協会活動報告

研究大会開きました(その14)

【本間達也先生特別講演(11)

リスクマネジメントは、「事」が起こるのを予防するのも重要ですが、「事」が起こったあと、適切に対応することも重要です。その要点として次の3つがあります。

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1.事故、問題回避の対策

 〇予測できる事故を予防する方法(業務改善、環境整備、職員教育、ほか)

 〇説明と同意

 〇事故防止策の作成

2.事故、問題発生時の対策

〇迅速で適切な対処と報告

〇組織としての対応システムの確立

3.事故、問題発生後の対策

〇家族への連絡と説明

〇事故報告書の提出と活用

〇解決策の検討(法律的支援・謝罪・補償・その他)

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このようにしてリスクマネジメントへ取り組んで行く上では、組織全体として取り組むことが重要です。その中で、職員ひとりひとりの意識改革や教育をはかることが大切ですし、特に「長」の意識改革も必要だと言えます。

スライドに「ハインリッヒの法則(1:29:300の法則)」を示しています。これはいろいろなところで出てくる法則ですが、1の重傷者がいると、29の軽傷者、300の無傷災害があり、それでもまだこれらは氷山の一角で、不安全行為や不安全状態が水面下にあるということです。ですから、「ひやり・はっと報告書」が必要です。各施設でどんどん出して欲しいと思います。現場だけでなく事務部門からも出していくべきだと思います。

個人情報保護に関して、たとえばボロボロで抜け落ちそうなカルテや日報があったとします。その中の1枚が金曜日に抜け落ちて、土曜日に全然違う家族や利用者がそれを拾って見たらどうなるか?明らかに個人情報保護に抵触します。管理者の人はこういうところに注意を払わないといけません。

 老健施設における事故について、全老健が調べた「平成13年度『介護老人保健施設におけるリスクマネジメントのあり方に関する調査研究事業報告書』」によれば、転倒・転落が73.3%と圧倒的に多いです。また生命に関わる事故としては、誤嚥・誤飲、溺水(入浴時)、離苑などがあります。

 それでは苦情についてはどうかというと、同報告書によると看護・介護職員に関するものが残念ですが55.4%と半分以上です。次いで生活サービスについて(48%)、通所リハビリサービスについて(25.4%)と続きますが、この順序はここ数年変わっていません。

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(つづく)

研究大会開きました(その13)

【本間達也先生特別講演(10)

 なぜリスクマネジメントなのか?ということですが、やはり世の中が変わったから必要だと思います。たとえば私は今54歳ですが、昔好きだった頃の曲のことを今の20歳代の人に言っても「何言ってるんだ?」と理解してもらえません。それくらい世の中が変わっているという事を念頭に置いてリスクマネジメントを考えていかないといけません。

 老健施設を取り巻くリスクには(1)転倒・転落による「事故」、(2)インフルエンザなどの感染症、(3)身体拘束などの社会的リスク、(4)個人情報保護・プライバシー保護、(5)職員の労働災害・個人的なトラブル、(6)地域との連携ミス、(7)自然災害による被害、(8)マスメディア対応・地域対応ミスによる社会的信用喪失、(9)制度改定による事業環境の変化、(10)他のサービスとの競争による収益減少・・・などいろいろあります。

 そのためリスクマネジャー(RM)を養成して、リスクマネジメントをしていかなくてはなりません。全老健で取り組んでいるリスクマネジャー養成の目的は、全国の老健施設のケアの質をより向上し、経営的にも安定した運営を行えるように、そして老健施設の存在価値をさらに向上させられるようにすることです。リスクマネジャーを制度化して、その配置により加算がつくようにならないか、など全老健でも頑張って取り組んでいるところです。

ただし、リスクマネジメントはリスクマネジャー一人ではできません。セーフティマネジャー(SM)の育成も必要です。また、職員教育や新入職員オリエンテーションの際、法人の理念や就業規則、ほう・れん・そう(報告・連絡・相談)の徹底などについて教えると思いますが、その中で特に利用者の尊厳を重視することや、事故対策や感染対策などのリスクマネジメント、そして緊急時の対応などについてしっかり教育することが重要です。

結局のところ、介護事故や苦情対応の最高のリスクマネジメントは家族や利用者との適切なコミュニケーションがとれているのか、あるいはとろうとしているのか、ということだと思います。

 全老健ではリスクマネジャー養成講座の他にも、役職員を対象にした様々な研修会を開いています。また、いろいろな啓発パンフレットやマニュアルも作っていますので活用して下さい。

 さらに、全老健共済会の保険として「賠償事故補償制度(施設賠償責任保険、生産物賠償責任保険、受託者賠償責任保険、医師賠償責任保険)」、「利用者傷害見舞金制度(レジャー・サービス施設費用保険)」、「見舞客・ボランティア傷害見舞金制度」など、さまざまなものがありますが、この中で「賠償事故補償制度」と「利用者傷害見舞金制度」については、リスクマネジャーが配置されていると保険の掛金が20パーセントオフになります。さらに2名以上配置されていると25パーセントオフになりますので、多くの方が受けられるとメリットがさらに増えてくると思います。zenroukenkyousaikaihoken(1).jpg

(つづく)

研究大会開きました(その12)

【本間達也先生特別講演(9)

 介護の分野で近年なぜ訴訟が多くなったのか?ということですが、例えば病院の場合、裁判官がよく「臨床医学の実践における医療水準」と口にします。「大学病院ではこのくらいのことはやってるから、大学病院におけるこのミスは落ち度でしょう」、「国立病院では・・・」など、それぞれの診療機関の性格や、その所在する地域の医療環境の特性等の事情などを、それぞれの医療の水準に照らし合わせて落ち度があるかどうかということが判断されます。それに対し、私たちのような医療もあり、介護もありの老健施設の場合、介護に対する「介護水準」はブレが非常に大きいわけです。例えば盲腸の場合、「ここをこうして、こうやって、こうすれば治って退院しますが、おたくではこことここをやっていませんよね」と判断されますが、介護の場合だとそうはいきません。たとえば食事を食べない人に「なんとかして食べさせたい」と食べさせたら詰まらせて「なんで食べさせたか!?」となりますが、ここらへんの介護水準のブレが大きいと言えます。これを未来的にどう解決していくか、ということですが、全老健のリスクマネジャー養成講座や各種研究会、ケアプラン、さらに本日行われる研究発表などがこの現実のブレを最小限にしていくツールです。ケアプランについても、入所前からその人のインテークをしていくことで危険の予知、予見をやっていくことが一つのリスクマネジメントになっていくと思います。

次に「平時の考え方は『足し算』、非常時には『引き算』で対応」というスライドを示しています。災害時には優先順位をきちんとつけることが重要で、優先順位が下位のものはなるべく切り捨て、「何に重きを置くのか」を考えて最低限のことをするという「引き算」の考え方が大事です。

一方、平時には「足し算」の考え方でケアを提供することで、理想に近づけるようなサービス提供体制を構築しようと頑張ることができます。このように状況に応じて頭を切りかえることは、リスクマネジメントを行う上で非常に重要なスキルです。

これに対して組織の基本に「理念なき方便」が蔓延している施設ほどリスク、や事故が多いと言えます。つまり「私の老健はこういう方向に行くのだ」というのがちゃんとしているところは事故が少ないのに対し、「これはしょうがないんだ、これが悪いからこうなったんだ」という方便ばかりが蔓延し、すぐに「花(理念)」より「団子(利益)」をとろうとするところはリスクが多くなります。

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(つづく)

研究大会開きました(その11)

【本間達也先生特別講演(8)

 

スライドに「大規模災害時における被災施設から他施設への避難、職員派遣、在宅介護者に対する安全確保対策等について」という厚生労働省老健局発の事務連絡(平成24420日付)を示しています。これには大規模災害時における被災施設から他施設への避難などについて書いてありますが、東日本大震災では、実際に施設ごと避難したところがありました。楢葉ときわ苑という老健ですが、ここは施設自体が原発事故による危険区域のまっただ中にありました。そこで、千葉県の鴨川市にあるかんぽの宿鴨川に施設ごと避難しました。

この楢葉ときわ苑は3.11の地震が起こる前から鴨川市と災害協定を結んでいました。それでかんぽの宿鴨川でケアを継続することができたのですが、これは不幸中の幸いだったと言えます。これは皆さんの施設も、他県の法人と協定を結んでおかないといけない場合もあるということの実例です。原発災害の場合、建物は多少なんともなくても、目に見えない災害です。避難指示が出されると、避難せざるを得ません。皆さんも施設ごと避難をしなくてはならない場合があるということを、頭の中でシミュレーションだけでもしておいてほしいと思います。

 

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さて、「リスクのABC」という言葉があります。「Aたりまえのことを・・・ Bっくりするくらい・・・ Cゃんとやる・・・」(当たり前のことを、びっくりするくらい、ちゃんとやる)ということです。老健にはさまざまなリスクがあります。この話をもっと詳しく聞きたい方は全老健の「リスクマネジャー養成講座」を是非受講していただきたいといいと思いますが、今日はそのさわりだけをお話します。

「”当たり前のことを、びっくりするくらい、ちゃんとやる”と言われても人がいないし、できるわけがない」という話に必ずなりますが、私は「できない!」のではなく「やっていない!」のだと思います。

それから近年は、すさまじいクレーマー社会とお客様社会になってしまっていますが、なにゆえこんな言いたい放題、した放題社会になってしまったのでしょうか。皆さんも大変苦労をされているのではないでしょうか。「こんなに一生懸命してあげたのに、なぜこんなに言われないといけないのか」と。

 つまりこれは「クレームや事故の本質がどこにあるのか?」を見抜く力を、老健のスタッフがトレーニングしていく必要があります。たとえば「なぜこんなことで文句をいってくるのだろうか?」という場合、案外別のところでうっ積があることもあります。たとえば、洗濯物の取り違いがあって家族が来た時に「これはうちのおばあちゃんの洗濯物じゃないんだけど」と言った際、対応した職員が「ちょっとわからない」と保留にしておくと、もう一度来た時にまた「前も洗濯物が違うと言ってたけど」となり、また「ちょっとわからない」と続くと、さすがに3回目はきれます。そこに転倒などが起きてしまうと大変なことになります。ですからどこにクレームや事故の本質があるのかを見抜く必要があるわけです。また、相手が何を要求しているのかを見抜かなければなりません。お金を要求しているのか、あるいはここで長くみてもらいという受け皿を担保してほしいのか、などを見抜かなければなりません。

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(つづく)

研究大会開きました(その10)

【本間達也先生特別講演(7)

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 スライドに全老人保健施設協会(全老健)が作った「震災マニュアル」を示しています。これは同協会の前執行部である山田和彦前会長(現全老健熊本県支部長、一般社団法人熊本県老人保健施設協会会長)の時に私が作成にかかわったものです。山田前会長は会長就任と同時に福島、宮城、岩手の3県を回っていただきました。私の施設にもきて「本間君、岩手もひどいね。なんとかしないといけないな、マニュアルを作ってくれ」と精力的に指示を出して下さいました。そうして作ったのがこの「震災マニュアル」です。

なぜ作ったかというと、それまの震災マニュアルはどこの団体のものもだいたい災害後3日間程度の基準に合わせて作られているものです。震度67の地震が来て1週間も色々なものがやられた時のためのものというのはどこにもありませんでした。そこで本日の座長でもある櫛橋弘喜先生(介護老人保健施設ひむか苑施設長、全老健管理運営委員会委員)にも入ってもらい、色々な方面の専門家にも入ってもらってできたのがこの全老健版「震災マニュアル」です。ぜひ全老健に問い合わせ、活用していただければと思います。

次に、全老健災害派遣ケアチーム「JCAT(ジェイキャット)」についてですが、これも山田前会長から作るように言われ、引き継いでいるものです。これには厚生労働省の総務課から予算がつきました。全老健では災害等の発生時に、被災地の老健施設への支援などを基本とした「全老健災害派遣ケアチーム JCAT」の構築を進めています。JCATとは”Japan
Care Assistance Team“の頭文字をとったもので、他職種による介護ケアチームをあらかじめ各支部で編成・登録し、災害発生時に必要に応じ速やかに支援活動が行える体制を整えることを目的としています。

今後のJCATの予定としては(1)全老健の各都道府県支部にJCAT編成を要請、(2)各都道府県との災害時協定の締結状況などに関するアンケート調査、(3)被災地域の介護老人保健施設に対するヒアリング調査、(4)各都道府県支部の災害派遣ケアチームJCAT代表者を対象とした集合研修、(5)集合研修参加者に対するアンケート調査・・・などがあります。JCATという全国組織を作っていくにあたり、中央同士で災害時の協定を作っていきたいと思います。3.11の大震災のときの経験から言えば、急性期病院で足りないものは薬ですが、老健ではオムツでした。そこで頼んだのは一般社団法人日本衛生材料工業連合会で、事務局になっているユニチャームにお願いしたらすぐに福島県老健協会に送ってくれました。ですから、JCATなどの中央組織を作っていく上で、中央同士で災害時の協定を作っておくという仕事をさせてもらいたいと思います。平時の段階から各種団体と災害協定を結んでおき、どこかの都道府県が被災した場合、全老健から各種団体を通じて速やかに物資が届けられるようにしておくことが、中央の役目だと考えています。

(つづく)

研究大会開きました(その9)

【本間達也先生特別講演(6)

さて、これから「自施設でおこなっておきたい災害対策について」という話に入っていきます。まず「自らの施設が被災する天災(地震・津波・洪水など)発生の可能性を把握していますか?」ということです。県や市町村が作成しているハザードマップなどをしっかり確認しておく必要があります。スライドに「福島市土砂災害ハザードマップ」を示していますが、現在福島市では吾妻山(あづまやま)が噴火しそうだと騒がれています。もしそうなると幹線道路は溶岩が流れ出てくるところにあることから、土砂災害のハザードマップもこのように用意されているわけです。

 次に被災後、多くの支援物資が届いた後に、食料品(非常食)などは期限切れになる前に計画的に食事の献立などに組み入れて使用していく工夫が必要です。実際支援物資で送られてきた食料品の中には、消費期限が迫っているものも少なくなく、色々考えさせられました。一方、毛布やタオル、衣料品などについては、他で被災した施設に送ることまで考えた上で管理しておくことも大事です。これらのことは「平常時からの備え」が大切だと言えます。この冬、2週間ほど大雪が続いた雪害がありました。そうなると物流が悪くなり、コンビニにも物が届かなくなりました。私たちの施設でもオムツと尿とりパッドが届かなくなり、交換回数を減らして対応しました。理想的に言えば、2週間分くらい備蓄できる倉庫があるといいと思います。

さらに、市町村と自施設との間で「災害協定」を締結し、「福祉避難所」として指定を受ける事も重要です。指定を受けることで、要援護者にかかわる日常生活用品や食料、医療材料など必要な物資の確保や、要援護者を適切に介護できるよう必要な職員、ボランティアなどの確保など、行政と連携した対応がスムーズになります。災害時に老健施設は地域の防災拠点として安心と安全を提供する役割を発揮することができるわけです。

ただし、福祉避難所として受け入れるのはいいけれど、その前に施設には入所利用者、そして通所リハビリの利用者もいますので、それらの虚弱高齢者がいるところに避難住民を受け入れていろいろやるというのは完璧にはやれない、ということを行政側に釘を刺した上で協定を締結しておかないと、後から色々と問題が起こることもありますので注意が必要です。

先ほども述べましたが、日頃からの防災訓練実施と施設および設備の点検も大切です。介護保険法の「介護老人保健施設の人員、施設及び設備並びに運営に関する基準省令第28条」には非常災害に際して必要な具体的計画を策定しておくことや、関係機関への通報および連携体制を整備しておくこと、さらに非難、救出訓練を実施すること等が明記してありますので、これはやらなければなりません。その中で特に「日頃から消防団や地域住民との連携を図り、・・・」と書いてありますが、これは実施指導やサービス指導の際の主眼項目にも入っており、県はここのところを詳しくチェックします。したがって、消防訓練を実施する際には必ず前もって地元消防団を一緒に呼んでやってもらうように調整しておいて下さい。

このようにして年間の訓練に火災や地震、土砂崩れ、そして津波や洪水などの自然災害を想定した防災訓練を抱き合わせて繰り返し実施し、分析と評価を行って有事に備えておくとよいと思います。

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(つづく)

研究大会開きました(その8)

【本間達也先生特別講演(5)

 

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半月経ったとき、蛇口から出る水の勢いが弱い事に気づきました。井戸水を使用している施設の給水圧が弱くなったわけです。おかしいと思って外周を点検したところ、なんとメインの水道管から分かれている副枝管が破損しており、温泉の水がわき出るようにぼこぼこ漏れ出ていたのです。本震後も度重なる余震が続き、気象庁の発表によれば、震度4以上のものが831日までに200回発生していたのですが、そのため配管がずれてひびが入り、破損して漏水して圧が下がったのでした。皆さんの施設でもこういう事態が起こったときは事務系の管理職だけじゃなく、みんなで考えられた方がいいです。

エアコンも全部取り替えました。しかし去年の暮れ頃、どうしても温かくならなないので、もしかしたら、と思ったらやはり配管に亀裂が入っていました。今でも余震が多いので亀裂が入り、暖房の爆発漏れがあったのです。日本は地震大国で、どこでもこういうことになると思うので、こういう視点も必要だと思います。

 スライドは私たちの施設の擁壁の写真です。8メートルあり、この擁壁の中にある水抜き穴を点検したところ、雑草が生えていました。通常の施設管理で草などが生えていないか点検し、水はけを良くしておかないと、水害の時に水の出口がなくなって中でどろどろの状態になってしまうそうです。そのため震災後からは必ず毎月のレセプト点検に併せて施設を巡回し、点検するようにしています。

 市内の高等学校に設けられた震災発生後1週間前後の避難所の様子を映していますが、原発の地区から高等学校に自衛隊のトラックで虚弱高齢者が移送されてきました。市の医師会から私たちに要請があり、「虚弱高齢者の人たちを老健協会でなんとかしてほしい。そのほかの避難所の人たちは我々が対応するが、虚弱高齢者の医療ケアはできかねるから」とのことでした。そこで協会のメンバーが集まって各避難所を見に行ったら悲惨な状況でした。ほとんどの人が肺炎や脱水をおこしつつあるという緊迫した状態でした。

  そこで各老健施設で割り当てして、1施設につき3人から5人くらいを毎日運び、各施設で緊急的に入所してもらうということをやりました。被災している地区のケアマネージャーはやりくりが大変だったと思います。

 家具などの転倒や落下防止のために突っ張り棒を活用し、高さのある家具などはなるべく壁に接する位置に設置しました。また、家具や棚が転倒して通路を塞いでしまわないよう、廊下や出入り口付近への設置は控えるようにしています。

そして、私たちの施設では正面玄関入り口に非常時持ち出し袋を設置し、職員のだれもがわかるようにしています。このことは家族や面会者に対しても、「施設として非常時の備えがとられている」と認識してもらうことにもつながっています。

(つづく)

研究大会開きました(その7)

【本間達也先生特別講演(4)

 

食事についてですが、大変苦労しました。放射能の影響を恐れ、トラックの運転手が運動を拒否するなどの事態が起こり、物流が途絶えて食材などが入ってきませんでした。まず考えたのは、内科医とも相談してカロリー制限を強制的にやりました。当時家族は自分の家がむちゃくちゃになっているので、利用者を見る余裕がありませんでした。家族に連絡すると「おまかせします」と文句を言う人は誰もいませんでした。また、それまで通所リハビリテーションで来ていた30数名の利用者が震災当日から即入所になりました。

断水によって食器が洗えないことや洗剤が入手困難なため、使用枚数を減らすためワンプレート式にしました。またエレベーターが止まったため、人海戦術で暗い中を階段で食事を運ばなければならなかったため、運びやすい利点もありました。

次に電話回線についてですが、震度6程度の地震の場合、携帯電話も固定電話も混線します。基地局がやられるとメールでのやりとりもできません。このように電話での連絡が困難になることは、全老健のリスクマネジャー養成講座で学んでいました。『資格指定テキスト自然災害リスク編』を参考に、内規を作成し、一定の条件の下でスタッフが参集するように取り決めをしたことで、混乱無く非常時の対応を統一することができました。

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各施設で消防訓練を必ずやると思いますが、その際に併せてこのような事態を想定した訓練を行っておくとよいと思います。消防訓練の実施は義務づけられており、消防署の人も来ますので、その時には地元の消防団の人も呼んで自分たちでも訓練をすると良いと思います。

 それから飲料水やオムツなどの衛生保清材料、医薬品、清拭用タオルなど、不足した物資が届いてきました。しかし、例えば点滴のボトルだけがきて、補液のセットがなくて使い物にならない、ということもありました。また、「福島県老人保健施設協会」宛てに当施設に物資が来るので、通所リハビリテーションのスペースが救援物資で一杯になりました。そこでどうしようもなくなり、通れる道路を確保して、県内各支部から取りに来てもらうという形にしました。

(つづく)

研究大会開きました(その6)

【本間達也先生特別講演(3)

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 次にガソリンですが、とにかくガソリンがありません。福島原子力発電所が水素爆発したので、福島県にはガソリンが来ないという話にもなりました。市内のスタンドでは1000円分のガソリンを入れるのに5時間並んで待つという状態が1週間続きました。裏ではリッター1万円という取引も出てきました。本当に車というものはガソリンがないと鉄のかたまりなんだと思いました。2週間後に東京に行き、マスコミとの懇談会でも、福島県の老健協会の会長として最初に訴えたのは「ガソリンを下さい」ということでした。宮崎もそうだと思いますが、福島は都会ではなく職員は軽自動車で通勤していたので、相乗りをするなどして対応しました。したがって「歩いてできること」をまず考えました。非常に苦労しました。

 そんな中、第一に利用者の安全確保に努めました。停電後は消防用自家発電機が機能していましたが、2時間後にはそれもストップしました。私どもの施設は2階と3階が療養室となっており、利用者を各階のナースステーション前に誘導しました。寝たきりの人はベッドごと誘導して一箇所に集まってケアを行いました。震災後、福島の気温は朝晩氷点下となり、降雪が続く中停電によってエアコンが使用できず、利用者の暖は衣服を厚着してもらいながら、毛布などで寒さ対策を行いました。ただ、これが8月だったら感染症が蔓延していたと思います。

 そんな中、外部の情報を得るために一番役に立ったのはラジオでした。手巻き式で発電でき、携帯電話などとつないで充電もでき、懐中電灯もついているもので、乾電池式不足の時に役立つ備品であり、貴重な情報源でした。

 そうこうしているうちに放射能の問題が出てきました。断水のためそれまで小学校や公民館の給水所に3時間から4時間並んで6リットルの飲料水の配給を受けていましたが、メルトダウンの問題が出てきてそれができなくなってしまいました。若いお母さん達などで隣県に逃げる人が続出しだしました。その時初めて原発の目の見えない恐ろしさを実感しました。

 飲料水以外の生活用水については、生愛会グループでは消防団にお願いし、ポンプで隣を流れる河の水をくんでもらいました。地元消防団や町内会とは消防訓練などを通じて普段から関わりを強化していました。それがこういうときに役立ち、非常に協力的になってくれました。風呂場に10トンの水をため、隣接の特養30床分11トンの使用を想定し、10日間分を確保しました。そういったこと等を通じて勉強になったことが数多くあります。

(つづく)

研究大会開きました(その5)

【本間達也先生特別講演(2)

 この大震災が発生したとき施設はどうだったかというと、ちょうど入所の職員はオムツ交換や離床介助、そして入浴介助をしていました。そして施設長は運良く回診中でした。また通所リハビリではレクレーションを行っている時間でした。

スライドに示しているのは女川町の写真です。私が住んでいるところからはちょっと時間がかかるのですが、ここでビデオを見て下さい。

 

(高い所から撮影したビデオで、津波が来る直前から始まり、海から津波が道路に押し寄せだしたかと思うと、瞬く間に町を飲み込んでいき、そして同じくらいすさまじいスピードで濁流が家屋や車、あらゆるものと共に海へと流れ去っていく内容でした。至る所で車のクラクションがショートし「ピーピー」と鳴り響き、これが大量のがれきがぶつかりながら流れて行く音と相まって、耳をつんざかんばかりの大音量となって町中に響き渡っていくという、大変ショッキングな内容の影像でした。)

 

 大津波が来るということで、女川町にある老健では全員3階に避難することを決定しました。避難住民の手を借りて、3階屋上に利用者を避難させました。雪が降りしきる非常に寒い中、屋上で頭から布団をかぶせながら待機していると、どんどん水が上がって来て、1階のデイサービスは浸水していきました。

 スライドは私どもの施設です(タイトル名:「東日本大震災によって発生した諸問題とリスクマネジャーとしての対応」)。うちの事務長は全国老人保健施設協会(全老健)の「リスクマネジャー養成講座」の一回生でした。当初はパニックに陥りましたが、養成講座の本をぱっと手に取り、マニュアルに従って災害対策本部を立ち上げてやっていきました。

震災直後のライフライン状況ですが、停電が3日間、断水が3日間、エレベーターの停止も3日間でしたが、余震が来ると自動的に止まってしまうので実際には一ヶ月くらい使えず非常に困りました。私どもの老健は2階と3階に入所のベッドがあるので配膳車が使えませんでした。固定電話の不通は4日間続き、当時は携帯もメールもだめでした。そこでリスクマネージャーが指示を出し、毎日各部署の幹部職員に朝8時半に集まってもらい、それから日が暮れるまで連絡の有無にかかわらず3時間ごとに集まって情報収集をしながら明日どうするか、ということを考えていきました。せいぜいラジオしか使えないという孤立無援の中で考えたのは「3時間ごとに集まってくれ。その間の情報をくれ」という原始的な方法です。そしてその中から状況を判断して「3時間後までにはこれをやってほしい」、「お昼までにはこれをやってくれ」、「どこで何が一番問題になっているか」「明日どうするか」、「3日後はどうするか」などと3時間ごとにやってホワイトボードに上げてトリアージしていきました。

これを日が暮れるまでやりました。その頃の福島県だと5時過ぎには暗くなります。暗くなると後はストップです。それは地震で信号が止まっていたこともあり、道路の一旦停止の所に軽自動車がすっぽり埋まってたということがあったからです。たぶん夜車を走らせていて、一旦停止しようと思ったら路面が陥没していたのがわからなかったのだと思います。車の中の人は出てこられたのですが、「夜は絶対活動してはだめだ」と瞬時に判断し、内規を作って取り組みました。パソコンがあってLANがあってメールでやりとりするなど対応するシステムがあるのはいいかもしれませんが、このときは携帯の基地も破壊されましたので、そういうことがほぼできない期間がありました。そこで何に戻るかというと、引き算して非常に原始的なやりかた、どちらかと言えばアウトドア的なやり方でやっていかないとだめだと思いました。

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(つづく)

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