雑談

夢が現実に!?

 今から35年以上も前のこと。理科の授業中に先生が興奮気味に言いました。「夢のカメラが開発されました(◎o◎)!」と。「自動的に焦点を合わせることができるのです」と。

 自動焦点カメラ、いわゆるオートフォーカスカメラの先駆けとなったのは「ジャスピンコニカ」ことKonicaC35AF。の登場は世界を驚愕させました。197711月のことでした。

 今では当たり前になっているオートフォーカスですが、当時は「そんなもの、できるはずないだろう」などと思われていたのです。その一方でカメラ屋では、現像に出したフィルムを取に行った客に、というか私に、店主がすまなそうに「全部ピンボケでした・・・」などというやり取りがあったりしたわけです。いやー、それを言われると、本当にショックでした。

 「夢」とまで言われていたオートフォーカスが現実になったわけですから、それはそれは大変な驚きでした。商品化に至るまでには技術者たちのものすごい努力があったことでしょう。

 そんなことをふと思い出したのが45日の日本経済新聞。「夢の内容ばれる?」という見出しのその記事によれば、寝ている時の夢に現れた物を言い当てる実験に、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)の研究グループが成功したのだそうです。

 夢を見ている時の脳をMRIで測定し、それをもとに何を見ていたかを当てるというその実験。正答率はなんと7割以上!驚きです。それと同時に「もしも変な夢を見て、それが人に知られたらどうしよう?」と考えて眠れなくなる人もでてくるのでは?と心配にもなってしまいます。

 記事によれば現状は目を覚ます直前の夢で見たものを判定できる段階で、熟睡中にどんな夢を見ていたかはわからないそうです。今後研究が進んだら、見た夢の一部始終がわかるようになるのでしょうか。

 できれば更に研究が進んで、見たい夢が見られるようになるといいなあ、と思います。レンタルDVDショップみたいに「ドリームショップ」みたいなお店ができて、見たい夢を借りてきて眠ると、夢の中で自分が正義の味方になって活躍したり、世界中を豪華客船で旅行して回ったりして、そして朝になって目覚めバッチリ!気分爽快!となるのではないでしょうか?あるいはスヤスヤ眠っている間に夢の中で勉強できるようになれば、がり勉ともさようならできるのではないでしょうか。

 まさしく「夢」みたいなことですが、ひょっとすると現実にならないとも限りません。「夢」は「あきらめる」ことより「見ること」、そして「持ち続けること」が大事なのではないか?そう思った記事でした。

女子マラソンの日

 416日は「女子マラソンの日」。1978年(昭和53年)の今日、東京の多摩湖畔で日本で初めての女子フルマラソン大会(第1回女子タートルマラソン全国大会)が開かれたのだそうです。その時の参加者は49人とのこと。

 それから35年。現在は老若男女を問わず、マラソン人口は飛躍的に増加。今や1,000万人を超えたとの報道もあり、もはやフルマラソンは実業団などの一部のエリートランナーだけのものではなくなりました。100キロを超えるウルトラマラソンだって全国あちこちで人気です。

 そんな中、414日に「婚活ランニング」なるものが宮崎市のシーガイアで開かれたそうです。ランニングを通して独身男女に出会いの場を提供するというこのイベント、走って体をほぐし、語って心をほぐす・・・。健全で素晴らしい婚活で、果たして何組のカップルがめでたくゴールインするのだろうか?いやまてよ?ゴールではなく、新しいスタートなのかな?

 デビュー曲の「走っておいで恋人よ」をアリスが歌ったのは「女子マラソンの日」よりさらに6年前、19723月。当時2人組だった谷村新司さんと堀内孝雄さんも、41年経った現在、まさかこんなにたくさんの人たちが走るようになっているとは想像していなかったことでしょう。

 走ることを通じて心身共に元気になって、良い伴侶とも巡り合えて、健康寿命ものびていくといいと思います。ランラン。

FR活躍

 昭和の後期、「FFか?FRか?」などという論争、じゃないけど比較が盛んになされていたことがありました。自動車の話です。

FFは”front engine
front drive
“。車体前部にエンジンがあり、前輪駆動。一方FRは”front engine
rear drive
“。エンジンは前で後輪駆動。従来の主流だったのはFR車で、後輪に動力を伝達するためのシャフトがあるため、車内の床はそこの部分が盛り上がっており、後部座席の真ん中に座る人にとっては脚を曲げて窮屈な格好を余儀なくされたものでした。

 これがFF車になると車内はすっきり、ひろびろ。いろいろ利点が出てくる一方で、ハンドルが重くなったり、前のタイヤ負担が増えたり、アンダーステアが出たりするなどといって、「やっぱりFR車の方がいい!F1(フォーミュラ?1)マシンが前輪駆動にならない限り、俺はFR車に乗り続ける!!」という人もいたりしました。中にはFR車の特性を使った「ドリフト走行」で峠道を飛ばしていたドライバーもいましたが、これを公道で行うことは大変に危険な運転行為ですので絶対にやってはいけません。走行しているうち、じゃなくてそうこうしているうちに、乗用車のほとんどはFFになっていきました。ハンドルもパワーステアリングになり、変速装置もマニュアルからオートマチックになるなど、様々な変容を遂げてきました。

 えっと、これとは全く違う「FR」の話です。228日の日本経済新聞の記事に「『FR隊』出動」という活字がありました。これは自動車ではなく、「ファーストレスポンダー(FR)隊」のこと。「呼吸や意識が突然なくなった人に対し、消防から連絡を受けた近隣住民(FR隊)が救急車の到着前に心肺蘇生法を実施する」という石川県加賀市でスタートした、全国初の取り組みに関する記事でした。

 消防は蘇生法が必要な人がいると、その近くの住民で、蘇生法を学んで登録したボランティアのFR隊にメールを一斉送信。いち早く駆けつけたFR隊は、救急車が到着するまでの間、救命措置を行うとのことです。

 「病院で起きる心筋梗塞の死亡率は5%程度だが、自宅で発症してしまうと、近くの人が何をできるかで救命率が大きく変わる」との専門家のコメントも紹介されていましたが、こういう”FR”なら宮崎県はもちろんのこと、これからどんどん全国に広まっていくといいと思いました。当然ではありますが、蘇生法が必要な人の所に行くのに前輪駆動か?はたまた後輪駆動か?なんてことは関係有りません。重要なのはできるだけ早く「けつけ、行する」こと、そして心臓マッサージやAEDによって心臓に「動力を与えて動かすこと」です。おっと、この「動力を与えて動かすこと」こそ、『広辞苑』に明記されている「駆動」の意味するところでありました。

驚きの「マキ」投入

 124日の朝日新聞。その見出しを見た瞬間、サッカーワールドカップ、ジーコジャパンの代表選手発表記者会見を連想してしまいました。「まき投入」の文字が目に飛び込んできたのです。最後のメンバーとして「マキ」と発し、巻選手投入を宣言したジーコ監督、”おおっ!”軽くどよめくマスコミ陣。あの場面は何度も繰り返し放映され印象的でした。

 で、件(くだん)の「まき投入」なのですが、サッカーとは全く関係がありません。「自動でまき投入 賢い乾燥機」という見出しの記事は、まきを使ってシイタケの乾燥が自動でできる機械についてのものでした。

 記事によるとこの乾燥機は、まきをセットするとあとは設定温度になるよう自動で10時間連続運転するというもの。現在主流となっている灯油を燃やして乾燥するものとくらべて、必要な灯油が100分の1で済むから大幅なコスト軽減がはかれます。また従来のまきを使ったものだと、人がつきっきりになる必要がありあまり使われていないとのこと。ほぼタダで入手できるまきを使いながら、しかも人手がかからないというのはすごいものだと思います。

 エネルギー問題が世界的に熱を帯びている中で、古来からの燃料であるまきを用いた新しい機械の開発というのは、字面から見ても「古きを燃やして新しきを作る」ってな感じで「温故知新」と相通じるものがあるかなあ、と思います。おまけに「まき」は「薪」、つまり「くさかんむりに新しい」と書きますからね。

 そう考えてみると、例えばユーチューブなどの動画サイトで昔の影像や歌を見つけて利用者様に楽しんでもらう、などといったように、私たちも「新しいものを使って古いものを見直してみる」という取り組みの工夫は、いくらでもある・・・そう思った記事でした。

「負けぬように」は何歳から?

「四十歳より前は勝つように、四十歳からは負けぬように」と言ったのは武田信玄(「人生の指針が見つかる『座右の銘』1300」、別冊宝島編集部編)。

 しかし現代は、プロ野球の山本昌投手や、サッカーの三浦知良選手など、40代の現役選手達が大活躍中です。「負けぬように」なんてとんでもない!勝利を目指して今年もキャンプを開始しています。

 武田信玄が病に倒れたのは51歳。今から440年前のこと。現代の日本の様子を見ながら、「むむ、四十歳はまだ若すぎるわい。今から言い直せぬものか・・・」と頭をかいているかも?ともかく今シーズンの「中年の星」の活躍を応援したいと思います。

努力って難しい!?

 むかしむかしの話です。時代はバブル絶頂期。車はハイソカー(つまり高級乗用車ですね)全盛期。ウン百万円もする車が飛ぶように・・・あ、車は飛ばないんですが・・・売れていた頃です。

 道端に停められた某メーカーの代表的ハイソカー。その運転席側に若い男女が立って何やら悪戦苦闘中。窓とドアの隙間に針金らしきものを差し込んでガサガサ。どうやらキーを閉じ込めてしまっていたようでした。季節は真夏。炎天下で汗ビッショリの二人を通り過ぎながら「うーん、大変だけと、頑張ってるなあ」と感心しました。しかし、その一方で私は疑問に思ってしまったのです。「助手席側の窓が全開になっているのに、なんでそっちを開けないんだろう???」と。

 キーを閉じ込めたという焦りから、状況を冷静に判断することができなかったのでしょうか?汗をいっぱいかいて、頑張っている様子には感心しながらも、「『無駄な努力』とはこういうことをいうのかなあ」と思ったものでした。

 213日の日本経済新聞にヤンキースのイチロー選手のインタビューが掲載されていました。その中でこんなコメントがありました。

 「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか」。

 これはイチロー選手が、レギュラーが保証されているわけではないヤンキースの中で、厳しい生存競争に臨む武器としてプロフェッショナル意識の高さであることを紹介している箇所で紹介されたコメントです。さすがイチロー!と思いながら、先に述べた「炎天下に”無駄な努力”をしていた若い男女」のことを思い出してしまいました。

 しかし、これは他人事ではありません。私たち老健施設に勤める者にとっても同様の事が言えると思います。チームケアを宗(むね)とする老健施設においては、一人の思い込みの「努力」では利用者様の真のケアは実現しないのではないかと思います。利用者様やご家族の意向を十分聞き、それぞれの職種、スタッフが意見を出し合って利用者本位のケアプランを作成。それに基づいて各々が共通認識のもとで正しい「努力」をしていくことが大切なのではないでしょうか。

 イチロー選手の大リーグ13年目のシーズンは開幕間近。今年もきっと大活躍してくれるものと期待し、応援したいと思います。そして世界は違うけれど、私たちもイチロー選手を見習って「努力」をしたい、と思った記事でした。

邪馬台国?

 222日。なんとも並びが良い日です。同じ数が3つ並ぶ日は、111日と222日、そして111日の3つしかないんですね。

 今から24年前、1989年、つまり年号が平成に変わってすぐの222日。世間をあっと驚かせるような大発見が佐賀県でありました。そうです。吉野ヶ里遺跡です。『広辞苑』にも、「旧石器時代から中世に至る複合遺跡」と紹介されていますが、国内最大規模の環濠集落発見に、日本中が湧きました。「これはひょっとすると”邪馬台国か!?”」と。

 なんというタイミングでありましょうか。ちょうどその年、福岡市では「アジア太平洋博覧会」が開催され、そこで公演されることとなっていたミュージカルが他ならぬ”HIMIKO(ヒミコ)。言わずもがな、邪馬台国を支配していた”女王卑弥呼”をテーマにしたミュージカルだったのです。初演まであとわずかとなっていた時期の大発見に、主演の夏木マリさんをはじめ、関係者一同の驚きと興奮はひとしおならぬものがあったことと思います。

 もちろんミュージカルは大盛況。公演期間中に夏木マリさんご自身も吉野ヶ里遺跡におもむき、当時の人々の暮らしに思いをはせられました。

 あれから24年。邪馬台国がどこにあったのかは未だに解明されていませんが、謎が謎のままであり続けること、それはそれでいいのかもしれません。神懸かり的な力を持っていたと言われる女王卑弥呼は、歴史上の人物というよりむしろ、伝説の存在としてベールに覆われたまま語り継がれるのも悪くないかなあ、と思う今日この頃です。

つ、つながったー!

 パソコンが「パーソナルなコンピューター」などとはとても言えなかった高価でオタクな存在だった時代。「つなげる」のは大変な作業でした。機器同士を「つなげる」作業はもちろん、ネットに「つなげる」のも苦労したものです。ネットと言ってもインターネット紀元前。パソコン通信の頃です。それゆえにそれらのハードやソフトが「つながった」時の感動と言ったらひとしおならぬものがありました。

 基本ソフトも仕様も各社まちまちだったものからMS-DOS(エムエス・ドス)に、そして世界をあっと驚かせたWindows3.1、さらにパソコンをついに「パーソナル」な存在にぐぐっと近づけたWindows95と変遷し、今やWindows8となり、「つなげる」作業はうんと楽になりました。「つなげるのに”ドライバ”が必要だ」というわけで、工具箱からドライバーを持って来た、なんて笑い話はもう皆無だと言えるでしょう。「最初からつながってる」と言ってもいいくらいの時代になりました、ほんと、便利。でも、あの「やったー!!つ、つながったーo(^^)o」という感動は、もう味わえなくなって、一抹の寂しさもあります。

 そんな時代において、「やったー!!つ、つながったーo(^^)o」というあの感動が再び甦るような、いやいや、それどころじゃないほどの大きな喜びいっぱいのニュースが宮崎県を走りました。そうです。東九州道の蒲江と北浦の間が開通!「陸の孤島」とも言われていた宮崎県が、ついに大分県と「つ、つながったー!」のです。

 217日の宮崎日日新聞の一面トップ・・・ではなくて、一面は全てこの朗報でしたが、その四段縦見出しもやはり「大分県と初接続」とありました。例えるならば今回の「つながったー!」は、国道10号線で細々と(?)つながっていた”1200bpsのモデム”から”9600bpsISDN“に速度がドドーンとアップしたようなものでしょうか。あのとき味わった衝撃もすごかったのですが、今回の開通がどれだけの時間短縮をもたらすのか、是非実体験したいものです。

悲願の全線開通は2016年度。こうなればいよいよ”光回線”時代到来と言ったところでしょうか。もちろん車が光速で走るわけではありませんが、今後交流人口の拡大や観光振興に拍車がかかることと期待されます。そして老健施設に勤める者としては、「命をつなぐ希望の光の道」として、その役割を十二分に発揮して欲しいと思います。一日でも早い全線開通を願ってやみません。

割り切れない話

 28日の宮崎日日新聞の小さな、だけど大きな記事に目が留まりました。「史上最大の素数が発見された」とのことです。あれまあ(´Д`)

 素数とは、『広辞苑』には「一およびその数自身のほかに約数を有しない正の整数。普通は一を除いた、二、三、五、七、一一など。無限に存在する」とあります。つまり、1とその数自身以外には割り切れる数がない自然数ですが、それを2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, ・・・というふうに延々と数えていって、その史上最大のものを発見したということらしいです。

 その数とは257885161乗から1を引いた数。最初の6桁が581887で、最後の6285951(゜◇゜)。全然ピンと来ませんね。だめもとで関数電卓で計算してみたら「-E-」、つまりエラー表示が出ました。そりゃそうだ。はたしてこれに約数があるか?割り切れる数があるか?見当もつきません。「河内のおっさん」なら「割れそうやんけ、割れー」とチャレンジするかもしれませんけど(本当は”ワレー、そやんけ、ワレー”と歌っていますね。って、知らない?☆=>(+_+。))・・・。

 この「史上最大の素数」を発見したのはアメリカセントラルミズリー大の数学者グループ。常人なら41くらいまで探して、「もう、これくらいでいいんじゃない?くたびれたよ」と割り切ってやめてしまうところを、コンピュータを用いたとはいえ、よくぞ割り切らずに頑張って探したものだと感服します。飽くなき探求心にあっぱれ!です。

 翻ってみますと、私たち老健施設で働く者にとっても、この「素数」から学ぶべき事があると思います。それは利用者様のケアをする際の心構え。「”まあ、これでいいや!こんなもんでいいだろう”と割り切って考えてはいけない!」ということです。今日やっているケアが明日もそのままでいいとは限りません。刻一刻と変化しかねない利用者様の心身の状態を注意深く観察するとともに、在宅復帰を果たすために必要なケアはいかにあるべきか?決して割り切ることなく、探求していくべきではないでしょうか。

 素数は無限。ケアの質にも上限はありません。アメリカの数学者に負けないよう、「史上最大のケア」を追求しようではありませんか。

春期発動機(しゅんきはつどうき)

 とうに立春は過ぎたけれど、まだまだ寒い日々が続いています。「寒いのイヤイヤ!」という人も多いかと思いますが、なんと、冬の寒さを吹っ飛ばして、お日様ポカポカ、春風そよそよ、小川さらさら・・・と、春爛漫にしてくれるマシーンがある、らしい、そうです、げな。

 寒がり屋にとって福音となる迎春招春成春呼春機械とは、そのスーパー・ドリーム・スプリング・ハズ・カム・マシーンとは、ドロドロドロドロ(ドラムロールのつもり)・・・・・

 じゃーん!その名も「春期発動機」!やったー?(^O^)/。これさえあれば一気に寒さ解消。春満開だーっ!でも、この「春期発動機」、どこで売ってるの?燃料はなに?「発動機」というくらいだから、まさかあの農機具で有名な某大手メーカー・・・?『広辞苑』にもちゃんと載っている、はずの「春期発動機」・・・ん?(´Д`😉あっ!!違うじゃん☆=>=>=>(+_+。)

 そうです。『広辞苑』に載っているのは「春期発動機」ではなく、「春機発動期」「春期」じゃなくて「春機」「発動機」じゃなくて「発動期」。意味は「二次性徴があらわれ、生殖可能となる時期。11-12歳から16-17歳までぐらいの時期。青春期。としごろ」。つまり、「思春期に同じ」ということです。あれまあ、またまたやっちまいました<(_ _)>

 青春時代の思い出は甘くすっぱいものですが、冬の寒さはまだまだ辛口。利用者様の健康管理には十分ご留意の上、春到来を待ちましょう。

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