雑談

仕事納め2019

12月27日は官公庁などの仕事納め。テレビなどではその様子、さらに帰省や旅行といった年末の風物詩が紹介されることと思います。平和で穏やかな年末年始であって欲しいと思う今日このごろです。

仕事納めと言っても、老健施設で入所利用者の皆さまの命を預かる私達にとっては一つの通過点。医療機関が休診となる時期でもあります。むしろ平素以上の注意を払ってケアに当たりましょう。

令和初のクリスマスイブ

大晦日までついにあと一週間。そして令和初のクリスマスイブが来ました。各老健施設ではクリスマスツリーを飾ったり、サンタクロースを招いてクリスマス会を開いたり、クリスマスケーキを食べたり、そしてクリスマスソングを歌ったりして過ごされているのではないでしょうか。

元号が令和になっても、平和で幸せに過ごせるクリスマスイブがいつまでも続いて欲しいものです。

そして利用者の皆様はもとより、ご家族、そして職員の方々皆が幸せに聖なる夜をすごされますように、メリークリスマス!

電話創業の日(12月16日)

12月16日は「電話創業の日」。1890年(明治23年)のこの日、日本で初めて電話が開通したそうです。

東京市内(当時)155台と横浜市内44台ではじまった電話事業。当時の電話料金は定額で東京40円、横浜35円。今の値段だと40円というのは24万円くらいに相当するらしいですから、かなり高額だったと言えます。

その後電話は大幅に普及し、明治、大正、昭和、平成、そして令和に年号が変わる中で、電話は「一家に一台」という固定電話から「一人一台」という携帯電話の時代になってきました。それも話すことを目的にした「電話」のみならず、「情報端末」としての役割が生活に欠かせないと言ってもいいくらい重要になりました。

老健を利用される方の中にも携帯電話やスマートフォンを使う方がおられますが、今後その傾向はますます強まると思いますし、介護の現場での活用法も広まる事が予想されます。

一方、このようなコミュニケーションツールを悪用した犯罪も悪質かつ巧妙になっています。通信機器の安全で正しく効果的な使い方について啓発していくことは、高齢者の権利や財産を守り、生活や生命、人生の質を向上させることにつながると思います。

これと同時に、このような時代だからこそ、通信デバイスを使わず、利用者と直接向き合い、目と目を合わせ、言葉と心を通わせるコミュニケーションの大切さも、とりわけ介護の現場では忘れてはいけないと考える今日この頃です。

(※写真は本文と関係ありません)

ノーベル賞に沸く「バッテリーの日」

12月12日は「バッテリーの日」。野球のバッテリーの守備位置が1と2であることにちなみ、日本蓄電池工業会(現在の電池工業会)が1985年に「カーバッテリーの日」として制定し、1991年に「バッテリーの日」に名称変更されました。

バッテリーに関する今年の大きな話題は何といっても「リチウムイオン電池の父」こと旭化成名誉フェロー、吉野彰さんにノーベル化学賞が授与されたこと。先日授賞式がありましたが、リチウムイオン電池がなかったら、スマートホンや電気自動車をはじめ、世の中の電子機器はあり得なかったかもしれません。いくら賞賛してもしきれないほどの偉業です。

リチウムイオン電池の開発に当たっては、延岡市の旭化成でも成功のために欠かせない実験を行ったとのこと。県民の一人として喜ばしいことです。

吉野さんの栄えある受賞をお祝いするとともに、私達の暮らしに大きな恩恵をもたらしてくれたことに感謝したいと思います。

(※写真は本文と関係ありません)

令和初の・・・

12月10日は何の日だろう

そう思ってカレンダーに目をやってびっくり!

10日の下の下、つまりちょうど2週間後は大晦日。

そう、令和初の大晦日です。今年年号が改まり、「令和初の」というフレーズを幾度となく耳にしましたが、そんな令和元年もついにあと2週間を残すのみとなりました。一日一日を大切に過ごしましょう。

それから12月10日で忘れてはいけないのは「世界人権デー」。わが国ではこの日までを「人権週間」とし、様々な行事や取り組みが実施されています。

私達老健施設に勤める者も、利用者の人権を最大限し、日々のケアに当たりましょう。

さよなら夏の日2019

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【Summer Memories】

いつまでも続くと

思っていた夏休み

いつまでも続いてる

あの夏の思い出

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「波打つ夕立のプールがしぶきを上げると一番好きな季節(夏)がもうすぐ終わる」と、「さよなら夏の日」の中で表現したのは山下達郎。また稲垣潤一は「夏のクラクション」において、「海沿いのカーブを君の白いクーペが曲がれば夏も終わる」と言い表しました。

早いもので、もう8月も土曜日の31日までとなりました。梅雨明けが遅かったり、台風が来襲したりで慌ただしく7月が過ぎ、そして8月も終わろうとしています。子供の頃には無限に続くとさえ感じ、毎日遊び回っていた夏休み。しかし気がつけばそれには限りがあることに気づき、山積みの宿題を泣きべそをかきながらやっていた夏の終わり。その思い出はいつまでも心に残っているもので、そんな気持ちからこの【Summer Memories】という詩を書いてみました。

「夏」というとやはり7月と8月、というイメージですが、9月になっても暑さは続きますし、熱中症への対策に手を抜くことはできません。

利用者と去りゆく夏を惜しみ、振り返りながらも、体調管理には引き続き万全の体制を整えて業務にあたって参りましょう。

よさんちょうか

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【よさんちょうか】

夜が退散する

夏の朝に始めよう

枠をはみ出せ

夜散朝夏

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

写真は2017年の8月17日、西都市の農村地帯で見かけた光景です。

夜が終わり、いかにも夏の朝らしい光に包まれる世界が広がっていました。

今までの概念を破り、既定の枠をはみ出して新しい発想、新しい取り組みにチャレンジしたくなるような気持ちになりながらシャッターを切りました。

「予算超過」は困りますが、「夜散朝夏」の気持ちで新しい一日を踏み出しましょう。

「いだてん」誕生日(8月20日)

8月20日は「日本マラソンの父」こと金栗四三(かなくりしそう)の誕生日。1891年(明治24年)の今日、熊本県玉名郡春富村(現・和泉町)に生まれました。現在大河ドラマ「いだてん」でその生涯が描かれていますが、自宅から小学校へ山坂越えて往復12kmもの通学路を走って行き来したことがマラソンの基礎を築くことなり、その後の活躍はもとより、各マラソン大会や箱根駅伝の開催に尽力されました。今や国民的スポーツとして全国各地でマラソン大会が開かれるようになりましたが、金栗が今に残した功績と言えるのではないでしょうか。

その金栗ですが、常に「いだてん」であったわけでなく、あったわけでなく、1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックでは、レース途中に日射病で倒れ、翌日まで意識を失っていたそうです。国民の期待を一身に背負って走っていた金栗にとって、生涯大きな悔いが残ったかと思いますが、それでも無事に意識を取り戻し、その後もオリンピックに出場し続けたのは不幸中の幸いでしたし、現役引退後もわが国のマラソン振興に奔走した偉業は、まさに「日本マラソンの父」とたたえられるにふさわしいものと言えます。

まだまだ暑い日が続きます。強い日射のもとでなく、屋内でも熱中症の危険はついて回ります。温度管理、湿度管理、そして水分・塩分補給に務めながら乗り切りましょう。そして来年の夏はいよいよ2度目の東京オリンピック。もちろんマラソンも行われます。みんなで元気に応援しましょう。

一対のひまわりのように

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【like a couple of sunflowers

同じ未来を見つめ

同じ夢を語ろう

同じ風に吹かれ

同じ土にかえろう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宮崎市内を散策していると、一対のひまわりが仲良く咲いていました。ひまわりが太陽に向くのは、成長が盛んなつぼみの時までだそうで、開花した後は茎も堅くなって動かなくなるとのこと。なので、この2つのひまわり達もずっと同じ方角を向いているわけで、いったいどんな会話を交わしているのだろう?そう思うと、このようなポエムが思い浮かんで来ました。

老健の利用者の中にも、ずっと長い間連れ添ってこられたご夫婦がおられるかと思います。仲睦まじく過ごされている様子は、微笑ましいとともに、人生の大先輩として是非見習いものだと畏敬の念がわいてきます。

村田英雄の「夫婦春秋」でも一緒に歌いながら、感謝と尊敬の気持ちでケアに当たらせてえいただきたい、などと思い浮かべながら、シャッターを切った夏の一コマです。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ