雑談

うなめんこんねだん

  「うなめんこんねだん」・・・「それはなんじゃろか?」と首を傾げる宮崎県民は少なくないはず。これは、「”うなめ”の”子”の”値段”」です。そして”うなめ”とは、「メスの牛」のこと。つまり、「雌牛の子どもの値段」のことを、「うなめんこんねだん」と言うわけです。実は、この「うなめ」。てっきり宮崎弁だと長年信じ込んでいたのですが、広辞苑にはちゃんと載っている共通語だと知ってびっくり!また、「うなめ」に対して、雄牛のことを、「こち」とか「こってい」と言いますが、これもまた広辞苑に「こっていうし」とありました。二度びっくりです。

 新聞の占いは読み飛ばすけれど、家畜の「競り市」のコーナーは必ず目を通します。宮崎県の基幹産業は農業、そして、畜産業、とりわけ牛の占める割合は高いことから、「宮崎の牛の価格の動向が、宮崎県の元気の目安だ!」と勝手に決めつけて、注目しているのです。もちろん、全くの個人の考え、思い込みです。あしからず。

 県内の家畜市場で開かれる子牛の競り市には、全国からバイヤーが参加するそうです。「宮崎牛」で名実共に日本一の栄誉に輝いた、ブランド牛ですが、宮崎の子牛は、県外からも高い評価を受けており、全国各地で育てられ、それぞれのブランド牛となっていきます。「うなめんこんねだん(雌子牛価格)」は、かつては平均で50万円を超えるときもあって、「よーし、今日も宮崎は元気だ。頑張るぞー!」と嬉しく見ていました。

 ところが、昨年の口蹄疫被害は、県内で猛威を振るい、29万頭もの家畜が犠牲になりました。このことは、畜産農家はもちろん、広く県民に大きな打撃を与えました。新聞からは「競り市」のコーナーがなくなりました。それは紙面全体からすれば、ちっぽけなスペースだったのですが、いつもそこにあるのが普通だった。その普通にあったものが無くなってしまって、少なからぬショックを受けました。代わりに、口蹄疫被害関連の記事が毎日掲載され、一日も早い事態の終息を祈らずにはおれませんでした。

 そして、昨年828日、やっと口蹄疫の終息が宣言されました。それから幾多の試練や困難を経て、10ヶ月余りたった今年の77日、新富町の児湯地域家畜市場で開かれた子牛の競り市には、口蹄疫発生後から初めて都農町からの出場があったそうです。それを知って、復興への歩みは、着実に前に進んでいるのだ、と実感し、嬉しくなりました。この日の「うなめんこんねだん」は平均398,662円。全国的に枝肉相場が落ちている影響で、先月より下がったものの、県外バイヤーの高評価が価格を下支えし、下げ幅は最小限だったそうです。畜産農家の方々、JAや行政関係者、地域住民に県内外の関係者の人達のたゆまぬ努力と支援には、ただただ感服するばかりで、胸に熱いものがこみ上げて来ました。

 大事なものを失って、それから復興へ向けて歩み出す・・・。それは、老健を利用して下さる方々についても、相通ずるものがあるように思えます。失ったものは人によって様々で、受け止め方も違えば、復興のしかたや、目指すべきゴールも一人一人違います。だから、ケアプランも一人一人違うわけです。老健に勤める者として、そのお一人、お一人に対し、その人その人に応じたサポートを、各職種が連携し、一体となってやっていかなければならないと思います。一朝一夕には復興はかなわないかもしれない。でも、一歩一歩、その人に応じた速さで、共に歩んでいく事が大切です。のろいことを「牛歩」と言いますが、たとえゆっくりでも、前に進んでいくことが大事なのではないでしょうか。一人の一歩はちっぽけだけど、みんなで踏み出せば、大きな一歩になる。「うなめんこんねだん」をチェックしながら、今週も頑張ろうと思います。

 

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 これを書いている最中に、福島県南相馬市の牛から、放射性セシウムが検出されたとのニュースが飛び込んできて、一年前の辛い気持ちがまた蘇ってきました。もちろん、農家には全く何の責任もありません。そしてこの事態が、これからどうなっていくのか、予想だにできません。ただただ、いち早い終息を祈るばかりです。

とりぜん

  焼き鳥屋の店名ではありません。「とりぜん」は「とりあえず、全部」という意味で、一部の放送業界関係者の間で使われている言葉です。

 情報番組の制作現場は、ハードスケジュール。見た目ほど楽で、格好良いものではありません。情報収集に始まり、取材先へのアポイント、取材日の調整。そして取材に先立ち、ロケハンを行うなどして、取材当日にあたふたしなくて済むように、台本を作ります。台本には台詞だけでなく、カット割りも決めておくことで、カメラマンが必要なカットを漏れなく、そして無駄なく撮っていくことができるわけです。

 ところが、多忙を極める番組制作。夜討ち朝駆けは日常茶飯事ですから、台本が間に合わない、ということもあるわけです。そんなときに「とりぜん」の登場です。「すまない!とりあえず全部撮っといて!」とカメラマンに頼むディレクター。ベテランのカメラマンなら、そこのところはわきまえていて、ディレクターが必要だろうと思うカットを自分で判断して、的確におさえて行くのでしょうが、そうじゃなければ、万が一撮りそこねでもしたら大変!後から「あのカットが無い!」と騒いでも後の祭り。というわけで、あれやこれやと細大漏らさず撮ることになり、時間はかかるし影像量は不必要に増えて、編集も大変になりかねません。極力「とりぜん」を避けるため、番組スタッフは寝る間を惜しんで頑張っているのです。

 さて、私たち、老健で働く者も、この「とりぜん」には要注意です。つまり、「この利用者のADLはよくわかんないから、とりあえず全部介助しとこう」というやりかたは、厳に慎まなくてはなりません。「できるADL」と「できないADL」、そして、「しているADL」を正しく評価し、自分でできることは自力でやってもらうことで、その能力を維持してもらう。できない事は介助を行いつつも、介助方法や自助具・福祉用具の活用などを考えて、自立への可能性を検討することが大事なのではないでしょうか。「とりぜん」で何でもかんでも介助していると、その人ができるADLさえも、できなくさせてしまう危険性をはらんでいるのです。

 テレビ番組は、作るよりも見ている方がうんと楽です。一方、介護は見ているよりも、手助けした方がうんと楽なことも少なくありません。だからといって、利用者様が一生懸命、時間をかけてでも遂行しようと努力している行為を、よこからサッサと介助してしまったら、その行為はだんだんできなくなってしまうかもしれませんし、それだけでなく、そのことがその方の精神面へ悪影響を及ぼしかねません。「自分の仕事ぶりは”とりぜん”になっていないか?」と自問自答しながら日々の業務に当たっていく必要性を感じる今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“テレビ番組の仕事”と聞くと、格好良く響きますが、実際は大変。

 

 

 

 

 たとえば、グルメ番組で、レポーターが御馳走を前にして、見つめるお店のご主人を横に「いただきます」。そして「うわー、おいしい!」といったたぐいの内容はしょっちゅう放送されています。それらを見ていると、その影像は、同じようなカット割りで構成されています。店の外観、店内の様子、料理の様子、できあがりのアップ。「いただきます」という時の箸で持ち上げた料理のアップ。

七夕飾りを作りました(並木の里)

 

 今日は七夕様。西都市の介護老人保健施設並木の里では、この日に合わせて、入所利用者様の共同作業による七夕飾りが完成しました。

 

IMG_0007.JPG この七夕飾りは、高さ2メートル!製作に3か月をかけた大作とのこと!お花紙を使用しての花作り、折鶴製作、そして、障子紙で作った短冊の色塗りやのり付けなど、すべて利用者の皆様の作業によるもので、最後の組み立てだけを職員が行ったそうです。

 

IMG_0009_640.jpg  利用者様一人一人の思いが随所に感じられます。)    

 

「七夕飾りの製作は、季節感が楽しめるのはもちろん、半側無視がある方や、認知症を有している方にはとてもいいリハビリになります。また、24羽の折鶴は、片手だけしか動かせない利用者様が、11羽ずつ、一生懸命取り組まれた力作です。それぞれの利用者様が、自分のペースに合わせ、やりがいを持って取り組まれていました」と話すのは、指導に当たった、同施設の作業療法士、松浦由美さん。さっそくホール内に飾ると、利用者様や職員が集まって来て、口々に「うわー、きれやねぇ」と、うっとりと見上げていました。

 

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 (↑一羽ずつ丹念に折り上げられた鶴)

 

IMG_0010.JPG(↑折り鶴作成のための見本、「折り鶴虎の巻」!?) 

 

 同施設のホールには、利用者様や職員の願い事を短冊にしたためて結び止めた七夕竹も飾ってあり、頑張って作り上げた七夕飾りのご利益で、みんなの願いがかなえられるものと、期待が寄せられています。

梅雨明け十日!?

 梅雨が明けて十日間くらいは天候が安定すると言われ、特に山登りをする人たちには夏山を楽しむ良いタイミングだそうなのです。6月28日、「九州南部は梅雨明けしたとみられる」と発表されました。本当なら、今日はまだその「梅雨明け十日」の真っ最中のはずなのですが・・・。

 昨日は各地で河川が氾らんし、また、県内でも土砂災害が発生しました。今日もまた、しかも激しく降るとの予報。梅雨明けしたとみられていたが、本当はまだだったのか?ともかく油断はできません。今一度、大雨はもとより、自然災害全般への備えを強化しなければならないと、暗くて低い空を見ながら思う次第です。

「賞賛には能力を育てる力がある」

 「賞賛には能力を育てる力がある」とは、トーマス・ドライアーという人の言葉だそうです。老健に勤める者として、まったくその通りだと思います。と同時に、これが思いの外難しいと、痛感もします。

 誰しも誉められる事は嬉しいものです。でも、やることなすことに対し、何でもかんでも賞賛されたらどうでしょう。「世辞で丸めて浮気でこねる」的に、おべっかの言葉を連射されたら、かえってうんざりです。「あなたは1から10まで数えることができるし、1たす1は2だと答えられるし、すごいわ!天才だわ!」などと言われたら、「馬鹿にするな!」と怒る人だっているでしょう。人のいい所に触れた時、それが賞賛に値すると判断できたら、華美な言葉で装飾せず、大げさでない態度で褒め称える。それが賞賛の基本なのではないか、と思います。

 一方、できることに目を向けないで、できないことばかりをつつくのはいただけません。「〇〇さんはまた失敗したが、ダメじゃがそんげなこつじゃ!今度失敗したら承知せんよ!」なんて面と向かって言われたら、がっかりです。そしてまた失敗したらどうしよう?と不安ばかりが先立ってしまうことでしょう。ところがところが、この「ダメダメ発言」を、思わず知らず、やってしまいがちなのです。その根底には、「この人はなぜこの動作ができないのだろう?」という「なんでダメなのか?」という考え方の比重が大きいからなのではないでしょうか。たしかに「なぜできないか?」を考えるのは大事です。しかし、それ以上に「なぜできたか?」を考えることも重要だと考えます。

 歩く練習をしていて、どうしても足が出ない。ところがたまに、足がすっと出てくることがあります。その瞬間を見逃してはいけません。そして、「なぜ足が出たか?」を究明して、「〇〇さんはいつもはこうやってたから、足が出なかったんですね。でも今はいつもと違って、こうやった。そしたら足が出たんですね」と、具体的に説明して、賞賛すると、それは大きな喜びと、次なる前進への足がかりとなることでしょう。歩行に限らず、できないことがたまたまできたり、あるいはもう少しでできそうになったりする事は色々な生活場面で見られるはず。大事なのは、それに気付くかどうか?そして適切に賞賛ができるかどうか?です。これができれば、利用者様のADL向上、ひいてはQOL向上につながることでしょう。まさに、賞賛が能力を育てるわけです。もし、これができなければ、つまり、「この人はこの動作はできない人だ」と決めつけて、できる瞬間を見逃してしまったら、育つはずの能力は、「賞賛」じゃなくて、「消散」してしまうでしょう。

 そのようなことから、能力を育てるための「賞賛力」、これは私たち老健に勤める者にとって、身につけるべき技術と言ってもいいのではないでしょうか。賞賛が心を動かし、身体を動かす。それが喜びにつながり、ひいては私たちも喜びを分かち合うことができる。これこそ、老健職員冥利に尽きるのではないでしょうか。

 

ガスコンロと指パッチン

「ガスコンロだけ逆だよね。なんで?」と聞かれて初めて、よくよく見ると、なるほど。ガスコンロというものは、点火の時に左回転、消火の時に右に回すようにできているものが多いようです(プッシュ式を除く)。

 水道の蛇口でも、ドアノブでも、はたまたパチンコ台でも。昔だったら電話のダイヤルにテレビのボリューム。ビンやボトルのキャップだって、使うときには右(時計回り)に回しますよね。使う時に、右です。だから、使わない時は左に回すことになります。ところが、ガスコンロは逆なのです。使う時に左、使わない時は右に回すのです。

 考えますに、それは「とっさの時にすぐに消せるように」ということではないでしょうか。いざという時、すぐに止めなければならないのは、水道でも電気でもテレビでもなく、「火の元」なのは言うまでもありません。しかも、確実に消さなければなりません。他のものは、使う時の方が大事ですが、ガスコンロについて言えば、「使わない時の方が大事」なのです。実際にやってみると、立っているのを左に倒すより、左に倒れているのをまっすぐに立てる方がうんと楽で、確実です。この動作、「指パッチン」に似ていると思いませんか?右手で、火を消す方向に前腕を回すと「パッチン」と鳴りますが、反対に回すとうまく「パッチン」できません。つまり、ガスコンロのつまみは、”パッチン”と鳴らせる方向に回して”パッチン”と消せるようにできているではないでしょうか。特に緊急時、それが有効に作用するように、と。

 さて、ガスコンロの話が長くなりましたが、利用者様の急変や、自然災害その他に備えて、老健にも色々な「緊急マニュアル」があるかと思います。「緊急」ですから、急がなければならないことはもちろんの事、それに加えて、確実に行えないといけないのだ、とガスコンロのつまみから考えさせられました。緊急の場合は、得てして慌てがち。慌てていると、失敗しがち。「人間は失敗する生き物だ」などと言いますが、それを見越して、緊急時に、慌てていても、失敗しない工夫を、緊急じゃないときに、落ち着いて考えておく必要がある、と思いました。

ケアマネ試験

  ケアマネの試験の受付が、今日からいよいよ始まりました!今年の試験は1023(日)

会場は宮崎大学木花キャンパスの教育文化学部・農学部にて、午前10時より開始予定です。

今日、71日(金曜)から、各市町村、各市町村社会福祉協議会、各福祉こどもセンター、児湯福祉事務所、各保健所、西臼杵支庁などで、『受験の手引き』(受験申込書が入っています)の配布が始まります。

 くわしくは、宮崎県のホームページ、そして宮崎県社会福祉協議会のホームページをご覧下さい。申し込み締め切りは729。奮ってチャレンジしましょう。

 

 なお、老婆心ながら申し上げますが、「ケアマネ試験」とは、正式には「介護支援専門員実務研修受講試験」。つまり、この「介護支援専門員実務研修」を受ける権利を獲得するための試験、です。「試験に受かったから、今日からケアマネだぁー!」と思っておられる方は、よもやいないとは思いますけど・・・。

 「実務研修」は、2月から3月頃、前期3日間、後期3日間の計6日間。朝から夕方(夜?)までびっしりの内容です。そして前後期の間に、要介護認定を受けた在宅の方にご実習協力をいただき、居宅での面接、認定調査、社会資源調査、居宅サービス計画書の作成などに当たります。しかし、要介護度から逆算して、限度額一杯にサービスをぽぽぽぽーん、とはめ込むような、有り体のケアプランではいけないのです。実習協力者やご家族に貴重なお時間を割いていただき、現在の心身の状態はどうなのか?どんなことに困っているのか?今後どういう暮らしを送りたいか?などを丹念に伺い検討し、世界に一つしかない、その方だけのケアプランを作るのだ!という気持ちで臨むのです。大変ですが、とてもよい勉強、そして体験になります。

 また、「実務研修」では、その多くの時間を、1グループ6名程度の班に分かれての演習に当てられます。ほぼ全員、合格ホヤホヤですが、年齢も職種も勤務先も、あと、受験回数もバラバラ。互いに合格苦労談や日常業務での悩みを話し合ううちに、「みんなで研修を乗り切ろう!」という連帯感が生まれます。そして、晴れて研修が修了したときに共有する達成感は、試験に合格したときの喜びよりも数段大きいものです(個人の感想ですけど)。それだけでも、「ああ、ケアマネ試験に挑戦してよかったなあ」と思えます。

 ただし、昨年の全国平均合格率は、過去最低の20.51%。そして、宮崎県は15.54%で、これは全国で4番目に低い合格率。決して簡単ではありません。高校時代に先生から聞いた、大学合格必勝法(?)を紹介して、エールとさせていただきます。「合格するコツふたつある。それは、”コツコツ“やることだ」。健闘を祈ります。

梅雨明け

 昨日(628日)、南九州の梅雨明けが宣言されました。観測史上2番目の早さ。たしかに6月のうちに梅雨明け、というのは早い。平年より16日、去年より実に22日も早いそうですから驚きであり、そして心配でもあります。

 思えば、梅雨入り前は雨がほとんど降らず、干上がったダムでは湖底が顔を出しました。早期水稲の作付けにも甚大な影響を及ぼしました。

 それが一転、梅雨に入ったと思ったら、今度は土砂降り。避難情報もたびたび出され、新燃岳周辺では、土石流の心配も高まりました。また、今年まだ5つしか発生していない台風の接近にも翻弄されています。

 そして今回の早い早い梅雨明け。まもなく前半が終わる平成23年。後半は一体どうなるのでしょうか。何事も無いことを願って止みません。今日も暑い一日となる見込み。どうか体調管理の徹底方お願いいたします。

おもておこし

「源氏物語」から千年の時を経て、古典文学が脚光を浴びている昨今です。高校では、「現代国語」(いわゆる”現国”ですね)に対して、「古文」の授業がありましたが、これが難しきこと”いはむかたなし(=「言わん方無し」。格別だ、言葉では表現できない、の意)”。同じ日本人で、これだけ使う言葉が違うものだろうか、と頭を抱えたものでした。

 その古文単語の一つに「おもておこし」というのがあります。「面目をほどこすこと、名誉を回復すること」という意味です。日本において、この「おもておこし」が使われていたであろう頃(確証はありません、時代が違っていたらゴメンナサイ)、西洋において、「名誉を回復する」という意味で用いられた言葉があります。それが「リハビリテーション」なのです。「それでも地球は動いている」と言った、ガリレオ・ガリレイ。地球のまわりを太陽が動いていると信じて疑わなかった時代に、コペルニクスの地動説を是認したため、宗教裁判にかけられ有罪。もちろん動いているのは地球の方。後の時代になって、ガリレオの名誉は回復されたのだそうですが、これが近世ヨーロッパにおけるリハビリテーション、つまり「おもておこし」だったわけです。

 「リハビリ」というと、訓練室で筋トレしたり歩いたり、マッサージや物理療法を受けたり・・・というイメージが浮かびがちですが、そうではありません。1942年のアメリカリハビリテーション審議会では「リハビリテーションとは障害者をして、可能な限り、身体的、精神的、社会的、職業的、および経済的に最高度の有用性を獲得するよう回復することである」と定義づけられています。老健は「中間施設」。リハビリをしながら在宅復帰を目指すのですが、リハスタッフだけがそれにあたるのではありません。全ての職種が利用者様、ご家族と膝をつき合わせて、どうやったら利用者様が家に帰れるのか?社会復帰して、生き生きと生活できるか?などと様々な面から考え、取り組んで行く一連の過程が、リハビリテーションと言えるのではないかと思います。そう考えると、老健に勤める者の一人として、責任の重さを痛感します。

 ところで古文単語も色々ありますが、どうしても気になるのが「あたらし」と「よだけし」。「あたらし」とは、「惜しい、もったいない、残念だ」という意味。「よだけし」とは、「めんどうだ、おっくうだ」という意味です。つまり、「あったれー」、そして「よだきいー」ということ・・・。あれ?これって宮崎弁?と思った人も少なくないはず。平家の落人伝説が残る宮崎県。いにしえの都の影響を多分に受けているのかなあ、と思わずにはいられません。ひょっとして、今わたしたちが普通に話している宮崎弁、実は昔の標準語だったりして!?

オ・ソレ・ミオ!

イタリア歌曲、カンツォーネを代表する名曲と言えばオ・ソレ・ミオO SOLE MIO。とりわけ、生前「現代最高のテノール歌手」、と評された故ルチアーノ・パヴァロッティが壮大に歌い上げた”オ・ソレ・ミオ」は有名です。原曲はもちろんイタリア語ですが、日本語で言うと、「嵐が過ぎて、スカッと青い空にまぶしい太陽が輝く日は何と美しいことだろう。しかし、それよりももっともっと輝く麗しい光がある。それは、あなたのキラキラ輝く瞳だ。あなたこそ、私の太陽だ!」といった内容。まさにイタリアらしい、快活で、情熱的な、究極の直球ラブソングだと思います。大好きな一曲です。

 老健で働かせてもらっている中で、利用者様と接していると、その笑顔が実にまぶしく感じる時がよくあります。まさに太陽みたいに、キラキラ輝いて見えるのです。今まで辛いことや、悲しい事が一杯あったはず。そして、心や体に不安を抱えて今を過ごされているであろうにもかかわらず、その笑顔のハッとする美しさは、とても真似できるものではありません。もちろん、作り笑いなんかでできる笑顔ではありません。なぜなんだろう? 

 その答えは、この”オ・ソレ・ミオ”にあるのではないか?と最近思うのです。つまり、辛く苦しい思いをいっぱいしながらも、必死で生き抜いてきたからこそ、苦しみがないことの喜びがわかるのではないだろうか?嵐の時代を耐えてきたからこそ、空の青さを愛おしみ、太陽のように輝くことができるのではないか、と。そう思ったら、利用者様に、心から笑っていただけるよう、太陽のようにキラキラしてもらえるよう頑張るぞー!という気持ちが湧いてきます。

 またまた台風5号が接近し、激しい雨、そして強い風が吹き荒れました。予報では、まだまだどんよりした日が続くようで、心配です。早く嵐が去って、スカッとした青空と、いかにも宮崎らしいまぶしい太陽が顔を出して欲しいものです。そして、利用者様の太陽のような笑顔とキラキラ合戦をして、老健が燦々(さんさん)と輝くといいなあと思います。オ・ソレ・ミオ!!

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