雑談

当たり前じゃないこと

IMG_2415-1(s).jpg

 この写真は91日の早朝に撮影したものです。夏至の頃ほどではないものの、まだまだ北寄りの東の空から雲の合間を縫うように朝の太陽がこのような光線を放射しながら昇って来た瞬間を捉えました。紺碧(こんぺき)の空を突き破るような金色の光がとても綺麗で感動したのと同時に、この地球に光と熱とを届けてくれる太陽の存在をありがたく感じた瞬間でした。電気やガス料金を払わなかったら供給をストップされてしまうのに、太陽は地球に人類が登場するよりもはるかに前から無料でそれを「贈って」くれているわけですから。

 しかしこの景色はほんの短い間。すぐに空が明るくなって、いつも通りの朝がやってきました。そうなってしまうと、つまり「当たり前に明るい状態」になってしまうと、太陽の有り難みも忘れてしまいがちです。だけど太陽が急に「太陽料を払っていないから」などといって急に顔を出さなくなってしまったら、人々は大混乱を起こしてしまいます。「なーに大丈夫さ。アマノウズメノミコトにダンスを踊らせればアマテラスオオミカミのように、太陽も顔を出してくれるよ」などと日向神話みたいなことを言っている場合ではありません。おそらく地球の生命体は全滅するのではないでしょうか。そんなことを知って知らずか、太陽は相変わらず輝いていてくれます。「当たり前に毎日が過ぎているけれど、決してこれは当たり前なこととは言えないなあ。この当たり前なことに感謝しなくてはいけない」と思いながらシャッターを切りました。

 現在の私達の生活は、蛇口をひねれば水が出るし、スイッチを入れれば灯りが点きます。レンジでチンすれば食べ物は暖まるし、トイレで用を足せば流れて行ってくれます(料金を払えば)。これらを私達は「当たり前のこと」として別段ありがたがることもなく暮らしていますが、断水や停電などになると途端に私達の生活に支障を来してしまいます。「有り難い」を「広辞苑」で調べると、「なかなかありそうもない」という意味も記されている通り、日々の暮らしの中で私達が恩恵を受けている「当たり前のこと」に対し「けっして当たり前じゃない」という気持ちを込めて「ありがとう」と感謝したいと思います。

 そして今、関東・東北の大水害では大勢の方が被災し、家屋の倒壊や流失、インフラも大きな損害を被っており、直前まで「当たり前」のことだったことが当たり前ではなくなっている現状に愕然とせざるを得ません。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げますとともに、一日でも早い復旧を願ってやみません。

死者への感謝

「死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ(”The highest
tribute to the dead is not grief but gratitude
“)」と述べたのはアメリカの劇作家で小説家のソートン・ワイルダー(「生きるヒントになる名語録728」、轡田隆史監修、橋本一郎著、三笠書房)。

 間もなく発行予定の当協会の広報誌「老健みやざき 32号」の中では看護・介護研究部会が59日に開いた「高齢者の看取り」研修会の模様を紹介しています。この研修会では「認定特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎」の市原美穂理事長の講演がありました。講演の中で「人が亡くなるプロセスを理解し、『最後をどうしたいのか?』と意思を確認しておくことが、本人や家族の想いに沿った看取りケアにつながる」とし、「人生の幕を閉じるとき、どこで、どのように、誰に看取ってもらいたいか?」を聞いた上で、それを踏まえた介護をしていくことの重要性を強調されました。

 宮崎市内に4箇所あり、市原理事長が管理者を務めている「ホームホスピスかあさんの家」では、看取りの主人公である家族をスタッフがチームで支えます。そして家族が「死」を生活の延長線上にある自然なものとして受け入れることで、悲しみの中にも安堵感が生まれ、涙はやがて笑顔に変わるという、昔ながらのプロセスをたどることができるのだそうです。このような取り組みの中から命を尊び、死者への感謝の気持ちが芽生えてくるのではないかと、講演を拝聴しながら思いました。

 この看護・介護研究部会の「高齢者の看取り」研修会の様子は「老健みやざき
32号」のの他、協会ブログでも518日から64日にわたって連載していますのでご参照下さい(5アーカイブこちら、そして6アーカイブこちらからお願いします。なお、ページ右上のカレンダーがうまく連動していません。ご迷惑をおかけしており申し訳ありません)。

DSCN8430.jpg

肩の上の秘書(9月6日は星新一誕生日)

 昨年1年間に認知症が原因で行方不明になったとして警察に届けられたのは1783人であることが625日、警察庁のまとめでわかったと、同26日の宮崎日日新聞に報じられていました。

 記事によるとこの数字は前年より461人多く、2年連続1万人を超えているとのこと。そして宮崎県においては、県警が受理した認知症、またはその疑いがある行方不明者は201233人、1347人、1455人と年々増加しているばかりでなく、死亡につながるケースも少なくないとのことで、昨年は8人の死亡が確認されたと記されていました。

 このような状況に鑑み、徘徊する認知症の人を早期発見できるよう、地域で連携する必要があるとして、その取り組み状況が紹介されたのに続き、警察庁の担当者の「徘徊対策には警察だけでなく、地域の見守る目が効果的だ」というコメントが添えられていました。

 認知症のある人が、認知症のある普通の市民として、必要な援助を受けながら地域で暮らし、参加、活動していくことはノーマライゼーションや地域リハビリテーション、そして介護保険制度の目指すべき姿であると言えます。

 ところで96日は作家の星新一の誕生日(192696-19971230日)。星新一といえば数多くのショートショート名作がありますが、その中に「肩の上の秘書」という作品がショートショート集、「ボッコちゃん」(新潮文庫)に納められています。この中で未来の人々は各々の肩に秘書役のインコを乗せていて、人が他者と会話をする時、このインコを介して言葉を交わします。例えば会社の上司と部下やセールスマンと主婦が会話する際、それぞれが投げやりでぶっきらぼうに語る本音を、秘書であるインコが美辞麗句に変換し、相手の気分を害さぬように語ることで、コミュニケーションを円滑にし、トラブルを防ごうというものです。

 「認知症踏め1783人」という上記の記事の見出しを目にしたとき、ふとこの「肩の上の秘書」というタイトルを想起しました。ただし、肩の上のインコは単なる通訳でなく、雇い主である認知症の方のために必要なサポートをするまさに「秘書役」。インコはあらかじめ雇い主に関する様々な記憶・情報がインプットされています。そして雇い主が歩き回る際には周囲の諸情報をリアルタイムに収集し、状況把握するとともに、雇い主の「どこに行きたいか」、「何をしたいか」、「誰に会いたいか」などといったニーズをくみ取りながら、それを安全かつ満足できるように遂行するのを支援するわけです。

 肩に乗ったインコではなく、イヤホン付きメガネという一体型の装置、さらには現在実用化が進んでいる歩行支援ロボットにその機能が備わっていても良いと思います。目指すべき場所への道順や交通手段の選択、段差等の転倒のリスク発見と回避、買い物における金銭授受の支援や他者との会話時の通訳、そしてバイタルチェック、尿意・便意の検知とトイレへの誘導などを適切に行う一方で、家族などとの連絡も密にとることで介護者も安心できる・・・。そんな「秘書」が実用化されれば、認知症の方も社会の一員として活動・参加でき、生き生きと過ごせるのではないかと思います。

 そのための研究や実験は、既に色々なところで取り組まれているのではないかと思いますが、実用化にはまだ時間がかかるかもしれません。だからといって手をこまねいているわけにはいきません。老健施設は行政や医療機関、地域、家族等々と連携を密に取りながら、地域で暮らす認知症の方々の「秘書」となり、その生活をサポートしていかなければならない。とそのように思った次第です。

IMG_4921(s).JPG

つなぐ役割

DSCN0680.JPG.jpg

 写真は東九州自動車道。321日に宮崎市と大分市までの間南北約200キロが開通、両市が一本につながりました。両市役所間の所要時間は、一般道を走るより1時間半も短い2時間50分となりました。昨年3月に宮崎市と延岡市がつながりましたが、観光や産業面でその、防災はもとより、防災や医療面でも更に大きな効果が期待されています。

 ところでこれを撮影したのは宮崎市と西都市のほぼ境界にある陸橋。厳密にはこの橋よりちょっと右、つまり少しだけ西側まで宮崎市なのですが、ほぼ両市を東西につないでいる陸橋と言えます。ご覧の通り自動車道よりとても高い所に架かっていますので、陸橋の両側とも高さ2メートルくらいの金網フェンスで、様々な危険の回避がはかられています(写真は金網の上までカメラを持ち上げて撮影したものであり、決して金網をよじ登るなどといった危険な行為はしていません)。この陸橋、そして周辺の道路が整備されたことにより、両市の間の所要時間も短縮されました。

 自動車道とその上を渡す陸橋。どちらも「つなぐ」という意味で、非常に大きな役割を果たしていると、撮影しながら思いました。また先頃民放で放送された24時間テレビのテーマも「つなぐ」でした。そして老健といえば中間施設。「病院と在宅をつなぐ」、そして「在宅と地域社会をつなぐ」という役割を果たすため、顕在および潜在に有する機能を今まで以上に発揮し、その付託にこたえていかなくては!と、この場所に立って感じた次第です。

1日を大切にしよう

IMG_1953.jpg

写真は82日の朝6時前、宮崎市は大淀川の堤防で撮影したものです。ビルの影から顔を出した朝陽が、見ているうちにぐんぐん上昇し、大淀川の右岸から左岸にかけて光の帯を渡す光景を見せてくれました。さすが自然豊かな宮崎県の朝だなあ、と感慨に浸りながらシャッターを切りました。

それにしても太陽の動きを見ていると、その動きが早いことに驚かされます。特に日の出や日没など、何か地上の固定したものと比較できる所で観察すると、当たり前のことではありますが、一瞬たりとて止まることなく、確実に動いているのがわかります(注:太陽を直接見るのは危険ですのでしないで下さい)。それを見るにつけ、一日というのは短いものだと感じずにはいられません。

「一日を大切にしよう。その差が人生の差につながる」と述べたのはフランスの哲学者、デカルトです(『いい言葉は、いい人生をつくる』斎藤茂太、成美文庫)。Uターンラッシュや帰国ラッシュが終わったものの、身体がまだ休みモードのまま、という人も少なくないのではないか?と思われる日本の今日この頃ですが、そんな時だからこそ、一日一日を大切にして、いつも以上の心掛けで仕事に臨みたいと思います。

八月の獲物(8月19日は俳句の日)

IMG_1679-1.jpg

  「八月の獲物」は森純の小説で、第13回サントリーミステリー大賞受賞作。1998810日に第1刷が出ています。

 ある四月の早朝、八王子駅構内で二人の老人が遭遇します。うち一人は斎藤了介。彼のジャージの背中には白い布が貼り付けてあり、そこには了介が認知症であり、強い徘徊癖があり家族を困らせていることに続けて連絡先がでかでかと書かれてありました。大男の駅員に首根っこを押さえつけられ引き立てられていく了介。もう一人の老人、桶狭間権兵衛(おけはざまごんのひょうえ)は犬を連れて散歩の途中でしたが、彼の前を通り過ぎようとした了介は、隙を見て駅員を突き飛ばし、ポケットからくしゃくしゃに丸めた小さな紙玉を取り出し、権兵衛に渡したのでした。謎の一言を添えて。

 紙玉をめくり、開いた権兵衛がそこに見たのは、不動産広告の折り込みチラシの余白に書かれた二つの俳句でした。

 「盆が明け 出歩きたきは 夏の宵

  田の烏 今朝は急ぎて 雲隠れ

                  了介」

 こんなショッキングから始まった物語は、いきなり「あなたに10億円差し上げます」という現実離れした”10億円チャリティー企画”の新聞広告に急展開します。当然のごとくマスコミで大きく取りざたされる中、大勢の中から抽選で選ばれた3名の男女には3億円の生命保険がかけられた上で、10億円を受け取れる条件としてたった1つ、「8月の1ヶ月を生存すること」が付されます。

 「一ヶ月の間、生きていればいい」・・・。簡単なようですがそうはいかない。その後受け取り対象者は謎の死を遂げていきます。そしてこの10億円チャリティーの目的は思いも寄らぬところにあったことが明らかになります。

 認知症高齢者を町ぐるみでサポートしようという取り組みや、「徘徊」という言葉の見直しもなされようとしている昨今、愕然とするような始まり方をするこの作品ですが、実はこの話は戦争を経験した高齢者の培った経験や知恵、そして熱き情熱と連帯感が、底流をなしており、他者の知り得ない手法を用いて、壮大な計画が着々と進められていく、という内容となっています。そしてラストは横浜駅に感動の光景が・・・。もちろん詳しい内容を述べるわけにはいきませんが、これは究極の「高齢者の参加と活動」を描いた作品と言えます。

この作品には上記の他にもいくつかの俳句が登場してきますが、これらが非常に重要な役目を果たしています。819日は「俳句の日」。残念ながら著者の森純氏は1999125日、肝不全のため48歳の若さで逝去されましたが、素晴らしい作品を残されたと思います。これを機会に、読まれてみてはいかがでしょうか。

お盆です2015

 お盆です813日が盆入り(迎え日)、14日が中日、そして16日が盆明け(送り日)です。テレビなどでは多くの国民がまとまった休みをとり、自家用車や公共交通機関で故郷に帰る姿が報じられています。いかにもニッポンの夏、という感じです。

 とはいうものの、利用者の皆様のかけがえのない命を預かる老健施設に勤務する者にとっては、盆休みは関係ない方も少なくないのではないかと思います。

しかし、遠方から帰省された家族が施設を訪れ、入所利用者と久々の再会をし、土産話に花咲かせている姿を目の当たりにするのは、貴重な「学びの機会」だと思います。私たちとの会話の中では決して出てくることのない人や場所、そして思い出の数々を語り合う中で、利用者が心から満たされた気持ちになり、満面の笑顔をたたえている様子を見ると、家族が持つ力の大きさ、そして絆の強さを実感します。同時にそれにできる限り近づけるよう、一老健職員として現状に甘んじることなく、まだまだ質の高いケアを目指していかければならない、と痛感せざるを得ません。

それだけでなく、利用者が家族の精神的支柱として果たしている役割の大きさに触れ、利用者ひとりひとりが持っている様々な能力を最大限に引き出し、高めていくことが、参加と活動を旨とするリハビリテーションの根幹をなすのだと再認識させられます。

 今年もやって来たお盆の季節。平素に増して来訪者が増えるのに備え、整理、整頓、清掃、清潔を徹底するのはもとより、職員ひとりひとり、そして施設全体としてのあり方を振り返り、明日からのケアにつなげていく機会にしたいと考える次第です。

IMG_1945(s).jpg

幸せのブルームーン

 諸説はありますが、ひと月に2度満月が現れることを「ブルームーン」というのだそうです。そして「ブルームーンを見ると幸せになれる」という言い伝えもあります。月は29.5日の周期で満ち欠けを繰り返しますから、ある月の最初に満月だとその月の終わりにまた満月になりますが、2月だと計算上ブルームーンはあり得ないということになります。

 そのブルームーン、今年は7月にありました。72日に1度目、そして731日に2度目の満月となったわけです。残念ながら72日は天候が悪かったのですが、31日は晴天で、綺麗な満月を拝むことができました(1度目を”ファーストムーン”、2度目を”ブルームーン”という呼び方もあるそうです)。

 ところがこのブルームーン、次はいつ見られるのか?というとなんと2018年。つまり3年先まで見られないのだそうです。それはいかん!というわけで、731日に顔を出したブルームーンが、日付が変わった81日、西の空に浮かんでいたものを撮影しておりましたので、ここにアップしておくことにします(画像をクリックすると拡大して見られます)。

IMG_1917-1.jpg

 このブルームーン、3年に1度しかないのか?というと必ずしもそういうわけではなく、2018年の1月にあったら、次はその2ヶ月後の3月に再びブルームーンとなるそうです。またあくまでも「言い伝え」ですから見れば幸せになるとは限りませんが、梅雨も明けて星や月が綺麗な宮崎の夜空が広がるようになりました。たまには利用者の皆様と見上げてみてはいかがでしょうか。

平均寿命過去最高

IMG_1779-1.jpg

 既にご存知の方も多いかと思いますが、日本人の2014年の平均寿命が過去最高となりました。これは厚生労働省の調査でわかったもの。

731日の日本経済新聞によると、女性は86.83歳で前年より0.22歳の延び。男性は80.50歳で同じく0.29歳の延び。そして女性は3年連続世界一、男性は前年の4位から3位になったそうです。

この原因として厚労省は「がんや心臓病、肺炎、脳卒中などによる死亡率が改善したこと」と分析しており、仮にこれらの病気で亡くなる人がいなくなれば平均寿命はさらに女性が6.02歳、男性が7.28延びるという推定値が示されていました。

このような内容が、横見出し(数値は白抜き文字)、6段記事で紹介されていました。このこと自体は大変喜ばしいことで、これまでの我が国における医療、保健、福祉の取り組みが、具体的な数値となって現れているのだと思いました。

そうは思いながらも、その最下段の最後7行に目がとまりました。そこには厚労省が算出した「健康上の問題で日常生活が制限されない期間を示す『健康寿命』」(2013年)について、「女性が74.21歳、男性が71.19歳」と載っていました。

2013年での値ですから、これを同年における平均寿命(女性86.61歳、男性80.21歳)と比較すると、女性で12.40歳、男性で9.02歳の差があり、それぞれその間、「健康上の問題で日常生活が制限される」ということになります。男女ともこれは決して短い期間とは言えないのではないでしょうか。

「平均寿命が延びても、例えば寝たきりの状態では本人もつらいし、家族など周囲の負担も大きい」として、「健康寿命」を延ばすことの重要性を指摘する専門家のコメントも紹介されていましたが、まさしくその通りだと思います。そして、健康寿命が平均寿命に近づくように延ばしていくとともに、「健康上の問題で日常生活が制限される」ようになった場合でも、個人の尊厳を失うことなく、住み慣れた地域社会でいきいきとした生活を送り続けられるように支援していくことも、これまで以上に大切になってくるものと思います。そしてそのために老健施設が果たすべき役割も重要になってくる・・・そのように考えさせられた記事でした。

「にのしのさんしめ」アゲイン

 暑い日が続いています。夏バテで利用者のケアに支障を来すようではいけません。そこで元気に出るおまじない。312日のブログで紹介した当協会オリジナルの指遊び、「『元気』という字は”にのしのさんしめ”」をもう一度紹介します。

 この「『元気』という字は”にのしのさんしめ”」というのは、「元気」という文字を分解したものです。それでは図を用いて解説していきます。

にのしのさんしめ(1).jpg

〔↑(1):最初にカタカナの「」を書きます〕

にのしのさんしめ(2).jpg

〔↑(2)(1)の下やや左側にカタカナの「」をくっつけて書きます〕

にのしのさんしめ(3).jpg

〔↑(3)(2)の下やや右側にひらがなの「」をくっつけて書きます〕

にのしのさんしめ(4).jpg

〔↑(4):カタカナの「」を書きます〕

にのしのさんしめ(5).jpg

〔↑(5)(4)の右に漢字の「」を書きます〕

にのしのさんしめ(6).jpg

〔↑(6)(5)の右側からひらがなの「」を下ろして書きます〕

にのしのさんしめ(7).jpg

〔↑(7):最後にカタカナの「」を書き入れると・・・〕

にのしのさんしめ(8).jpg

・・・あーら不思議!!“にのしのさんしめ”で、「元気」という文字が完成しましたヾ(v)k

この「『元気』という字は”にのしのさんしめ”」という指遊び、「いちにっさーんのしのにのご、・・・」という指遊びと同様に、「『元気という字は』に続き、両方の指を「2の4の3、4」と折った後、「め」で両方の人差し指でそれぞれ左右の目を指さしてフィニッシュすると、これが結構むずかしいです。

まずはスタッフの皆さんで試してみて、それから利用者の方々も交え、スピードを徐々に上げて難易度を高くするなどしてやってみると、きっと元気になること間違いない!!かどうかは定かではありませんが、レクレーションの一つに加えていただくなどして、元気の大切さを考える一助としていただけると幸いです。

最近の投稿

アーカイブ

カテゴリー

老健みやざきFacebook

TOPへ