雑談

ヒトノキモチ

「天体の運動はいくらでも計算できるが、人の気持ちはとても計算できない」

と言ったのはアイザック・ニュートン(『生きるヒントになる名語録728』、轡田隆 監修、 橋本一郎 著、三笠書房)。

 イギリスが生んだ偉大な物理学者であり天文学者であり数学者のニュートンをもってしても「計算不可能」と言わしめた「人の気持ち」ですが、そこであきらめないのが人類。現在は様々な研究が行われているようです。

 「神経経済学」というのもその一つと言えるのでしょうか。耳慣れない言葉かもしれませんが、65日からの日本経済新聞の「やさしい新しい経済学」のコーナーで連載されていました。大阪大学の田中沙織准教授による特集でした。

 人間の癖やパターンがどうして生じているのかを、「脳」の特性から説明しようとするのが神経経済学だそうです。そして「経済行動に関する脳の仕組みを解明することで、癖やパターンも含めた人間の行動を説明できる経済理論を作り上げること」が神経経済学の目的の一つだとありました。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用い、経済的行為に関する実験をする中で、脳を構成する神経細胞がどのように活動するか、などといった研究内容が紹介されていました。さすがのニュートンも、これにはびっくりかもしれません。

 私たち老健施設で働く者にとっても、「人の気持ち」、すなわち「利用者様の気持ち」は重要です。そしてそれはひとりひとり違っているし、また同じ人であっても常に同じ気持ちでいるわけでもありません。

もしそれが瞬時に計算でき、「今この人はこういう気持ちだからこのように対応して下さい」などと判断・指示してくれるコンピューターが将来登場してくれば話は別ですが、やはり基本は人と人とのコミュニケーション。これを深めるなかでお互いが理解しあっていくことでそれぞれの利用者様に最適なケアが提供することができるのではないかと思います。

激しい雨と強い雨

 「あん時ゃどしゃ降り」を歌ったのは演歌の大御所、春日八郎(1957年)。一方、「激しい雨が」を歌ったのはパンクロックというか、めんたいロックの大御所、ザ・モッズ(1983年)。どちらの歌の中でも主人公は傘をさすこともなく、ずぶ濡れになっています。

 さて、この「どしゃ降り」と「激しい雨」。どちらも弱々しい雨ではないというイメージは湧きますが、両者に違いはあるのでしょうか?

 調べてみると、気象庁のホームページに「雨と風の表」(http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/yougo_hp/amehyo.html)というのがありました。これによると、「どしゃ降り」というイメージを受ける降り方は、予報用語で言う「強い雨」。1時間雨量で20ミリ以上30ミリ未満だそうです。一方、「激しい雨」は予報用語であり、人の受けるイメージは「バケツをひっくり返したように降る」雨。30ミリ以上50ミリ未満ですから、「どしゃ降り(強い雨)」より雨量が多いことがわかります。

 いずれの降り方も人への影響として「傘をさしていてもぬれる」とあるので、上記の2曲とも、傘をさしていないのはそのためなのか?と推測されます。

 歌の話はともかく、同ホームページによると「強い雨(どしゃ降り)」では「小規模の崖崩れが始まる」、さらに「激しい雨(バケツをひっくり返したように降る)」だと、「山崩れ・崖崩れが起きやすくなり危険地帯では避難の準備が必要、都市では下水管から雨水があふれる」と、それぞれの危険度が示してあります。

 さらに1時間雨量がもっと多くなる、「非常に激しい雨」(50ミリ以上80ミリ未満、「猛烈な雨」(80ミリ以上)についても説明がありますが、ここまでになるとますます非常に危険な状態となることがわかりました。

 7月8日に梅雨明けが発表されましたが、台風や大雨など、これから自然災害への備えがより一層重要になってきます。テレビやラジオなどの気象情報を的確に把握して防災に役立てるために、気象に関する基礎的な知識を身につけておく必要性を感じた次第です。

“寿万宝”と呼んではどうですか?(再)

 思った通り、シニア向けのスマートホン(スマホ)が県内でも普及しているようです。67日の宮崎日日新聞、「高齢者向け端末続々」という見出しの記事が載っていました。

 宮崎市佐土原町あった高齢者向けタブレット端末操作教室は県の補助を受けて昨年度から始まっているものとのことで、70代の高齢者が操作方法を学んでいる様子が紹介されており、「パソコンに比べ操作が簡単で高齢者向きの機器だ。さまざまな機能や情報を使いこなせば、日常生活がより豊かになる」という関係者がコメントしていたのを”ウン、ウン”とうなずきながら読みました。

 高齢者向け端末の発売も相次いでいるようで、使用者が一定以上動かないと家族らに警告メールを自動送信する高齢者向の安否が確認できるアプリケーションが紹介されていました。今後、スマホは高齢者の生活、生命を守る道具として極めて重要な役割を果たすのではないかと思います。

 当ブログでは昨年のうちからその事を既に予察しており、「高齢者を取り巻くリスクは多種多様で、命にかかわりかねないリスクも少なくありません。それをスマホの力で回避できるとすれば、大変ありがたいことではないでしょうか」と世に問うているわけです(平成2583日付ブログ)。

 また、同時に「スマホ」というカタカナ表記も「寿万宝(すまほ)」と漢字に改めてはどうか、と提起しています。「万寿:ばんじゅ、寿命の長いこと(『広辞苑』より)」をもじって「長い寿命をもたらす宝」という意味です。いかがですか?すっごくナイスな名前ではないでしょうか?だめぇ?でも、もしも将来、本当にスマホのことを「寿万宝」と呼ぶようになったら、・・・ならないだろうけど・・・、言い出しっぺは当協会であることを一応ここに宣言いたしておきます。

 とにもかくにも、65歳以上人口が3000万人を突破し、認知症高齢者が462万人と推計される今日、スマホには今後ますますの活躍を期待したいと思います。

とんでもないこと

社長:いやぁ、鈴木君、今回のプロジェクトは大成功だったね。

鈴木:はい、社長。ネットでもこんなにたくさん「いいね」をいただきました。

社長:何と言ってもこの「ゴムゴムのエコ扇風機」、実に素晴らしい。鈴木君のアイデアが活かされた傑作だよ。

鈴木:はい、社長。この「ゴムゴムのエコ扇風機」は、電気を使わずに1時間も涼風を送り続けることができるというところがセールスポイントです。模型飛行機のように羽根をぐるぐる回してゴムをねじねじ巻いて、それで羽根を回転させて風を発生させるわけです。指でゴムを巻くと18時間かかりますが、この「専用自転車式ゴム巻き機」を使用すればなんと4時間に短縮できます。それだけでなく、4時間自転車こぎ、すなわち有酸素運動をすることによって身体の脂肪が燃焼され、ダイエット効果が得られます。4時間自転車こいで1時間涼風に当たる。そしてまた4時間自転車こぎして1時間涼む、それを延々と繰り返せば確実にやせられるわけです。世界中どこを探しても、今までにどこにもなかった画期的なエコ&ヘルス商品です。

社長:いやーっ、あっぱれあっぱれ!素晴らしいよ鈴木君。きみは本当に優秀な社員だ。きみは我が社のホープだよ、エースだよ。そんなきみに今度部長になってもらおうかと思っておるのだがどうかね?

鈴木とんでもございません、社長。わたくしのような駆け出しの新人に、部長などとは恐れ多いこと。しかし社長がそこまでおっしゃるなら、わたくしでははなはだ力不足ではありますが、会社のために頑張らせていただきます。

社長:ん?鈴木君、きみ今なんと言ったかね?ひょっとして「とんでもございません」と言ったのではないか?「とんでもございません」と。いいかね鈴木君、「とんでもございません」などという日本語はないのだ。君は言葉を知らんね。これでは部長を任せるわけにはいかんよ。この話はなかったこととしよう。

鈴木:し、社長、そんなあ(T_T)

 

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以上の話は全くのフィクション、作り話です。登場する「社長」と「鈴木さん」は実在の人物とは全く関係ありませんし、「ゴムゴムのエコ扇風機」だとか、「専用自転車式ゴム巻き機」というものも架空の商品で、もしあったとしても実在のものとは全く関係有りません。

 ただし、この社長の「『とんでもございません』などとという日本語はないのだ」というのは本当です。「とんでもない」が一つの言葉(形容詞)ですので、「とんでもないことです」が正しい言い方。鈴木さんもそのように言えば、部長になれたのかも・・・。でもついつい「とんでもございません」と言ってしまいますね。うーん、日本語って難しい。

 

 ちなみにこの「とんでもない」、『広辞苑』によると「途(ト)でもない」から転じた言葉だそうですが、「とんでることがとんでもないこと」になっているのがご存じプロ野球のボール。この場合の「と」は「飛」。つまり「飛んでることがとんでもないこと」になっているわけです。去年よりボールが飛んでホームランが量産され、そのたびに選手はベースを回って・・・。これは「とんでとんでまわってまわる」、つまりプロ野球の「夢想花」状態になっているのではないだろうか?そのように考えているのは私だけ・・・でしょうね、きっと。

 それはともかく、この「夢想花(むそうばな)」はすごくいい曲です。円広志さんが作詞、作曲し自ら歌って第9回世界歌謡祭グランプリを受賞した心に残る名曲です。野球観戦しながら聴かれてみてはいかがでしょうか。

六月無礼は無礼なり

 「六月無礼」という言葉があります。『広辞苑』によると「陰暦六月は酷暑の際なので、服装などの無礼をとがめないこと」という意味だそうです。とはいうものの、老健施設に勤める者とすれば、あまりにも無礼な服装はいただけないですね。

 それはともかく、梅雨時特に気をつけないといけないのは食中毒。宮崎県内でも腸管出血性大腸菌感染症の報告が上がっています。無礼な服装はもってのほか。そして大事なのは「見た目の綺麗さ」ではなく、「清潔であること」です。

清潔な服装はもちろんのこと、手指消毒をはじめとする感染防御策の徹底に努めましょう。そしてこれは全員が取り組まなければならない、ということを肝に銘じて取り組みましょう。

台風4号接近中

  台風4号(リーピ)はこれから宮崎県に最接近するものと予測されています。情報を迅速・正確に入手して備えましょう。

 

気象庁台風情報

http://www.jma.go.jp/jp/typh/

 

国土交通省川の防災情報

 

http://www.river.go.jp/nrpc0302gDisp.do?areaCode=89

 

宮崎河川国道事務所

http://www.qsr.mlit.go.jp/miyazaki/

 

MRT宮崎放送警報・注意報

http://mrt.jp/weather/keiho/

濡れ手で泡

  間違いやすい日本語は数多くありますが、その一つに「濡れ手で粟(あわ)」というのがあります。『暮らしの中のことわざ辞典』(折井英治
編、集英社)には「骨折らずにうまいことをすることのたとえ。また、たやすく物を手に入れること。濡れた手で粟をつかめば、骨折らずとも粟がたくさんくっついてくるので都合がよい」とあります。

 これをどう間違うか?というと、そう、「濡れ手で泡」。濡れた手で泡をつかもうとすると、乾いた手よりも泡が割れにくくてどんどんつかめるぞー!わーい、わーい(^o^)・・・って、そういうふうに誤解されている人はそんなに少数派ではないのではないでしょうか。

 そもそも、「”粟(あわ)”とは何ぞや?”栗(くり)”のきょうだいか?」というくらい、粟を見かけることが少なくなってきたのも、この誤解の背景にあるのかもしれません。粟はイネ科の植物で、「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」の五穀の一つにしっかりエントリーされているのです。黄色っぽくてちっちゃな粒です。ペットショップに行ったら小鳥の餌として売っているので「ああ、あれか!」とわかるはずです。その粟の中に濡れた手をつっこんだら、ことわざの通り手が粟だらけになること請け合いです。ただし、ショップでは絶対にやらないで下さい。

 というわけで「濡れ手で粟」が正解で、「濡れ手で泡」は間違い・・・と一般的には言うのですが、私たち老健施設に勤める者にとって、「濡れ手で泡」は間違いどころか絶対に欠かすことのできない重要なことなのです。それは一体なんでしょう?ヒントは「流水と液体石けん」を使います。

 そうです。もう皆さんおわかりでしょう。手洗い、すなわち「手指衛生」です。感染制御を徹底する上で、手指の消毒は基本中の基本ですね。流水と液体石けん(つまり”濡れ手で泡”です)を用いる方法と、擦式アルコール製剤を使う方法とあり、それぞれ特徴がありますので、上手に使い分けましょう。

食中毒のリスクが特に高くなるこの季節、“濡れ手で泡の手指衛生!”と肝に銘じながら手洗いを実践し、習慣化し、感染防御に努めましょう!

6月19日といえば

 619日は「朗読の日」だそうです。6109だから”ろー、ど、く”、ですね。日本朗読文化協会が2002年に定めたのだそうです。せっかくだからこの日にふさわしい本を朗読したいものです。じゃあ、この「朗読の日」である619日に何を読むか?それはもうこれしかない!という一冊があります。それは一体なんでしょう・・・

 その本とはズバリ『619日の花嫁』!!著者は直木賞作家の乃南アサ(のなみあさ)さんです。文庫本は平成921日に新潮文庫から出ています。

 主人公の池野千尋は、目覚めるとびっくりします。素っ裸で寝ていたのです。しかも全然知らない男、前田一行の部屋で。驚くのはそれだけじゃありません。自分に関する記憶が無くなっているのです。自分の名前すら思い出せない千尋の頭にたった一つ浮かんでくるのは「619日に結婚式を挙げる」という切迫感のみ。そして目覚めたのは612日。あと一週間しかない!失った記憶と取り戻すため、ぶしつけで優しくない一行とあちこちと歩き回ります。そしてやっと見つけた披露宴会場で、千尋は驚愕の事実に直面します。 

 さらにそこで披露宴を挙げるはずの、夫となるはずの相手、一生を共にするはずの伴侶、記憶を失う前にはこのうえなく愛していたはずのその男性をようやく捜し出し、わらにもすがる思いで会ってみると、感動の再開どころか、予想もしない展開となり千尋は大きなショックを受けてしまいます。

 このようにして、613日、14日、15日・・・と、「619日」に近づく中、記憶が蘇れば蘇るほど謎が深まっていくという、全く予想ができないストーリーに、読む人を一気に引き込んでしまうこの『619日の花嫁』、果たしてその結末やいかに?もちろんそれは言えません。しかし読み応え十分の力作であるということは断言いたします。『ジューンブライド 619日の花嫁』というタイトルで映画化もされていますから、自らが主人公の千尋になった気持ちになって朗読してみるのもいいかもしれません。

 また、特に老健施設に勤務し、認知症を有する利用者様と接する機会も少なくない者の一人として、「記憶とは一体何か?」ということを考える機会にもなりました。「忘れること」、そして「思い出すこと」・・・それらがその人の人生にどのような作用、影響を及ぼすのか?ということを、自分の仕事のやりかたを振り返る機会にもなるおすすめの一冊です。当然ながら1年に1日しかない619日。読んでみてはいかがでしょうか。

難山に挑もう!

 「かたつむり 登らば登れ 富士の山・・・」という、超弩級でビッグスケールで桁違いに大きい歌詞を男気ムンムンに”サンキュゥー!!”と歌い上げるのは作曲を手がけた堀内孝雄さん。「惜春会」というこの歌、作詞はこれまたビッグな小椋佳さんです。『NHKラジオ深夜便』の中で「深夜便の歌」として放送されたこの歌、初めて聴いた時はぶったまげました。カタツムリが富士登山とは(゜◇゜)。

 しかし、それ以上にすごーい!と思ったのは、ご存知三浦雄一郎さん。80歳という史上最高齢で世界最高峰のエベレスト登頂に成功するなんて、どのような言葉で称讃すればいいのかすら迷ってしまいます。

 三浦さんを見習って頑張ろう!と思っても、まさかエベレストに登ることはとても無理。524日付けの朝日新聞には「高齢者 伸びる体力」との見出しで、65歳から79歳男性の6分間の歩行距離や75歳から79歳女性の10メートル障害物歩行で、それぞれ10年前より成績が向上した、という文部科学省が昨年公表した調査結果が紹介されていました。老健施設に勤める者として、高齢者の健康増進のために頑張ろう!と思いました。

 それはそうと、わざわざエベレストまで行かなくとも、自宅にいながらエベレストをしのぐような「難山」に挑戦できる!という記事が516日の同紙に掲載されていました。と言っても庭の砂山に登るわけではありません。

 「一尺八寸山・月出山岳 読めますか?」という見出しのその記事。”読み方が難しい山”がある自治体が大分県に集まって10月に「日本全国難読山サミット」を開くのだそうです。そうです。「昇るのが難しい山」のではなく、「読むのが難しい山」という意味での「難山」です。

 (1)一寸八尺山、(2)爺爺岳、(3)月出山岳、(4)雲母峰・・・・・というふうに、記事では「日本異様難読山名コンテスト」のベスト20が紹介されていました。1つ」を除いて全く読めませんでした。ほんとに難しいです。ちなみに(1)「みおうやま」、(2)「ちゃちゃだけ」、(3)「かんとうだけ」、(4)「きららみね」、だそうです。わからんわー(>_<)。「エベレスト」を「エレベスト」と間違う程度のもんじゃあありません。恐るべし、日本の「難山」。

 ちなみに「1つ」だけ読めたというその山は・・・。そうです、郷土宮崎の名峰「行縢山」です。よみかたはご存知、「むかばきやま」です。第19位にランクインされていました。ちなみに「行縢」という言葉は『広辞苑』にも載っていますので、興味がある方はひもといてみて下さい。

 サミットでは同県にある難読ナンバーワンの一尺八寸山(707メートル)と、ナンバー3の月出山岳(690メートル)に登ったり、地域おこしをテーマにしたシンポジウムを開催したりするとのこと。二山重ねても1397メートル。登山愛好家でなくとも「ヤッホー」と楽しめそうなイベントです。「行縢」を身につけて、参加してみようかな?

 ところで、最初に紹介した「惜春会」という歌。これはすごい名曲です。初老と思われる男性がこの曲の主人公です。小椋佳さんが69歳ですから、そのくらいでしょうか。介護保険の認定はおそらくまだ受けてないものの、自らの老い衰えを「もうこんなになってしまったのか」と嘆いたり、残る命に「まだまだ死にはしないわい!」と奮起したりしているその人が、年に一度、旧友達と集まる「惜春会」に参加します。近況を報告し合ったり、昔話に花が咲いたりしますが、一方では友の訃報を聞いてショックを受け、「散る桜 残る桜も 散る桜」と、良寛の辞世の句を思い浮かべてみたりします。そうこうして盛会裏に終わった惜春会。「来年会おう!また一年無事でいような!」と別れていく主人公が、最後につぶやくのが冒頭の言葉。「かたつむり登らば登れ 富士の山 悠々と祭り創りの 日々であれ 日々であれ」と繰り返します。ここの部分のリズムとメロディーがこれまたいいのです。本当にカタツムリが富士の登頂を目指しているような、ゆっくりと、しかし確実に刻まれる印象深い調べです。さすが堀内孝雄さん!何度聴いてもジーンとします。そしてこの曲は、老健施設に勤める人であればぜひ、ぜひ、ぜーひヽ(^o^)丿!聴いてほしいと思います。

「波のうえの魔術師」って・・・

 「波のうえの魔術師」は石田衣良の作品です。文春文庫から2003910日に第1刷が出ています。

 タイトルから想像すると、てっきりサーフィンがむちゃくちゃ上手で、自由自在に波を乗りこなす、まさに魔術師みたいな若者が主人公の物語ではないか?しかもサーフィンと言えば宮崎。県内のどこかのサーフスポットを舞台にした青春ストーリーか?と期待してしまいそうですが、全然違います。

 「波のうえの魔術師」と呼ばれるのは小塚泰造という老人。彼は株式投資のプロ。つまり「波」とは「株価の波」のことなのです。波の底で買って波の頭で売れば利益になる、という具合に、上下する波を読んでそれを巧みに乗りこなす。だから「波のうえの魔術師」というわけです。

 並の大学を5年かけて卒業した就職浪人中の主人公、白戸則道が小塚老人の手ほどきをうけて株式投資への道に没頭、マーケットに恋をするという内容です。あれまあびっくり。

 「えーっ(+_+。)これってほんとに石田衣良の作品なの?『池袋ウエストゲートパーク』や、『うつくしい子ども』の作者で、直木賞作家の石田衣良が著したものなの?」と思ってしまいましたが、それを見透かしたかのように解説の西上心太が「いや、あなたは間違っていない。確かに本書は石田衣良の作品である」と断じていますから、まったくもって「してやられた!!」という作品です。

 この小説はバブル経済がはじけた頃の話で、株の事に詳しくない人でも楽しめる一冊です。株価の動向が注目されている今日この頃、読んでみてはいかがでしょうか。

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