雑談

研修会を開きました(西都市ケアマネ連絡会)

 

 

IMG1324.jpg 西都市介護支援専門員連絡会(小野 美穂子会長=菜花園事務長)は213日、西都市総合福祉センターで研修会を開きました。

 同連絡会では会員相互の連携強化と資質向上などを目的に様々な活動を行っており、今回は講師にHealing forest(癒しの森)の代表で、社会福祉士の明石二郎さんを大分県から招き、「福祉の専門職としての価値と倫理 ?自分が利用したケアを考える・つくる・とりくむ―」と題し、講演をしていただきました。

 同市内の老健施設等の職員44人が受講。福祉サービスの理念や職業倫理などについて、事例検討を交えながら学び、福祉従事者としてプロフェッショナルであるためには、どうあるべきかを考える貴重な研修会となりました。

猫脚だにゃあ

  いやあ、すごかったですね。25日に行われた別府大分毎日マラソン。お笑い芸人でカンボジア国籍の猫ひろしさん、もとい!猫ひろし選手2時間3026という、自己ベストを7分も短縮する快走でフィニッシュしました。

実業団選手のレベルとして見れば、大した記録とは言えません。しかし、市民ランナーのそれとしてみれば、驚異的なものです。1キロあたり33391のペースを42.195キロずーっと続けるわけですから。市民ランナーの尊敬と羨望のまなざしを浴びる”サブスリー”、すなわち3時間を切る人でさえ、全市民ランナーの1%程度しかいないのに(これは1キロ415秒ペースです)、それより30分近く早いタイムだにゃあ、です。

テレビで観戦した猫選手の姿は、周囲の選手よりもひときわ小さいのですが、そのフォームは何とも綺麗で、ダイナミックでした。しかも沿道で応援する人達に手を振って、「ニャー、ニャー」と鳴きながら(?)のスマイルラン。さすが芸人!これは実業団選手にはできる芸当ではありません。もっとも、本業の「お笑い芸」がおもしろいか否かは別問題ですが(^_^;)・・・。

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 さてさて、突然ですが、写真は和室用のテーブル。すなわち「座卓(ざたく)」です。どうして急にこんな話をするのかって?実は猫ひろし選手と深―い関係があるのです。この座卓の脚の部分にご注目下さい。

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 ここの名前、ご存知でしょうか?案外知られていないかもしれないこの座卓の脚の名前は何かと申しますと・・・・・ドロドロドロドロドロドロ(ドラムロールの音です)・・・ずばり、「猫脚」だにゃあ!”ねこあし”と読みます。広辞苑をひもとくと、「(1)膳や机の脚の形状の一。上がふくらみ、中がややすぼまり、下が円くて低く、猫の脚に似たもの」とあります。いかがでしょうか?何となく猫の脚に見えてこないでしょうか?えっ?ミッキーロークのパンチに見える!?((+_+))このほか、「(2)猫のように足音を立てないで歩くこと」という意味も併記してあります。

 しかし!!この『広辞苑』でさえも、あの猫選手の激走を目の当たりにした今、加筆を余儀なくされるかもしれません。すなわち、「(3)お笑い芸人、猫ひろしが”ニャー、ニャー”と鳴き、周囲に手を振りながらフルマラソンを疾走する様子およびその脚力。(4)小さくても大きく元気で楽しい走りで、人々に希望と感動を与える様子」と。

 果たして広辞苑の「猫脚」の記載が変わるか否か!?それは猫選手がカンボジア選手とてロンドンオリンピックに出場するかどうかにかかっている・・・かにゃあ?それはともかく、今後の同国の選手選考の成り行きに注目したいです。

「貰っといてやる」の真骨頂

  21日の朝日新聞文化欄は、このたび芥川賞を受賞された、田中慎弥さんの記事でした。「喜ぶ前に周囲にさらわれ 流された」という見出しがありました。候補に上がること5回目での栄誉でしたが、嬉しいというよりも、半ば不機嫌で記者会見に臨み、あの芥川賞を「もらっといてやる」と公言。周囲の関心を独り占めしていました。この発言部分、さすがにNHKのニュースでは、最初のうちカットされていました。

 この発言や、一風変わった(?)ライフスタイルから、作品そのものではなく、作家である田中さんの人物像ばかりにスポットが当たることとなり、少なからぬ違和感を抱いていた矢先に、今回の記事。「新聞やテレビの取材というのはどうして作品ではなく作家個人のことを訊きたがるのだろう」との記述があり、田中さんご自身もやっぱりそう思っておられたんだなあ、と納得しました。

 この記事で感銘を受けたのは、田中さんが「作家人生を芥川賞で終わらせたくない」と述べていたところです。この文の直前には、「見も知らない人からよかったですねと言われるよりは、どこかにいる目の肥えた読者から作品の不備を指摘されることの方が、私にとっては重要だ」。すごい!こんな発言、とても真似できません。だけど、これが田中さんの偽らざる気持ちなのだと思います。本人がそう願わずとも、「芥川賞作家の」という定冠詞は、この先ずっとついて回る。「先生」とあがめ奉られる。その事で慢心したくないという気持ち、そして往年の大文豪、二葉亭四迷と志を異にし、「文学は男子一生の仕事なり」と、これからもずーっと書き続けて行きたいという気持ちの表れなのでしょうか。スポーツの世界では、頂点を極めた後、心にぽっかりと穴が開いて、やる気が萎えてしまう「燃え尽き症候群」が言われていますが、田中さんのこの言葉を聞くと、読書好きにとっては「よくぞ言ってくださった!」と拍手喝采したい思いです。

 ところで、芥川龍之介を記念し、昭和10年から始まったこの芥川賞ですが、もしも龍之介があの世から「河童」の神様を従えて現世にやって来て、「これこれ田中君とやら。お前に吾輩の名を冠した”芥川賞”を授けようと思うのだが、果たしてお前にこの賞を受けとる意思はあるや?」と訪ねたらどうなるだろう?と、この受賞インタビューを見ながら思いました。これに対して、「(候補に上がるのは)今回が5回目ですから、断るのが礼儀なのでしょうが、私は礼儀を知らないので、もらっといてやる」と答えたとすれば、龍之介は「ほほぉーっ、こいつは愉快痛快!まるで吾輩のような奴が出てきたぞ。平成の文学界は面白くなりそうだ!」と大喜びして、河童の神様とハイタッチをするのではないか、と想像して楽しくなってしまいました。

 記事の最後は「もし芥川賞を私がもらうことに少なからず興味を持つ人がいるなら、大変偉そうだが私の過去の作品も読んでほしい。いや、(中略)文学史に残る大作家の名作を読み、改めて田中の作品に戻り、私の水準が低いことを確認するといい。そんなめんどううなこと、誰もやらないか」と締めくくってありました。いえいえ、誰もやらないはずはありません。私を含め、きっと多くの人がそれをやることと思います。中には「読んでおいてやる」などとのたまう強者もいるかも。ただし、「水準が低い」と思う人がいるかどうかははなはだ疑問ですが・・・。いずれにせよ、本を読む楽しみがまた一つ増えました。

「なんでも」ということ

「子どもを不幸にする一番確実な方法はなにか。なんでも手に入れられるようにしてやることだ」と言ったのはフランスの思想家ルソーだそうです(『いい言葉は、いい人生をつくる』斉藤茂太著、成美文庫)。

 18世紀を生きたルソーが、まさか21世紀の日本にタイムマシーンでやって来て、モノにあふれかえっている様子を垣間見て、「オーッ!ジャポーンの子どもたちはこれじゃあ不幸になってしまいますことネ」と心配して、この言葉を遺したわけではないのでしょうが、現代の日本の暮らしは、本当に便利になりました。

たとえば通信。その昔、そのまた昔、もっと昔。新聞社では「伝書鳩」が飼われていた事がありました。通信手段が無い現場から、記者が書いた原稿を届けるためです。優れた帰巣本能を利用して、脚にはめた小さな筒に入れた原稿を、新聞社までポッポと飛んで届けていたのでした。戦時中にも活躍した伝書鳩。すごいやつです。偉い!!

それが今ではスマホでポーン、です。写真も動画も音楽も、お金だって指一本でなんでも即座にポーン、です。こっちもすごいです。偉い!だけど、スマホを忘れて家を出たらお手上げです。落としでもしたら一大事です。通信障害なんぞ発生したらパニックです。すごく便利なものは、すごく不便な事態を容易に引き起こしかねないという側面をはらんでいるわけです。

子どもの遊びも変わりました。伝書鳩がポッポと活躍していた頃、男の子の遊びの必需品と言えば、「肥後守」。”ひごのかみ”と読みます。”ひごまもる”ではありません。広辞苑にもちゃんと「小刀の一種。折込式で柄も鉄製、「肥後守」と銘を入れる」と明記されている、由緒あるアイテムです。これ一本で豆鉄砲を作ったり、弓矢を作ったり、秘密基地を作ったり、と色んな遊び道具をクリエイトしていました。教えたり、教えられたりしながら。それらを使ってやる遊びもこれまた手作り。友達同士でルールを決め合って、それに従って遊んでいたのです。学校にも普通に持っていって、休み時間に鉛筆を削っていました。肥後守一本で、いろんな夢や想い出を作り上げてきたわけです。もちろん、今の時代に、肥後守をポケットに入れて持ち歩いていたら、大変なことになりますが・・・。

これに対して、今はゼロから遊びを創造し、その過程をも楽しむというのではなく、高度に創造され、完成された遊びを楽しむという側面が強くなっているように思います。遊びに限らず、様々なものが、なんでも簡単に(ただし、お金は要ります)手に入るようになった今日ですが、冒頭のルソーの言葉が、ふと頭をよぎった次第です。この時代の先に、どんな未来が待っているのだろうか?と。

さて、自立支援型介護、すなわちリハビリテーション介護を旨とする老健施設において、「あるがままの介護」、換言すれば、「なんでもしてあげる介護」が、利用者のためにならないことはご周知の通りです。その点において、ルソーの言葉を借りれば、「高齢者を不幸にする一番確実な方法はなにか。なんでも介護してやることだ」とは言えないでしょうか。「なんでもしてあげる介護」は、精神機能、身体機能ともに低下の一途をたどる危険性を内包しています。できることは自分でしてもらいながら、できないところは手助けする。また、工夫することにより自分でできるのであれば、その工夫をすることが大事です。また、できないのであれば、なぜできないのか?その原因を多角的な視点から探っていく事が重要であり、そのためにも、他職種によるチームアプローチが不可欠となってきます。

なんでもないような「なんでも」という言葉。しかし実際は決してなんでもなくはないんじゃないかなあ、と思った次第です。

幸せってなんだっけ?

  ”幸せって何だっけ?何だっけ?“というCMソングが以前ありました。明石家さんまさんが歌って踊って、調味料を宣伝していたやつです。そのCMにおいて、幸せとは、「その調味料が家庭にあること」と帰結していました。そりゃそうだ。CMですから。それにしてもこのCMとCMソング、流行りましたね。子供も大人も”しあわせぇーってなんだあっけなんだあっけ・・・”とツイスト(?)を踊りながらやってました。

 

 しかし、改めて「“幸せ”って何だろう?」と考えさせられてしまう記事がありました。120日の日本経済新聞の「経済教室」のコーナーです。「急がれる幸福度の指標整備:生活の質・持続可能性重視」と題したその記事の中で、経済協力開発機構(OECD)事務次長の玉木林太郎さんが、日本における幸福度について「客観的な指標は良いにもかかわらず、主観的な満足度が低い」と指摘していたのです。

 これによると、経済システムの機能にとどまらず、人々の生活水準に関心を寄せてきたOECDは、人々の幸福度やその向上を測定することを最優先課題に位置づけているのだそうです。それは、国内総生産(GDP)を代表とするマクロ経済統計だけでは、人々の社会経済状況の理解が困難だからであり、これを補完するためには、統計を整備し、人々の生活と直接関係を持つ指標が必要であるとのこと。そのためにOECD(1)生活の物資的な状況、(2)生活の質、(3)持続可能性といった相互の関連する3つの領域を検討対象とした分析の枠組みを作成した、とありました。

 このようにして幸福度の指標を整備する上での留意点の一つとして、玉木さんは「幸福度の客観的および主観的側面の双方を対象として考察する」ということをあげていました。それは、客観的構成要素は、人々の生活状況や生活の質を評価する場合に、そして主観的構成要素は、人々の心理的側面をとらえるためにそれぞれ重要だからだそうです。

 ところが、このような視点から日本における幸福度を見ると、所得、雇用、教育、健康など、客観的な指標においては、OECD平均を満たすか、これを超えるのに対し、主観的な満足度として、「全体として生活に満足しているか」と問われ、「満足している」と答える日本人は40%しかおらず、59%であるOECD平均を大きく下回る結果が出ているのだそうです。

 この原因として玉木さんは、「ゆとりの欠如や格差の拡大、人々の孤立や将来不安などが、主観的な満足度を引き下げている可能性がある」として、こうした点の解明や、問題点の改善が重要な政策課題になるであろう、と提起していました。

 

 それで、冒頭の”幸せって何だっけ?何だっけ?”というCMソングが頭の中で流れ始めたわけです。私たち老健に勤める者は、日常の仕事の中で、「生活の質」という言葉を少なからず用いますが、果たして「生活の質」とは、そして「幸せ」とは一体何でしょうか???つまり、私たち側が「利用者の〇〇さんにはこういうケアを行ったら、生きがいのある、幸せな生活が送れるだろう」と思って、それを実際に行ったとしても、肝心の〇〇さんが、「ああ、こういうケアをしてもらって、私は生きがいのある、幸せな生活を送ることができているなあ」と思われるかどうか?ということです。その客観的幸福度と、主観的幸福度の間に隔たりがあるとすれば、その原因を解明し、問題点を改善して、ケアのありかたを見直さなければならない、ということになります。

 調味料を買ってくれば済む問題ではありません。今後、幸福度の指標がどのように整備されていくか、関心を持って見守るとともに、私たち自身も「生活の質とは?」「幸せとは?」ということを常に問い続けながら、主客が高いレベルで一致するようなケアを目指していきたいと、この記事を読んで思いました。

冬ジゴロ?

  ”ふゆじごろ“という言葉があります。ありますが、あの広辞苑には、ありません。”ジゴロ“というフランス語だったら「女にたかって生活する男。転じて、男妾。ひも」と載っています。寒くない季節だったら何とか頑張れるけど、寒い冬になったら女性のもとに泣きついていく頼りない男のことでしょうか?うーん、当たらずといえども遠からず、かなあ・・・!?

なぜ広辞苑に載っていないのか?それは、「ふゆじごろ」が宮崎の方言だからです。したがって、『新宮崎市方言辞典』(江南書房)にはちゃーんと載っているのです。この「ふゆじごろ」の意味とは、その意味とは・・・ドロドロドロドロドロドロ(ドラムロールの音のつもりです(^_^;)

 そうです。「寒がりや」という意味です。もったいぶって言うまでもないですね。あと、「不精者」という意味合いもあるそうです。日照時間、快晴日数ともに全国トップクラスの宮崎といえども、寒いときゃあ寒いんです。布団から出たくない朝だってあるんです。そんなときに、「んだまあ、わりゃあなんちゅうふゆじごろじゃろか!はよおけにゃめしゃねなっど!!」(まあこれは驚いたことだよ、あなたは何と言う寒がりやなのでしょうか!早く起床しなければ食事が無くなってしまいますよ!!)と、たたき起こされたことはないでしょうか。

老健を利用されている利用者の皆さんなら、「ふゆじごろ」という言葉をご存知の方も多いと思います。しかし、実際に「ふゆじごろ」だったという方は少ないのではないでしょうか。「1日も休まんで、朝から晩まで一生懸命しごつ(=仕事)したつよ。夏でん冬でん関係あろか」と笑って話されるのをよく耳にしますが、今の日本があるのは、人生の大先輩であるこれらの方々のご尽力のたまものと、感謝と畏敬の念にたえません。そう思うと、「じゃつよな(=そうだよなあ)!俺もこうしちゃおれん、ふゆじごろじゃいかん!!」と布団を蹴り飛ばして起き上がります。皆さんもレッツ「ふゆじごろ“」!!

ところで、そんな宮崎にあって、冬夏関係無く、一年中ずーっと寒いところがあるのをご存知でしょうか?冷凍庫の中とか、「俺の財布の中身か!?」とか、そんなんじゃあありません。今をさかのぼること12年前、今年と同じ辰年のことでした。「一年中寒い」その場所に世界各国の外相が一堂に会し、熱い議論を交わしたのです。熱い議論を交わしてもなお寒かったというその場所とは、その場所とは・・・ドロドロドロドロドロドロ(-_-;)

 そうです。「ワールドコンベンションセンター・さみっと(≒寒ぃっと)」・・・?(-o-)/うわぁー、やっちゃったー!もちろん正しくは「サミット(summit」です。ご周知の通り、「さみぃ」も「寒い」という意味の宮崎の方言です。「明日は寒いのだそうですよ」は「明日はさみっとよ」と表現します(´・ω・`)。はぁー、さみぃさみぃ。

無骨

 NHK大河ドラマ「平清盛」が始まりました。その影像の「美しさ」、あるいは「美しくなさ」についてはすったもんだがあったのは周知の通りですが、松山ケンイチ扮する主人公、清盛を見ていて思わず「”無骨“だなあ」と思ったのでした。不作法、無風流、そして骨太・・・・・ん!?

 「骨が無い」と書く「無骨(ぶこつ)」が、なんで「骨が太い」と書く「骨太(ほねぶと)」に結びつくんだろう?骨が無かったらクニャクニャじゃん!?普段何気なく使っている言葉なのに、妙な違和感が湧いてきました。「こいつ、なかなか骨があるわい」とは言うけれど、「こいつ、なかなか骨がないわい」とは言いませんよね。

 そこで、『知ってるようで知らない日本語』(柴田武、ごま書房)を調べてみると、ありました。「無骨」には同義の和語である「こちなし」に漢字を当てて、それを音読みして生まれた言葉なのだそうです。

この「こちなし」を更に『詳解古語辞典』(佐藤定義編、明治書院)で調べると「こちなし【骨こちなし】:美的に洗練されていない、無風流だ。無骨だ」とありました。だから、”骨のある無骨な男“というと一見矛盾しているが、意味の上では矛盾しないとのこと。うーん、納得。

これとは少し違いますが、ちょっと失敗をやらかしたりした時など、思わず「あいた、しまった!」と口にすることがあります。これなんかも「こらこら!!それは開いたのか?それとも閉まったのか?どっちなんだ??」と突っ込まれそうですね。日本語って、奥が深いなあ。

離床センサーに思う

  117日の宮崎日日新聞に、「離床センサーで高齢者徘徊防止」という記事が大きく取り上げられていました。宮崎市の会社が認知症高齢者の徘徊などを未然に防ぐセンサーを開発し、本格販売を始めたという内容です。

 このセンサーの特徴は、高齢者のベッド上での動きを赤外線センサーで検知するというところ。熱の移動を検知するセンサーと、距離を測定するセンサーの2種類で、寝返りなどの動きと、起き上がる動作を別々に検知し、従来の離床センサーに比べ、高齢者の起き上がりをより迅速に、なおかつに正確に把握できるのだそうです。すごいです。

すでに宮崎市内の介護施設でも導入されているというこのセンサー、1ヶ月の無料貸し出しも実施しているとありました。宮崎の技術力、あっぱれなり!と思いました。その一方で、これを使う側の介護技術の力も試されるのだ、とも思ったのでした。

つまり、センサーが離床の動きを正確に、いち早く介護者に知らせることができたとして、さあ、それから介護者はどのような行動を起こすか?ということです。今まさに離床せんとされている高齢者のもとに急行し、「〇〇さん、立ったらあぶないが。歩いてひっこけて骨どん折ったらおおごっちゃ。寝ちょかんね」とベッドに押さえつけてしまっては、無理矢理寝かされてしまった方にとってはたまったものではありません。そんな使い方は、身体を思いのままに動かす自由を拘束する行為に他なりません。

その方がベッドから起き上がって、何をしたいのか?歩いてどこへ行きたいのか?そのために必要な介助は何か?大事なのはそこだと思います。これを正しく理解して、適切な援助をすることにより、安全、安心、そして迅速に行きたいところへ行き、やりたいことをやれれば、得られる満足もひとしおなのではないでしょうか。そしてそのことにより、介助する人と介助される人との信頼関係が深まる・・・。このセンサーを用いる本質的な意味はそこにあると思います。

このセンサーを開発する過程では、様々な試行錯誤、創意工夫があったことと思います。ならば、それを使う者も、それ相応の介護技術をもって臨む義務があるのではないでしょうか。いかなる便利な道具も、人に正しく使われて真の役目を果たすもの。誤った使い方をしたり、はたまた人が道具に使われるようになっては本末転倒です。優れた道具を正しく用いることでケアの向上をめざし、介護を受ける方々の生命や生活、そして人生の質の向上をはかることの重要性を再認識したニュースでした。

いちご同盟

  『いちご同盟』(河出文庫)は、芥川賞作家の三田誠広(みた まさひろ)さんの作品です。

主な登場人物は3人の15歳の男女。主人公の北沢良一は音楽高校に行きたい内気な中学3年生。生きる事に疑問を持ち、小学校5年生で自殺した男の子が飛び降りた団地の踊り場に行っては、その壁に書いてあった「どうせみんな死んでしまうんだ」というメッセージを思い出すのです。曲の勝手な解釈を許さず、正確なテンポを要求するピアノ教師の母は、表現豊かに弾きたいという良一の演奏を良しとしません。年子の弟は私立中学のエリート。そんな中で自分とは一体何なんだろうか?と悩む良一の愛読書3冊はいずれも自殺した人が著したもの。

 同じ中学に通う長身の羽根木徹也は野球部のエースで4番。女子生徒からの人気も絶大。その徹也が音楽室でピアノを弾いている良一を訪れ、試合の様子をビデオ撮影してくれ、ただし自分だけを撮ってくれ、女子は撮すな、と注文をつけて頼むところから物語は始まります。

 そのビデオは、徹也の幼なじみで、悪性腫瘍のため入院、片足を太ももから切断した上原直美に見せるためのものでした。自分の活躍を見て、直美に元気になって欲しいと。小学校の頃の直美は成績優秀、バレエや新体操を習い、高校に行ったら小説も書きたいなど、いろんな夢、やりたいことがいっぱいあったのでした。活発で、大きな瞳が愛らしい直美は、徹也がふざけて撮影した良一のピアノ演奏に感動。ベッド横のビデオで何度も繰り返し聴き、そして言葉を交わします。生きる意味を見いだせない良一に、直美は「可能性がある人がうらやましい。自殺のことを考えるなんて、贅沢だわ」ときっぱり。やがて直美は、良一に恋心を抱きます。直美を心の支えとする徹也もそれを応援し、直美を励ましながら、徹也には直美を見舞ってやってくれと頼みます。

 しかし、無慈悲にも病は進行し、腫瘍は腋の下のリンパ節に転移。さらに肺にまで触手を伸ばしていきます。大手術の後、病院を後にする2人。徹也が良一に言います。「死ぬなよ」と。お互いに百歳まで生き、そして直美のことを覚えていよう、と良一の腕を握って訴えます。「同盟を結ぼう。おれたちは十五歳だから、一五(いちご)同盟だ。男と男の約束だぞ」と。もちろん良一は同意します。生きると誓います。

 

 死をもって生きることの尊さを思い知らされる、素晴らしい作品です。タイトルが「いちご同盟」だし、文章の合間にイチゴのマークが印されているし、こいつはありきたりなさわやか青春ストーリーで、2人の男子が1人の女子を好きになって奪い合いとなり、やがて主人公はヒロインと結ばれてハッピーエンド、ちゃんちゃん(^.^)/~~~、てな軽い軽い、そしてイチゴみたいに甘いあまーい読み物かと高をくくって読み始めたら、とんでもないことでした。良い意味で、ものの見事に裏切られました。

 特に、いよいよ直美が危ない、という状況下。深夜近くに帰宅したものの、眠れない長い夜を覚悟した良一がピアノに向かう場面の描写は、鳥肌無しには読み進めません。ベートーヴェンの十五番のソナタ『田園』を弾くわけですが、この曲は「同じタイトルの有名な交響曲第六番と異なり、演奏されることが少ない、目立たない曲」とのことで、良一自身、「ひたすら穏やかで何の感動もない、音による風景画」と酷評していたのです。しかし「曲の勝手な解釈を許さず、正確なテンポ」で演奏するうちに、この『田園』という曲の深さに初めて気付きます。弾き進めるうちに、わざと抑揚をつけ、テンポを崩して、感情をこめようとしていた自分の演奏を恥じ入ります。

さらに、けっして乱れない規則的なテンポの中に、命の鼓動を見出します。単調で、変化がないからこそ、生きていると実感できるような命のリズムをこの曲はとらえている・・・。それを知ることで、良一は、平凡で抑揚も無く過ぎていく毎日の中に、生きる事のすばらしさを悟ります。そしてそれこそは、直美が切望しても叶わないものだ、とも。

演奏終了後、レッスン室のドアを半ば開けて、驚きの表情で演奏を目の当たりにしていた母親の姿を見つけた良一。いままで受け入れられなかった母の教えが正しかったことも、初めて理解します。

 「このシーンは、良一が直美の死を覚悟しながら、自らは『生きよう』と強く誓う、作品の中で最も重要な箇所だ」。ページをめくっては戻り、めくっては戻りを何度も繰り返しながら、そう思いました。芥川賞作家ってすごいなあ、と改めて思い知らされる言葉の力に、ただただ脱帽、平伏する思いでした。

 大切な「命」をお預かりする老健施設に勤める者の一人として、この「いちご同盟」という作品と出会えて、本当に良かったと思います。永遠ではないからこそ、そして一人に一つづつ与えられたものだからこそ、「命」はかけがえのない尊く美しいものだと、強烈に気付かされた名作です。おすすめの一冊です。

アントニオ猪木の日!?

  みなさん、元気ですかあーーー!元気があれば何でもできる・・・。でお馴染みなのは、そうです。アントニオ猪木さんです。プロレスの黎明期から全盛期を支え、放送時間には日本中の銭湯を空っぽにした(?)、押しも押されぬ・・・いや、押したり押されたり、投げたり投げられたり、蹴ったり蹴られたりしたけれど、とにかく人気プロレスラーです。もちろん今でも、絶大な人気と存在感を誇っておられます。

 とにかく猪木はすごかった。にっくきタイガー・ジェット・シンの腕をへし折り、巌流島で血まみれになりながらもマサ斉藤を絞め落とし、専売特許ともなった「アリキック」で、モハメッド・アリの脚を執拗に攻め続けた姿はまさに「燃える闘魂」そのもの。運動部員ならずとも、猪木に魂を注入された者達は「ヒンズースクワット」を何百回もやって、そして次の日筋肉痛で動けなくなったものでした。

そんな猪木が第1IWGP決勝戦。「イチバーン!」で有名(なに?知らない?)なハルク・ホーガンの必殺技、アックスボンバーを受けてリング下に沈んだ時、日本中に悲鳴が、そして「猪木コール」が響き渡りました。それでも気絶したままの猪木の意識は戻らず、無理矢理上げ戻されたリングで、だらしなく開いた口から伸びきった舌が垂れ下がり、リングをなめていました。まだ若かかった「ハッスルハッスル」の坂口征二がそんな猪木の頭をわしづかみにして、ガンガン揺さぶっていました(これ、とても危険です。真似しないで下さい)。にわかには信じがたいショッキングな光景でした。

そんなアントニオ猪木さん。プロレスを国民的人気スポーツにしただけでなく、みんなに夢と希望と、そして戦う勇気を与えてくれた功績は偉大です。老健を利用されている高齢者の中でも、プロレス観戦を趣味にされていた方は少なくありません。今でもビデオをお見せすると、当時を思い出しながら楽しくご覧になられます。

さて、今日は123日。だから、今日を「アントニオ猪木の日」にしてはどうか?と思うのです。この日にちなんで、全国各地でアレをやってはどうか、と。そうです。あれです。123日だから、「いーち、にぃーい、さぁーん、だぁあああああああ!!!」をやって、みんなで元気を出す、そんな日にしてはどうか、と。うん、これは我ながら名案だ・・・・・。

と、そう考えながら、今日はそもそもどんな日なんだろうか?と思って調べてみると、ガビーン☆=>=>=>(+_+。)なんと、故ジャイアント馬場さんの誕生日(1938)だったのでありました。アッポー。猪木の日じゃなくて、馬場の日だったとは(>_<)

ともかく元気があればなんでもできる。老健施設では土日も関係ありませんが、とりあえず一週間の始まりです。今週も元気に頑張りましょう。それではいいですかー、いーち、にぃーい、さぁーん、だぁあああああああヽ(^^)ノ!!!

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