雑談

キッチンで農業を

 「キッチンで野菜栽培」という見出しが、17日の日本経済新聞にありました。某大手電気機器メーカーが、家庭菜園向けの植物ミニプラント事業を始めるという記事で、植物工場の技術を活用した栽培用の小型装置を発売するのだそうです。おおーっ、すごい。

 記事によると、同社は果物や野菜の栽培装置と育成管理サービスを一体で販売するとのこと。この装置のすごいのは、クラウドコンピューティング技術を用い、ネットワーク経由で温度や湿度、養液投与量などを管理するというところです。だから初心者でも育てやすいのが特徴とのこと。また、システムキッチンに組み込めるだけでなく、屋外で複数台を組み合わせることもできるそうです。

 同社はこの装置を2012年度中に発売するそうですが、「有機野菜を購入するなど食の安全に気を使う顧客を想定」していると記事にはありました。しかし、これを読んで「果物や野菜を作ることを楽しむ人」や、「果物や野菜を作っていた人」にも使えるんじゃないか?と思いました。

 農業が基幹産業の宮崎県。老健を利用されている方々においても農業に携わっておられた高齢者も少なくありません。このような方にとって、安全に「作る」ことができて、安心して「食べる」ことの両方が楽しめる、というのは2倍のおいしさがあるのではないでしょうか。しかも、種をまいてから収穫するまでの期間も3割短縮できるとのこと。うーん、なんかいいなあ。

 ただし、装置1台の価格は60万円(>_<)。そのため、月14000円でのリースもあるとのこと。宣伝するわけではありませんが、今後の事業展開の行方に興味津々です。

あたたかい唄

  寒い日が続いています。21日はいよいよ大寒ですから寒いはずです。そして、寒い季節には「あたたかい唄」を歌ったり、聴いたりしたくなるものです。そんな時、宮崎にはお薦めの「あたたかい唄」があります。その唄は、その唄の名前は「的射節」(まといぶし)。

 

的は金の的 弓と矢は白木

放す間の面白や ハラヨイヨイホンニ

 

 この曲は椎葉の民謡で、CDアルバム『ふるさとの旋律(うた)を訪ねて』(宮崎放送制作)の解説によると、白鳥神社の春の祭りの「競射」の場で、にぎやかに歌いはやされる掛け唄だそうです。いかにも椎葉の唄だなあ、と感じるのは次の歌詞。

 

的を射りたきゃ 手元をしゃんと

那須の与一の 末じゃもの

 

 屋島の戦い(1185年:元暦2年)で、小舟に掲げた扇を射落としたことで知られる弓の名手、那須与一が登場します。

そして何といってもこの唄を聞いていていいなあ、と思うのは、その独特な旋律です。宮崎県には約400曲の民謡があると言われていますが、他の地域のどの曲とも似ていない、哀愁感に満ち溢れる素晴らしい唄です。同アルバムには全国的に有名な「ひえつき節」の他、椎葉の民謡が数曲収められていますが、それらの中でもこの「的射節」と「椎葉秋ぶし」「奥山節」(おくやまぶし)の3曲は特にその旋律がとても美しく感じると同時に、ものすごーく難しい唄だと思います。「歌い手を選ぶ曲」とでも言ったらいいのでしょうか、楽譜に書き表そうと思ったら、細かい音符を五線譜をたくさんちりばめなければならないような、非情に複雑なものになりそうです。いずれにせよ、何度聞いても感動してしまう名曲です。

 

さて、この「的射節」のどこがあたたかいのか?ということなのですが、それは唄の最後の部分です。「ハラヨイヨイホンニ」に続いて「あたたかーい!!」と大きな呼びかけ声が入ります。「あたたかーい!!」と・・・・・ん?

そうです。本当は「暖かーい!!」ではなくて、「当たったかーい?」です。的に矢が当たったかどうかを、的の近くにいる人に大きな声で尋ねているわけです。目視では確認できないくらい、よっぽど遠く離れた的を狙って射ったのだなあ、と想像させられます。

この「的射節」を初めて聴いたのが、たまたま寒い日で、しかも他の事をしながら何気なく聴いていたものですから、突然「あた(っ)たかーい?」という威勢の良い声が耳に飛び込んで来てびっくり、そして「暖かーい!!」と聴き間違ってしまったのです。すぐに聴きなおして誤りに気づき赤面したのですが、寒い朝が辛いときなどには、この「的射節」を思い出し、誤り承知の上で「あたたかーい!!」と叫んで、それからこの名曲を聴いてみるのです。そうすると、やっぱり暖かくなります。心が「ぽっ」と温もって来るのです。願わくば歌えるようになれば、もっと暖かくなるのでしょうが、この曲、本当に難しいです。

そんなこんなで勘違いをしはしましたが、この「的射節」、絶対にお勧めです。一度、耳を傾けてみられてはいかがでしょうか。

チックタックは今?

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 柱時計です。ボンボン時計とも言います。名曲「大きなのっぽの古時計」に出てくるやつです。昔はだいたいの家の柱に一つは掛かっていたのではないでしょうか。懐かしがられる高齢者も少なくないはず。

 この柱時計、何を動力源にして動いていたかというと、ゼンマイです。漢字で書くと「発条(もしくは撥条)」です。文字盤の下の方に穴が2つあいていて、片方が振子を動かすゼンマイ、もう片方が「ボーン、ボーン」と鐘を打つためのゼンマイ。鐘の音がうるさくて嫌な家庭では、振子の方だけ巻いていました。ゼンマイ巻きは振子のある小部屋の横に掛けられていて、それをゼンマイの穴に突っ込んで、ギリリ、ギリリと巻いていました。巻きすぎるとゼンマイは切れますから、慎重に巻いていたものでした。

 

 だけど、本当はゼンマイじゃないんです、柱時計を動かしていたのは。それは「チック」と「タック」という2人の小さな小さな子供たち。彼らが振子の中に潜んでいて、二人で「チックタック」と言いながら振子をぶらーん、ぶらーんと揺らしていたのです。千葉省三さんの名作「チックタック」にはちゃんとそう書いてあります。それによると、夜の12時の鐘が鳴ると、「チックタック」の音が止まり、振子の中から彼らが出てくるのです。そして、「チック」と「タック」は家の中で遊んだり、いたずらしたり、台所の料理を食べあさったりしていたわけです。この話の中では、わさびのきいたお寿司を食べてのどをからした2人が、翌朝は「ヂックダッグ」と悲しげな音を出すことになってしまったのですが・・・。

 

 その真意はさておき、写真の柱時計、なーんかおかしい。そうです。ゼンマイを巻くための穴(2か所)が無いんです。これこそ「チック」と「タック」が動かしているのか???

 

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↑ここに穴があるはずなのに・・・(>_<)???

 

 と思ったら、なーんと電池で動いているのでありました<(^´)>。振子も電池で動いているのでありました。振子の周期が長さで決まる事を利用して発明された柱時計なのに、これじゃあ本末転倒じゃん(+o+) 

 

 

DSCN1276.JPG まあまあ、仕方ないじゃあありませんか。これもまた時計の、いや時代の流れというものでしょう。子供だった「チック」も「タック」も、もう既に相当な年齢に達していると思われます。振子の中の世界で、介護保険制度が施行されているかどうかはわかりませんが、そろそろ彼らをゆっくりさせてあげてもよいのではないでしょうか。ゆりかごみたくゆらゆら揺れる振子の中で、2人がのんびり外界を眺めながら「昔と今はずいぶん違うよなあ、チック」「そうだねぇタック、俺たちもお寿司のおいしさがわかるようになったしねえ」などと語り合っているかもしれませんね。

あの日を忘れない

  今日は117日。17年前のこの日、午前546分に阪神淡路大震災は起こりました。テレビもラジオも一斉にその報道に切り替わり、朝が明けてくるにつれて、その被害のすさまじさも続々と伝えられ始めました。崩壊した建物、倒れた高速道路、至る所で立ち上がる炎と煙・・・。そんな中で呆然と立ちすくむ人達の姿に、我が目を疑うしかありませんでした。6434人の尊い命が犠牲になりました。

 本当に大変な災害でしたが、そんな中で、手を取り合って、人々は復興へ向けてたくましく歩み始めました。その影像に、「涙の数だけ強くなろうよ アスファルトに咲く花のように」と岡本真夜さんが歌う「tomorrow」が重なり、流れ出る涙を止めることができませんでした。

 震災のみならず、自然災害は過去のものではありません。昨年311日には、あの東日本大震災・・・。災害は繰り返されるものであり、それがいつ、どこで起こるかも予測困難です。これに対して「100パーセント、絶対に、確実に安全だ!!」という保証は無いのだと肝に銘じないといけません。

 「想定外だった」では済まされません。自然災害を未然に止めることも極めて困難です。過去に起こった災害を教訓にして、これから起こるであろう災害に備えることが肝要です。

 被災地をはじめ、各地で震災の記憶を風化させないための行事がありますが、私たち一人一人も、今日という日を防災、減災への備えの重要性を再認識するための、そんな117日にしたいと思います。

撓う(しなう)

  「撓う」と書いて「しなう」と読みます。『広辞苑』には「(弾力があって)しなやかにたわむ。しなる」とあります。「しなやか」・・・いかにも柔軟性があって、びよーん、びよーんとしたイメージがあります。

 この「撓」の字を冠した身体の部位があります。「橈骨」。「とうこつ」と読みます。前腕(肘から手の間)にある2本の骨のうち、親指側にある方の骨です。この橈骨のおかげで、人間は手のひらをヒラヒラと表裏に回すことができるのです(回外・回内と言います)。「キラキラ光るー、お空の星よー」と歌って踊る時の、あるいは、柳沢慎吾さんの代表的持ちネタで、事件現場に刑事がパトカーで来る時「ウーーーーッ」両手を回して赤色灯が回転している真似をする、あの動きです。さすれば、この「橈骨」、その名の通り、「弾力があって、しなやかで、たわんで、しなる」のか?いーえ、いーえ!そんなことは決してありません。高齢者が骨折しやすい骨の一つがこの橈骨。「橈骨遠位端骨折(とうこつえんいたんこっせつ)」といって、転んで手をついた時などに、この橈骨の手に近い部位を折ってしまいやすいのです。「びよーん、びよーん」なんてことはありません。

 「それじゃあ、転んで手をつかないようにすればいいじゃん」と寒さにまかせてポケットに手を突っ込んで歩けばいいのか・・・ブー!!!ダメです!もってのほかです。よけい危ないです。

 転ばないことが第一です。転倒予防の一環として、柔軟な身体、すなわち「撓う身体」作りに取り組むのはいいことだと思います。ストーブの前で丸くなっている猫を見ながら、「ああ、こいつは普段はこんなにしてるけど、いざ落下という時にはショワーンと身体を撓わせて、何事もないように着地するんだよなあ」と思いつつ、「橈」の文字を思い浮かべた次第でした。

ドッカーンはだめよ<(`^´)>

 本日、112日はどういう日かと、火山が大爆発を起こした日です。といっても、新燃岳ではありません。昨年、年間爆発回数が観測史上最多の996回となった桜島の話。今から98年前、1914年(大正3年)の今日、文明噴火(1471-76年)、安永噴火(1779年)と並び、桜島の「3大噴火」とされる大正噴火があったのが今日なのだそうです。128日の朝日新聞によれば、その時の大噴火では噴出物は東京ドーム約1600個分の20億立方メートル!噴煙は上空1万メートル以上の成層圏まで達したそうです。この噴火で58人が犠牲となり、桜島と大隅半島は陸続きになったのだそうです。なんともおぞましいことです。しかもカレンダーを見ると、本日はなんと赤口<`ヘ´>!大凶の日であるばかりでなく、「赤い口」という文字自体が、火山の火口を連想させるようで、どうにも気持ちがよいものではありません。

 どうかどうか、再び大噴火が起こらないことを祈るばかりです。昨年、あの新燃岳が噴火を始めた119まであとちょうど一週間。どうぞ何事も起こりませんように。神頼みだけでなく、報道などにも注意しながら、なりゆきを見守りたいと思います。

ブッチャー引退(ToT)/~~~

 いやあ、びっくりしました。「黒い呪術師」ことプロレスラーのアブドーラ・ザ・ブッチャーが引退を表明したとのこと。御年とって71。引退することよりも、いまだに現役を続けておられていたことに驚きです。キャリア41年!すごい!!。

 思えばブッチャーの存在無しには、日本のプロレス人気はなかったと言っても過言ではないでしょう。ジャイアント馬場アントニオ猪木が白いマットのジャングルに君臨し、不動の人気を得ていたその頃、ブッチャーは本当に恐ろしく、憎たらしい存在でした。186?、150キロの巨体に似合わない俊敏な動き。レフェリー以外のすべての観客や視聴者にわかるように使いこなす残虐な凶器攻撃。真似したら絶対に突き指してしまうだろう、と思われる「地獄突き」。椅子は投げるわフェンスは壊すわのやりたい放題。馬場や猪木が打ちのめされている画面に食い入るように見いていると、隣の家のおばあちゃんが「こらー!ばばーっ!頑張らんかー!!」と絶叫しているのが聞こえていました。そして悪事の限りをやり尽くしたブッチャーが、満身創痍の馬場や猪木に逆転の必殺技を受けてマットに沈むと、日本国中が歓喜の渦に包まれたものでした。

 その様子は今でもユーチューブなどの動画で鑑賞することができますが、それを見ていてわかるのは、いかにブッチャーが当時のプロレス界を盛り立てていたか、ということです。自分は「最凶」の嫌われ役に徹し、そのことで馬場や猪木がブラウン管の中でさん然と輝くことができたのだと思います。当時は反則攻撃ばかりに目がいっていましたが、今、見直してみると、ブッチャーの攻撃のされ方が非常に優れていて、見ている人の興奮と感動を究極まで高めるような、そんなやられ方をしていたんだなあ、と思います。

 老健を利用されている高齢者の方々でも、昔プロレス観戦が大好きだった方も少なからずおられます。それは、馬場や猪木などのヒーローがいたことはもちろん、その対極の位地に立って嫌われ、憎まれ続けたブッチャーの存在があったからだ、と今頃になって思えるようになりました。

 そんなブッチャー、いやブッチャーさん。最近は骨盤を痛め、尾てい骨の手術も受けたとのこと。彼こそ、だれよりもプロレスの魅力を熟知し、プロレスをこよなく愛していたんじゃないか、と思います。当時は本当に嫌いで、憎らしかったブッチャーさん。しかし、それはあなたがそう思わせるようにわざと振る舞っていたのですね。己の身体を酷使し、ぼろぼろになってしまうまで・・・。

 111日で71になられる大好きなブッチャーさん。嫌って、憎んでごめんなさい。そして何よりも、感動をありがとう!!と遅ればせながら今になってやっと言う事ができます。もし機会がありましたら、日本の老健施設をご利用の上、リハビリに取り組んでいただき、後進の指導に当たって下さるといいとも思います。「プロレスがテレビでやらんようになってさびしい」と嘆かれる高齢者は決して少なくありませんから。

頑張れ!ケアマネ研修!!

  いよいよ、いよいよです。113日から「平成23年度宮崎県介護支援専門員実務研修」が始まります。過去最低の合格率となったあの難しい試験を見事クリアされた皆様におかれましては、喜びもつかの間。これから前期3日間、後期3日間、合計44時間の研修に突入します。特に前期の2日目は午前8時半から午後6時半という長丁場です。体調管理に努め、万全の状態で研修に臨んでください。

 会場は、前期の1日目のみ宮崎観光ホテル(宮崎市)で開催されますが、その後はすべて宮崎市の宮崎県福祉総合センター人材研修館4階で行われます。この「宮崎県福祉総合センター」、場所がわかりにくいので、事前に確認をされますことをお勧めします。カーナビがあれば、それに従えばいいわけですが、開会時刻になっても到着できず、「そちらの場所はどこでしょうか?(゜ロ?)(/ロ゜)」という切迫した電話が会場かかってくることも皆無ではないようです。「研修実施要綱」には、「実務研修終了者とは、研修の全過程をすべて受講した者とします」と明記してあります。したがって、遅刻厳禁です。時間と気持ちに余裕を持って会場入りしましょう。

 研修は講義形式だけでなく、個人やグループでの演習、さらには各々が要介護者、家族、ケアマネージャーなどなどに扮して行われるロールプレイング形式での演習も行われます。さらに、前期と後期の間には、各々が実際に要介護の被保険者宅を訪問し、モニタリングから課題の抽出、ケアプランの策定まで行う個人実習もあり、決して楽なものではありません。

しかし、それら一連の研修を受ける中で、他の実習メンバーと情報を交換したり、悩みを相談しあったりすることができます。さらに、実施主体である一般社団法人宮崎県介護支援専門員協会の方々が、懇切丁寧に指導してくださいます。ファシリテーターと言われるこれらの方々は、実際にそれぞれの職場の第一線で活躍されていますから、受講者からの質問や悩みにも、時には自分の体験を交えながら具体的にわかりやすく、親身になって教えてくださいます。「研修実施要綱」に定めるこの研修の目的は「介護支援専門員として必要な知識、技能を有する介護支援専門員の養成を図ることを目的とする」とだけしかありませんが、受講した時間(とかかった費用)以上に、得るものがとてもとても大きい研修です。研修の最終日に「修了証明書」が発行されますが、そのことをきっと実感するはずです。

最期に、「もしドラ」で有名な「マネジメントの父」ことピーター・ドラッカー氏の「人の長所ではなく、短所ばかり目を向けるような人物は、マネージャーに昇格させるべきではない」という言葉をはなむけにおくります。ファイト!

 

市町村駅伝を応援しよう!

  いままでこんな大会があったでしょうか。宮崎県内全ての9143村から、小学生から50歳以上までの、脚に自慢の男女が大集合!宮崎県庁をスタート・ゴールとした総距離39.6kmを、各チーム12人がタスキをつなぐ・・・。そうです。19日は2回宮崎県市町村対抗駅伝競走大会(兼第54回宮崎県駅伝競走大会)が開かれます。

 かつての宮崎県駅伝競走大会でも、職場や学校、グループ等と共に市町村からの参加はあったのですが、出場できるのは男子のみ。しかも、たしか5000メートルを1659秒以内で走れることなど、厳しい参加資格がありました。したがって、走れる人はおのずと限られており、また、速いチームも例年決まっていて、そうでないところはタスキをつなぐことができず、多くのチームが白タスキをかけての一斉スタートとなっていました。

 それが昨年から大きくチェンジ!子どもから大人まで参加できる市町村対抗となったのです。チームが作れないところでは、郡単位での出場も認められていたのですが、全ての市町村から参加し、大いに盛り上がる大会となりました。

 今年の大会はさらにグレードアップ!小学生の女子にまで門戸が開かれ(2区間あります)、子どもから大人まで、各市町村を代表する健脚が一同に集う大会になりました。また、繰り上げスタートの制限も、ずいぶん緩和されているようです。主催の宮崎陸上競技協会と宮崎日日新聞社に加え、県内のマスコミ各社なども後援!これはますます賑やかになりそうです。

 号砲は午前10時ちょうど。まずは小学生男子が県庁前を一斉にスタートし、中村東の西村楽器大淀店に向けて、それぞれの市町村のタスキを運びます。その模様はインターネット(http://www.ekaze.info/)で生中継されるそうです。地元のチーム、あるいは出身地のチーム、はたまたお気に入りの選手がいるチームなど、ひいきのチームがどこかあるはずです。こんな駅伝、宮崎ではこの大会だけです。県民みんなで応援しましょう!

武食両道

 「良い意味で『日本一』というのは手放しに素晴らしいものです。」と先月書いたばかりですが、良い意味で『日本一』というのは、本当に、本当に素晴らしいものです。1229日、東京で開かれたバスケットボールの第42回全国高校選抜優勝大会で、宮崎県の延岡学園が見事初優勝!しかも、夏の高校総体と、山口国体に続いての高校主要大会3を達成したのです。これは1998年以来で、なんと史上5校目の快挙といいますから、これは本当に手放しに喜ばしいことです。

しかし、この延岡学園と言えば、124日に開かれた「魚を使う料理コンテスト」で、同校の女子生徒が「ゴマをまとったマグロのソテー・アジアンテイスト」を作り、全国2600人の頂点に立つ最優秀賞の「農林水産大臣賞」を受賞したばかり!これはまたまたすごいことです。「文武両道」などと言いますが、これは「武食両道」と言ってもよいのではないでしょうか。いやあ、返す返す、すごいです。

さて、翻って老健施設を考えますと、これもまた「武食両道」が重んじられるべきだと言えるのではないでしょうか。つまり、「運動」と「栄養」のバランスが取れたリハビリテーション介護を多角的に展開することが、利用者様の諸種の能力を高め、在宅復帰につながるのではないか、と。「武士は食わねど高楊枝」ではいけないわけです。リハビリスタッフや栄養スタッフを始め、多職種による協業で延岡学園に負けないよう、「武食両道」を目指そうではありませんか!

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