「ガス抜き」を広辞苑で調べると「(1)炭鉱などで、ガス爆発の予防のためにガスを取り除くこと。(2)(比喩的に)組織内に鬱積した不満が噴出しないように、解消させること」とあります。日本のあちこちにあった炭鉱も廃坑となってしまった現在においては、(2)の意味で用いられることが多いのではないでしょうか。
会社の帰りに上司が部下に「おい、○○君、今夜帰りに一杯どうだね?」などと誘って、不満を聞いたり、相談に乗ったりするのも、ガス抜きが目的という場合もあったりして・・・。「酒は社会の潤滑油」、「飲みニュケーション」などと言いながら、ついで、つがれて千鳥足・・・。世界を見渡すと、就業時間が過ぎた途端に上司も部下も関係無し。時間外では赤の他人、プライベート干渉すべからず、それではまた明日、ごきげんよう。という割り切ったお国柄のところもある、と聞いたことがあります。それに比べると、この「ガス抜き」、「和」を重んじる日本には不可欠の作業、というか、少し飛躍して文化なのかも?ただし、飲酒運転は絶対にだめです。くれぐれも”飲んだら乗るな”、徹底しましょう。
前置きが長くなりましたが、そっちの「ガス抜き」じゃなくて、(1)の意味での「ガス抜き」ができないか?と切望するようなニュースが飛び込んできました。10月12日付の宮崎日日新聞によると、新燃岳の噴火活動が再び活発化する可能性があるとのこと!
これは、火山噴火予知連絡会が同11日、気象庁で開いた例会の中でまとめられた検討結果だそうです。今は静まったかのように見える新燃岳。しかし、深部からのマグマ供給が続いていて、このままだと、来年2月ごろには、あの爆発的噴火の前の量に戻ると推定されることから、警戒を呼び掛けている、と報じられていました。
とんでもないことです。マグマなんてため込んで欲しくないです。あの爆発、あの振動、そしてあの火山灰や火山弾・・・二度とごめんです。連絡会の発表が間違いであって欲しいと願うばかりです。
もしも百歩も千歩も、いや一万歩譲って発表が正しいとして、「ガス抜き」みたいな事ができないものでしょうか?一気にドカンと爆発するのじゃなくて、少しずつ少しずつ、被害が及ばない程度に「プッ、プッ、プッ」とやれないものでしょうか?新燃岳の横から穴を空けて、マグマをちょこっとずつ抜き出せないものでしょうか?今こそ、本当に今こそ、「どげんかせんといかん!!」という時だと思うのですが、どげんもでけんものなのでしょうか。
宮崎の美しい空や山や大地や海、そして私たちの住む町、さらに何よりも私たちの心が、再び灰色に埋まってしまうことがないことを心から祈るばかりです。