雑談

自分にかける日

  いよいよ今日から師走。今年も残すところ一か月となりました。「師が走る」と書く通り、何かとあわただしくなることと思いますが、油断大敵。安全第一で仕事に励みましょう。

 さて、今日のこの日、121日、という数字の並びを見ていて気づきました。「121 “というのは112乗だ」と。中学校の数学では平方の数を学びます。そして平方根も学ぶのですが、これが円周率に次いでおそらく2番目に遭遇する無理数。「ひとよひとよにひとみごろ」「ひとなみにおごれや」「ふじさんろくにおーむなく」などと覚えたりしますが、この「ルート」なるものが登場してきてつまずく人もいたのではないでしょうか。そもそも名前が良くない。「”無理”数」ですからね。

 話を戻しますが、「2乗」は「自乗」とも書きます。そもそも同一の数や文字を次々に掛け合わせることを「累乗」と言い、2乗、3乗、4乗、5乗・・・と続きます(ちなみに1乗は元の数字と同じで、0乗はみんな1になります)。それらの中で、唯一「2乗」だけが「自乗」と書き表すことができるというのは、何だか特別なことのように思えます。つまり「自乗」とは、「自分に自分をかける」、あるいは「自分を自分にかける」というふうに読み取ることができるのではないでしょうか。

 「わたし、自分にかけてみたいんです!!」といったセリフをテレビドラマ等で耳にすることがあります。これって、「自分は、自分にかける」、すなわち数学的(?)には自乗じゃないか?とふと思いついたのです。

 そこで提案!本日、121を「自分にかける日」としてはどうでしょうか?自分の可能性を信じ、チャレンジしよう!頑張ってみよう!自分にかけよう!という日にしては。うーん、何だかかっこいい・・・。

 と一人悦に入っていると、この「自分にかける日」(未決定)、他にもまだあるわあるわ。すなわち、

 

16 16・・・4の自乗)

121日(121・・・11の自乗)

25日(25・・・5の自乗)

225日(15の自乗)

36日(36・・・6の自乗)

324日(324・・・18の自乗)

49日(49・・・7の自乗)

529日(529・・・23の自乗)

64日(64・・・8の自乗)

625日(625・・・25の自乗)

729日(729・・・27の自乗)

81日(81・・・9の自乗)

1024日(1024・・・32の自乗)

121日(121・・・11の自乗:先述)

1225日(1225・・・35の自乗)

 

以上、15日もありました<(^´)>。これじゃあ、121日だけを「自分にかける日」とはできません。うーん、残念。

 だが、待てよ!?そもそも、自分が自分にかけないで、だれにかけるというのでしょう。かりにこれらの日を全部「自分にかける日」にしたとしても、その他の日はどうするんだ?「ほかの人にかけよう!」なんて他力本願なことじゃあいただけませんね。

 そんなわけで、「自分にかける日」の提案は棄却!自分の可能性を信じ、チャレンジしよう!頑張ってみよう!自分にかけよう!という気持ちをいつも持ち続けて、日々の仕事に励みたいと思います。

ドンパンと、熱烈に聞くべし

  「人を熱烈に動かそうと思ったら、相手の言い分を熱烈に聞きなさい」とは、デール・カーネギーの言葉です(『リーダーシップ名言集』鎌田 勝、三笠書房)。この言葉に触れ、日ごろの利用者様への接し方を反省してしまいました。「自分は熱烈に聞いているのか?」と。

 よく「相手の話を『傾聴しよう』」などと言ったりします。私たち老健に勤める者が使う数ある用語の中でも、その横綱的存在とも言える「傾聴」。これを『広辞苑』で調べると、「耳を傾けてきくこと。熱心にきくこと」とちゃーんとあります。聞いている「ふり」じゃあいかんのです。日々の業務に追われていると、ついつい聞いている「ふり」をしながら、次の仕事の事を考えてしまっていることはないでしょうか。聞くことをせずして、利用者様を動かそうとしていた自分を猛省しました。そして、「聞く”ふり”のプロになってはいけない!”聞くプロ”にならなければ」とつくづく思いました。

 秋田県の有名な民謡ドンパン節に「庭の菊だけ菊じゃなし 根もきく葉もきく花もきく わたしゃあなたのことも聞く 手に手をとって踊ろうよ」というくだりがあります。どんどん!ぱんぱん!熱烈に聞こうではありませんか。

もののけ姫もナウシカも・・・

  1125日付け宮崎日日新聞文化欄。”「死」考え「生」充実”という四段見出しが視界に飛び込んできました。新刊「『始末』ということ」(角川onテーマ21)を出された、宗教学者の山折哲雄さん(80)が、紙面上で「近代の福祉の思想が、老人を救済すべき弱者に追いやった」と強調していたのです。

 「現代の葬祭のプロセスはシステム化され、衛生的、効率的になった一方で、遺族ら近しい人から見えにくくなっている」と切り出した山折さん。科学では説明できない「魂」の概念を見失い、「鎮魂」のしかたを忘れてしまっていると述べていました。

 このことを踏まえ、「年をとることは果たして忌むべきことか?」と問いかけている山折さん。たしかに体力やエネルギーを失うが、それをもって「救済すべき弱者」と決め込んではいけない、代わりに獲得した英知に目を向けるべきだと訴えていました。「日本には老人を『翁(おきな)』として尊重する思想があった。老人こそが最も神に近いと考えられた」とも。これを読んでハッと思い出したのが表題の宮崎駿作品「もののけ姫」、そして「風の谷のナウシカ」です。

 「もののけ姫」では、たたり神に傷つけられた主人公が、村の老婆の占定め(うらさだめ)に従い、はるか西の国へ旅立ちます。「ナウシカ」では、風の谷の老婆(おおばばさま)が、いにしえの昔からの言い伝え(「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし・・・」というあの名セリフです)を子供達に教え、救世主が現れたことを告げます。いずれの作品でも、若い者達が人生の先輩に対して尊敬の念をもって接し、話に耳を傾け、従います。特に「ナウシカ」のおおばばさまは、視力も衰え、歩くのもままならない状態です。それでもこれら「最も神に近い人」を否定したり、さげすむ村人はいません。かつて両作品とも、人と自然との関わりについて考えさせられたものですが、今回の記事を読みながら、これらが敬老の精神をも説いていたことを、今になって初めて気づき、宮崎作品の奥行きの深さを思い知らされ、新たな感動を覚えました。

 話が戻りますが、山折さんは「後期高齢者」から「末期高齢者」、そして「臨終期高齢者」へと老いが「成熟」していくライフステージにふさわしい人生モデルの必要性を訴えていました。老健施設において、この「ライフステージにふさわしい人生モデル」こそ、「ケアプラン」そのものに換言できるのではないでしょうか。宮崎監督が思いの全てをセル画に込めて、作品に仕上げたように、私たちも一人一人のライフステージにふさわしいケアプランの策定と、その実践に努めなければならないと思いました。

なんか、がんばるぞ!っと。

 「ヒマラヤ山脈の西端、カシミール地方にある高峰。ラーワルピンディーの北東に位置する。海抜八一二五メートル」と広辞苑に記されている山があります。その山の名は、その山の名は・・・「ナンガ-パルバット(Nanga Parbat)」。ネットで検索すると、たくさんヒットして、その美しく崇高な姿を見ることができるはずです。

この名前、「ナンガ‐パルバット」という字面と、他の山々に「屹立」と形容するのを許さないかのようなたたずまいを見ていると、「なんか、頑張るぞ!っと」という気持ちが湧いてくるのです。「ナンノコッチャ?」と思わせてしまった方、申し訳ありません。

 お詫びがてら、山つながりで北島三郎さんの名曲「山」の三番をご紹介します。

 

  目先のことに うろちょろするな

  昨日と同じ 今日はない

  それが師匠(おやじ)の 口癖だった

  たった一度の 人生を

  花にするのも がまんなら

  山にするのも またがまん

 

そんなこんなで、ついに11月最後の週となりました。霜月も今日を含めて3日を残すのみです。昨日と同じ今日はありません。「一日を大切にしよう。その差が人生の差につながる」と言ったのは、フランスの哲学者、デカルト(『いい言葉は、いい人生をつくる』斎藤茂太、成美文庫)。花にするか!?山にするか!?いずれにせよ、いい人生のために、今日もしっかり積み重ねましょう。なんか、頑張るぞ!っと。

細馬攻撃

  「細馬」と書いて「さいば」と読みます。やせっぽちで貧弱な馬のこと?いえいえ違います。広辞苑には「よい馬。すぐれた馬。飼い馴らした馬」とあります。つまり、サラブレッドのようにシャープで身の引き締まった馬のイメージでしょうか。足はほっそりとしていながら、お尻の筋肉はものすごく、それがあの爆発的な脚力を生み出すのでしょう。「人馬一体」と言うように、賢く、しっかり調教されていることも、「細馬」の条件なのでしょう。

 これとは別に、「痩せ馬」という言葉も広辞苑にあります。「やせうま」と読みます。こっちの意味は「痩せて力の弱い馬」と記されています。なるほど、「細いこと」と、「痩せていること」とは、似て非なるものであるというわけですね。

このことは、マラソン選手のように、きっちり食べながらしっかり走り込んで、脂肪を削ぎ落としたスリムな身体と、運動せずに食べる量だけ減らし、脂肪も筋肉も代謝も落ちてゲッソリとした身体との対比にも通じるのかもしれません。老健には栄養部門とリハ部門の専門職がいます。利用者様に栄養と運動のバランスのとれた健康的な生活を送っていただけるよう、他部門のスタッフとも協業しながらトータルにアプローチしていくことが大事なのは、今さら言うまでもありません。

さて、表題の「細馬攻撃」というのは、これとはあまり関係ありません。企業や政界をはじめ、社会全体を脅かしている「サイバー攻撃」の話です。先日、携帯電話で銀行のネットバンキングのサイトにアクセスしたところ、「システム変更のため、URLが変更になりました」と表示され、新しいアドレスを登録しろとのこと。

「こっ、これは!巷で話題のフィッシング詐欺か!?あたかも本物のように思わせる偽サイトに誘導して、個人情報を盗み出そうというのか?まさか、銀行そのものが細馬攻撃、じゃなくてサイバー攻撃の被害遭ったのでは???」という疑念が沸々と湧いてきました。

心配になって、銀行のテレホンサービスセンターに確かめてみました。すると、「間違いありません」とのことで、一応ほっとしたのですが、便利になったネット社会の影に潜む危険性について考える、よい機会となりました。

馬の話からネットの話に急に飛んでしまいましたが、「あまり関係ない」と述べた通り、「全く関係がない」わけではありません。実は、初めてコンピュータウイルスの被害に遭ったのが、今は懐かしパソコン通信でダウンロードした「競馬ゲーム」を介してだったからです。

それは20年以上も前のこと。ウィンドウズなどはなく、MS-DOSの黒い画面上で、左から右に走るお馬さん達のどれが勝利するかを当てて楽しむ単純なゲームでした(実際のお金をかけるものではありませんので念のため)。電話回線を通じ、時間をかけてダウンロードした書籍ファイルを、解凍して使うというのが当時の主流でした。やっているうちに、パソコンの動作が段々重たくなってきたので、不思議に思っていたところ、感染に気付いたのです。常駐のウイルス対策ソフトなんて無かった時代。ウイルス感染を診断するプログラム(「ワクチンソフト」などと呼んでいました)の入ったフロッピーディスクを入手し、調べた結果判明したのでした。

感染したウイルスは、ハードディスク内にある色々なファイルのサイズを、それぞれ数百キロバイト(?)大きくしてしまうというだけの簡単なもの。それでも当時のハードディスクは40メガ。メモリも1メガバイトという、今では信じられないような少なさだったので、動作に影響が出てきたわけです。競馬ゲームを介してパソコンが被害を受けたので、これが本当の「細馬攻撃」かもしれません。

当時と比べてネット環境は飛躍的な進歩を遂げました。これと並行して、ネット犯罪も悪質に、しかも巧妙になってきました。ウイルス対策ソフトの導入はもちろんのこと、それを過信することなく、常に自衛の心掛けを忘れないことも大事だと、自戒の念を新たにした出来事でした。

骨まで愛して日向夏

  「生きてる限りはどこまでも 探し続ける恋ねぐら・・・」と思わず口ずさんでしまいました。1117日付け宮崎日日新聞の「骨粗しょう症 日向夏で予防」の記事を読んでのことです。

 それによると、宮崎大学医学部付属病院産婦人科の山口昌俊講師らが、日向夏ミカンの抽出物が、骨粗しょう症予防の効果が期待できることを突き止め、事業化も進めているとのことでした。

老健に勤める者の一人として、これは朗報です。利用者様が転倒されたと聞くと、「骨折されてないだろうか?」とまっ先に心配になります。先日はタレントの永六輔さんがズボンを履こうとして転び、太ももの骨(大腿骨頸部)を折られたというニュースが飛び込んできてびっくりしたところです。早く元気になって頂きたいと思いつつ、この日向夏の記事を読み直しました。

冒頭の歌は、知る人ぞ知る「骨まで愛して」(作詞:川内和子、作曲:文れいじ、唄:城卓矢)。好きな男性に対して、女性が「傷つき汚れた私でも骨まで愛して欲しいのよ」と訴えかける強烈なラブソングです。利用者様とこの曲を歌うことがあるのですが、「転んで骨折などしないでくださいね。骨を大事に、愛してくださいね」と言ってみんなで声を合わせて歌います。本来の歌詞の意図とは違うので申し訳ないのですが、利用者様一人一人が、転ばないように、骨折されないように、ご留意される一助になればいいと願いながら歌わせていただいています。

日向夏で骨を強くして、「骨まで愛して」で転倒予防に努めていただいて、利用者様が元気な毎日を送って下さるといいと思ったニュースでした。

勤労に感謝しよう!

  本日、1123日は祝日です。勤労感謝の日です。広辞苑には「国民の祝日。1123日。勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあうとする日」とあります。世の中はお休みですが、老健施設に勤める者は、そうは言っておられません。たくさんの老健職員が、今日も元気に仕事に励まれている事と思います。それぞれの老健施設で働けることに感謝しながら勤務にあたろうではありませんか。

 こんな素晴らしい日に仕事ができるわけですから、せっかくのこの機会に「介護老人保健施設の理念と役割」をおさらいしたいと思います。公益社団法人全国老人保健施設協会が毎月発行している協会機関紙、「老健」からそれを抜粋し、以下に記します。さあ、今日もがんばりましょう!!

 

「介護老人保健施設の理念と役割」

 介護老人保健施設は、利用者の尊厳を守り、安全に配慮しながら、生活機能の維持・向上をめざし総合的に援助します。また、家族や地域の人びと・機関と協力し、安心して自立した在宅生活が続けられるよう支援します。

 

1.包括的ケアサービス施設

 利用者の意思を尊重し、望ましい在宅または施設生活が過ごせるようチームで支援します。そのため、利用者に応じた目標と支援計画を立て、必要な医療、看護や介護、リハビリテーションを提供します。

2.リハビリテーション施設

 体力や基本動作能力の獲得、活動や参加の促進、家庭環境の調整など生活機能向上を目的に、集中的な維持期リハビリテーションを行います。

3.在宅復帰施設

 脳卒中、廃用症候群、認知症等による個々の状態像に応じて、多職種からなるチームケアを行い、早期の在宅復帰に努めます。

4.在宅生活支援施設

 自立した在宅生活が継続できるよう、介護予防に努め、入所や通所・訪問リハビリテーションなどのサービスを提供するとともに、他サービス機関と連携して総合的に支援し、家族の介護負担の軽減に努めます。

5.地域に根ざした施設

 家族や地域住民と交流し情報提供を行い、さまざまなケアの相談に対応します。市町村自治体や各種事業者、保健・医療・福祉機関などと連携し、地域と一体になったケアを積極的に担います。また、評価・情報公開を積極的に行い、サービスの向上に努めます。

問題を正しくつかもう

  「問題を正しくつかめば、半ば解決したも同然である」とはC.ケタリングの言葉です(『リーダーシップ名言集』鎌田 勝、三笠書房)。

 なかなか的を射た名言です。しかし、これが難しいのです。老健に勤める者として、利用者様の日常生活活動(ADL)の能力を評価する中で、「なぜこれができないのか?」と考えたり、転倒や転落が生じた際、「なぜこうなったのか?」と首をかしげる事は多いのではないでしょうか。「それーがわかれば苦労はなーい!」という歌の文句じゃありませんが(『もしも月給が上がったら』という曲です。作詞:山野三郎((サトウハチロー))作曲:北村 輝、昭和12年)、この「なぜ?」を正しく解き明かすことの重要性を、ケタリングは説いているのだと思います。

 「物事の実質や状態、要点があいまいで、何が何だかわけがわからないこと。肝心なことがわからず、要領を得ないこと」を「不得要領(ふとくようりょう)」と言います(『意味から引く四字熟語』、池田書店)。そもそもは『史記』に記された言葉。紀元前より問題を正しくつかむことの重要性は万人の課題だったと言えます。

 英語の長文問題を解くにあたり、「長文を読まなくても、問題を見れば、答はわかるんです」と東大出身の某タレントが言っていたのを思い出しました。これは極端な例かもしれませんが、問題の本質を捉えることが、その根本的な解決に不可欠だという点では同じかもしれません。不得要領で右往左往することのないよう、問題の把握と理解に努めようとと思います。

猫走り

  「犬走り(いぬばしり)」は広辞苑にありますが(※)、「猫走り」というのはさすがにありません。しかし、現実にそれがありました。1016日、インドネシアであったマラソン大会。タレントの猫ひろしさんが、ロンドン五輪出場の切符をかけて出場、激走を見せました。カンボジアに国籍を変え、同国代表でのオリンピック参加を目指そうというのは、すごい執念というか、芸人魂です。

 結果は2時間3739秒で5位。これでは代表決定には不十分ということだそうで、17日の宮崎日日新聞には「猫さん五輪出場ピンチ」と小さく乗っていました。だけどこのタイム、一芸人として、はたまた一市民ランナーとしてのフルマラソンのものとしては、すごいのです。100メートルを22.4秒ちょっと。それを延々42.195キロ維持するというのは並大抵のものではありません。

「サブスリー」という言葉があります。フルマラソンを3時間以内で走りきることを言う、市民ランナーの憧れであり、目標でもあるのですが、全市民ランナーの中で、これを達成できるのは、わずか1%というデータもあるほどで、一般人(もちろん芸人も)が3時間を切ることがいかに大変かがわかります。それに対して今回の「猫走り」。一般ランナーのタイムとして見れば驚愕と賞賛に値します。お笑い芸人という、昼夜を問わない不規則な仕事の合間を縫って、相当にハードな練習を積み重ねてきたのだと、頭が下がります。今後の選考レースで、さらに良い結果を出して、オリンピック出場を果たして欲しいと思います。

 ところで、猫ひろしさんに代表されるように、最近のお笑い芸人には、単に笑いをとるだけではなく、それとは別に人から「すごい!」とリスペクトされる特技や才能を持っている人が多いという傾向があるようです。また、それを題材にして、一流アスリートや格闘家などと、お笑い芸人が対戦するテレビ番組も好評です。本業の「笑い」の部分だけでなく、「達人」としての真剣で感動的な一面を見せることで、「この人、普段はばかなことばっかりやってるけど、実はこんなすごいところもあるんだ。見直したなあ」と、その芸人に対する評価は大きく違ってくるように思います。

 そのように考えたとき、私たち老健に勤める者も、このようなお笑い芸人に見習うべき所が少なからずあるのではないか?と感じました。すなわち、利用者と接する上で、それぞれの専門性を発揮するのは当然として、それにプラスアルファとなるような何かがあるといいのではないか、と。それがあると、「あんたはすごいねえ」と、利用者様とコミュニケーションを深める上で好材料となるだけでなく、色々な趣味や特技、才能を持ったスタッフが集まることで、施設全体として、その魅力は何倍にも増していくのではないでしょうか。「芸は身を助ける」と言いますが、スタッフそれぞれの「芸」は施設をパワーアップし、利用者様の「その人らしい」生活づくりを支援することにつながるのではないかとも思います。

 猫ひろしさんの本業であるお笑い芸が、どのくらい面白いのかはさておいて、マラソンに頑張って打ち込んでいる姿を見ると、応援したい気持ちになります。私たちも、与えられた仕事をただこなすだけでなく、それに付加できるような何かを身につけておくといいのかもしれない、とふと思ったニュースでした。

 マラソンと言えば、昨日(20日)行われた横山国際女子マラソン。優勝は木?良子選手。尾崎好美選手との抜きつ抜かれつのデッドヒートを制しての勝利、感動的でした。こちらはオリンピック出場、ほぼ確実でしょう。来月は男子の選考レースの一つ、福岡国際マラソンがあります。今日のような手に汗握る激走を見せて欲しいですね。 

 

(※)いぬ‐ばしり【犬走り】

小股にちょこちょこ走ること。浄瑠璃、新版歌祭文「一時三里―日暮までには戻つてくる」築地ついじの外壁と溝との間の狭長な空地。後世、城郭の牆かきにその形が残った。犬行いぬゆき。(広辞苑より)

さぎりきゆるみなとえの

 “さぁぎりきぃーゆる、みなとえのぉー”で始まる「冬景色」という歌をご存じの方も多いかと思います。上野発の夜行列車を降りるやつではありません。作詞・作曲者は「不詳」だそうですが、大正25月の「尋常唱歌(五)」に掲載されているそうですから、今からなんと98年も前から歌われている名曲です。ある程度の年齢に達した人ならば、小学校の音楽の授業や朝礼で、白い息を吐きながら歌ったことがあるのではないでしょうか。

 しかし、子供のときに覚えた歌というのは、えてして歌詞の意味を理解することなく、耳で聞こえたまんまで覚えることが多いです。この「冬景色」にしても、冒頭の、「さぎりきゆるみなとえの」とは一体なんぞや?などと首をかしげることもなく、「ふねにしろしあさのしも」と続けていました。

 それが今頃になって、「“さぎり”とはなんぞや?“みなとえ”ってなんじゃ?」と気になって、歌の本を開いてみました。

 書いてありました!「さ霧消ゆる湊江の 舟に白し朝の霜」と。広辞苑を開くと、「さ‐ぎり【狭霧】:(サは接頭語)霧。〈季〉秋」。そして、「みなと‐え【港江】:港のある入江」だそうです。つまり、「霧が消えた港のある入り江において、船に白い朝の霜が降りている」ということになるのだとわかりました。小学校では難しい漢字は使いませんから、そこまでの理解には至らなかったというのも一因かもしれません。

 ここで重要なことに気づきました。「さ霧(狭霧)」が秋の季語だということです。つまり、この歌は、冬まっただ中ではなく、初冬の時期に、「秋には霧がかかっていた港のある入り江で、その霧が消えて、かわりに霜が降るようになった。もう季節は冬なんだなあ」という風景と心情を描写しているのだとわかりました。だから「冬景色」というわけなんだ、とひとりごちてしまいました。先述の通り、だれが作ったかわからないこの歌ですが、なんと詩心、歌心のある人なのだろう、と感服せずにはおれませんでした。だから、ほぼ一世紀の時を経ても歌い継がれているのでしょう。

 ここ数日、めっきりと朝晩の冷え込みが厳しくなってきました。まさにこの「冬景色」の歌のごとしです。そして、今度の月曜日(21日)は気温がぐーんと下がるとの予報。老健に勤める皆様におかれましては、利用者様はもとより、ご自身の体調管理にも十分ご留意ください。

 ところで、再び「冬景色」の歌に戻りますが、3番になると、「もしともしびのもれこずばぁー、それとわかじぃのべのさと」と締めくくります。これはまたひらがなでは難解。「もし燈火の漏れ来ずば、それと分かじ野辺の里」とありました。「もしも、灯した明かりが漏れて来なかったら、それが野辺の里とはわからなかったことだよ」ということでしょうか。

日本には素晴らしい歌がたくさんあります。それらの歌詞を今一度、じっくりと読み込んで、理解を深めたり、魅力を再発見したりして、新たな気持ちで歌い直してみようと思いました。

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