雑談

幸せってなんだっけ?

  ”幸せって何だっけ?何だっけ?“というCMソングが以前ありました。明石家さんまさんが歌って踊って、調味料を宣伝していたやつです。そのCMにおいて、幸せとは、「その調味料が家庭にあること」と帰結していました。そりゃそうだ。CMですから。それにしてもこのCMとCMソング、流行りましたね。子供も大人も”しあわせぇーってなんだあっけなんだあっけ・・・”とツイスト(?)を踊りながらやってました。

 

 しかし、改めて「“幸せ”って何だろう?」と考えさせられてしまう記事がありました。120日の日本経済新聞の「経済教室」のコーナーです。「急がれる幸福度の指標整備:生活の質・持続可能性重視」と題したその記事の中で、経済協力開発機構(OECD)事務次長の玉木林太郎さんが、日本における幸福度について「客観的な指標は良いにもかかわらず、主観的な満足度が低い」と指摘していたのです。

 これによると、経済システムの機能にとどまらず、人々の生活水準に関心を寄せてきたOECDは、人々の幸福度やその向上を測定することを最優先課題に位置づけているのだそうです。それは、国内総生産(GDP)を代表とするマクロ経済統計だけでは、人々の社会経済状況の理解が困難だからであり、これを補完するためには、統計を整備し、人々の生活と直接関係を持つ指標が必要であるとのこと。そのためにOECD(1)生活の物資的な状況、(2)生活の質、(3)持続可能性といった相互の関連する3つの領域を検討対象とした分析の枠組みを作成した、とありました。

 このようにして幸福度の指標を整備する上での留意点の一つとして、玉木さんは「幸福度の客観的および主観的側面の双方を対象として考察する」ということをあげていました。それは、客観的構成要素は、人々の生活状況や生活の質を評価する場合に、そして主観的構成要素は、人々の心理的側面をとらえるためにそれぞれ重要だからだそうです。

 ところが、このような視点から日本における幸福度を見ると、所得、雇用、教育、健康など、客観的な指標においては、OECD平均を満たすか、これを超えるのに対し、主観的な満足度として、「全体として生活に満足しているか」と問われ、「満足している」と答える日本人は40%しかおらず、59%であるOECD平均を大きく下回る結果が出ているのだそうです。

 この原因として玉木さんは、「ゆとりの欠如や格差の拡大、人々の孤立や将来不安などが、主観的な満足度を引き下げている可能性がある」として、こうした点の解明や、問題点の改善が重要な政策課題になるであろう、と提起していました。

 

 それで、冒頭の”幸せって何だっけ?何だっけ?”というCMソングが頭の中で流れ始めたわけです。私たち老健に勤める者は、日常の仕事の中で、「生活の質」という言葉を少なからず用いますが、果たして「生活の質」とは、そして「幸せ」とは一体何でしょうか???つまり、私たち側が「利用者の〇〇さんにはこういうケアを行ったら、生きがいのある、幸せな生活が送れるだろう」と思って、それを実際に行ったとしても、肝心の〇〇さんが、「ああ、こういうケアをしてもらって、私は生きがいのある、幸せな生活を送ることができているなあ」と思われるかどうか?ということです。その客観的幸福度と、主観的幸福度の間に隔たりがあるとすれば、その原因を解明し、問題点を改善して、ケアのありかたを見直さなければならない、ということになります。

 調味料を買ってくれば済む問題ではありません。今後、幸福度の指標がどのように整備されていくか、関心を持って見守るとともに、私たち自身も「生活の質とは?」「幸せとは?」ということを常に問い続けながら、主客が高いレベルで一致するようなケアを目指していきたいと、この記事を読んで思いました。

冬ジゴロ?

  ”ふゆじごろ“という言葉があります。ありますが、あの広辞苑には、ありません。”ジゴロ“というフランス語だったら「女にたかって生活する男。転じて、男妾。ひも」と載っています。寒くない季節だったら何とか頑張れるけど、寒い冬になったら女性のもとに泣きついていく頼りない男のことでしょうか?うーん、当たらずといえども遠からず、かなあ・・・!?

なぜ広辞苑に載っていないのか?それは、「ふゆじごろ」が宮崎の方言だからです。したがって、『新宮崎市方言辞典』(江南書房)にはちゃーんと載っているのです。この「ふゆじごろ」の意味とは、その意味とは・・・ドロドロドロドロドロドロ(ドラムロールの音のつもりです(^_^;)

 そうです。「寒がりや」という意味です。もったいぶって言うまでもないですね。あと、「不精者」という意味合いもあるそうです。日照時間、快晴日数ともに全国トップクラスの宮崎といえども、寒いときゃあ寒いんです。布団から出たくない朝だってあるんです。そんなときに、「んだまあ、わりゃあなんちゅうふゆじごろじゃろか!はよおけにゃめしゃねなっど!!」(まあこれは驚いたことだよ、あなたは何と言う寒がりやなのでしょうか!早く起床しなければ食事が無くなってしまいますよ!!)と、たたき起こされたことはないでしょうか。

老健を利用されている利用者の皆さんなら、「ふゆじごろ」という言葉をご存知の方も多いと思います。しかし、実際に「ふゆじごろ」だったという方は少ないのではないでしょうか。「1日も休まんで、朝から晩まで一生懸命しごつ(=仕事)したつよ。夏でん冬でん関係あろか」と笑って話されるのをよく耳にしますが、今の日本があるのは、人生の大先輩であるこれらの方々のご尽力のたまものと、感謝と畏敬の念にたえません。そう思うと、「じゃつよな(=そうだよなあ)!俺もこうしちゃおれん、ふゆじごろじゃいかん!!」と布団を蹴り飛ばして起き上がります。皆さんもレッツ「ふゆじごろ“」!!

ところで、そんな宮崎にあって、冬夏関係無く、一年中ずーっと寒いところがあるのをご存知でしょうか?冷凍庫の中とか、「俺の財布の中身か!?」とか、そんなんじゃあありません。今をさかのぼること12年前、今年と同じ辰年のことでした。「一年中寒い」その場所に世界各国の外相が一堂に会し、熱い議論を交わしたのです。熱い議論を交わしてもなお寒かったというその場所とは、その場所とは・・・ドロドロドロドロドロドロ(-_-;)

 そうです。「ワールドコンベンションセンター・さみっと(≒寒ぃっと)」・・・?(-o-)/うわぁー、やっちゃったー!もちろん正しくは「サミット(summit」です。ご周知の通り、「さみぃ」も「寒い」という意味の宮崎の方言です。「明日は寒いのだそうですよ」は「明日はさみっとよ」と表現します(´・ω・`)。はぁー、さみぃさみぃ。

無骨

 NHK大河ドラマ「平清盛」が始まりました。その影像の「美しさ」、あるいは「美しくなさ」についてはすったもんだがあったのは周知の通りですが、松山ケンイチ扮する主人公、清盛を見ていて思わず「”無骨“だなあ」と思ったのでした。不作法、無風流、そして骨太・・・・・ん!?

 「骨が無い」と書く「無骨(ぶこつ)」が、なんで「骨が太い」と書く「骨太(ほねぶと)」に結びつくんだろう?骨が無かったらクニャクニャじゃん!?普段何気なく使っている言葉なのに、妙な違和感が湧いてきました。「こいつ、なかなか骨があるわい」とは言うけれど、「こいつ、なかなか骨がないわい」とは言いませんよね。

 そこで、『知ってるようで知らない日本語』(柴田武、ごま書房)を調べてみると、ありました。「無骨」には同義の和語である「こちなし」に漢字を当てて、それを音読みして生まれた言葉なのだそうです。

この「こちなし」を更に『詳解古語辞典』(佐藤定義編、明治書院)で調べると「こちなし【骨こちなし】:美的に洗練されていない、無風流だ。無骨だ」とありました。だから、”骨のある無骨な男“というと一見矛盾しているが、意味の上では矛盾しないとのこと。うーん、納得。

これとは少し違いますが、ちょっと失敗をやらかしたりした時など、思わず「あいた、しまった!」と口にすることがあります。これなんかも「こらこら!!それは開いたのか?それとも閉まったのか?どっちなんだ??」と突っ込まれそうですね。日本語って、奥が深いなあ。

離床センサーに思う

  117日の宮崎日日新聞に、「離床センサーで高齢者徘徊防止」という記事が大きく取り上げられていました。宮崎市の会社が認知症高齢者の徘徊などを未然に防ぐセンサーを開発し、本格販売を始めたという内容です。

 このセンサーの特徴は、高齢者のベッド上での動きを赤外線センサーで検知するというところ。熱の移動を検知するセンサーと、距離を測定するセンサーの2種類で、寝返りなどの動きと、起き上がる動作を別々に検知し、従来の離床センサーに比べ、高齢者の起き上がりをより迅速に、なおかつに正確に把握できるのだそうです。すごいです。

すでに宮崎市内の介護施設でも導入されているというこのセンサー、1ヶ月の無料貸し出しも実施しているとありました。宮崎の技術力、あっぱれなり!と思いました。その一方で、これを使う側の介護技術の力も試されるのだ、とも思ったのでした。

つまり、センサーが離床の動きを正確に、いち早く介護者に知らせることができたとして、さあ、それから介護者はどのような行動を起こすか?ということです。今まさに離床せんとされている高齢者のもとに急行し、「〇〇さん、立ったらあぶないが。歩いてひっこけて骨どん折ったらおおごっちゃ。寝ちょかんね」とベッドに押さえつけてしまっては、無理矢理寝かされてしまった方にとってはたまったものではありません。そんな使い方は、身体を思いのままに動かす自由を拘束する行為に他なりません。

その方がベッドから起き上がって、何をしたいのか?歩いてどこへ行きたいのか?そのために必要な介助は何か?大事なのはそこだと思います。これを正しく理解して、適切な援助をすることにより、安全、安心、そして迅速に行きたいところへ行き、やりたいことをやれれば、得られる満足もひとしおなのではないでしょうか。そしてそのことにより、介助する人と介助される人との信頼関係が深まる・・・。このセンサーを用いる本質的な意味はそこにあると思います。

このセンサーを開発する過程では、様々な試行錯誤、創意工夫があったことと思います。ならば、それを使う者も、それ相応の介護技術をもって臨む義務があるのではないでしょうか。いかなる便利な道具も、人に正しく使われて真の役目を果たすもの。誤った使い方をしたり、はたまた人が道具に使われるようになっては本末転倒です。優れた道具を正しく用いることでケアの向上をめざし、介護を受ける方々の生命や生活、そして人生の質の向上をはかることの重要性を再認識したニュースでした。

いちご同盟

  『いちご同盟』(河出文庫)は、芥川賞作家の三田誠広(みた まさひろ)さんの作品です。

主な登場人物は3人の15歳の男女。主人公の北沢良一は音楽高校に行きたい内気な中学3年生。生きる事に疑問を持ち、小学校5年生で自殺した男の子が飛び降りた団地の踊り場に行っては、その壁に書いてあった「どうせみんな死んでしまうんだ」というメッセージを思い出すのです。曲の勝手な解釈を許さず、正確なテンポを要求するピアノ教師の母は、表現豊かに弾きたいという良一の演奏を良しとしません。年子の弟は私立中学のエリート。そんな中で自分とは一体何なんだろうか?と悩む良一の愛読書3冊はいずれも自殺した人が著したもの。

 同じ中学に通う長身の羽根木徹也は野球部のエースで4番。女子生徒からの人気も絶大。その徹也が音楽室でピアノを弾いている良一を訪れ、試合の様子をビデオ撮影してくれ、ただし自分だけを撮ってくれ、女子は撮すな、と注文をつけて頼むところから物語は始まります。

 そのビデオは、徹也の幼なじみで、悪性腫瘍のため入院、片足を太ももから切断した上原直美に見せるためのものでした。自分の活躍を見て、直美に元気になって欲しいと。小学校の頃の直美は成績優秀、バレエや新体操を習い、高校に行ったら小説も書きたいなど、いろんな夢、やりたいことがいっぱいあったのでした。活発で、大きな瞳が愛らしい直美は、徹也がふざけて撮影した良一のピアノ演奏に感動。ベッド横のビデオで何度も繰り返し聴き、そして言葉を交わします。生きる意味を見いだせない良一に、直美は「可能性がある人がうらやましい。自殺のことを考えるなんて、贅沢だわ」ときっぱり。やがて直美は、良一に恋心を抱きます。直美を心の支えとする徹也もそれを応援し、直美を励ましながら、徹也には直美を見舞ってやってくれと頼みます。

 しかし、無慈悲にも病は進行し、腫瘍は腋の下のリンパ節に転移。さらに肺にまで触手を伸ばしていきます。大手術の後、病院を後にする2人。徹也が良一に言います。「死ぬなよ」と。お互いに百歳まで生き、そして直美のことを覚えていよう、と良一の腕を握って訴えます。「同盟を結ぼう。おれたちは十五歳だから、一五(いちご)同盟だ。男と男の約束だぞ」と。もちろん良一は同意します。生きると誓います。

 

 死をもって生きることの尊さを思い知らされる、素晴らしい作品です。タイトルが「いちご同盟」だし、文章の合間にイチゴのマークが印されているし、こいつはありきたりなさわやか青春ストーリーで、2人の男子が1人の女子を好きになって奪い合いとなり、やがて主人公はヒロインと結ばれてハッピーエンド、ちゃんちゃん(^.^)/~~~、てな軽い軽い、そしてイチゴみたいに甘いあまーい読み物かと高をくくって読み始めたら、とんでもないことでした。良い意味で、ものの見事に裏切られました。

 特に、いよいよ直美が危ない、という状況下。深夜近くに帰宅したものの、眠れない長い夜を覚悟した良一がピアノに向かう場面の描写は、鳥肌無しには読み進めません。ベートーヴェンの十五番のソナタ『田園』を弾くわけですが、この曲は「同じタイトルの有名な交響曲第六番と異なり、演奏されることが少ない、目立たない曲」とのことで、良一自身、「ひたすら穏やかで何の感動もない、音による風景画」と酷評していたのです。しかし「曲の勝手な解釈を許さず、正確なテンポ」で演奏するうちに、この『田園』という曲の深さに初めて気付きます。弾き進めるうちに、わざと抑揚をつけ、テンポを崩して、感情をこめようとしていた自分の演奏を恥じ入ります。

さらに、けっして乱れない規則的なテンポの中に、命の鼓動を見出します。単調で、変化がないからこそ、生きていると実感できるような命のリズムをこの曲はとらえている・・・。それを知ることで、良一は、平凡で抑揚も無く過ぎていく毎日の中に、生きる事のすばらしさを悟ります。そしてそれこそは、直美が切望しても叶わないものだ、とも。

演奏終了後、レッスン室のドアを半ば開けて、驚きの表情で演奏を目の当たりにしていた母親の姿を見つけた良一。いままで受け入れられなかった母の教えが正しかったことも、初めて理解します。

 「このシーンは、良一が直美の死を覚悟しながら、自らは『生きよう』と強く誓う、作品の中で最も重要な箇所だ」。ページをめくっては戻り、めくっては戻りを何度も繰り返しながら、そう思いました。芥川賞作家ってすごいなあ、と改めて思い知らされる言葉の力に、ただただ脱帽、平伏する思いでした。

 大切な「命」をお預かりする老健施設に勤める者の一人として、この「いちご同盟」という作品と出会えて、本当に良かったと思います。永遠ではないからこそ、そして一人に一つづつ与えられたものだからこそ、「命」はかけがえのない尊く美しいものだと、強烈に気付かされた名作です。おすすめの一冊です。

アントニオ猪木の日!?

  みなさん、元気ですかあーーー!元気があれば何でもできる・・・。でお馴染みなのは、そうです。アントニオ猪木さんです。プロレスの黎明期から全盛期を支え、放送時間には日本中の銭湯を空っぽにした(?)、押しも押されぬ・・・いや、押したり押されたり、投げたり投げられたり、蹴ったり蹴られたりしたけれど、とにかく人気プロレスラーです。もちろん今でも、絶大な人気と存在感を誇っておられます。

 とにかく猪木はすごかった。にっくきタイガー・ジェット・シンの腕をへし折り、巌流島で血まみれになりながらもマサ斉藤を絞め落とし、専売特許ともなった「アリキック」で、モハメッド・アリの脚を執拗に攻め続けた姿はまさに「燃える闘魂」そのもの。運動部員ならずとも、猪木に魂を注入された者達は「ヒンズースクワット」を何百回もやって、そして次の日筋肉痛で動けなくなったものでした。

そんな猪木が第1IWGP決勝戦。「イチバーン!」で有名(なに?知らない?)なハルク・ホーガンの必殺技、アックスボンバーを受けてリング下に沈んだ時、日本中に悲鳴が、そして「猪木コール」が響き渡りました。それでも気絶したままの猪木の意識は戻らず、無理矢理上げ戻されたリングで、だらしなく開いた口から伸びきった舌が垂れ下がり、リングをなめていました。まだ若かかった「ハッスルハッスル」の坂口征二がそんな猪木の頭をわしづかみにして、ガンガン揺さぶっていました(これ、とても危険です。真似しないで下さい)。にわかには信じがたいショッキングな光景でした。

そんなアントニオ猪木さん。プロレスを国民的人気スポーツにしただけでなく、みんなに夢と希望と、そして戦う勇気を与えてくれた功績は偉大です。老健を利用されている高齢者の中でも、プロレス観戦を趣味にされていた方は少なくありません。今でもビデオをお見せすると、当時を思い出しながら楽しくご覧になられます。

さて、今日は123日。だから、今日を「アントニオ猪木の日」にしてはどうか?と思うのです。この日にちなんで、全国各地でアレをやってはどうか、と。そうです。あれです。123日だから、「いーち、にぃーい、さぁーん、だぁあああああああ!!!」をやって、みんなで元気を出す、そんな日にしてはどうか、と。うん、これは我ながら名案だ・・・・・。

と、そう考えながら、今日はそもそもどんな日なんだろうか?と思って調べてみると、ガビーン☆=>=>=>(+_+。)なんと、故ジャイアント馬場さんの誕生日(1938)だったのでありました。アッポー。猪木の日じゃなくて、馬場の日だったとは(>_<)

ともかく元気があればなんでもできる。老健施設では土日も関係ありませんが、とりあえず一週間の始まりです。今週も元気に頑張りましょう。それではいいですかー、いーち、にぃーい、さぁーん、だぁあああああああヽ(^^)ノ!!!

キッチンで農業を

 「キッチンで野菜栽培」という見出しが、17日の日本経済新聞にありました。某大手電気機器メーカーが、家庭菜園向けの植物ミニプラント事業を始めるという記事で、植物工場の技術を活用した栽培用の小型装置を発売するのだそうです。おおーっ、すごい。

 記事によると、同社は果物や野菜の栽培装置と育成管理サービスを一体で販売するとのこと。この装置のすごいのは、クラウドコンピューティング技術を用い、ネットワーク経由で温度や湿度、養液投与量などを管理するというところです。だから初心者でも育てやすいのが特徴とのこと。また、システムキッチンに組み込めるだけでなく、屋外で複数台を組み合わせることもできるそうです。

 同社はこの装置を2012年度中に発売するそうですが、「有機野菜を購入するなど食の安全に気を使う顧客を想定」していると記事にはありました。しかし、これを読んで「果物や野菜を作ることを楽しむ人」や、「果物や野菜を作っていた人」にも使えるんじゃないか?と思いました。

 農業が基幹産業の宮崎県。老健を利用されている方々においても農業に携わっておられた高齢者も少なくありません。このような方にとって、安全に「作る」ことができて、安心して「食べる」ことの両方が楽しめる、というのは2倍のおいしさがあるのではないでしょうか。しかも、種をまいてから収穫するまでの期間も3割短縮できるとのこと。うーん、なんかいいなあ。

 ただし、装置1台の価格は60万円(>_<)。そのため、月14000円でのリースもあるとのこと。宣伝するわけではありませんが、今後の事業展開の行方に興味津々です。

あたたかい唄

  寒い日が続いています。21日はいよいよ大寒ですから寒いはずです。そして、寒い季節には「あたたかい唄」を歌ったり、聴いたりしたくなるものです。そんな時、宮崎にはお薦めの「あたたかい唄」があります。その唄は、その唄の名前は「的射節」(まといぶし)。

 

的は金の的 弓と矢は白木

放す間の面白や ハラヨイヨイホンニ

 

 この曲は椎葉の民謡で、CDアルバム『ふるさとの旋律(うた)を訪ねて』(宮崎放送制作)の解説によると、白鳥神社の春の祭りの「競射」の場で、にぎやかに歌いはやされる掛け唄だそうです。いかにも椎葉の唄だなあ、と感じるのは次の歌詞。

 

的を射りたきゃ 手元をしゃんと

那須の与一の 末じゃもの

 

 屋島の戦い(1185年:元暦2年)で、小舟に掲げた扇を射落としたことで知られる弓の名手、那須与一が登場します。

そして何といってもこの唄を聞いていていいなあ、と思うのは、その独特な旋律です。宮崎県には約400曲の民謡があると言われていますが、他の地域のどの曲とも似ていない、哀愁感に満ち溢れる素晴らしい唄です。同アルバムには全国的に有名な「ひえつき節」の他、椎葉の民謡が数曲収められていますが、それらの中でもこの「的射節」と「椎葉秋ぶし」「奥山節」(おくやまぶし)の3曲は特にその旋律がとても美しく感じると同時に、ものすごーく難しい唄だと思います。「歌い手を選ぶ曲」とでも言ったらいいのでしょうか、楽譜に書き表そうと思ったら、細かい音符を五線譜をたくさんちりばめなければならないような、非情に複雑なものになりそうです。いずれにせよ、何度聞いても感動してしまう名曲です。

 

さて、この「的射節」のどこがあたたかいのか?ということなのですが、それは唄の最後の部分です。「ハラヨイヨイホンニ」に続いて「あたたかーい!!」と大きな呼びかけ声が入ります。「あたたかーい!!」と・・・・・ん?

そうです。本当は「暖かーい!!」ではなくて、「当たったかーい?」です。的に矢が当たったかどうかを、的の近くにいる人に大きな声で尋ねているわけです。目視では確認できないくらい、よっぽど遠く離れた的を狙って射ったのだなあ、と想像させられます。

この「的射節」を初めて聴いたのが、たまたま寒い日で、しかも他の事をしながら何気なく聴いていたものですから、突然「あた(っ)たかーい?」という威勢の良い声が耳に飛び込んで来てびっくり、そして「暖かーい!!」と聴き間違ってしまったのです。すぐに聴きなおして誤りに気づき赤面したのですが、寒い朝が辛いときなどには、この「的射節」を思い出し、誤り承知の上で「あたたかーい!!」と叫んで、それからこの名曲を聴いてみるのです。そうすると、やっぱり暖かくなります。心が「ぽっ」と温もって来るのです。願わくば歌えるようになれば、もっと暖かくなるのでしょうが、この曲、本当に難しいです。

そんなこんなで勘違いをしはしましたが、この「的射節」、絶対にお勧めです。一度、耳を傾けてみられてはいかがでしょうか。

チックタックは今?

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 柱時計です。ボンボン時計とも言います。名曲「大きなのっぽの古時計」に出てくるやつです。昔はだいたいの家の柱に一つは掛かっていたのではないでしょうか。懐かしがられる高齢者も少なくないはず。

 この柱時計、何を動力源にして動いていたかというと、ゼンマイです。漢字で書くと「発条(もしくは撥条)」です。文字盤の下の方に穴が2つあいていて、片方が振子を動かすゼンマイ、もう片方が「ボーン、ボーン」と鐘を打つためのゼンマイ。鐘の音がうるさくて嫌な家庭では、振子の方だけ巻いていました。ゼンマイ巻きは振子のある小部屋の横に掛けられていて、それをゼンマイの穴に突っ込んで、ギリリ、ギリリと巻いていました。巻きすぎるとゼンマイは切れますから、慎重に巻いていたものでした。

 

 だけど、本当はゼンマイじゃないんです、柱時計を動かしていたのは。それは「チック」と「タック」という2人の小さな小さな子供たち。彼らが振子の中に潜んでいて、二人で「チックタック」と言いながら振子をぶらーん、ぶらーんと揺らしていたのです。千葉省三さんの名作「チックタック」にはちゃんとそう書いてあります。それによると、夜の12時の鐘が鳴ると、「チックタック」の音が止まり、振子の中から彼らが出てくるのです。そして、「チック」と「タック」は家の中で遊んだり、いたずらしたり、台所の料理を食べあさったりしていたわけです。この話の中では、わさびのきいたお寿司を食べてのどをからした2人が、翌朝は「ヂックダッグ」と悲しげな音を出すことになってしまったのですが・・・。

 

 その真意はさておき、写真の柱時計、なーんかおかしい。そうです。ゼンマイを巻くための穴(2か所)が無いんです。これこそ「チック」と「タック」が動かしているのか???

 

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↑ここに穴があるはずなのに・・・(>_<)???

 

 と思ったら、なーんと電池で動いているのでありました<(^´)>。振子も電池で動いているのでありました。振子の周期が長さで決まる事を利用して発明された柱時計なのに、これじゃあ本末転倒じゃん(+o+) 

 

 

DSCN1276.JPG まあまあ、仕方ないじゃあありませんか。これもまた時計の、いや時代の流れというものでしょう。子供だった「チック」も「タック」も、もう既に相当な年齢に達していると思われます。振子の中の世界で、介護保険制度が施行されているかどうかはわかりませんが、そろそろ彼らをゆっくりさせてあげてもよいのではないでしょうか。ゆりかごみたくゆらゆら揺れる振子の中で、2人がのんびり外界を眺めながら「昔と今はずいぶん違うよなあ、チック」「そうだねぇタック、俺たちもお寿司のおいしさがわかるようになったしねえ」などと語り合っているかもしれませんね。

あの日を忘れない

  今日は117日。17年前のこの日、午前546分に阪神淡路大震災は起こりました。テレビもラジオも一斉にその報道に切り替わり、朝が明けてくるにつれて、その被害のすさまじさも続々と伝えられ始めました。崩壊した建物、倒れた高速道路、至る所で立ち上がる炎と煙・・・。そんな中で呆然と立ちすくむ人達の姿に、我が目を疑うしかありませんでした。6434人の尊い命が犠牲になりました。

 本当に大変な災害でしたが、そんな中で、手を取り合って、人々は復興へ向けてたくましく歩み始めました。その影像に、「涙の数だけ強くなろうよ アスファルトに咲く花のように」と岡本真夜さんが歌う「tomorrow」が重なり、流れ出る涙を止めることができませんでした。

 震災のみならず、自然災害は過去のものではありません。昨年311日には、あの東日本大震災・・・。災害は繰り返されるものであり、それがいつ、どこで起こるかも予測困難です。これに対して「100パーセント、絶対に、確実に安全だ!!」という保証は無いのだと肝に銘じないといけません。

 「想定外だった」では済まされません。自然災害を未然に止めることも極めて困難です。過去に起こった災害を教訓にして、これから起こるであろう災害に備えることが肝要です。

 被災地をはじめ、各地で震災の記憶を風化させないための行事がありますが、私たち一人一人も、今日という日を防災、減災への備えの重要性を再認識するための、そんな117日にしたいと思います。

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