー」の曲なのですが、シングル盤レコードのジャケットはミル・マスカラスの写真に差し替えられて57万枚を売り上げ、オリコン最高位2位を獲得するほどの大ヒットとなりました。それ以降、各レスラーの入場時、それぞれのテーマソングが会場に響き渡るという演出が定着していった事を考えると、これはミル・マスカラスの大きな功績だと言えます。

このようにプロレス界に革命を起こし、一斉を風靡したミル・マスカラス。なんと76歳だった昨年、2019年2月19日にジャイアント馬場没後20年追善興行のため来日してくれました。同じく人気覆面レスラー弟のドス・カラスと組んでカズ・ハヤシ&NOSAWA論外と対戦し、ダイビング・ボディ・アタックで論外からフォール勝ちを収めたというからあっぱれ!そして感謝!です。

「スカイ・ハイ」と言えばやはり宮崎のブルースカイを連想します。鮮やかにリング内外を飛んでファンを魅了してくれたミル・マスカラス。当時熱狂したファンにも介護保険を利用されるようになった方も少なくないと思います。ミル・マスカラスを見習い、みんなで健康な心身づくりにつとめ、そしてあの頃のようにまたテレビの前でプロレス観戦を楽しみたいと思います。

検疫記念日(7月14日)

7月14日は「検疫記念日」。1961年(昭和36年)に厚生省(現厚生労働省)と日本検疫衛生協会が制定したそうです。

この記念日は1879年(明治12年)のこの日、日本初の伝染病予防の法令である「海港虎列刺(コレラ)病伝染予防規則」が公布されたことに由来しているとのこと。

検疫と聞けば、国際線の空港で荷物検査を受けるイメージがありますが、そもそもは日本に伝染病を持ち込ませないため、そして日本から伝染病を持ち出させないための大事な審査。法令が制定された明治12年当時は国内でもコレラが猛威を奮い、人々はその戦いに明け暮れていたことを考えると、検疫がいかに重要なものだったかが伺えます。

そして現在、世界中が新型コロナウイルスとの戦いのまっただ中です。一日でも早い終息を願いつつ、感染対策の徹底に向けて手綱を締め直す一日にしたいと思います。

七夕2020

 7月7日は七夕。各老健施設でも三密に気をつけながら七夕飾りを作り、その枝には利用者やご家族、職員などの願いを込めた短冊が揺れていることと思います。

伊達政宗のお時代から受け継がれ、全国的に有名な仙台七夕まつり。毎年旧暦7月7日にあたる8月6日から8日にかけて開かれ、大勢の人出で賑わっていたのですが、今年は新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から中止が決まりました。その他にも県内外の各地で夏の風物詩が見られない2020年ですが、星達は変わること無く天空で輝き続けてくれています。

星が綺麗に見えることでは全国トップクラスの宮崎県。その分願いもしっかり届くことと思います。短冊に込められた皆様の願いがかなうよう、星に願いを捧げたいと思います。

トロピカルな朝

写真は宮崎市加江田地区から日向灘に注ぐ加江田川の朝の光景。国道220号線にかかる鵜来橋 (うくるはし)から撮影したものです。

静かな川面に映る朝陽の帯、その向こうに見えるのは「トロピカルブリッジ」。左(北)側の県立総合運動公園と右(南)側の青島地区を結ぶこの橋は歩行者と自転車が通行可能。宮崎の冬の風物詩ともいえる「青島太平洋マラソン」の最後の踏ん張りどころであるトロピカルロードの中の名所として、約1万人のランナーがそれぞれのペースと思いで行き来する橋でもあります。

また左側はサーフィンスポットとして有名な木崎浜があり、昨年は世界大会も開かれて大いに賑わいました。

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が解除され、最高の波を求めてサーファーの姿も見かけるようになりました。一方、例年なら6月中にエントリーが終わる青島太平洋マラソン、今年は12月13日の開催に向けて検討が進められており、8月にエントリー開始、募集要項等の情報を7月半ばに発表とのことですが、関係者もこれまでと違う運営に向けてご苦心も少なくないものと察しているところです。

その名の通り、この日はトロピカルな朝を感じながらシャッターを切りました。美しい宮崎の景色は県民の宝物でもあります。後世に残せるよう大切に守っていくとともに、以前のように多くの観光客にもその良さを堪能してもらえる日が早く戻って来て欲しいと願う今日この頃です。

UFO記念日(6月24日)

6月24日はなんと「UFO記念日」。1947年のこの日、アメリカの実業家、ケネス・アーノルドが飛行機で移動中、9機の見慣れない飛行物体にUFOが目撃されたのだそうです。アメリカ空軍が調査に乗り出すも、正体はわからず、1969年に「目の錯覚のたぐい」との報告を出したとのこと。それで6月24日を記念日にし、毎年世界中のUFOマニアが一斉に観測を行うのだそうです。

最近になってまたUFO論争がにぎやかになり、また先日は国内でも不思議な浮遊物体が世間を騒がすなど、宇宙へのロマンは耐えることがありません。また世界各国で宇宙進出へのプランが持ち上がるなど、実質的な取り組みも進み、今後の動向が注目されます。

写真は2018年1月18日の早朝に現れ、「UFOか!?」と騒ぎになった雲ですが、実際は種子島から打ち上げられたロケットが天空に描いた「ロケット雲」。県内各地で観察され、ニュースでも報じられてご記憶にある方もおられるかもしれませんが、宇宙へのロマンを誘う神秘的な雲だなあ、と思いながらシャッターを切りました。

UFOが本当に存在するのか?それがわかるのはまだまだ先になるでしょうが、もうすぐ七夕も来ます。各老健施設でも七夕飾りを作りながら、宇宙や星、そしてUFOの事など語り合いつつ、短冊に願い事をしたためてみてはいかがでしょうか。

ハッピーバースデイポール♪

6月18日はポール・マッカートニーの誕生日。「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」としてギネス世界記録に掲載されているイギリスのミュージシャン、今さら紹介するまでもなく、ビートルズのメンバーです。

解散後も第一線で活躍を続けるポールは1942年生まれ。ですからなんと78歳になるわけですが、年齢を感じさせない歌声は今もなお世界を魅了し続けています。

ポールがビートルズのメンバーとしてデビューしたのは1962年10月5日。またたく間に世界中で大人気になりましたがそのときポールは弱冠二十歳だったわけです。

それから58年。ポール、そしてビートルズに熱狂した若者達もそれだけ齢を重ねてきたということになります。そしてもちろん、その名曲の数々は今もなお若い世代に受け入れられ、歌い継がれています。

これから老健の利用者にもビートルズファンが増えてくることと思います。今日はポールの78回目のバースデイ。みんなで往年の名曲に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

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