雑談

老いて突然記憶が良くなる!?

  医学の進歩に伴い、脳に関する研究は日本に限らず世界のいろんなところで行われ、その成果もマスコミで頻繁に報じられる今日この頃です。

 そんな昨今ですが、2007年の510日、「あっ(゜Д゜)!!」と驚く本の第1刷が文春文庫から世に出ました。そのタイトルたるや何ともストレート&ダイレクト、ずばり「脳みその研究」です!誰が研究したのか?というか著者は誰か?それがまたびっくり(゜◇゜)!あの阿刀田
高さんなのです。まさか脳科学者だったとは・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 主人公の定雄は定年前の会社員。おおざっぱな性格で小さなことなど気にしない。そのためか、人の名前を覚えるのは若い頃から大の苦手でした。その定雄が50歳を過ぎてから、急に名前がぽぽぽーん!と思い浮かぶようになったものだからあら不思議。

 普通の老化だったら逆のはず。芸能人の名前などでも「えーっとあの人よ。誰だったっけ?思い出せない」などとなりがちなものです。しかし定雄の場合は逆。何の苦労もなく名前が口から飛び出てくるのです。あれだけ名前を覚えられなかったこの俺が、一体どうしたというのか?俺の脳に何らかの異変が生じたのか?急に目覚めた能力とうらはらに、失われた能力があるはず、と不安になる定雄は、色々な事を試してみるのですが、どれも変わりはありません。高校の同級生で精神科医の小早川に相談するも、”脳細胞は新しくはならん”と言われてしまい、”まいったなあ”と嘆く定雄。果たしていかなる結末となるのでしょうか・・・?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 もちろんこの小説はフィクションです。阿刀田 高さんが実際に「脳みその研究」をしたかどうかは定かではありませんが、「さすが阿刀田作品!」とその落としどころの面白さに膝を打ってしまいました(実は上に書いたあらましにもそのヒントは隠されています)。

 この本には表題作である「脳みその研究」の他、「海の中道」「兄弟姉妹(はらから)」「小説ウイスキー教室」「応久礼を捜せ」「裏窓」「狐恋い」「掌の哲学」「雨のあとあるいはエピローグ風の小品」の計9作品が収められています。それぞれ軽重様々、おもむき色々で楽しい本です。510日は文庫本発刊6周年記念日。お読みになってみてはいかがでしょうか。

アイスと冷凍庫

  59日は日本アイスクリーム協会が1964年に定めた「アイスクリームの日」だそうです。今からもう49年前の話です。

 その頃と今とのアイスクリーム事情を比較する上で、冷蔵庫の変遷を抜きにして考えることはできません。あくまでも個人的な見解ですが・・・。

 その頃の冷蔵庫と言えば、冷凍機能がついていないものが少なくありませんでした。ですから名前の通りもっぱら「冷蔵」するのが使命でした(製氷室はかろうじてついていましたけど)。

 したがって、アイスを買ってきても冷蔵庫にとっておくことはできませんでした。当然ですが、溶けてしまうからです。アイスは、食べたい時に買う。買ったら食べる、溶けないうちに。これがセオリーでした。お菓子屋の軒先や店内で食べるのも子供の楽しみの一つでした。アイスクリームではありませんが、10円で氷菓が買えた時代です。

 その後、冷凍もできる冷蔵庫、いわゆる「冷凍冷蔵庫(って、今は言わないですね)」が普及してくるとそれが変化してきました。何と言っても買ってきて家で保存できるわけです。子供にとっては革命的な嬉しい事件でした。めったにあることではなかったけれど、学校から帰ってきて、「おやつにアイスクリームがあるからね」と聞くと飛び上がって喜んだものでした。

 さらにアイス情勢は快進撃を続けます。なんと、でっかいカップに入ったアイスが売り出されたのです。家族や仲間で食べることを主目的として発売したのでしょうが、子供にとってはまさに「垂涎(すいぜん)の的」でした。清涼飲料水で1リットルびんが登場したのと匹敵するくらいのビッグニュースでした。「一生に一度でいいから、あれを一人で食ってみてぇー」と。

 そして現在、冷蔵庫に冷凍ルームは当たり前。むしろ冷凍庫に冷蔵ルームがついたと言えるくらい冷凍スペースは大きくなりました。アイスもファミリーパックがたくさん出回り、まとめ買いする事も多くなりました。おいしく、便利になりました。

 だけど時々、懐かしく思い出します。胸ときめかせ、お菓子屋に小銭を握りしめてアイスを買いに行ったあの頃を。セミの合唱を聞きながら店の軒下で食べたあの冷たく甘い、あの味を。ああ、いいですねー。ああ、いいっすねー。あーいーすねー。アイスねー。おあとがよろしいようで。

イラカとイラハイ

 子供時代の今頃、「イーラーカーのなーみぃーとぉー くーもーのぉなーみぃー」と歌っていたのはご存知「こいのぼり」。しかし当時は「イラカ」とは何なのか?知らずに歌っていたのでした。後になってそれは「甍(いらか)」、つまり「かわら屋根」の事だったと知ってなるほどと思い知らされました。あれは「波」に見えますね。だからトタン屋根や、かやぶき屋根では「波」にはならないわけです。「いらか」・・・今の子供はわかるかなあ、っていうか、この曲、歌い継がれているのでしょうか。唱歌が音楽の教科書から消えたのは寂しいことです。

 こいのぼりとは全然関係ないのですが、「イラカ」と似た言葉で「イラハイ」というのがあるのをご存知でしょうか?これまたなんじゃろかい?と首をひねるような単語です。

 これは「イラハイ」という名の小説なのです(新潮社)。著者は佐藤哲也さん。「イラハイ」とは国の名前で、初代国王の名前でもあります。登場する人物は、ウーサン、シュリ、イーサン、国王フルシミ八世、フルニエ(伝説の屋根穴職人)、クロシミ王子(ヒタタミ党指導者)・・・など、不思議な名前が続々です。

 この本を一言で表すと、「分別と愚かさに関する作品」、あるいは「始まりがあって、終わりがある、という作品」でしょうか。これじゃあわからないですよねぇ。

イラハイという国に住む屋根穴職人ウーサンが、シュリと結婚するのを知ったフルシミ八世が、幸せを得るには困難を克服しなければならない、と難癖をつけてシュリを奪い去る。シュリを取り戻したい気持ちに反して、様々な困難に遭遇するウーサン。穴から落ちた先の地底で、イラハイの国土を崩し去るという「彼岸の支え」に繋がれる。フルニエとイラハイ初代国王との言い合いが高じて、彼岸の支えが折れ、イラハイは水中に。一方城の塔に幽閉されたシュリ。そのシュリとウーサンは果たして再会できるのでしょうか?そしてハッピーな結末になるのでしょうか・・・?

 どうです?おわかりいただけましたか?え?わからない?そうでしょう。タイトルが不思議なら、内容も不思議です。禅問答のようなやりとりが色んな場面で繰り広げられ、首をかしげられるだけかしげて読みました。個人的には「異色中の異色」の作品だという感想を持ちました。だけどこれは現在の社会に対する、著者の深い洞察があるようにも思いました。名作です。

5回日本ファンタジー・ノベル大賞受賞作品(1993年)のこの「イラハイ」。この不思議な「単語」と「端午」の節句にかこつけて、そして「イラカ」と「イラハイ」にかこつけて、鯉のぼりが大空泳ぐその薫風に吹かれながら読んでみられてはいかがでしょうか?もちろん、「イラカ」の上で読むのは、転落して大けがをする恐れがあり大変危険ですので絶対にやらないで下さい。

バタヤン逝く

  425日のニュース。「バタヤン」こと歌手の田端義夫さんの訃報を知って愕然としました。それは私だけではなかったはずです。老健の利用をされている皆様にとってもショックだったのではないでしょうか。

 ギターを高い位置に、水平に構えて歌う独特のスタイル。そして「オース!」という挨拶。大好きでした。学校の掃除時間にほうきをギターがわりにして「なみーのぉー、せのせぇにぃー、ゆらーれーてゆぅーれーてぇー」と真似したものでした。

 「大利根月夜」、「ふるさとの灯台」、「梅と兵隊」・・・。上げればきりがない名曲の数々。特に奄美大島で歌われていた「島育ち」は、レコード会社が反対したのを押し切ってギターと太鼓と三線のみで録音して発売して大ヒットしたものだそうです。その逸話を耳にしたとき、バタヤンの歌手魂を見たような気がしました。ビブラートのきいた、あのやさしい高音がもう聴けなくなるとは・・・。

 子どもの時、親に「あれはエレキギターなの?」と尋ねたら、「違う、あれは電気ギターじゃが」と言われ、ずっと「バタヤンが弾いているのは”電気ギター”なんだ」と信じ込んでいました。エレキと電気、どこがどう違うのかはともかく、あれはアメリカのナショナル・ギター社製の「Solid Body Electric Spanish(No.1124)」というエレキギターだと知ったのはつい最近のことでした。個人的には国宝にして欲しいくらいの気持ちです。

 94歳の生涯を閉じたバタヤンですが、90歳まで現役歌手で活動されて、私たちに歌の素晴らしさ、歌うことの素晴らしさを教えてくれました。悲しい気持ちの一方では、「ありがとう」という感謝の気持ちが後から後から湧いてきました。426日午前3時過ぎからのNHKラジオ深夜便「にっぽんの歌、心の歌」の冒頭では、予定されていた?橋菊太郎特集に先立ち、「かえり船」がしんみりと流されました。

 大利根月夜で「今じゃ浮き世を三度笠」と歌ったバタヤン。今頃「かえり船」に乗って、あの世へ旅立っているところなのでしょうか?ひょっとすると、先に逝去された岡本敦夫さんが「高原列車」の窓からハンケチを振って歓迎しているかもしれません。田端義夫さん、数々の素晴らしい歌、そして感動をありがとうございました。どうぞ安らかにお眠り下さい。

五月です

  五月です。皐月(さつき)です。「早苗(さなえ)を植える月」ということから「さつき」となったとの説もあるそうです。いずれにせよ2013年、平成25年の3分の1が過ぎてしまったというわけです。なんか早すぎない?と思うこと自体が当たり前になってしまう、そんな気すらしてしまう今日この頃です。

 各会員施設におかれましては、4月に新たなスタッフを仲間として迎え入れたところも多いかと思います。いずれの老健施設でも新人教育には力を入れられていることと思いますが、「教える」ということは簡単ではないと、何かにつけて思い知らされてしまいます。

 「ある人に魚を1匹与えればその人は1日食える。魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える」というのは中国のことわざだそうです(『生きる力がわいてくる名言・座右の銘1500』、インパクト編、ナガオカ文庫)。

 新人スタッフもそうじゃない人も、利用者様のために皆が元気に楽しく日々働けるよう、「教える事を学ぶ」ことも大切だと思います。

高校生に学んだこと

  44日の朝日新聞。高校生からの投書にハッとしました。

 ジュニアロースクールで裁判の弁護士や検察官のやりとりの様子を見たこの投稿者、「もっとはっきり言葉を言ってもらいたい」と訴えていたのです。専門用語が多く、書類をモゴモゴと読み上げることも多く、何を言っているのか理解できず、「一般の人にも伝わりやすいように努力してほしい」と。

 そしてその投稿者が通う学校におけるスピーチやプレゼンをする時のポイントが、次のように紹介されていました。「『ボイス』『アイコンタクト』『ボディーランゲージ』の三つが重要視されます」・・・。これは私たち老健施設で働く者が、介護を必要とする高齢者と接する時にも大事なポイントだと気付いてハッとしたのです。

実際にケアをする際、利用者様にその旨を説明し、理解を得る必要があります。しかし、加齢や疾病、障害などによりコミュニケーション能力が低下している方も少なくありません。したがって、声を掛けて言葉で伝えるだけではなく、身振り手振りを加えたり文字や図表を用いるなど、様々な手法を用いて理解してもらう必要があります。もちろん相手の目線で、アイコンタクトをしっかりとることも忘れてはいけません。

わかってはいても、この投書のように第三者から見たら、果たしてちゃんと行えているだろうか?今一度自分自身の接し方を振り返って見なければならない、そう反省させられた投書でした。

昭和の日

  429日は昭和の日です。198917日に幕を下ろした昭和。あれからもう四半世紀が過ぎてしまったとは・・・。64年という長きにわたっただけでなく、日本の歴史全体の中でも、重大な出来事がたくさんあった時代が昭和と言えるでしょう。四半世紀前に働き盛りだった40歳の人達は今、65歳になられるわけです。年号が平成に変わってから、時の流れが加速したかのような錯覚を覚えます。

 そんな折、417日の日本経済新聞の1面に立った四段見出し。「65歳以上、3000万人突破」・・・。総務省が16日発表した201210月時点の推計人口によると、推計人口を出し始めた1950年以降、65歳以上の高齢者が初めて3000万人を越えたのだそうです。また、総人口にしめるその割合も24.1%と、過去最高になったとのこと。つまり昭和から平成に年号が変わった頃のアラフォー(当時はもちろんそんな用語はありませんでした)の方々が、高齢者の仲間入りをし始めたばかりでなく、全体としての高齢者も最多となったわけです。

 「昭和は遠くなりにけり」と感慨にふけるばかりでなく、このような現状やこれから迎える新たな時代に向けて、老健施設に勤める者の1人としてどうするべきか?それを考える昭和の日にしたいと思います

げるのこ

  「げるのこ」をご存知でしょうか?「げる」の「子」です・・・え?「げる」がわからない?じゃあヒントです。「ゲロゲロ」鳴きます。「ケロケロ」と鳴くのもいます。はい、もうおわかりでしょう。

 そうです。「げる」とは「カエル」のこと。その「げる」の「子」だから、「げるのこ」とはカエルの子、すなわち「オタマジャクシ」のことです。もちろんナマズの孫ではありません。宮崎弁です(『新宮崎市方言辞典』、玉木徹志、田代学、江南書房)。

 超早場米の産地、宮崎県では、田んぼの稲もすくすく育ち、この「げるのこ」もすいすいと泳いでいるのが観察されます。これから「げる」(”びきたん”、”びきたろ”とも言いますね)の大合唱が賑やかになってくることでしょう。

 それはそうとこの「げる」という言葉、気になります。広辞苑(第4版)で調べると、「ゲル」というのが2つ載っています。

 一つ目の「ゲル」は、「(学生語。ゲルトの略)かね。金銭」。そう言えば、お財布の事を「がま口」と言いますね。ということは宮崎弁で言うと「げる口」となるのかな?

 二つ目の「ゲル」は、「コロイド溶液が流動性を失い、多少の弾性と固さをもってゼリー状に固化したもの」。うわぁー、これってすごく両生類的イメージ。なんかカエルの食感・・・じゃなくて触感を連想してしまいそうです。カエルのタマゴはさらにゲル感たっぷりです。

 まさか宮崎の先人達がそこまで推考を重ねた上でカエルのことを「げる」と称するようになったわけではなく、おそらくは”かえる”→”けえる”→”げえる”→”げる”ってな具合になったのではないかと思うのですが、適当につじつまが合っていて興味深いです。

 お金つながりでこじつけると、世の中は27日から黄金週間。カエルの合唱が響き渡る中、多くの日本人がレジャーや観光などに大移動することが予想されます。

 私たち老健施設に勤める者にとっては、ゴールデンウィークとは関係無く日々の業務に携わるわけですが、気を緩めること無く利用者様のケアに努めましょう。

 なお、通勤や送迎の際には平時と車の流れが大きく異なることも予想されますので、十分注意するとともに、時間に余裕をもって運転しましょう。もちろん行く時だけではありません。カエル時も、ね。お後がよろしいようで、ゲロゲロ。

どこから見るか?

 「上から見るか、下から見るかで世界は違う」という言葉が紹介されていました。328日の日本経済新聞、「交遊抄」のコーナー。書いたのはNHKエンタープライズ社長の佐藤寿美(としみ)さんです。

 この言葉を語ったのは永瀬昭幸さん。予備校などを運営する会社の社長で、佐藤さんの「交遊半世紀となる親友」だそうです。言葉の真意を尋ねたことはないものの、佐藤さんよりも10センチほど背が低い永瀬さん、その小柄なことが「闘志の源泉になっている」と、佐藤さんは考えているとのことです。

 「上から見るか、下から見るか」・・・。これは私たち介護の現場で働いている者にとっても大事なことだと思います。車椅子で移動をする人と、歩いて移動をする人とでは目に見える風景は異なってきます。車椅子に乗った人が立った人と話すには、大きく見上げなければなりません。視覚にとどまらず、聞こえる音や感じる空気などが違ってくることもあるわけです。

それだけではなく、歩いている人には何の支障もないような所でも、車椅子に乗った人にとって移動の妨げになり、あるいは危険が及ぶ事もあります。そのような様々な違いから、世界や人生観は少なからず変わってくると思います。

ありきたりな言い方ですが、「その人の立場になってみる、そして考える」ということが大切なのだ、そう思った記事でした。

リカードの誕生日


   419日はイギリスの経済学者、リカードの誕生日です(1772-1823)。「比較生産費説(ひかくせさんひせつ)」を唱えたことで知られています。

この「比較生産費説」、『広辞苑』には「生産費の比較的有利性ないし不利性をもって国際分業を生む根拠となし、これに基づいて国際貿易が行われる原理を説明する学説。リカードにより唱えられた」とあります。

リカード生誕241年を迎えた2013年、私たちの大きな関心事の一つに環太平洋連携協定、すなわちTPPがあります。リカードが比較生産費説を唱えた頃のイギリスは産業革命まっただ中。一方、現代の日本は少子高齢社会。リカードが現代に生きていたら、どのような見解を示したことでしょう。

ともあれこのTPP、私たちの生活に少なからず影響を与えるものと思われます。それゆえに今後の成り行きがどうなるか?大いに注目されます。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ