雑談

いのふしだけのびる

 冬至から藺(い)の節だけ伸びる」ということわざがあります(『暮らしの中のことわざ辞典』集英社)。「藺」とはい草のことで、畳やござの材料となる多年草です。今日は冬至。これからい草の節の分だけ、昼間が長くなるということだそうです。

 ところが!!い草がはえている所をご覧になった方はよくわかると思うのですが、い草に節はありません。そうすると、「藺の節」とは何のこっちゃ???(´Д`)

 同辞典を読んでみると、どうやら「藺の節」とはい草で作られた日本家屋の伝統的敷物、そう「畳の目」のことのようです。

すなわち、

(1)当時の日、影と日なたが両方ある畳を選び、

()冬至(すなわち本日)の正午、影と日なたの境界となるポイントに印をつけておくと、

(3)1日ごとにそのポイントが畳の目1つ分だけに移動していく

と、このことわざは言っているようです。

 興味のある方は本日から実証実験に取り組まれてみてはいかがでしょうか。ただし、畳がボロボロになってしまっても責任は負いかねますのであしからず。

丸紅チリで銅鉱山

  1215日の日本経済新聞に丸紅がチリで銅鉱山の新規開発に参画するという記事が載っていました。高収益が見込める鉱山権益を増やし、日本への安定調達にもつなげる方針とのこと。さすが日経らしい記事だと感心しながら読むうちに、はっと思い出して本棚に向かいました。

 引っ張り出してきた作品は『革命商人(上・下)』(新潮文庫)。著者は直木賞作家の深田祐介さん。昭和535月から昭和543月まで、「週刊朝日」に連載された小説ですから、今から30年以上も前の執筆です。

 舞台は1970年代の南米チリ。普通選挙で成立した史上初の社会主義政権、アジェンデ人民連合の誕生から、軍部のクーデターによる崩壊に至るまでの動乱の中、し烈な商戦を展開した2つの日本の商社、そして、情熱と愛情にあふれる”ジャパニーズ・ビジネスマン”の奮闘の様子を、徹底した取材に基づき緻密に、しかも人間味豊かに描いています。登場人物の一人、平川貞夫は、スペイン語が堪能な銅の専門家としてチリ・宮井物産四代目社長として現地に赴き、銅や自動車などの取引に尽力し、同社の経営立て直しにらつ腕を振るいます。勝った負けた、売った買った、という単純な話ではなく、モノをやりとりする商社マンや、取り巻く人物のそれぞれに魅力があり、ついつい時代を超越して読み込んでしまうビジネス・ロマンです。

 

 えーと、それはそれとしまして、冒頭に申した「はっとした」のは、銅がいかなる金属で、どんな特徴があるのか、とか、そんなことではありません。先述の平川貞夫社長が癌であることを告げられた、妻の平川芙佐子が「これからカンセル(癌)という魔王、いや私の運命と対決せねばならぬ(本文より抜粋)」と思った時に、一つの言葉を思い浮かべるのです。

 「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」・・・というのがその言葉。フランスの哲学者、アラン(1968-1951)が『幸福論』という著書の中で述べている言葉だそうです。女学生時代の芙佐子が戦争末期、海軍水路部の若い士官から借りたこの本の一文を思い出し、チリ四年間の苦労の果てに、突然待ち受けていた過酷な宿命に立ち向かって行こうと決意するのです。

 「あーっ、あった、あった。これだぁ!」と思わず叫びました。「あれはいい言葉だったな」と芙佐子も回想するのですが、「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」。これは本当にいい言葉だと思います。

広辞苑によれば、「気分」は「(1)きもち。心もち。恒常的ではないが比較的弱く或る期間持続する感情の状態。爽快・憂鬱など。心理学では、恒常的でない点で気質と区別する。『―がすぐれない』『―が盛り上がる』(2)あたり全体から醸しだされる感じ。『お祭り―』」とあります。これに対し、「意思」は「考え。おもい。『―表示』」です。また、この場合「楽観」と言っても、「まあ、どうにかなるだろう」というものではなく、「くじけてなるものか!希望を捨てずに頑張るぞ!」という前向きな思考と捉えるべきかと思います。芙佐子が悲観的な気持ちから楽観的な考えに転ずるこの場面が実に印象的です。「革命商人」というタイトルからして、商社マンがこの作品のメインなのでしょうが、彼らの悲喜こもごもの全てを象徴的に代弁しているシーンだと思います。

それから30余年の時を経た昨年のチリ。鉱山の落盤事故があり、そして世界中が注目する中、はるか地底の暗闇に閉じ込められた坑夫達が、救出用カプセル「フェニックス号」に乗って次々に地上に助け上げられました。まさに奇跡的で、感動的な出来事でした。彼らが『幸福論』を読んでいたかどうかはわかりませんが、世界中からの励ましと支援の中で、悲観的な気分は楽観的な意思へとなっていったのではないか、と考えます。

老健を利用されているご高齢の方々から、悲観的な訴えを耳にすることが少なからずあります。アランの「悲観は気分に属し、楽観は意思に属する」という説に基づくならば、悲観の要因となる気分をいかに減らしていくか、そして楽観へと導くための意思をいかに増やしていくか、ということが大事だと言えます。そしてそのためのアプローチは、のべつまくなしに「頑張れ!頑張れ!」と言うのではなく、その人その人によって違うと思います。それを考えて、実践して、利用者様が楽観的な考えを持っていただけるように導くこと。これは老健の果たすべき大切な役割だと思います。

 

なお、世界地図でチリを見るとわかるのですが、その国土は南北4270キロメートルに対して東西の幅は平均175キロメートル。南北に細長い不思議な形をしており、「タツノオトシゴ」にそっくりだと言われています。平成24年は辰年。「チ・チ・チ、レ・レ・レ」と沸き立った昨年のようなチリフィーバーが来年もあるのかな?と何となく期待してしまいました。

おもいやり駐車場

  「これはいい!」と指をパッチンしました。1210日の宮崎日日新聞。来年21日から「思いやり駐車場制度」を開始するという、宮崎県障害福祉課からのお知らせを読んでのことです。

 それによると、この制度は「商業施設、病院、銀行、官公庁など公共施設に設置された身体障害者用駐車場等を適正にご利用いただくため、障がいのある方や高齢の方、妊産婦など歩行が困難と認められる方に対して、県内共通の利用証を交付し、当該駐車場を設置する事業所等の協力を得ながら、本当に必要な方のための駐車スペースの確保をはかる」ものだそうです。

 この制度により、(1)駐車場を利用できる人が明確になる、(2)不適正利用を防止できる、(3)身体障害者用駐車場の適正利用への理解が深まる、(4)一時的に歩行が困難な人の駐車場利用の確保がはかれる・・・などの効果が期待できるとあり、利用に当たっては同課や県福祉こどもセンター、県児湯福祉事務所、県西臼杵支庁、県各保健所、そして協力市町村での申請手続きが必要とのことです。

 このお知らせが載るちょうど1ヶ月前。1110日の日本経済新聞に「障害者優先駐車できず」という記事がありました。国土交通省の調査で、同駐車場に車を止められなかった障害者の6割が、健常者による「不適正駐車」を原因と考えていることがわかったという、ちょっとショッキングな内容でした。そんな折りに今回の新しい制度が導入されるという朗報。寒さが厳しくなってきた今日この頃ですが、心がポッと温まる思いがしました。

21日から始まるこの制度、すでに1212日から申し込み手続きが始まっているそうです。先述の日経新聞の記事では163市が同様の制度をすでに導入しているとのことですが(昨年12月時点)、「有効だが完全に不適正利用を防げるわけではない」との国交省安心生活政策課の分析も紹介されていました。「おもてなし日本一」を掲げて取り組んできた宮崎県民の思いやりの輪を広げて、この制度の導入により、車で出かける利便性や楽しみを、みんなで公平に共有できればいいと思います。

竜吐水で火の用心

  「りゅうどすい」と読む「竜吐水」。一体何かというと、昔の消火ポンプです。水がたっぷり入った大きな木の箱の上に横木があって、これを人力でギッコンバッタンやると水が勢いよく噴き出す仕組みで、時代劇などでは時々登場していたと思います。「火事と喧嘩は江戸の華」などと言うらしいですが、火事はいけません。年末の火の用心を呼びかけるため、毎晩各地の消防団員が巡回しています。頭が下がる思いです。「火事あとの火の用心」とは、その時機におくれて間に合わないことを言いますが、本当に、後から用心してもどうしようもありません(参考:『暮らしの中のことわざ辞典』、集英社)。

 さきごろ、当協会が会員施設を対象に、災害対策に関する調査を実施したところ、43施設中、33施設から回答がありました。これによると、当然ではありますが、全ての施設が防災訓練を定期的に実施しているとのことでした。もちろん、火災を起こさないことが重要ですが、今年ほど災害への備えの大切さを思い知らされたことはありません。起こりうるであろう、様々な事態を想定して、日頃からの心掛けを徹底したいと思います。

 来年はたつ年ですが、竜吐水が活躍するような年になっては困ります。くれぐれも、火の用心に努めましょう。

でんちゅうでござる

 本日1214日は四十七士討ち入りの日です。元禄15年(1702年)の今日、大石良雄をはじめとする赤穂浪士47人(実際には寺坂吉右衛門が脱落したため46人)が、吉良義央邸に攻め入って、赤穂藩主浅野長の敵を討ったその日の天気は雪。三波春夫さんが「さぁく、さぁく、さく、さく、さく、さく、せんせーい」とやっていましたが、一説によれば、雪が足音を消したおかげで、討ち入りに気づかれずにすんだとか。

 そして、師走になるとかつては必ずと言っていいくらいやっていたテレビ時代劇が「忠臣蔵」。豪華キャストを揃え、2時間、いや以上かけてやっていました。しかし、今ではもう昔懐かしい思い出となってしまい、少し寂しい気がします。

この「忠臣蔵」で必ず登場する見せ場の一つが「刃傷松の廊下」のシーン。勅使下向の接待役となった赤穂藩主浅野長矩が、儀礼担当職の吉良義央による屈辱的な振る舞いに耐えかねて、江戸城中は松の廊下(本当はそこではなく、もっと狭い廊下だ、という説もあるようですが)で刃傷に及ぶ場面。「五万三千石所領も捨て家来も捨てての刃傷でござる。討たせてくだされー!」と訴える浅野長矩を、羽交い絞めにして止める梶川与惣兵衛が、「浅野殿!でんちゅうでござる!!」と叫びます。

 子供心にこれを聞いたとき「はぁ?“電柱でござる???”」と不思議でしょうがなかったものでした。なぜゆえに江戸時代に電柱があったのか?と。もちろん「電柱」ではなく、「殿中」の誤り。そもそも「刃傷(にんじょう)松の廊下」にしても「人情松の廊下」と思っていたので、「人を切りつけることが何ゆえに人情なんだろう?」と首をかしげていたことを、毎年この時期になるとおかしく、そして懐かしく思い出します。

 時代劇(とプロレス)がテレビから消えてしまったことを嘆く高齢者の声を時折耳にします。景気も良くない今、大掛かりなセット、豪華絢爛な衣装、ビッグな役者を使って制作しても、視聴率が期待できない時代劇は、舞台から去らないといけないのかなあ、と少し寂しくなります。もっとも、「レンタルビデオがあるじゃないか」と言われればそれまでなのですが・・・。

 「でんちゅう」ついでに言いますと、「でんちゅうしきちりょう」というのがあるのをご存じでしょうか。最初にこれを耳にしたとき「電柱式治療」と思ってしまいました。電柱を使って何をどう治療するんだろうと不思議だったのですが、「電柱敷地料」と知って納得するとともに、恥ずかしくなりました。九州電力のホームページにも「電柱敷地料とは、当社がお客さま敷地内に電柱等を設置させていただく際に、お客さまにお支払いする敷地借用料金で、電柱等の設置に際しては、お客さまから『承諾書』という形でご承諾をいただいています」とあり、ここまで読むと治療法の類とは全く無縁であることがはっきりします。うーん、日本語って難しい。

悲噴慷慨(ひふんこうがい)

 『意味から引く四字熟語』(池田書店)に「自らの運命の転変や世間、社会の状況に対して、嘆き悲しんだり、憤りを感じること」と記されているのは「慷慨(ひふんこうがい)」。しかし、これは慷慨と言うべきでしょう。桜島の今年の年間爆発回数が、観測史上最多だった昨年を上回ったとのこと。

 128日の朝日新聞によれば、今回の噴火は1946年(昭和21年)、爆発が日に100回以上に増え、溶岩流出したという昭和噴火の前に酷似しているそうです。そして、差し迫ってはいないものの、97年前、死者58人を数えた大正噴火級の大噴火が確実に近づいていると、火山学者の見方は一致しているとも。海底噴火などに伴う津波の危険も指摘されており、不安が募ります。

 それとは正反対に、ずーっとだんまりを決め込んでいるのが新燃岳。しかし、活動を止めたわけではなく、不気味に膨張を続けており、いつ噴火してもおかしくないとのこと。その姿は「思黙考」ならぬ「止黙考」。不気味です。

 さきごろ、宮崎空港で不発弾の処理が行われ、無事作業が終了しました。桜島も新燃岳も、同じようになんとかならないものだろうか、と懣、ならぬ懣やるかたない思いの今日この頃です。

九:不吉な数と言うけれど・・・

 「苦(く)」と音が同じということで、忌み嫌われることもある数字、九。しかし決して悪いやつではありません。十進法で用いられる最大の数字”9“には、不思議で美しい性質があります。

2かける918ですが、18をたすと9になります。

同様に、

 

1×9= 9・・・0+9=9

2×9=18・・・1+8=9

3×9=27・・・2+7=9

4×9=36・・・3+6=9

5×9=45・・・4+5=9

6×9=54・・・5+4=9

7×9=63・・・6+3=9

8×9=72・・・7+2=9

9×9=81・・・8+1=9

 

となります。このようにこれらの積は、十の位の数と一の位の数をたすと、どれも9になるではありませんか。おおーっ!!これって美しくないですか???

 たねあかしをすれば、これらかけ算九九の9の段は9づつ増えていくわけですが、見方を変えると、「10たして1引く」ことと同じです。だから、十の位が1増えて、一の位が1減ることになります。よってそれぞれの位の値をたしても変わらないのです。と、このように理詰めで言うと、美しさが半減しますけど・・・。

 また、有名なものでは、

 

12345679×9=111111111

 

というのがあります。

さらに、「電卓の液晶がちゃんと表示されるだろうか?」というのを確かめたいときには、

 

98765432×9=888888888

             

という計算方法もあります。もっとも、最初から888888888・・・と入力すれば事は足りるのですが、それでは9の美しさに触れることができません。

 いかがでしょうか?9という数字の美しさ、何となくおわかりいただけましたでしょうか。しかし!!忘れちゃいけません。この世でもっとも美しく感動的な”9“が、師走の空に響き渡ることを。

 そうです。ベートーベンの第九交響曲「合唱付き」、すなわち「第九」です。ニッポンの師走にこれがなくては物足りないです。なぜ師走に第九なのか?については諸説がありますが、いずれにせよこれを聞くと。「ああ、年の瀬だなあ」という気分になります。有名なのは第四楽章。ドイツの作家、シラーの「歓喜に寄す」による合唱(と独唱)が、力強く歌い上げられます。”四”も”九”と同様、遠慮されがちな数字ですが、「第九」の「第四楽章」は喜びと希望に満ち満ちた素晴らしい曲です。今年も各地で「第九」の歌声が聞かれるようになりました。「九」という数字に感謝しながら、今年もこの名曲に耳を傾けたいと思います。 

音吐朗々(おんとろうろう)

 「声がさわやかで、滞りなく出ること」を音吐朗々(おんとろうろう)と言います(広辞苑より)。師走になってからNHK総合テレビのデータ放送の画面の背景が赤丸と白丸に変わっていて、「これは何だ?」と思ったら、どうやら紅白歌合戦をあしらったデザインのようです。紅白の話題を聞くと、いよいよ今年もあとわずかだなあ、と思わずにはいられません。

今回で第62回を数える同合戦。今回のテーマは震災からの復興を意識した「あしたを歌おう」55組が出場するそうです。岩手県出身の千昌夫さんが22年ぶりに出場されると聞いて、とても嬉しくなり、涙が出ました。今年は何が何でも出場してもらって、そして「北国の春」を歌ってもらいたいと願っていたからです。「白樺、青空、南風」の明るい出だしを聞くだけでもスカッとした気持ちになる千さんの歌声はまさに「音吐朗々」。老健の利用者様も、「北国の春」を知らない方は皆無と言ってよいほどで、千さんはトップクラスの人気を誇る歌手の一人です。その千さんが、出身地である陸前高田市の変わり果てた姿を目の当たりにして、「陸前高田は全滅だ・・・」と発した声は悲しみに打ち震え、いつものそれとは全く別人のようでした。

 だけど、歌には力があります。悲しみや苦しみを打ち破る強さとたくましさ、そして愛があります。音楽は人と人とを結びつける絆です。声や楽器が空気を振動させ、それが心に共鳴し、喜びを何倍にも大きくし、夢と希望を膨らませます。311日以降、そのことを強く実感させられました。

 千さんの以外にも、福島県出身の西田敏行さんが21年ぶりに出場するほか、同県出身者によるロックバンド「猪苗代湖ズ」が初出場し、「あした」を歌うとのこと。願わくは、千さんに大トリをとってもらい、「北国の春」をみんなで、つまり出場歌手や会場の見学者、そしてテレビやラジオの前の全員で、大合唱できれば、と思います。今年に限っては赤組、白組、どっちが勝つかなんて関係ない。みんなが一つになって、「あした」を歌えるといいと思います。

そしてすぐに日が暮れる

  人間はだれしも、自分史というステージの上では主人公です。このことはその人の一生涯にわたって不変であり、自分史の中で自分が脇役になることはありません。一方、無限に広がる宇宙中空間、そして読んで字の如く、天文学的な時間の流れの中では、人間の一生というものはあまりにもちっぽけで、一瞬とも呼べないほどに短いものと言えるでしょう。

 たしかにそうかもしれませんが、人生はかけがえのない素晴らしいものです。自分史というステージの上で、人はさんぜんと輝くスポットライトを浴びるのです。その人だけのための光を・・・。そして、そのステージで演じられる、自分史というただ一度きりの輝かしいストーリーは、誰一人として同じものではありません。

 

クアジーモドという人をご存じでしょうか。1951年にノーベル文学賞を受賞した、イタリアの詩人です(1901-1968)。そのサルヴァトーレ・クワジーモドの代表的な作品が、表題の「そしてすぐに日が暮れる(ed è subito sera)です。

 

Ognuno sta solo sul cuor della terra

trafitto da un raggio di sole:

ed è subito sera.

 

人はみな独りで地心の上に立っている

太陽のひとすじの光に貫かれ、

そしてすぐに日が暮れる

(『クアジーモド全詩集』、筑摩書房)

 

 たった三行の詩ですが、私はこれを読むと、先に述べたような人生の素晴らしさとはかなさを思わずにはいられません。そして、人は誰しも「すぐに日が暮れる」からこそ、太陽の光を身体一杯に享受し、輝かなければならない、と。

 一口に「太陽光」と言っても、単純なものではありません。あらゆる方向に振動面を持つ偏光の集まりです。赤外線、可視光線(7色)、紫外線など、さまざまに波長の異なる電磁波という横波が、連続スペクトルとなって、組んずほぐれつしながら15千万キロメートル離れた地球に届いて来るのです。

したがって、クワジーモドも、この「太陽のひとすじの光」という言葉に様々な思いを詠み込んでいると思います。家族、友達、恋人、先生、先輩、後輩などの「人」。金、車、家、宝石、本、おもちゃなどの「モノ」。山、川、海、空、雲、風、火などの「自然」。愛、勇気、元気、尊敬、信頼などの「こころ」・・・などなど、上げれば枚挙にいとまがありません。

ただし、人を明るく、暖かくする光だけでもないはずです。喧嘩、病気、災害、裏切り、別離、不信、喪失、悲嘆・・・。このように人暗く、冷たくする光もひっくるめて、ありとあらゆるものが組んずほぐれつしながら、偏光板を介すことなく「ひとすじの光」となって、一人の人間をつらぬき通す。

だから人の一生というものは、誰一人として同じではない、とクワジーモドは言わんとしているのではないか?と思います。そして「光陰矢のごとし」とも言うように、人はそんな光の矢につらぬかれ「すぐに日が暮れる」と(冒頭に触れた通り、厖大で深遠な宇宙の営みの中では「すぐに」ということだと思います。人間レベルで考えれば、当然大きな個人差があります)。

「利用者様を照らす光になりたい!」・・・。老健職員の一人として、この詩と出会った私はそのように思いました。「そしてすぐに日が暮れる」という避けられない定理があるならばこそ、利用者様が、輝かしい自分史を生き生きと演じられるように、その一人一人を明るく、暖かく照らし出したいと強く思います。

冬至は1222日。まさに「すぐに日が暮れる」今日この頃です。そんな時だからこそ、この詩を読み返し、思いを新たにした次第です。

史上最大のバーゲンセール

  年の瀬の風物詩と言えば、バーゲンセール。街を歩けば「大売出し」「〇〇%OFF!」などのポスターと商品の山、大声で呼び込みをかける店員、そして群がる客の姿。他の季節にもバーゲンはありますが、お歳暮やクリスマス商戦も相まって、冬のそれはもっとも活気があるように思えます。そしてそのまま年末の正月準備、さらに間髪いれず初売りセールとにぎわいが続きます。

 さて、そんな折ですが、「史上最大のバーゲンセール」という文言があるのをご存じでしょうか。それは芥川賞作家の新井 満(あらい まん)さんの『サンセット・ビーチ・ホテル』(文芸春秋)という著書に収められている、『サンライズ・ステート・ビル』という作品の中で見つけました。

アメリカ、ニューヨークはマンハッタン島を訪れた主人公の女性に、現地の青年が島の歴史を説明します。それによると、1624年、オランダ人が同島を占拠し、ニューアムステルダムと名付け、60グルデンという金額で原住民のインディアンから強引に買い取ってしまったそうです。このことが「史上最大のバーゲンセール」と言われている、と青年は説明していました。

この「グルデン」とは、オランダの貨幣単位で、現在はユーロに移行しているのですが、60グルデンが今のお金(作品が書かれた1986年頃と思われます)にするといくらになるか、というと、「50ドル」と青年は述べています。こりゃあ安い!国連本部やブロードウェーやウォールストリートがあるニューヨークの中心、あのマンハッタンが50ドルとは!今の為替レートなら5000円札一枚で1000円以上おつりが来る値段で買ったとなれば、これはたしかに「史上最大のバーゲンセール」と言えるでしょう。それから40年後にイギリス人が来て、ぬーアムステルダムからニューヨークに変わったそうですが、こんな大安売り、二度とお目にはかかれないことでしょう。

しかし、です。このマンハッタン、もっと安い値段で買っていたという事実があるのです。買ったのはオランダ人でなく、日本人の私。その値段は・・・なんと100円!うわっ、安い。だけどそれはマンハッタン島という不動産ではなく、菓子パンの話。ねじれたドーナツにチョコレートがかかっていて、食べればサクサク。甘さたっぷりのパンでした。そしてなんといってもその特徴はその袋。星条旗と摩天楼(エンパイアステートビル?)が描かれていました。高校の売店にあったのですが、すぐに売り切れるので、競い合って買っていました。そのパンの名前が「マンハッタン」だったというわけです。ご存じの方もおられるのではないでしょうか。調べてみると、リョーユーパンが昭和49年に発売を始め、今なお人気の超ロングヒット商品なのだそうです。マンハッタンで見つけた商品を参考にしたから「マンハッタン」と名付けたとか。

なお、この「マンハッタン」に対抗して、「バターフランス」というパンもありました。これは、今店頭にあるラスクっぽいやつとは違い、細長いフランスパンに、バタークリームがたっぷり入っているもので、噛みごたえとボリュームがあり、「マンハッタン」と人気を二分し、お昼の高校売店における「スイーツ米仏合戦」、それはそれはすさまじいものでした。

そんなことを懐かしく思い出していた1129日のこと。日本経済新聞に「甘党男子、甘?い生活」という記事が載っていました。甘い物が好きな男性が増えており、酒を飲んだ後はシメにアイスを食べたり、大手コンビニが男性向けスイーツを売り出したところ、売り上げが大幅に伸びたりしているのだそうです。また、日本能率協会総合研究所の調査によると、40代男性で甘い物が「非常に好き」と回答した人の割合は2010年で35%7年間で倍増しているのだそうです。

40代と言えば、介護保険料を払っている世代。このままいくと、近い未来の老健施設では、アイスやプリンやシュークリームがテーブルに乗り、そして忘れちゃいけない「マンハッタン」と「バターフランス」が食卓上でバトル甘味のバトルを繰り広げるようになるんだろうか?バーゲンの季節に、そんな甘い想像をしてしまいました。

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